08.向かうは北西、成すは救出
太陽が西の地平線に埋まり、東から夜空が顔をのぞかせる。
エイジとフォウはバンサス村の入り口に集合し、これからワゴール丘陵に向けて出発しようとしていた。
「待ちくたびれたか? エイジ」
「日は沈んだ。さっさと行くぞ」
マントを羽織り、エイジは腰を上げる。
フォウは旅に必要なものを詰め込んだリュックを背負っているが、容量以上に物を詰め込んでいるのか、リュックの形は歪になっていた。
「わかっておるなエイジ。もしも竜獣と出くわしても、ワゴール丘陵に着くまでは構うなよ」
「わかっている」
二人がワゴール丘陵に向けて出発しようとしたそのとき。村の中からこちらへと近づいてくる人の気配にエイジは気づいた。
フォウもその気配を感じ取ったようで、つま先を気配の方に向ける。
「―――ま、待ってください!」
「リーシャ? どうしたんじゃ」
「あ、あの……私も、連れて行ってもらえないでしょうかっ……」
走り寄ってきたのはリーシャだった。
おずおずとリーシャが言った言葉に、フォウは小首をかしげる。
「なんじゃ? 村人は必ずわしらが助けてくる、ついてくる必要などないぞ」
「いえ……それはわかっているんです。でも、私も行きたいんです」
「……戦力にならん者を連れて行くわけにはいかん。足手まといになるからの」
フォウもエイジも、リーシャに対して拒絶の視線を送った。
これから竜の棲みかへと攻め入ろうというのに、何の力も持たない人間を連れて行くわけにはいかない。だがその心理は、エイジとフォウで少し異なっていた。
足手まとい、と言っても自分たちにどう影響するか。
戦闘時に動きを妨害されることが一番に考えられる。しかしそれは、戦闘時に於いてその人物が守るべき対象であることが前提となる。
非力な人間が戦闘に巻き込まれれば、周りはその人を守ろうとして思うように動けなくなる。それが起こりうるからこそ、戦える者は出来る限り戦えざる者を拒絶する。
そう、前提は非戦闘員が守るべき対象であるかどうか。
フォウやエイジにとって、リーシャはその対象に含まれない。
フォウは変姿によって人間の姿をしているが、元は竜。彼女にとっては人間が死のうが生きようが興味が無い。よって、守るという考えが彼女の頭には無いのだ。
エイジも同じようなことを思っていた。自分が成すべきことは竜への復讐。四王を討つということ。そのためにはどんな犠牲をも厭わない、何が犠牲となろうがその屍を踏み越えていくという覚悟を持っている。
だがエイジは人間だ。いくらその心が過去に傷だらけになっていようが、同じ人間が死んでいくことを黙って見過ごせるほど冷徹になりきれない。
エイジのその心理を理解しているから、フォウはリーシャを言葉と態度で拒んだ。
フォウにとってはリーシャの命などどうでもいいこと。だが、リーシャを連れていくことで万が一にもエイジを危険な目に遭わせるわけにはいかないのだ。
四王を討つために、エイジは必要な存在なのだから。
「……足手まといにならなければ、連れて行ってもらえますか」
「妙に我が強いのリーシャ。よほど意志は固いと見えるが……」
「エイジさんやフォウさんなら、竜を討ち倒し連れ去られた村の人たちを取り戻してくれると信じています。だけど……私も行きたいです。何もできないけれど……”何もできないからこそ”、行動したいんです」
「……意味不明じゃの。人間というのはどうしてこうも矛盾しておるのだ。無力な者ほど無謀と知って行動し、有力な者ほど思索に耽り謙虚さを保つ。邪と正を内包し、自己を深く知りもせず感情という不確かなモノに身を任せるから、その末に葛藤などという後悔とも取れる心の錯綜を引き起こす……全くもって理解に遠い」
「……フォウ」
エイジに名を呼ばれ、フォウは口を噤んだ。
竜からすれば、人間の心理は意味不明なものだろう。フォウが唯一理解できるのは、復讐という強い意志に他の思考が混じらないエイジという、人間離れした男のことだけだ。
エイジよりもよほどまっとうな人間をしているリーシャの意見は、フォウにとって理解することが出来ない。だからこそ、苛立ちを感じてしまう。
弱い人間は弱い人間らしく、大人しくしておけばいいものを。どうしてそれがわからないのか、どうしてそれに抗おうとするのか。
フォウは人間に対して嫌悪感を持つ。だが、それと同じくらいに好奇心も持つ。
―――本当に人というものは、不器用で面倒じゃの。
「ついてくるのなら勝手にしろ。だが、俺もフォウもお前を助けることはしない」
「……はい」
「お前が何をしたいのか俺にはわからんが、自分の意志に従うのならばそれ相応の覚悟をしろ。俺もそうして生きてきた」
「……はいっ」
リーシャの瞳には覚悟の光が宿っていた。
何もできないリーシャが旅について行くことに何の意味があるのか、その真意はエイジにもわからない。だが、覚悟を持った者を頭ごなしに否定はできないとエイジは思った。
エイジも今まで、覚悟を持ち、そして誰にも頼らずに生きてきた。
自分の力だけで竜を殺し、血反吐を吐くような生活を続けてきた。自分の成し遂げるべき復讐のために。
そんなエイジだからこそ、リーシャが何かを成し遂げたいと考えているのがわかってしまえば、好きにさせてやりたいと思ったのだ。何もできないけど行動せずにいられない、何かしなければならないという心に湧いた使命感。
いまのリーシャの姿は、昔のエイジに少し似ていた。
「わかっておるのかリーシャ。夜が明けてしまえば、竜獣と出くわす確率もあがる。ワゴール丘陵に着くまでに2、3は戦闘になるぞ」
「が、がんばります……せめて、死なないように……」
「……はっはっは! 戦闘になったらわしらの後ろに下がっておれ。邪魔にならんようにな」
先ほどまでは冷たい態度を取っていたフォウだったが、普段通りの明朗とした微笑みを浮かべてリーシャの腰をぱんぱんと叩いた。
竜獣と戦闘になったとしても、エイジやフォウが戦えばリーシャを助けたときのようにすぐに終わるだろう。リーシャに危険が及ぶ可能性も確率で言えばかなり低い。
ともあれ、エイジとフォウはリーシャの同伴を承諾した。
向かうは北西、成すは救出。
「時間が惜しい。もう行くぞ」
「あっ、はいっ……!」
三人は村を出発し、ワゴール丘陵へ向けて歩きはじめる。