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「あら、どうしたの珍しい。こんな所で座って待ってるなんて」


 帰ってきて早々私を見た叶恵さんは、流石に違和感を感じたのか驚きの表情で声をかけてくる。


 二週間まともに口を聞こうとしなかった娘が自分の帰りを待っているのだ、流石に驚きもするだろう。


「ご飯、一緒に作りましょう」


 叶恵さんが少し引きつった表情をした様に見えたのは気のせいだろうか。


 私は有無を言わさずに台所へと向かい、手を入念に洗い叶恵さんからの指示待ちの態勢に入る。自分一人ではまだ何も出来ない事は知っている。叶恵さんも、私を見て息つく間もなく仕事着を脱いで、可愛らしいクマのエプロンを着け料理へと取り掛かる。


 それから、料理を作ろうと言い出した私が叶恵さんの足を引っ張り続け、恐らく叶恵さん一人なら半分の時間で出来たであろうご飯を三十分近くかけてようやく作り終えた。


「手伝ってくれてありがとう。さぁ、食べましょうか」


 既に少し失敗気味で、劣勢ムードが私の中で漂っている。待ち時間のうちに考えていた作戦と徐々に開きが生まれているのを叶恵さんの気を遣っている様な反応から肌で感じる。本当ならここは、私が主体となって叶恵さんに楽をさせて、私優位で話を進めて行きたかった所だった。


「いただきます」


 出来た料理はとても美味しかった。とても卵焼きを焦がした人間が手を加えているとは思えない程だ。


 しかし、何故か私の手が加わった部分だけが上手くいっていない。味云々というよりも、私が手が加えたであろう痕跡が悪い意味で色濃く残っている。


「……どうしてルイが触れたものは焦げるのかしらね。あなたにんにく料理が向いているかもね」


 私の料理には焦がしにんにくだけ使っていろと? よく知らないがあれはあれでちゃんと焦がさないといけないやつじゃないのだろうか。


「口が臭くなるので、ニンニクはあんまり好きじゃありません」


「食前に緑茶を飲むとカテキンが消臭してくれるらしいわよ」


「へぇ……知らなかったです」


 何故、私が叶恵さんのペースに惑わされているんだろうか。今回は私が引っ張ってビシッと言わなくてはいけないのに。決戦はもう始まっているというのに。


 会話が途切れ、沈黙がその場を支配する。今ならいつでも切り出せる。己の勇気一つでちゃんと言いたい事が言えるタイミングだ。ピースに教えてもらった事を今私が実践するべきだ。


「……」


 だめだ。どうしても切り出せない。言わなければと思えば思う程、思考が入り乱れ出だしの言葉が見当たらなくなる。


 二の足を踏んでいる間に、決戦のタイムリミットが近づいてくる。黙々と食事を進めていた為に、予定よりかなり早く食事が終わってしまう。もう、ここで言えなければずっとこのままかもしれないというのに、いつもみたいに決めた事をやり抜く意志が今の私にはちっとも浮かんでこない。


「どうしたの、何かあるなら言いなさい」


 叶恵さんはこちらを一瞥もせずに私に話す様、促した。先程から、私の事を見ている気配なんてなかったのに、何故私に話がある事が分かったのだろうか。


「また、なんでって顔してるわね。そりゃ分かるわよ。食卓テーブルに座って待ってるなんて、あなた今までした事なかったでしょ。それにテレビ、いつも逃げる様につけてたのに今日はリモコンにすら触れていない。それに……いつもと様子がおかしいわ」


 やはり、叶恵さんには頭が上がらないな。私がピースを通じてやっとの思いで学んだ事を常に実践していたなんて。


 残り少しのご飯を一気に完食し、お茶を飲み、深呼吸をする。


 ここまでしてもらわないと言えなかった私は反省しないと。


「ピースが遂に鳴きました。とても綺麗な声で鳴きました。カナリアの歌声はあんなに澄んでいて優しいんですね」


「そう! それは良かったわね! 今度私も聴きに行こうかしら」


「はい、一緒に聴きましょう。ピースの独占単独ライブですから贅沢ですよ」


 叶恵さんは小さく微笑んだ。私はそのまま話を続ける。



「私、ピースを育てていて分かったんです。あの子実はすごくお喋りなんだって、色んなことを体や表情で表現しているんだって。でも私はそれに気がつかなかった。私がピースにやってあげるべき事をただピースに押し付けていたんです」


 恐る恐る叶恵さんをチラリと覗く。表情は温和なままだ。


「ピースの本音を聞こうともせずに世話をしてました。これ、ただの独りよがりですよね。それに気がついた時は自分が嫌で嫌でたまらなくなりました。それから思ったんです。これは私と叶恵さんの関係にも同じ事が言えるんじゃ無いかって」


