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1話「ばっちり生きてるじゃないですか」

 目を覚まし最初に見たものは、天井に吊るされたランタンだった。

 中でチラチラと炎を揺らすそれは、見ているだけで暖まる。

 次に感じたのは、包み込まれるような感触。全身が何かに包まれているようだが、息苦しい感じはしない。むしろ心地いい。ふわふわとしていて、重さもそう感じない。

 俺は……死んだのか……?

 思い出されるのは、死を覚悟した満身創痍の自分。

 死後の世界が、こんなにも心地いいものとは、思っていなかった。

 そこでようやく、自分はベッドの上にいるのだと気づいた。

 すると意識はだんだんとはっきりしていき、五感から情報が一気に入ってきた。

 視覚からは先程のランタン、触覚はベッドの感触。そして、耳と鼻で感じる、少し音の外れた鼻歌と、ほのかなはちみつの香り。最後に、微かに口の中で感じる、血の味。

 全身の痛みは思ったほどじゃない。力が入りにくいが、体を動かすには問題は無いだろう。

 そう思い、俺は体を起こした。

 多少の痛みは感じたが、そう激しいものではなかった。


「あ、起きましたか?」

 

 優しい声音だ。滑らかに耳から入り、頭の中に溶け込む。

 声が聞こえた方向に目をやると、そこには一人の女性が、木製の椅子に腰掛けながらこちらを見ていた。

 手元には、開いたままの本。読書中だったようだ。

 小さな部屋のようだ。俺の寝ているベッドと、その脇に置かれた木製の机と椅子が一つずつしかない。

 俺は、そんな周囲の光景に目を向けてから、女性の顔を見ると、そこで視線が奪われた。

 歳は20代前半くらいだろうか。腰まで伸びた淡い茶髪はハーフアップで編まれ、一本一本が独特の濃淡があり、光を反射する度に違った色合いを見せている。

 慈愛に満ちた大人びているが幼い愛嬌のある整った、いや整いすぎたその顔つきは、俺が目の前にいる女性が女神だと思うには、十分であった。着ているシンプルな白のシャツに、胡桃色に白と黒のチェックが入ったスカートでさえ、彼女の健康的な白い肌と、女性の理想とでも言える抜群のスタイルによって聖衣に見える。

 女性は、椅子から立ち上がるとこちらに歩を進め、そっと俺の頬に手を伸ばした。

 頬に感じる暖かで柔らかい感触。呆気に取られていた俺は、手を伸ばせば届くほどの距離に迫った彼女の瞳に、釘付けになってしまった。

 

「よかった。路地で倒れていたのを見た時は、すごく心配したんですよ」

 

 安堵の息をつくその小さな所作だけで絵になる。

 頬から離れていってしまった女性の手を名残惜しく思いながら、俺はようやく固まっていた口を開いた。

 

「あ、あの……ここは……?」

「ここは、私が経営する宿屋ですよ」

 

 返ってきた答えは、俺が予想していなかったものだ。

 宿屋?死んで宿屋に来るというのはなんとも奇妙だ。

 

「あの……俺は死んだはずだ」

「何言ってるんですか?ばっちり生きてるじゃないですか」

 

 女性の言葉は、ますます俺を混乱させる。

 一先ず自分の体を見下ろしてみると、そこにはなんと普通の自分の体があった。

 いや、普通の自分の体があることに驚くことではないのが当たり前だが、今の俺には違った。

 俺がここで目覚める前の記憶によれば、全身に傷を負い、骨は数えるのもバカバカしくなる程の数が折れ、内臓ごと身体中が壊れていたはずだ。

 しかし、綿で作られた質素な上下の服は清潔で、その下にある体には全身と言っていいほど包帯が巻き付けられているが、飛び出した内蔵や骨はおろか、血さえ見当たらない。

 

「ま、まぁ、おばあちゃんがいなかったら、さすがに死んでたと思いますけど……」

 

 女性がボソリと言った言葉がうまく聞き取れず、聞き返すような視線を向けたが、にっこりと花のような微笑みを返されただけだった。空耳だろうか。


「私は紗綾。ご無事で何よりです」

 

