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1-1 透明人間

佐藤優(さとうまさる)の1日は衝撃から始まった。


比喩ではなく、文字通りの衝撃だった。


「何やってんだ、てめぇはよぉっ!」


怒声によって目が覚めると同時に、(まさる)の身体は椅子ごと蹴飛ばされ、地面へと倒れた。


何が起こったのか理解できていない優はキョロキョロと辺りを見回した。


「寝ぼけてんのか、てめぇ!」


怒声と共にもう一発、今度は腹に蹴りが入った。


「すいませんっ、すいませんっ、すいませんっ」


優は訳もわからないまま謝った。


「すいませんじゃなくて、すみませんだろうが、ボケが!」


そう言ってまた蹴りが一発。


声の主は、うずくまる優の髪をグイッと掴み無理やり顔を上げさせた。


「目ぇ覚めたか?」


声の主は、上司の冴木(さえき)だった。


「……はい」


痛む腹を抑えながら絞り出す様にして返事をした。


「声が小せぇなぁ!まだ寝てんのか?あぁ⁉︎」


冴木は優の耳元に顔を近づけて怒鳴った。


「すみません!目は覚めましたっ!すみませんっ!」


これ以上の暴行はごめんだとばかりに、謝った。


「……で?」


冴木は尋ねた。


「はい?」


「はい?じゃねぇんだよ、グズがよぉ!」


冴木はまた耳元で怒鳴った。


「……チッ」っと舌打ちした後に、冴木は続けて話した。


「昨日の内に終わらせろって言った資料あんだろうが 終わったのかよ」


「はい!あとは印刷するだけです!すみません!」


「……チッ なら印刷してから寝ろよ、ったくよぉ!」


そう言った冴木は、掴んだ髪を引っ張るようにして優を立たせた。


「やれや!さっさとよぉ!」


「はい!」


返事をするなり、優は作業に取り掛かった。




必要分を印刷した優は、冴木のデスクに資料を持参した。


「あー、やっとかよ もう会議まで時間ねぇじゃねぇかよ」


「すみません!」


まるで軍隊物の映画に出てくる新兵の様に全力で優は返事をした。


「ミスはねぇんだろうな?」


「ありません!」


「じゃあ、確認する時間ねぇから、これ会議室の机にセットしてこい」


「かしこまりました!」


「後になってからミスが見つかったらわかってんな!」


「はい、大丈夫です!」


そう言って、優は会議室に向かった——————。





「佐藤ー!佐藤優ーーー!」


聞いた瞬間、優の心臓は鼓動が速くなるのを感じた。


会議を終えて出てきた冴木は真っ先に優に声をかけた。


「はい!なんでしょうか?」


優は応えると、冴木の元へと駆け寄った。


「おう、今日の忘年会の予約はどうなってんだっけ?」


「え……?あっ、はい、予約は今日の18時、9名で取れてます」


「ん、じゃあ、今日の仕事は早めに切り上げっから予約を17時に変更しとけや」


「あ、はい、では、その様に……」


「おう」


「それでその、会議の資料の方は問題ありませんでしたでしょうか?」


「あ?なかったから何も言ってねぇんだろうが それくらいそろそろ分かれや」


「はい、すみません!」


「それとも何か?褒めてもらいたかったのか?あ⁉︎」


優は、しまった、と思った。


仮に資料にミスがあれば直ぐ謝れる様に尋ねたのが裏目に出て冴木の怒りに火をつけてしまった様だ。


「お前なぁ、そもそも期限に間に合ってないんだから、せめてミスなく作るのは当然だろうが?」


「はい!」


「だよな? 褒めてもらいたいならミス無く期限内に終わらせろって話だよな? そう思わねぇ?」


「はい、申し訳ありません!」


「おう、それよりさっさと店に電話しろや!」


「はい、直ちに!」


そう言ってデスクに戻った優は予約変更の連絡を入れた。


会議が終わってからの冴木は機嫌が良さそうだ、と優は感じた。


確かにすぐ怒鳴るが、さっきも暴力は振るわなかった。


覚悟していただけに拍子抜けではあったが、今日が仕事納めという事もあるのだろう。


わずかな平和を噛みしめよう、と優は考えた。


「課長、予約変更完了しました!」


「おう」


そっけなく言った冴木は、自分のデスクの前に出ると、パンパンッと手を鳴らして注目を促した。


「みんなー!ちょっと手を止めてくれ!」


打って変わって明るい声色で話し始めた。


「今やってる仕事はキリの良いところで切り上げてくれ!」


冴木がそう言うと、ざわざわと嬉しそうな声が課内から上がった。


「来年は忙しくなるからな!今日は大いに楽しんでくれ!」


冴木がそう言うと、課内のあちこちから「ありがとうございます!」と声が上がった。


それからしばらくして、仕事が終わった者から談笑が始まった。


ざわざわと課内がさわがしくなってきた頃、全員の仕事が片付いた。


「よし、じゃあそろそろ行こうか!」


「はい!」という返事が口々に聞こえた。


皆が揃って社屋から出るなり、優に声がかかった。


「おい佐藤!お前が予約したんだからお前が先導しろや!」


そう言って冴木は優に軽く蹴りを入れた。


「はい!ではこちらです!」


しばらく歩いて店の前に着くと再び冴木は優の太ももを軽く蹴り入店を促した。


店に入り店員に名前を伝えると、優らは奥の半個室になった座敷席に案内された。




「じゃあ、みんなグラスを持ってくれ!」


それぞれに飲み物が行き渡ると、冴木は乾杯の挨拶を始めた。


「今年もよくやってくれたね! 約1名を除いた優秀な皆のおかげで俺は随分楽をさせてもらったよ! 今日は大いに飲んで食べて楽しんでくれ おつかれさまでした! かんぱーい!」