 核心を徐々についていく。覚悟を決めていたはずなのに、私の胸の音は叶恵さんに聞こえそうな程高鳴っている。


「叶恵さんが独りよがりとかじゃなくて。立場は逆なんですけどね、私がピースでピースにとっての私が叶恵さん。でも、ピースは言葉が喋れないのに、私に意志を伝えてきました。そして私はそれを受け取ることが出来ました。でも、私は自分の意志を叶恵さんに伝えた事があったかなって思う様になったんです。ぶっちゃけると、無かったです」


 ここから先は叶恵さんの目を見てしっかり言わないと。

 叶恵さんは先程までの微笑みは消え、私と真剣に向き合う表情になっている。

 本当の決戦が始まった。


「だから言います。私、もう記憶について考える事一切しません。二週間ピースの世話してサボっておいて今更何を、と思うかもしれませんが、ピースの世話が落ち着いてきても、もう記憶を取り戻すとか、そういう事を一切したくありません」


 私は自分の中のたがが外れたのを感じた。


「彼の事は忘れたくありません。まだ思い出したい気持ちはあります。でも、後ろばかり向いてても、彼は私の元には来てくれません。可能性があるのは未来だけです。だから私は前を向きます。そして叶恵さん。私、本当は私自身の為に記憶を取り戻そうとした事なんて一度もありませんでした。私はあなたに褒めてもらいたくて、喜んでもらいたくて、記憶を取り戻そうと必死に足掻いていました。どれだけ頑張っても戻ってこなくて、毎朝起きるのが憂鬱でした。あの部屋に閉じ込められているのが息苦しくて仕方ありませんでした。

 それでも、諦めずにやっていたのは……それは全部あなたに今の私を見てもらいたくて、あなたと記憶を失った私で本当の家族になりたくて、ただその一心でやってきました。でもこの前叶恵さん言いましたよね、それは思い出さなくていいって。あれ、私の為を思っていってくれたんだと思うんですけど、かなりショックでした。今まで頑張ってきた事を否定された様な気がして、もしその部分を思い出していたら二度と叶恵さんは私の元にいてくれなくなるんじゃ無いかって。

 だから今までずっとむくれてました。この件に関しては私が子供でした。ごめんなさい」


 言いたい事を一気に解放して、体が一気にピースの羽のように軽くなったような気がする。


 震える声で深呼吸を一つ。空気に混じる私の吐息は、体の中の要らないものも全てを出していってくれた気がした。


 しかし、まだ後一つ。本当に大事な事が残っている。

 叶恵さんは、私の目をじっと見つめて、話を真剣に聴いてくれている。


 言おう。私の全ての想いを込めた一言を。これからの私と叶恵さんの未来を紡ぐ為に。


「叶恵さん、お母さんって呼んでいいですか?」


 気が付けば私の手は震えていた。言い放ってスッキリしていた今までのは愚痴に近かったのかもしれない。

 本音を話すという事はこんなにも怖いものだったなんて知らなかった。受け入れられなかったらどうしよう。怒らせてしまったらどうしよう。


 言い終わった後の沈黙に耐えきれず、叶恵さんから目を逸らしてしまう。


「私は、母親失格ね。娘にこんな思いをさせていたなんて」


 そこには今まで見たことがないような、慈しみに溢れた瞳があり、しっかりと私の両眼を捉えて離さなかった。

 想像よりずっと優しい言葉がかけられて拍子抜けする。


「ごめんね、私気がつかなくて。私も独りよがりだったわね。あなたの事が知りたくて、あなた自身の思い出を忘れていたままでいて欲しくなくて。余計なお世話だったみたいね」


「そんな事ありません。私は、叶恵さんのおかげで彼の事を思い出せました。今までやってきた事は無駄なんかじゃありません。というか、私が無駄にさせません」


 私は食い気味に叶恵さんの言葉を否定する。


「ありがとね。あなたはとっても良い子ね。これはピースもかなり良い子に育ったんじゃないかしら」


「えぇ、ピースはとても賢くて、キュートな良い子ですよ」


 叶恵さんは軽く笑みを浮かべながら、立ち上がり、私の隣の席に移動してきた。


「そういう所が良い子なのよ」


 叶恵さんは私の頭を優しく撫でてくれた。なんて優しくて温かい手なんだろうか。きっと私は、この手の温もりを一生忘れないだろう。


「お母さん」


 言い慣れていなさ過ぎて、口の中に何かが残るような違和感を感じる。


「お母さん」


 もう一度、噛み締めるように呟く。今度は素直に口から出てきたと思う。


「なぁに?」


「私、頑張ったんだよ?」


「そうね、あなたは偉いわね。ありがとね……ありがとう」


 叶恵さんは私を両手で優しく、少し痛いくらいに強く抱き締めた。人の温もりとは、こんなにも幸せを感じるものなのか。


「えへへ、ありがとうお母さん」


 私は抱き締められた温もりと、叶恵さんの甘い匂い、痛くない胸の内側のむず痒さがやけに可笑しくてポロリと笑みが溢れた。

 私は、記憶を無くしてから初めて笑ったかもしれない。こんなに嬉しくて、心から笑える日が来るなんて思わなかった。


 こうして、私達はまた家族になった。


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