11. 強さの理由
暗闇に光が差す。
白光は徐々に広がり、深く沈んでいる意識を覚醒させる。窓から夕陽が差し込み、辺りを明るく照らし出していた。
無機質な空調の音がした。暖かい空気が肌を撫でる。
「……」
身体を起こすと、節々から痛みが生じて思わず渋面する。
柔らかなベットと、白で基調された一室。傍らには治療用のヒールサーバがあることから、病室だと思われる。
身体を見てみると、切り傷は治療によってほとんど治っていた。どうやらこの痛みは魔力の使いすぎによるものらしい。さすがに訓練場での戦闘に続けて、クロックとの戦闘で魔力を使いすぎたか。
「……アテル」
傍に座っていた彼女の名を呼ぶ。白い髪に夕陽のベールがかかり、まるで絵画から人が出てきたような美しさだ。そういえば、彼女が現実世界に出てくるのは初めてのことではないだろうか。
「ん、起きた? 私のことは現実世界ではレーシャって呼んでね」
「ああ……わかったよ、レーシャ」
神々は人々に名を知られていない。呪術の対策であったり、力をみだりに乱用されないためであったり、様々な目的がある。
詳しい事情は僕も知らないが、創世主たる彼女も同じような理屈で名を知られてはいけないのだろう。
「なんとなく君の様子を覗いてみたら死にかけだったからね。治しておいたよ」
「そんなに……酷い怪我だったか」
クロックとはそれなりに渡り合えて、深手は負っていないと思っていた。
「そうでもないよ、傷自体は軽傷だったよ」
「だったら……なんで僕は死にかけてた?」
「呪いだよ。かなり高精度の呪い……誰がやったのかは知らないけど、厄介なことをするね」
今日の彼女はなんだか難しい話をする。いつもの楽観的な彼女とは、どこか違うような。
呪いか……多分、あのボスとかいう男にかけられたものだ。いつかけられたんだろう?
「…………」
沈黙が流れる。
あまり話したい気分ではない。
「…………」
グッドラックの二人を逃さなかったこと。逆にヤコウさんに協力もできなかったこと。あの場で立ち尽くし、心の弱さを痛感したこと。
そして何より……あの男に震え、動けなかったこと。強さを求めてきた自分が馬鹿らしい。
「…………」
様々な懊悩が僕の心に纏わりついている。
切れない。離せない。
「アテル……じゃなくて、レーシャ。本当に僕は世界なんて救えるのかな」
使命に不満はない。創世主の共鳴者になりたくなかったとか、どうしてそんな使命を押しつけたんだとか……そんなことを言う気はさらさらない。
むしろ、彼女の力になりたいから……なりたいから、弱い自分が嫌になる。
人間ひとりを恐れて、何が「世界を救う」だ?
「うーん? わかんない」
「そっか……」
彼女は無責任に勝てるなんて言わない。嘘はつかない……ことはないけど、優しい嘘はつかない。でも残酷な嘘はつく。
「災厄ってすごく強いし、神族でも勝てないことがたまにあるし。創世主自身が滅ぼされることはないけど……世界を守れるかは運要素もあるよ」
「たしか……災厄は強いヤツよりも、世界への影響力が大きいヤツの方が厄介なんだよね?」
「うん、まあ創世主の本体が負けることはあり得ないけどね。でも、世界を守りきれるかはわからないんだ。宇宙空間に隔離しようにも、ある程度弱らせないといけないし」
創世主事情は難しいと思う。だからこそ、僕ができるだけ協力したい。傲慢だろうか……でも、僕は選ばれたんだからきっと傲慢じゃない。
何を話したらいいかわからない。僕は突飛に話題を変えた。
「……最近、母さんが花を育てはじめたんだ」
「へー、何のお花?」
急に話題を変えてもレーシャは困らずに会話してくれるから気兼ねなく話せる。まあ、そんな会話の癖も彼女から受け継いだものだけれど。
「アキャリーと、ミエーネル。なんでその花の種類を選んだのかは教えてくれなかったよ」
アキャリーは紫色の美しい花で、ミエーネルは水色の小さいくて可愛らしい花だ。どちらもマリーベル大陸から輸入した品種らしい。
「ふむふむ。まあ、花は見ていて心が安らぐらしいからね。いい趣味じゃない。……あ、私も花じゃないけど、植物は育ててるよ」
そんな話は初めて聞いたな。
「……精神世界で?」
「まさか。現実世界の方でね。昔は楽園で育ててたけど……今は神域で育ててる。りんごの木」
林檎。別に珍しい果物でもない。
でも、甘くて美味しいから僕は好きだ。母もよく林檎のデザートを作ってくれるし。
「なんで林檎の木?」
「好きだから! 今度りんご料理、教えてあげるね」
「……ふふっ。うん、よろしく」
なんだかレーシャの様子を見ていると、今までの懊悩も馬鹿らしくなってきた。
ばさばさと、しがらみが切れていくような感覚。
『好きだから』――彼女でさえこんな理由で行動しているのだ。僕だってアテルが、この世界が好きだ。
「……守るよ」
「うのっ?」
「この世界を、守る。僕は共鳴者なんだから負けるはずもないし」
決意する。好きなものがあるなら守ればいいんだと、単純に思う。