冴木の音頭で仕事納めの打ち上げと忘年会を兼ねた宴会が始まった。


「おい、佐藤! お前さっさと適当に料理見繕って注文しろよ!」


「はい、直ちに」


そう言われた優はテーブルの端に置いてある端末で、定番の居酒屋メニューを注文した。


「お前また、唐揚げに刺身にサラダかよ ほんとワンパターンだな」


料理が運ばれると冴木はぼやく様に言った。


優は会釈で謝ると、頼んだビールに口を付けた。


(ワンパターン? 当たり前だでしょう こんな飲み会なんか本当は来たくないんですよ)


心の中でそう呟くと、優は席を立ちトイレに逃げ込んだ。


この程度の事で優は落ち込まない。


落ち込みはしないが、決して平気な訳でもない。


有り体に言えば、心が麻痺していた。


10分程興味もないのにネットニュースを眺めて時間を潰して席に戻った。


戻って早々、冴木が優に絡んだ。


「お前は本当にしょうもねぇよな!」


「すみません……」


「すみませんじゃねぇんだよ こっちの身にもなれっつーんだよ ったくよぉ」


元々冴木は優に対して理不尽だが、酒が入ると理不尽を通り越して意味がわからない。


思えば冴木との関係は最初からこうではなかった。


入社して最初の3年は優しかった。


それが、ある日突然こうなった。


理由はあるにはある。


その当時付き合っていた恋人とのデートを優先して、優は冴木からの酒の誘いを断った。


そして、次の日に出社した優は冴木から、飲み会を断ってまで恋人と何したんだ、と根掘り葉掘り質問された。


次第に性生活にまで質問が及んだ優は、やんわりと回答を拒否した。


それが気に入らなかったのだろう。


そこから冴木からのいじめは始まった。


最初は陰でコソコソといじめられる程度だったが、冴木が課長になるや、いじめは大々的に行われた。


誰も進んで火の粉を被りたいと思う者はおらず、優はすぐに課内で孤立して今に至る。


「お前はさぁ、今まで出会った人間の中で一番無能だよ」


優の頬をペチペチと叩きながら冴木は言った。


「こうやって言ってやってる間、お前は俺の楽しい時間を奪ってんだよ わかる?」


「はい、すみません……」


間違いなくあんたはこの時間を楽しんでいるよ、と思いつつも優は謝罪した。


その後もしばらく絡んで満足した冴木は、他の社員と話し始めた。


基本的に冴木に絡まれている時以外、優は課内では透明人間だ。


その方が人間関係も無くて楽でいいじゃないか、と達観した者は考えるのだろうが、悲しいかな優はそういうタイプでも無かった。


そもそも孤立していて楽しいと感じる人間など世の中に一体いくらいるだろうか。


「あの……」


「はい? あ、ラストオーダーですか?」


「はい、ご注文はいかがされますか?」


「ちょっと待ってくださいね」


そう言って、優は冴木の方に向き直った。


「課長、ラストオーダーだそうですが、どうされますか?」


「ん、じゃあお前が適当にデザート注文してくれたらいいよ! 頼むわ!」


部外者がその場に居ると、冴木は他所行きの態度になる。


(こす)ずるい、いじめっ子らしい性格だ。


「じゃあ、これが4つと、これを5つで おねがいします」


「かしこまりました!」


そう言って厨房の方へ戻って行く店員の後ろ姿を眺めながら、優は安堵した。


もうすぐ帰れる。


飲み会が終わるのが待ち遠しくて仕方なかった。


「おい、佐藤!」


テーブルの端から冴木が叫んだ。


「次店員が来たら、お前が会計しとけな!」


そう言いながら、冴木は財布を放って渡した。


「はい、わかりました!」


弾んだ声で優が答えた。


程なくして、デザートとサービスのお茶が入った湯呑みが到着すると、優はささっと会計を済ませた。


デザートを食べる冴木に財布を返すと同時に、自分の分の食事代を渡した。


「釣りねーわ いいよな200円くらいだし」


財布の中を確認しながら言う冴木に


「はい、大丈夫です」と答えた。


それを見た他の社員らもゴソゴソと自分の財布を出すが、冴木は「いいよいいよ!」と断った。


いつもの事なので社員らも当然の様に財布を鞄に戻し、優だけが支払った事に何ら反応も示さない。


胸糞悪いが、もう慣れっ子だ。


締めの挨拶と称して、冴木は長々と演説をぶった。


言ってる事は乾杯の挨拶と大して変わりない。


1年を振り返り社員らを褒めながら、たまに優を貶した。


「では諸君! 来年もよろしく頼むよ!」


下らない演説が終わると、ぞろぞろと店を出た社員らに冴木は声を掛けた。


「はい!」と、社員らも声を揃えて答えた。


やっと終わった。


そんな安堵感に浸る間もなく、優は捕まえたタクシーに飛び乗り駅へと向かったーーーーーー。



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