 人を虜にする笑顔と共に、サヤと名乗った女性は、開いたままだった本に栞を挟み閉じると、椅子に座り直した。

 時間が経つにつれてハッキリとしていく感覚に、俺は自分の考えを改めなければならないことに気づく。どうやら、死後の世界と思っていたが、まだ死んでおらず、この目の前の女性も女神ではなく、本当の人間のようだ。

 

「サ、サヤさん。助けていただいたようで、ありがとうございます。俺はジン。姓はありません」

 

 少し無愛想だっただろうか。しかし、サヤさんは特に気を悪くした様子はない。

 すると突然、サヤさんの背後の扉がノックされた。

 「はーい」というサヤさんの返事とともに、扉が開かれ、少女が一人入ってくる。

 

「お、なんや起きとったんか。いやーよかったよかった」

 

 入ってきた少女は、手を腰に当てて、気さくな笑いを浮かべた。

 こちらの女性はサヤさんとは違う種類で、目を奪われる少女だった。

 サヤさんより若く、十八くらいだろう。

 はっきりとした黒い髪を横で纏め、着ているものはサヤさんと一緒だが、シャツの裾の部分を結び、明るく、活発な雰囲気を感じる。

 パッチリとした二重の黒目は生き生きと輝いており、可愛げがあって親しみ深い。

 

「ほんま紗綾がボロボロのあんたを引きずってきた時は、お葬式の準備しよう思ったんやけどな。ギリギリ息があったもんでなんとかなった、ちゅーことや。紗綾に引きずられてよー死なんかったなぁ」

「もう!香菜!しょうがないでしょ、抱えるなんてできなかったんだもん!」

「去年クリスマスでサンタのフリしようとして、重すぎてプレゼント引きずって来た髭面の紗綾思い出したんやけどなぁ」

「こ、こら!それはもう忘れてってば!」

 

 なにやらじゃれ合う二人を前に、少し困ってしまった。

 というか、髭面のサヤさんとは、なんとも想像しにくい。それと、この少女の独特の訛りも気になる。

 

「あ、ごめんなぁ、紗綾が可愛くってついいじってしもたわ」

「あとで覚えときなさいよね……」

 

 恨めしげな視線を向けるサヤさんを、いじわるな笑みのまま宥めながら、少女は気を取り直したように言う。

 

「うちは香菜。よろしゅうな。香菜って呼び捨てにしてくれて構へんよ」

「あ、俺はジン。です。よろしく」

 

 太陽のような笑顔と共に、カナと名乗った少女は俺の右手を取ると、ブンブンと握手をしながら上下に振った。

 

「その様子じゃ、怪我も落ち着いたみたいやな腹減っとるやろ。ご飯にしよか」

 

 そう言われると、急に空腹感が襲ってきた。同時にかなり大きめに、腹の虫が鳴く。

 それを聞いたサヤさんとカナは、お互いに顔を見合わせると、クスクスと笑った。

 

「ちょっと待っててください。すぐ用意するので」

 

 朗らかに言って席を立ったサヤさんは、扉の向こうへと消えていく。

 その歩き去る時に、サヤさんの髪からふりまかれたほのかなはちみつの香りが、鼻をくすぐる。

 

「ジンさんええ時に来たな。今夜は紗綾の特製クリームシチューやで」

「クリーム、シチュー?」


 あまり聞いたことの無い料理名。というより、俺はあまり料理に詳しくないだけなので、世間では意外と知られているのかもしれない。

 

「暖まるで。待っとき、出来たら持ってくるから、怪我人はそれまで休んでるのが仕事や。任せたで」

 

 ポンと肩を叩かれ、カナも扉の向こうへと消えていく。

 なんだかよくわからないが、俺は再度ベッドの上に横たわった。

 ベッドに寝るということを、あまりしたことの無い俺は、それだけで心が落ち着いた。

 天井のランタンを見つめながら、漂ってきた香ばしい匂いに、また、腹の虫が大きく鳴いた。

誤字の訂正をしました。失礼しました

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