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 部屋に入ってすぐ、私は脇目も振らずに勉強机へと向かった。今日の私は一味も二味も違う。心と体は重たい上に、朝一番から大失態をやらかしたが、それが逆に私を駆り立てる。いつもならば、それをやる前に数時間だらだらとリラックスしながら過ごし、取り掛かったら取り掛かったで数時間もしない内に投げ出してしまう様なヘビー級の存在。私が自堕落と言ったらそれまでだけれど、中々に手強いのも又事実。


 しかし、机の上にやりかけのまま放置されているこれが、今までは厄介者にしか見えなかったが、今の私には未来を照らす希望に見えた。


「やるか……」


 私の眼前に広がる二千ピースのジグソーパズル。

 外側からぐるりと三分の二程埋められているそれは、サボり気味ではあったが一週間かけてようやく辿り着いた私の集大成だ。まだ何について描かれているのか判別はつかないが、夕焼けに照らされた何かの風景画である事は埋められた部分と残りのピースが物語っている。記憶を取り戻すリハビリの為には脳を鍛えるのが良いと言って、叶恵さんがニコニコしながら渡してきたこのジグソーパズルは、思った以上にピースの数が多い上に、完成写真が付属でついておらず最終形がわからない、更には類似した形状のピースが多く、ある程度ならハマってしまうというトラップ付きの超難易度のパズルだった。


 そのあまりの難しさと、とっつきにくさ故、極力別のリハビリと称してあやとりやらクロスワードパズルやらの違う事をしながら避けて通ってきた。

 初めのうちは、気長に脳を動かして活性化させてやれば、いつかふっと記憶が湧いてくるだろうと気楽に考えていた。


 しかし、私はもう記憶を失った状態でいるのは耐えられない。

 それに他の事をやっていても、一週間の中で何かを思い出す様な気配すらなかった。ただ脳のトレーニングをしているだけでは恐らく駄目なのだろう。

あやとりやクロスワードパズル等で、ただ頭を働かせるだけではきっと記憶は戻らない。

 私の記憶に関連する様な、結び付きの部分を刺激しないと私の求めている脳の鍛え方にならないのかもしれない。

 そう結論づけると同時に私は、このパズルを手渡す時にだけ見せた、叶恵さんの不自然なくらいに明るい笑顔を思い出した。もしかするとその結び付きの部分が、叶恵さんのお茶目心によりこのジグソーパズルに隠されているのではないかと、この一週間を過ごしてあの笑顔の意味を説明する仮説が立ち上がった。あれは私に対するちょっとした挑戦を込めたイタズラと、完成した絵を見て何かを思い出すのではという、期待の笑み。


 そう考えると、このパズルを作り終えた先にきっと何かがあるのかもしれない。


 もしそれがただの私の的外れな妄想で、全て無駄になろうとも、少しでも記憶が戻る可能性があるのならば、それから目を逸らさずにしっかりと向き合うと決めた。


 何より、立ち止まっているよりかは幾分か心が安らかである事は間違いない。

 私は、バラバラになっているピースを一つ摘み上げる。どこにでもハマりそうな四つの面に凹凸があるピースだ。沢山集まると無個性に見えるが、一つ一つに実は個性があり、きっちりはまるべき場所へと正しく収まる様になっている。自分達なりの色を出して、数あるうちのたった一つの自分の居場所をきちんと私に教えてくれているのだ。


「ここかな?」


 幸先良く一つ目のピースがはまった。


 長い旅路の大きな一歩目だ。


「二千ピースのパズルも一ピースから」


 もう三分の二をはめ終えた状態でもこんな事を呟いてしまう。そしてその後は淡々とピースを精査し、直ぐに出番が来そうなピースともっと中心部に座するピースとを分けていく。後はひたすら、はめてみて当たりか外れかを確認していく作業を進めた。

 調子が良いのは最初の一つだけで、後からは、一つはめ込むのにかなりの時間を要してしまった。


 初めのうちは小さく独り言を言いながら作業していた私も、気づかぬ内に無言になり、部屋に響くのは厚紙のピースが擦れ合う音だけになった。


 そして、やればやる程、ピースのはまるスピードが段々と遅くなっていく。

 本来残りのピースが少なくなればなるほど簡単になっていくものだが、さくさくとはめられる様な状態になる一歩手前で苦戦を強いられた。ただパズルだけと愚直に向き合い、作業をする時間が延々と続く。その間に私の集中は途切れる事はなく、時計の短針がどれくらい回ったのか全く分からなかった。

 私はどうやら集中すると極端なまでに入り込んでしまう性格のようだ。


 私は、その後もパズルを完成させる事だけに注力し続けた。完成したパズルを見る為に、その先にあるはずの私の頭の中を見る為に。


 そして、その時はついに訪れた。


「よし、最後のピース!」


 最後のピースを、はめる時になってようやく私は集中を解いた。我に帰り、辺りを見回すと部屋が視認出来るギリギリの暗さになっており、窓からはレースカーテンに触れて勢いが無くなったアンニュイな赤い夕焼けがうっすらと差し込んでいた。


