38.出立
ドルヤガからの出立のとき。
旅の足並みは四つに増え少々にぎやかになった。
そのにぎやかさはエイジにとって、あまり望まぬものであったのだが。
「―――じゃあ、あんたは戦争末期にこっちの世界に来たわけ?」
「うん。異界者としては、僕はエイジよりちょっとだけ先輩だね」
地別線へと向かいながら、ロイは自らについての紹介を交えてレンティアと会話していた。
なにしろロイのことを彼女らは知らなさすぎる。
生まれや今まで何をしてきたのか、聞きたいこと知りたいことはたくさんある。そう思っているのはレンティア一人のようだが。
というのも、二人の会話は弾んでいたがエイジとフォウはそれに参加しようとしない。
話は聞いているようだが、エイジは振り返ることなく、フォウも退屈そうにあくびをしながら歩く。
「戦争にも少しだけ参加してたよ。僕が召喚されたのはサウスガルムだったからね」
「あたしと出身地が同じね、サウスガルムには詳しいの?」
「西寄りの方には足を運んだことは無いけど……いま目指してるゲティスローツなら行ったことがあるよ」
同じく異界者であるエイジがフォウ・ク・ピードに召喚されたのは戦争終結直後。今から約3年前のことだ。
ロイが召喚されたのは戦争末期。四王の出現によって形勢が既に逆転してしまった頃だ。
当時は既に他の異界者も竜の手にかかり絶命し―――とは言っても確認できるほど損壊の無い遺体は数えるほどしかなかった―――ロイも反攻の為ではなく、襲い来る竜を迎え撃つだけだった。
やがて帝都も陥落し、ロイは行く当てもなく旅を始めたのだと言う。
その後はドルヤガに辿り着き、路地裏の王として子供たちと暮らしていた。
ロイがゲティスローツにも足を運んだことがあると聞いて、ようやくエイジが口を開く。
「……ゲティスローツには一体何がある?」
「グルーさんも行けって言ってたし……どういう所なのよ?」
「何もないよ」
顔色を変えることなく、とぼけた様子でロイは答えた。
ぴたり、とエイジは足を止め、それに合わせて他の三人も立ち止まる。
振り向いた彼の顔は険しくこめかみに力が入っており、出来るだけ冷静なように努めてもう一度聞き返した。
「なんだと?」
「だから、ゲティスローツは何もない所だよ。おおきな廃墟が一つだけ。砂塵が目に痛い、見渡す限り砂漠の土地さ」
「はぁ……? そんなところに行って一体なんだっていうのよ?」
「僕も不思議に思ってたんだよ。どうして君たちがそんな場所に向かっているのか」
ロイが嘘をついている様子はない。そもそも、嘘をつく必要も無い。
今までもゲティスローツという『町』がどんな場所かというのはぼんやりとも想像していなかった。
行けばわかる、と思い続けて。きっとその町に情報が何らかの形で存在しているのだと。
砂にまみれた廃墟に、一体何があるというのか? エイジもレンティアも胸の内で首をかしげる。
「他には何もないのか。俺たちはそこが町だと聞いていたが」
「昔はそうだったみたいだよ。だけど4年前にはもう人が住む場所じゃなくなってた。……もう少し詳しく話そうか?」
「……ああ」
「僕も聞いただけの話だけど―――」
ゲティスローツという町は、大昔に建てられた神殿を擁する信仰の町だったという。
住民は神殿に奉られた神を崇め、他地方から神殿を訪れる人々も珍しくなかった。
だが竜との戦争がはじまるとゲティスローツも勿論目を付けられ、ある時に大規模な攻撃を受けた。
町は破壊され焼き尽くされ、人々は竜に嬲り喰われた。
唯一、町の奥に建てられた神殿だけはその形を留められるほどの損壊で済んだが、町は完全に崩壊し瓦礫は長いときの中で砂に埋もれ風化していった。
流れた血は砂に吸われ、戦争が終わるまではゲティスローツの土地は淡い朱に染まり、風と共に血の匂いがしたという。
「―――さっき言った廃墟は、その神殿の事さ。町の面影は一切なくなってぽつんとそれだけが残ってる」
「……神殿、か」
「グルーさんは、その神殿を目指せって言いたかったのかしら……?」
「じゃが、大昔に人間の造った神殿とやらに行って、一体なにが知れるというんじゃ?」
「僕に訊かれてもわからないよ。あるとしても、竜の爪痕くらいなんじゃないかな」
ただでさえ頼りない旅が、ロイの情報によってさらに頼りなくなってしまった。
なにがあるのかわからない場所、というままの方がマシだったかもしれない。何もない場所ということがわかってしまえば、雲行きは怪しくなってくる。
竜に破壊されつくした町に何があるというのか。唯一残存した神殿が、何だというのか。
積み重なる疑問に、エイジは小さく舌を打った。
―――四王を一刻も早く殺さなければならないというのに。
エイジの目的はただそれだけのシンプルなものだ。ゆえに道のりが遠ざかるのは本意ではない。
四王の居場所を突き止め、向かい、殺す。この三つの過程の一つ目が、うまく運ばない。
ゲティスローツに行けば進展がある。グルーのその言葉を信じる以外に無いのが、余計に気持ちを逸らせる。
再び歩き始めたエイジの足取りは、焦りからか歩幅が先ほどより広くなっていた。
「レンティアよ、おぬしは元々サウスガルム出身なんじゃろ? ゲティスローツの町の事はなんにも知らなんだのか?」
