93. 逃亡
時は少し遡り、僕らが家に帰宅した後のことだ。
思いがけぬ事件でディオネ祭が中止となり、今後の予定について話し合うこととなった。
「街中は大騒ぎだな……バケツ頭の兵に殴られただの、彼氏が抵抗して捕まっただの、国境が封鎖されてるだの……ネットが使えないから、傭兵ベースの所長さんに伝書鳩で教えてもらったよ。まさかこんなアナログな情報伝達手段が役立つとはね。まだ事件が起こって三時間くらいだから、英霊『神聖国王リート・ネガート・ディオネ』の協力者……いや、召喚者が予め手をまわしていた可能性が高いな。しかし、ネットも封鎖されるとはね。随分と用意周到じゃないか」
「あの突然湧いた騎士団……幻影兵と呼ぼうか。彼らは神聖国王の力によって召喚されたみたい。けど、国中を占拠できる人数の幻影兵なんて……無限に近い魔力がないと召喚できないよね」
僕とレーシャは神聖国王とその騎士団について推理していた。
おそらく神聖国王リートは『英霊』だ。歴史に名を刻む偉人が、概念や伝承を纏って死後に現世に呼び戻されたもの。召喚魔術という魔術によって英霊は召喚される。かなり高度な魔術だ。
まだホワイト家には二人しか居ない。まあ、他の皆もそのうち帰って来るだろう。城に勤めているマリーは心配だが……元々陛下に仕えていた騎士たちはどうしているのだろう。反乱か?
「神聖国王は神から力を授かったとされているじゃないか。その神能の能力じゃないのかい?」
「いいや、神が彼に力を授けたというのは虚構さ。勝手に彼が反乱軍を纏め上げるために喧伝しただけ。リート・ネガート・ディオネは実際には何の能力も持たない凡人だったんだよ。一応神器は持っていたけど、神能はない」
今明らかになる衝撃の事実。やっぱり歴史は捏造されてるんだな……
「マリーは大丈夫かな? それに、アリキソンやユリーチもディオネ祭に来てたんだろう? 国境が封鎖されているということは、彼らも出れないんじゃないかな」
下手したらルフィア王国とも関係が悪化するぞ。碧点と輝天はルフィアの宝だ。彼らに何かあっては非常にまずい……まあ、心配なんて必要ないくらい有能な二人だから問題ないかな。
「たしかに、王城に勤める騎士がどうなってるのかは心配だねー。行って確認してみる? 外は幻影兵まみれで、外出も禁止されてるらしいけど、強硬突破?」
「……いや、それこそマリーに迷惑がかかるかも。タナンや皇女殿下、ルチカが帰って来るかもだし」
ホワイト家が神聖国王から警戒されないためにも、目立った行動は避けるべきだ。ディオネ神聖王国は事実上の独裁国家となった。嘘のような話だが……今は受け入れよう。
「まあ、こんな独裁が現代社会で受け入れられるとは思えない。反乱だの、外国の介入だのですぐに収束すると願いたいな」
「でもさアルス君。無計画でこんな事件起こすと思う? 神聖国王の召喚者は、それも見越した上で何らかの対策を講じてるんじゃないかな。幻影兵の規模も分からないし……」
さて、どうしたものか。ルチカが帰ってきたら暗殺にでも送り込もうか。だが、神聖国王を殺しても召喚者をどうにかしなければ根本的な解決にはならない。再度召喚されるだけだからな。
「……とにかく、今日は寝ようか。明日にはみんな帰って来るだろうし」
「そうだね。それじゃあ、おやすみアルス君」
「ああ、おやすみ」
きっと時間が、誰かがどうにかしてくれる。
そんな浅はかな想いで僕は時を進めるのだった。
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翌朝。僕を揺り起こしたのは、声だった。ざわざわとした声がどこからともなく聞こえてくるのだ。
目を開けると、
「あ、アルス君おはよ。まだみんなは帰ってきてないみたい」
レーシャが椅子に座ってこちらを見ている。カーテンも開いてないから、薄暗がりの中で彼女の瞳が怪しく光っている。
もしかして寝顔ずっと見られてたのかな。
「……おはよう。なんか変な音しない?」
「んん……? へんな音って?」
どこから聞こえてるんだろう。なんだか轟轟とくぐもった音だ。
感覚を研ぎ澄まして音の出所を探ってみると……外?
