07.異界の復讐者
「……レン」
「ん? なによ」
エイジたちと話した後、リーシャとレンティアは家の中で二人きりになっていた。
向かい合って座り、レンティアは何食わぬ顔でコーヒーをすすり、リーシャはどうにも落ち着かないといった風にそわそわとしている。
「さっき言ってた、召喚紋って何なんですか?」
「……長い付き合いだけど、ほんっとにリーシャって世間知らずって言うか、無知って言うか……」
「ご、ごめんなさい……」
呆れてため息を吐くレンティアと、眉毛を八の字にして苦笑いするリーシャ。
レンティアはしょうがないと前置きしてから質問に答えていく。
「異界者は、流石にあんたも知ってるでしょ?」
「あ、はい。……『人と竜との戦争中、竜の力に圧倒され始めた人間が最終手段として使った、異界召喚によってフォウ・ク・ピードに呼び出された者達の総称』……ですよね」
「そ。つまり切羽詰まった人間が、自分たちじゃどうにもならないから異界の力を頼ったってわけ……あたしがこんな風に言うのもおかしな話だけどさ」
「でも、どうして異界の人の力を借りようと思ったんでしょう? 何か特別な力を持っているからです?」
「んー……ちょっと違うわね。どっちかって言うと、異界召喚を行える召喚士の方が特別な力を持ってるのよ」
「召喚士?」
コーヒーを飲み干し、レンティアは立ち上がる。窓際に置いてあったポットから、空になったカップの中にコーヒーを注いでいく。こぽこぽと湯気を上げながら注がれていくコーヒーを見つめながら、レンティアは話を続ける。
「んーと、どっから説明したらいいかな……まず、私たちフォウ・ク・ピードの人間の体と、異界者の体は全然違うのよ」
「どういう風に違うんです?」
「構造的には同じよ? 医学的って言ってもいいかも。けど、異界者には私たちが持っていない、『資質』みたいなものがあるのよ。詳しく話すと面倒だから説明はしないけど」
「資質……ですか」
ついでにリーシャの分のコーヒーも注ぎ終え、レンティアはカップをひとつ差出す。
「そう。特別な力を使うための資質。……けど、異界者が持っているのはあくまで”資質だけ”。そのままじゃ特別な力なんて使えないのよ。そこで、異界者の資質にちょこっと細工して、特別な力を使えるようにさせるのが召喚士のもう一つの役目」
「つまり、召喚士がすごいってことでしょうか」
「まぁね、異界召喚を行える人間は少ないし。……それで、異界者と召喚士が契約って形で資質を目覚めさせるの。そのときに異界者の体のどこかに刻まれる紋様が召喚紋ってわけ。エイジのは左手の甲に刻まれてたわ」
リーシャはカップを両手で握り、中の真っ黒い液体を見つめる。波紋が生じた中身には、自分の顔がゆらゆらと映り込んでいる。思いつめたような、自分の顔が。
◆
「今すぐ出発するべきだ」
「いいや、夜を待つべきじゃ」
レンティアの家を離れ、村の入り口近くでフォウとエイジは声を荒げることなく言い争っていた。
「何故だ? わざわざ時間を無駄にする必要などないだろう」
「逆に訊くが、急ぐ必要もなかろう。ワゴール丘陵まで二日足らずで着くのじゃ、今からでも夜からでも問題なく間に合う」
バンサスの村人が連れ去られた方角は北西。その方角にはワゴールと呼ばれる丘陵があり、そこまで歩いて二日弱かかるらしい。
フォウの言う通り、村人たちのタイムリミットには夜出発しても十分間に合う。が、エイジは一刻も早く向かい、四王の居場所を知りたいがために焦っていた。
「今でも夜でも変わらない。ならいま出発しない理由も無いはずだ」
「よく考えろエイジ。こんな昼間から歩きはじめれば道中を無数の竜獣に襲われることになるぞ」
「それがどうした。竜獣など取るに足らん、全て殺して……屍の道を征けばいい」
「二日のあいだ、ずっと竜獣を相手にするつもりか? 竜は竜の血に敏感じゃ。竜を殺せば、その臭いを嗅ぎつけてさらに竜が集まる。そんなことを続ければ体力は消耗し、足を止めることになるじゃろう」
冷静なフォウにそう窘められ、エイジは言葉を詰まらせる。
フォウのいう事は正論であり、エイジもそう言われてはじめて、これからの旅のシミュレーションを頭に浮かべた。
今まではただ竜を殺してばかりで気になどしていなかったが、たしかにいちいち向かってくる竜獣を絶え間なく相手にすることになれば、ワゴール丘陵に辿り着くまでに二日以上かかってしまう。
「夜ならば、竜も人と同じでほとんどが眠りにつく。夜の間に距離を稼いでおけば十分じゃ」
「……わかった。それでいい」
「聞き分けの良い童は好きじゃぞ。できればワゴール丘陵に向かう途中で休むための、食料や寝袋などを準備してくれる子じゃとなお好きなんじゃがのぉ~?」
上目遣いにいやらしい笑みを浮かべるフォウ。
しかしエイジはそっぽを向いて、村の入り口に座り込んでしまった。
「俺には必要ない。自分の必要な物は自分で用意しろ」
「……朴念仁め」
フォウは苦い表情をしながら、村の中へ戻っていく。用意すると言っても、出来るのは連れ去られた村人が住んでいた家から拝借、つまりは盗むということだが。
エイジは村の入り口で夜を待つ。夜が来たらワゴール丘陵に向けて出発だ。
その周辺におそらく竜の棲みかがある。バンサスから連れ去られた村人も捕えられているはずだ。
エイジの目的はただ一つ。グルーという男に四王の居場所を知っているか聞くこと。エイジにとっての優先順位はそちらの方が高い。村人を助けるということよりも。
エイジとフォウの旅の目的は、四王を殺すことだ。
四王の居場所を知っているかもしれないグルーが連れ去られていなければ、エイジは村人を助けに行っただろうか。リーシャやレンティアに頼まれて、それを快諾しただろうか。
復讐のみに生きる男は、心を壊されてなお、人の優しさを覚えているのだろうか。