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「さて、話をしてあげたいのだけれど……」
あの瓦礫の山から帰宅して、カナリアの体調を確認し、命に別状は無さそうだった為、お昼に叶恵さんがご飯等のカナリア飼育セットを一式揃えてくれると言うことで、一先ず私の部屋に招き入れ、着替えてシャワーを浴びた後、私達は二人で一緒に朝ごはんを作り、いざ実食しようとしていた。
後は食べるだけだというのに、叶恵さんにしては珍しく苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「あなた、料理は相変わらずからっきしね……」
叶恵さんはそう言いながら、物珍しそうに黒焦げた楕円形のものを箸で掴んで口へと運ぶ。
「どうですか? 美味しいですか?」
噛めば噛むほど味が出てくるらしく、顔色がどんどん悪くなっていく。
「えぇ、焦げてるわね、この卵焼き」
まぁ、そうでしょうね。
少しでも美味しいって言われる事を期待したのが間違いだった。
少し砂糖を入れ過ぎたせいで、焦げやすくなってしまったみたいだ。
「ごめんなさい……次は砂糖の量を上手く調整して美味しいものが作れるように頑張ります」
私も自分の作った卵焼きを一口頬張る。
やはり、焦げている。
「ルイ、多分そういう問題じゃ……いや、次は、上手に作れると良いわね」
何故だろう、叶恵さんの笑顔は仮面を被っているかの様に無機質に感じる。
とりあえず、私が作った卵焼きは最後に食べるとして、今は叶恵さんの話が聴きたい。
「卵焼きは、いずれ上手に作ります。それは置いておいて、あの瓦礫の山、一体何ですか? どうしてあんな風になっているんですか?」
私は矢継ぎ早に質問を重ねていく。
「まぁまぁ、そんなに焦らないで。テレビつけなくて良いの?」
何故わざわざ話を逸らしてここまで勿体ぶるのだろうか。
少し不満を抱えながらテレビの電源を入れる。
「あっ、本当につけるのね」
叶恵さんはお茶を口に含むと、咳払いを一つして私に尋ねる。
「辛い話になるだろうけど、大丈夫? 聴く勇気はある?」
ここまできて、知らないままというのはもう無理な話だ。
勇気があろうがなかろうが知らなければならない義務があるはずだ。
「はい、もちろん」
私の目を見て、本気だと悟ってくれたのか、叶恵さんは重そうに閉じた口をゆっくりと言葉を噛みしめる様に開いた。
「この国は今、戦争をやっているの。世界は今、第三次世界大戦の真っ只中よ」
私はしばらく開いた口が塞がらず、持っていた箸を落としそうになった。
記憶を無くしているせいなのか、私達の国が戦争をしているなんて全く実感が湧かない。
SF映画のあらすじでも紹介されているのだろうか。
「戦争の原因は多々あるけれど、やはりいちばんの大きな原因は資源ね。最近、新しくとても貴重で色々な金属の性質を併せ持った汎用性の高い地下資源が太平洋で見つかってね、それの利権をある国が独占しようと画策したの。ただ一つ駄目だったのはその資源が見つかった場所が公海だった事。本来、公海は自由に使って良いとされているのに、見張りの船を配備して、入って来られない様にしたり、入ってきた船を沈めたりと、やりたい放題やっていたの。それに憤慨した国々とその同盟国、独占しようとした国にすり寄って美味しい思いをしようと策を巡らせる国々が、真っ向から対立する形になった。後は、自然発生的に国が国にいちゃもんをつけたり、経済制裁などを行なって世界規模の戦争が勃発した」
叶恵さんは俯き加減に言葉を切る。
重苦しい空気の中、テレビニュースのキャッチーな音だけが響き渡る。
「一つの資源が世界を狂わせたの。その地下資源にはそれだけの価値がきっとあったのでしょうね。そして、この国も狂ってしまった国の一つ」
私は、昨日の朝のニュースキャスターが報道していたティアーズとかいう兵器について語る時の違和感を思い出した。