寝ぼけまなこでカーテンを開けてみると、ハッと目が覚めるような光景がそこにはあった。
「そういえば、この屋敷。幻影兵に包囲されてるみたいだよ」
「えぇ……」
ずいぶん落ち着いてますねレーシャさん……
「え、どどどどうしよう。べ別に、慌ててないけど」
「アルス君、落ち着いて! はい、深呼吸。……よし、落ち着いたね。そもそも何が原因で包囲されてるんだろうね? 彼らが突入してこない理由は?」
「……それこそ、マリーが何かやらかしたのかもしれない。まずいぞ、まずい。やっぱり昨日の夜、王城に行くべきだったんだ!」
今頃マリーはどうなっているのだろう。彼女の生真面目な性格からして、神聖国王に逆らったに違いない。そして反徒の家であるホワイト家が包囲されているのだ!
「なんか色々被害妄想が膨らんでそうだけど……マリーちゃんは賢い子だから大丈夫だよ。それよりも、現状をどうするか話そう」
「うん、君が居ないと発狂してたな。ありがとう。さて、ここからどうすべきか……空飛んで逃げる?」
「そしたら家が荒らされちゃうよ?」
うーん、それは嫌だな。色々貴重品もあることだし、腐っても名家なのだ。
マリーはともかく、ルチカはどうしたのだろう。皇女殿下は彼女が滞在していた家でリンヴァルスの護衛に守られているだろう。タナンは……まあ、知らん。
「レーシャ参謀、何か良い案は?」
「ふむ……ではホワイト家を異空間にしてしまうのはどうだろう」
「なんだと! そんな方法があったのか!」
「ふっ……これぐらい常識だよ」
「流石レーシャ様だ……でも、どうやって?」
そもそも異空間ってなんだよ。まるで異世界の知識みたいだ。
「まずはこうするんだ。異空創造」
彼女の足元が捻じ曲がり、空間が融解していく。捻れの断層から紫光が溢れ出し、僕らの周りを包み込んだ。全身がかき混ぜられるような浮遊感の後、視界が眩む。不思議な感覚に身を委ねていると、意識が正常に戻った時には周囲が見たことのない光景に変わっていた。
屋敷に居たはずなのに、気付けば屋外に居た。眼前に聳え立つは巨大な黒鉄の摩天楼。摩天楼の壁の材質は黒鉄のようにも見えるが、鉄でも鋼でも合金でもなく……何だろう? 天は鉛を塗ったように重苦しい黒で、奇妙な物体がたくさん浮かんでいた。何もかもが初見の眺望で、本当に違う世界に来てしまったみたいだ。
「はえー……この異空間、外から見たらどうなってるの?」
「家に入り込んだ瞬間、ここに飛ばされるよ。上に飛んでる警邏衛星が侵入者を排除してくれる。ここから出るには、あの管制塔の支配者を倒すか、時空を切断するかしかない。完璧な防衛プランだよ」
「……外から火を放たれたりしない?」
「問題ない。今、ホワイト家自体が概念化してるからね。外部から攻撃を加えようとしても、無の空間に攻撃してるようなものだから無意味だよ。あと、外の倉庫にも魔術をかけておいた」
なるほど、理屈は分からないが……これでホワイト家は安泰のようだ。すごい。
「で、これからどうしよう? 引き籠るか、外に出るか。私はアルス君についてくよ」
「このまま籠ってても埒が明かない。家は守れたことだし、空飛んで逃げよう。まずは情報収集から始めないと」
「りょーかい。じゃあ、行こうか」
異空間ホワイト家から出て、空を飛ぶ。地上の幻影兵たちはまだこちらに気付いていないようで、依然として包囲を固めていた。
……何か悪い事したっけ?