「あたしは生まれてから自分の町を出たことなかったのよ。わざわざ砂漠に行く用事も無いし」
「はぁ……これから砂の上をわざわざ歩かねばらなんのか……嫌じゃのぉ……」
「野生の渡砂兎でもいれば手なずけて移動が楽になるだろうけどね」
サウスガルム地方はその面積のほとんどが砂漠と化しているため、町から町への移動が困難を極める。
日中の気温はゆうに摂氏40度を超え、深い砂に足をとられて移動速度は著しく低下してしまう。
さらに砂漠の砂は水分が無いのでひどく冷めやすい。陽が落ち夜になれば氷点下を越え、気温差は体調を崩すほどのものとなる。
徒歩でこの砂漠を渡りきることは不可能だとも言われており、砂漠越えを達成したのはほんの数人だけで、誰もが半死半生の状態だった。
サウスガルムでの移動は渡砂兎と呼ばれる動物を使うのが常識で、商人は必ずペットとして飼っている。
通常の兎と比べるとその体の大きさは十倍以上。長い年月をかけて砂漠という気候に順応した結果、フォルムはそのままに体内の機能は通常の兎とかなり異なる。
水や餌を与えずとも一週間は動き回り、砂をもろともせずに大きな足で蹴り移動できる渡砂兎は重宝されるのだ。
しかし同時に絶滅危惧種とも言われており、野生の渡砂兎は滅多にお目にかかれない。
ロイの皮肉は、同じくサウスガルム出身のレンティアだけに通じていた。
「エ~イ~ジぃ~、なんだか急に体が重くなってきたのじゃ~……おんぶでもしてくれんかのぉ」
「ふざけるな。自分で歩け」
「なんでじゃあ。わしの体重なんて20あるかないかぐらいじゃ! おぬしの剣より軽いじゃろ!」
「いくら軽くても重荷に変わりない。断る」
「ちっ……この石部金吉め……」
二人のやり取りを後ろで見ていたロイがくすくすと笑いだす。
子供(見た目だけ)相手に粗野な態度を取るエイジを見て何が面白いのかと、隣のレンティアが尋ねる。
「なに笑ってんのよ」
「あぁ、いや……仲がいいんだなって思ってね」
「あれ見てよくそんな風に思えるわね……」
「だって何だか、気難しいお父さんに構ってほしい娘みたいじゃないかい?」
「……体格差だけ見れば、まぁそうも見えるかしら」
くすくすと笑っていたロイだったが、その目はどこか懐かしむような、遠い所を見ているような目をしていた。
レンティアも、小さな身体でぴょんぴょんと大きなエイジの周りを跳ねるフォウの姿を見て、少しだけ口角を上げる。
―――そう言えば、フォウって両親はいるのかしら。
フォウだけではなく、エイジのことも彼女はよく知らない。
もしかしたら自分のように、思い出したくも、人に聞かせたくもない過去があるのかもしれない。
そう思うと、気軽に二人のことについて尋ねることは出来なかった。
そうしてエイジ以外が和気藹々としながら街道を進んでいくと、やがて地別線の大きな地割れが見えてきた。
どこまで続いているかわからない地割れだが、幸いなことに街道は無事だ。
イスター地方とサウスガルム地方を行き来するにはこの街道を渡るか、果ての無いように見える地割れの端まで向かわなければならない。
エイジたちは無事な街道を渡る。
街道の長さ、つまり地割れの幅はおよそ15メートル。崩れてしまえば奈落の底に真っ逆さま、万が一にも助かりはしないだろうとレンティアは冷や汗を流した。
怖がって街道の真ん中をおっかなびっくり歩くレンティアだが、フォウは打って変わって街道の端ぎりぎりに立って地割れの底を覗き込んでいる。
「ちょ、ちょっとフォウ! 危ないわよそんなとこ立ってたら!」
「落ちなどせんわ。怖いならさっさと渡ることじゃな」
「ここ、怖くなんてないわよ!」
「膝が笑ってるよ、レンティア」
既にエイジは街道を渡り、サウスガルムへと足を踏み入れていた。
怖がるレンティアを見てまたくすりと笑うロイも、彼女に付き添いながら街道を渡りきる。
ほんの数十歩だというのにレンティアはどっと疲れた気がして、肩をがくりと下げて深いため息をついた。
一方、まだ地割れの底や先を眺めているフォウはある疑問を抱いていた。
他の三人は全く気にしていないようだったが、冷静に考えて見ればおかしなこと。
(……地割れ、と言うがこれは違うな。そもそも地面が割れたのなら、この街道も引き裂かれておらねば道理に合わん)
「―――おいフォウ!」
(これは地面が割れたのではない。街道を中心にして、”大地が消し飛んで”おるのか……)
「早くしろ! フォウ!」
「……あぁもう、聞こえておるわ!」
エイジに急かされてフォウもようやく街道を渡り切った。
地割れのことに後ろ髪を引かれながらも、街道の先を眺めてフォウはすぐに気持ちを切り替える。
「うへぇ……なんかめちゃくちゃ暑そうね……」
「わしも砂漠に行くのは初めてじゃ」
「行くぞ」
「はぁ……何事もなく着ければいいんだけど」
「目を眩ませる砂塵にご注意を、だね」
四人はゲティスローツを目指し、砂漠に足を踏み入れる。
砂漠に建てられた神殿に一体何があるというのか。地別線近くに集まっていた竜たちは何をしにサウスガルムへと向かったのか。
果たして四王の居場所は突き止められるのか。先にゲティスローツへ向かったヴェインはどうしているのか。
全ての疑問は、砂上の神殿にて明かされるだろう。
そして復讐が、砂塵の迷宮で繰り広げられる。