確かに、戦争をしているのであれば勝てるかもしれない兵器が増える事は喜ばしい事になるはず。
どうやら叶恵さんの話はSF映画の話ではない様だ。
「しかし、人々は技術の発達と、過去の人類の過ちから学んだの。人命を極力使わない、人の街を戦地にしない戦争をしようとね。AIを搭載した無人戦闘機、ラジコンの要領で操作できる遠隔操作型の大型航空母艦に戦艦。そういった、人の出番を減らす戦争というものを試みた。そしてそれが功を奏したのか、戦争での死者数は激減した。それは人命を軽視しない戦争という面では成功していたの。とある事件が起きるまでは」
叶恵さんはとても辛そうな顔をしている。
私もようやく、嘘の様なこの話の全貌が見えてきて、胸が締め付けられる様に苦しくなる。
「そう、あなたも見たあの街の壊滅。それが事件」
街の景色がまた脳裏に思い浮かび、心に黒い霧をかける。
前まではきれいな海沿いの街を思い出していたのに、今では真っ黒に死んでしまった街の景色が思い出に浸食してきている。
「AIを搭載した無人機が誤作動というのが正しいのかは分からないけれど、本来の戦闘が行われる場所から著しく外れて、突然あの街を破壊する事が最適解だと判断したらしくてね。たったそれだけのことであの街は跡形も無く無残に瓦礫の山と化した」
本当にたったそれだけの事で、人が暮らす街一つが滅びたなんて。
そんな事に彼が巻き込まれてしまったなんて許せない。
心臓の鼓動が強くうるさく響いて鳴り止まない。
「そして人命を軽視しない戦争を掲げてやっていたのに、民間人の尊い命を奪った敵国は、私達の国の陣営から報復による集中攻撃の宣言がなされて無条件降伏。その国だけ今は戦争で負けた状態なの」
戦争だなんて、くだらない。人の命より資源が大切なんてあるわけないじゃないか。そんなものの為に私は、あの街、思い出、そして彼、全て失ったなんて。
それが無ければ今頃私は彼と会って話が出来ていたかもしれないのに。
和解して、もう一度やり直せたかもしれないのに。
「ルイ、あなたに外出禁止を言い渡したのはね、療養もそうだけど、あの光景を見せたく無かったの。あなたにはそんな事じゃない、もっと楽しい事や、大事な事を思い出して欲しかったの。黙っていてごめんなさい」
叶恵さんは私に頭を下げる。
今の言葉は私に複数の疑問を生み出した。
「頭を上げてください。戦争に関する話はよく分かりました。それより確認したい事があるんです。質問しても良いですか?」
叶恵さんが顔をあげた事を確認し、先程からまた嬉しそうに嫌な話題について議論しているテレビを、リモコンのボタンを荒々しく押して電源を切る。
「街に対する攻撃、いつ起きたんですか?」
叶恵さんは急に押し黙る。
「それについてはあなたは知らない方がいい。私の口からは言えないわ」
あれだけ記憶を戻して欲しいと言っていたのに、今度は知らない方がいいときた。
それは何か私に直接関係する様な、ショッキングな内容だからなのだろうか。
「では次の質問を。私の胸の傷と街の壊滅、何か関係があるんですよね?」
「それに関してもさっきと答えは一緒よ。あなたが今知るべき事じゃ無い」
何故か叶恵さんは、私と街との因果関係を語ろうとはしない。
叶恵さんに対する不信感が募る。
「……じゃあ、質問を変えます。私の事を外出禁止にして、あの街を見せない様にした件については、理解できますし、破った私が悪いと思ってます。けれど、パズルを私に渡す時に、黒こげになったあの無残な姿の街を思い出すかもしれないですよね? そのあたりに関しては私にパズルを手渡して良かったんですか?」
私は極力冷静になろうと努めたが、恐らく少しヒートアップしてしまっている。
叶恵さんを信じたい気持ちと、疑っている気持ちがぶつかり合い、叶恵さんに対してどんな顔をして良いか分からない。
「前にも言った通り、それに関してはあんなに上手くいくとは思っていなかったけれど、きっと記憶の結びつきに関する部分が優先されると思ったからよ」