アテルとつながっている限り、僕が負けることはない。弱気になるなんて意味のないことだな。
「おー、さすがアルス君。私も負ける気がしないね」
気を取り直したところで、僕は現実について考える余裕ができた。
グットラックに負けそうになって……どちらにせよ、父の叱責は避けられないだろうなあ。
……それも受け止めよう。グッドラックに相対して、僕が間違った行動を取ったのかはわからない。しかし、前に進まないと。
「そろそろ帰るね。ちゃんと安静にするんだよ。次に会えた時はりんごのお菓子作り教えるからね」
「うん、楽しみだ」
彼女は立ち上がり、扉へと向かう。
「また会おうね。レーシャとして会えることはあんまりないけど……それが許されるように、頑張るから」
「……? うん、また会おう」
最後の言葉はよくわからなかったが、言葉を返しておく。
病室の窓から夕陽を眺めた。
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レーシャが出て行ってからしばらくして、父がやってきた。
「……目が覚めたか」
彼は寝台のそばにある椅子に座ると、お菓子を渡してくれた。
「具合の悪いところはないか?」
まだ身体は痛むが、すぐに退くはずだ。訓練を始めたての頃は、魔術を数回使っただけでこんな状態になることもあった。
「うん、大丈夫。……グッドラックは?」
「出張ってきたのが首領らしいからな……さすがに逃げられた。被害は出ていない」
逃げられた、か。もとより一度逃すという決断をしたのだ、どこか安心している自分がいる。
「……アルス」
ふと、父から声がかかる。
「なぜあんなことをした?」
「……」
――わかってる。父が僕を叱るということはわかっていた。
「なぜ、グッドラックと戦おうとしたのかを聞いている。お前が取るべき行動はその場から離れ、一刻も早く連絡することだったはずだ」
父は僕が取った行動が、一般人としても、子供としても適切なものではなかったことを諫めている。
後から冷静になってみると、まったくもってその通りだ。
でも、なぜだろう……僕にはあの場で逃げるという選択肢はなかった。
「それは……あの場で逃げれば国民に危害が及ぶ可能性があったし、神能を持つ者としての矜恃もあり……」
シザンサが幻惑を使って一般人を寄せつけないようにしていたとは言え、クロックと対峙した時にその情報は知らなかった。
実際、僕はその情報を聞いた後にこれ以上の交戦は無為と判断し、撤退しようとした。
「……この際、一度言っておこう」
「……はい」
「アルス、お前の言うこともわかる。たしかにお前は年の割にはその……大人びているところがある。だから、責任も感じてしまうのだろう」
責任。
あるのかもしれない。色々なしがらみがあったけれど、それはさっきのレーシャとの会話で消えたような気がする。
でも、どうして。
……どうしてだろう。
『僕は、強くならなければいけない』
それは責任じゃない。何のために、誰のために強くなるのか?
家族を守るため、世界を守るため。もちろん、それも理由の一つだけど……レーシャとの会話でもっと大切なものがあるような気がしたんだ。
でも、その大切なものが何なのかわからない。
「……だがな、アルス。お前は俺と、母さんの子だ。まだ七歳で、可愛げもあって、マリーの兄だ。お前がどれだけ強くても、この世に二人とない、俺の息子だ」
――そっか。
「……とにかく、今はゆっくり休め。父さんは仕事があるからな。今晩はここに泊まって……」
父はどこか気まずそうに立ち上がる。それを追うように、
「父さん!」
扉を開き、出て行こうとする父を呼び止める。
「ごめんなさい。僕は……周りのことを考えてなかった。これからは、自分のことも大切にします。……だから、訓練を続けさせてください。お願いします!」
それが本心から出た言葉だったのか、自分でも理解していなかった。
ただ、僕は今あるこのつながりを大切にしたいと、そう思ったんだ。
頭を下げると父の笑う声が聞こえた。
「フッ、勿論だ。父さんも少し焦っていたようだ」
下げたままの視界に、夕陽に染まりかけた白い病室の床が映る。
「次からは王城の訓練場も使うとしよう。そして、父さんもアルスの手本となり続けられるように精進しよう」
扉が閉まる音がした。僕は頭を上げる。
目前には、真っ白で無機質な扉があった。
偉大な父を持ったことを誇りに思う。
僕の名はアルス・ホワイト。
聖騎士、ヘクサム・ホワイトの息子だ。
序章完結です。
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【呪術】……魔術の亜種。一般では禁術とされ、行使は罪に問われる。公に発動方法が伝承されておらず、習得するには裏社会で経験を積む必要がある。禁術とされている理由として、残虐な効果、及び常識を逸脱した素材を要するためと法律には記されている