「集中し過ぎて気がつかなかった……」


 冷静になると、途端にお腹が空いてきた。

 空腹すらも忘れ、昼ごはんも食べずにパズルをやっていたなんて、夢中になりすぎるのも考えものだ。


 私は、最後のピースを手に取り、完成の達成感をゆっくりと味わうように最後の一つをはめ込んだ。


「出来たぁ……」


 はめ込んだパズルは部屋が暗くて全体像が認識しづらい。折角これを見る為だけに一日費やしたのに、これじゃ拍子抜けも甚だしい。勉強机から席を立ち、過去を見つける旅の終止符を打つ為、明かりをつける。


「さてさて、一体何が描かれているのかな」


 期待と不安、少しの安堵を胸に秘め、出来上がったジグソーパズルを覗き込んだ。


「ほう……」


 そこには、駅とそれに続く一本道が描かれていた。


 中央に堂々と座している駅は、赤レンガ調の平屋で、真ん中の屋根の部分だけ山の様に三角に盛り上がっており、その真下に駅名と改札口が見える。

 平屋建ての駅にしてはサイズはかなり大きく、栄えている様に見受けられる。

 そして駅へと続く一本道の脇には、パズルの端いっぱいまで銀杏の木が並び、一本一本が葉を落としながら鮮烈に赤や黄色に色付いていた。

 銀杏の木で出来た鮮やかな紅葉のゲートは、駅から旅立つ人達を見送り、遠方から来た人々を迎え入れてくれている様な温かみを感じる。

 落ち行く葉も、まるで風が吹いているかの様に躍動的に舞い、儚さと共に更に彩りを加え、幻想的な景色に華を添えている。色の塗られ方で言ったら、かなり原色が強くチカチカしそうだが、それを感じさせない様なシックな色使いに、繊細さとこの景色に対する愛情が伝わってくる。


「綺麗……」


 私は記憶を取り戻すという本来の目的を忘れてしまう程に、この絵に骨抜きにされていた。


 しかし、それはすぐに私の頭へと戻って来る。


「この景色、なんだか懐かしい。私、この道を通った事があるのかも」


 私には、全ての人に優し過ぎる景観がそう感じさせているのではない事が直感で理解できた。


 パズルを見る度に頭の内側が燃える様に熱くなってくる。


 少し頑張りすぎたのかもしれない、それにお腹も空いている事だし少し休もう。ちゃんとした休息と小腹を満たす為に居間に行こうと勉強机から離れたその刹那、強烈な頭痛が私を襲った。


「痛っ!」


 あまりの痛みに耐えきれずもう一度座り直し、咄嗟に手で頭を抱える。

 鋭利な刃物で脳内を切りつけられた様な痛みが駆け抜けた後、鮮明な情景が雪崩の如く大量に、そして空を駆ける閃光の様に一瞬で頭に流れ込んでくる。情報の海に溺れそうになる程、脳内を一気に流れて巡るそれは、一枚一枚がドラマのワンシーンから切り取られた写真の様に、私の頭に浮かんでくる。


 思い出した記憶には、いつも男の子が隣にいた。

 そして、その人は私にとって自分よりも大切な人だという想いが、世界の常識であるかのように違和感なく私の心を満たしていく。


 学校から駅までの間の賑やかな街並み、歩道橋から二人で眺めた遠い街の景色。


 駅の改札、混み合う車内での距離の近さにドキドキしながら優しく手を取ってくれた君。


 二人並んで歩いた駅から続く銀杏並木の帰り道。


 他愛無い会話で盛り上がりながらご飯を食べた学校の屋上。


 勇気を振り絞って告白した夕暮れの無人の教室、頷く君。


 街中での初デート、君のコートのポケットの中で絡み合う私と君の温もり。


 君の部屋で君にもたれながら本を読んでいる途中で寝てしまった日曜の昼下がり。


 一つ一つが順に幾重にも重なり合い、パラパラ漫画の要領で私の中で一つの映像を作り上げていく。

 そして全てが重なりあった時、私の中で完全に私のものとして根を張り、定着したのを感じた。


「思い出した……」


 これは、私が彼に恋をしていた記憶だ。


 今、彼との思い出の数々が私の中で一つの物語として再度紡がれたのだ。


「私、こんな大事な記憶を忘れていたなんて」


 私は勉強机から離れる事が出来なかった。


 思い出した記憶の衝撃と余韻を噛みしめながら、痛みを引きずる頭の中を整理しようとするが、子供が遊び散らかしてそのままにした部屋の様に、思考のピースが散らばってまとまらない。考えれば考える程、沼にはまっていく様な感覚に陥る。


「叶恵さんはどうしてこのパズルを渡したんだろう」


 ガチャリ。


 玄関の鍵が開く音と同時に、叶恵さんの綺麗な声が私の耳にするからに飛び込んできた。

 叶恵さんが帰ってきた。


 私はいてもたってもいられず、頭の痛みもそのままに自室を飛び出した。

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