私はこの答えを聞いてかなりあやふやで、無機質に感じた。
思い出させたくない事と思い出して欲しい事が混在している場合、普通は思い出させたくない方を優先するんじゃないだろうか。そんな、思い出させたくない部分だけを除いて良い部分だけを思い出させるなんて大博打を、叶恵さんが私に打たせるとはとても思えない。
それに、辛い記憶だから思い出さなくて良いという心配りは少しずれている。辛い記憶も含めて、それは私を構成する物の一部のはずで、それを失っているからと言って、とったりつけたりしようとするのは、例え母親といえどおかしいのではないだろうか。
「そうですか。色々教えてくれてありがとうございます」
私は深々と頭を下げる。
私の質問も無くなり、話す事がなくなった叶恵さんは、それ以降何も言わずに、黙々とご飯を食べていた。
そして、私は残っている焦げた卵焼きを全て口の中に放り込み、お茶を一気飲みして飲み込む様に胃に流し込む。
「ごちそうさまでした」
ご飯と味噌汁がまだ残っているが、とても食べる気にはなれない。
何より今は、この場を直ぐにでも離れたい。
話の内容は確かに辛く、心に重くのしかかるものがあった。
けれどそんな事よりもっと辛いのは、叶恵さんがまた少し、遠くに感じてしまった事。
今朝の街では、あんなにも側にいてくれる事への安らぎを感じたのに。
私は少し、叶恵さんを買い被りすぎていたのだろうか。
叶恵さんは私に何かを隠している。そう思っただけで、心底裏切られた様な気分になるのは何故だろう。
仲良くしていきたいと思っていたのは私だけだったのだろうか。
それから私は叶恵さんの事を一瞥もせずに、ご飯と味噌汁を捨てる事に心を痛めながら、食器をそそくさと洗う。
「叶恵さん、カナリアの飼育セットよろしくお願いしますね」
食器を洗い終えると同時に、一方的に言葉を投げかけ、返事も聞かずに私は階段を駆け上り自室へと閉じこもった。
今までなら、こんな事があったらきっと塞ぎ込んで、また一人で自分を鼓舞していたのかもしれない。
しかし今は、話しかける家族がいる。
新しい黄色い住人は、部屋に入ってきた私の事を目で追いながら不思議そうに見つめている。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私の名前はルイ。あなたの育ての親兼お友達。これからよろしくねカナリアさん」
主だった反応は返ってこないので、一方的に話しかける。
「あなたにも名前が必要よね、そもそもあなたの性別が分からないわね。どっちでも大丈夫そうな名前……よし、あなたの名前はピース! ピースで決まり! よろしくねピース」
平和にパズル。私の家族としては申し分無い名前だ。
「ピースは綺麗な羽の色をしているね、あなたはきっとカナリア界ではかなりのイケメンか美女なんだろうね」
あんな瓦礫の下にいたのにも関わらず、物怖じ一つしなかったところを見ると精神的にもかなり魅力的な子なのだろう。
「ご飯もう少し待っててね、お昼に叶恵さんがお仕事の合間に買ってきてくれるらしいから」
今までぴくりとも動かなかったピースが、ご飯という単語を聞いた瞬間、羽をパタパタとその場で羽ばたかせ始めた。
「おぉ、よしよし元気があって大変よろしい」
一つ一つの仕草が母性をくすぐる様な動きで愛らしい。
鳥はもっと仰々しく、体のラインがプリプリして気持ち悪いイメージだったが、この子は全く逆と言っても良いくらいシャープで締まった体つき、スマートな顔に細い脚と、とにかく華奢な体躯をしている。
「仲良くしようね、ピース」
ピースは心無しか私の言っている事が分かったかの様に、首を何度も左右に傾げてきた。
「あら、中々手厳しいのね。でも絶対に仲良くなるわよ。私は、一度決めたらきちんとやり抜くタイプなの」
ピースと話をしている間は、余計な事を考えなくて済む。
この可愛さといい、まるで心が洗われるようだ。
「よろしくね」
こうして、私とピースの関係は幕を開けた。