契約
最初、その声がどこから聞こえてきたのか分からなかった。直接脳内に聞こえてきているとしか思えない不可思議なその声に方向という概念が無かった。
先の出来事から目覚めてすぐだったので、まずこれは夢の中だろうかと考えたが、ひっきりなしに飛んでくる中性的な声で繰り返される目覚めろコールが次第に明瞭になっていくのですぐにそうではないと思わざるをえなかった。
次に意識が途切れる前の最後の光景を思い出し、これはあの世なのではないかと考えた。しかし、伏せていた顔を少し上げたら所々に見覚えのある作りが残っている黒くなった家の残骸が目の前にあったのでそれもあっさり否定された。
そして三つ目は……流石に思いつかなかった。
意味の無い抵抗を諦めて声の主を探そうと起き上がり、その時かつて物置だった場所の方向を向いていたので自然とソレが視界に入ることになった。
家は綺麗と言ってもいい程に焼け落ちていた。ヤツがつけた火はものの見事にその猛威をここに示したわけだ。
さて奴が探し求めていたのは銃だ。それだけが目的でここに来たはず。むしろそれ以外の物は眼中に無かったはずだ。それはつまり物置のゴミ山やルイスのオモチャ達は、この残骸の下で焼け焦げているか押しつぶされているかされているはずである。
しかしソレは、先に見た時はゴミ山に埋もれていたはずのソレは、今は残骸の上に鎮座していた。
今朝、銃を隠した時に不思議な存在感を放っていたあの出来損ないのヘルメットが確かに目の前にあるのだ。
いやいやそんな筈は無いと、もう1度足りない頭で有り得そうな話をでっち上げようとしてしまいそうになるが……。
「やっぱりまだ夢の中なんじゃないか?」
「残念ながら現実だよ。少年」
そんなあっさりと否定しないでくれ、色々と泣きたくなってくる。
「さて改めて、初めまして少年。私の名は……マーサー。ただの喋る被り物だよ」
そうか、ただの喋るヘルメットか。……そうかそうか。
「いや、もう少しちゃんと説明しろよ!?」
「これ以上の説明が必要なのか?随分とアレな脳みそをしているようだな。」
「普通は必要だと思うけどな!! お前の方こそヤバい脳……脳みそあるの?」
「演算回路の役割を持つ部品は持っているが、脳みそそのものは無いな」
「OK……新鮮な肉は無いってことだな」
サイボーグにも最低限脳みそは必要という話をどっかで聞いたことがあるから、コレは少なくともサイボーグではないということだ。いや何回も被ったことはあるし人間の脳みそが入れられるほどの空間も見当たらないから分かりきった話なんだけども……。
少し落ち着こうか。まず今はサイボーグ野郎に蹴り飛ばされて意識を失って、そこから目覚めた所だ。日は昇ってるから一晩寝てたのと変わらない感じか。体調は万全……いや頭クソ痛いわ。
外に野ざらしで普通に生きてるのも不思議だけど、すぐ側で派手に炎が燃え盛ってたから幻想獣も近寄らなかったんだろうか。ついでに暖もとれて冬空の下での凍死も逃れられた訳だ。運が良いのか悪いのか。
……ルイスとロキナはどうなった? 視線を巡らせるとそこまで離れていない位置にルイスは倒れていた。駆け寄って様子を確かめると身体はそこまで冷えておらず、まだ微かに呼吸していることは確認出来た。ロキナの魔導のおかげか、その身体に怪我のようなものは見当たらなかった。
ロキナはやはり見当たらなかった。最後に見た光景を信じるならリージェが連れ去ったのだろう。追いかけてくるヤツをわざわざ連れていく理由がよく分からないが。
……全部無駄だったのかな。
「現状確認は済んだかな、少年」
瓦礫の上から欠陥ヘルメットは声をかけてくる。この立ち位置は見下ろされてるようで無条件でイラついてくる。
瓦礫を登る。最初、まだ熱いかもと考えたがすっかり冷めていた。この冬の身を切るような冷気はしっかり熱を奪っていたようだ。そうしてヘルメットと同じ高さに辿り着く。
「なんでこのタイミングで話しかけてきた? 喋れたんならどうして今まで話しかけてこなかったんだ」
「今まで話しかけなかったのは今までスリープモードだったからだ。さっきの君のように寝ていたんだよ」
「ヘルメットが寝るって……、本当にお前は何なんだよ」
「だからただの喋る……では納得しなかったな。では私というAIを積んだ高性能ヘルメットとでも言っておこうか」
「AI?」
「人工知能だよ。人格のようなものと考えておけばいい」
人格ねぇ……、なんと言うか機械と言うより魔導の道具と言われた方が納得出来るな。御伽噺話なんかで出てくる喋る魔剣とかに近いと言うかなんというか。銃何かよりよっぽど物語の存在だなコイツ。
「さて君に話しかけたのは、何も私が寂しかったからでは無い。私は君に一つ提案をしたかったのだ」
「提案?」
「力が欲しくないか?」
力。
欲しいか否かと問われれば勿論欲しい。力があればと今までどれほど考えてきたと思ってやがる。こちとら10年前からずっとその事ばかり考えてるんだよ。故に、その言葉はオレにはあまりに甘すぎる誘い文句だった。
「信用出来ない」
だからこそ、ずっと考えてきたからこそ、その言葉を軽々しく信用するわけにはいかない。
「ふむ、興奮が抑えきれてないぞ。余程興味があるようだな」
「……その見た目で周りが見えているのか?」
「私は様々なデータを収集し、それを元に世界を見ていてね。君の呼吸音や動悸からそれを推測したのだよ」
機械に心を見透かされたと思うとかなりイラつくな……。いや、そんなに分かりやすいのかオレは?
「さて、どのような力が手に入るのかそれを説明しようか、……と言っても簡単な話だ。私の力をキミに貸してやろうという話だよ」
「お前の力だと?」
「今行なったように周辺状況を数値で見れるのもその力の一つだが、それ以上に素晴らしい力がある」
ヘルメットがそう言った後、その身に刻まれている特徴的なラインに光が通り始める。するとその下に円形の陣が展開される。これは……彼女が魔導を使う時の!?
そして決して穏やかとは言えない風が吹き抜ける。足を滑らせそうになり思わず四つん這いになり姿勢を低くして風を避ける。
「つまりこの魔導の力を貸してやれる。悪い話では無いだろう?」
コイツ……想像以上にお宝じゃないか。つまりコイツを持ってさえいれば魔導を使えるようになるわけだ。大陸ではどうだか知らないがこの島じゃあ魔導を使えるほど教育を受けているやつなんて滅多にいない。故にその技術の希少価値は高い訳だが、目の前のコイツはそこら辺を全部無視して魔導を使えるようにしてしまえるのか。……取り敢えずギルドにだけは知られてはいけない、利用される未来しか見えない。
「とんでもないモノみたいだな。でも逆にそんだけの売り文句を持ちながらどうして相談なんてまわりくどい言い回しを使ったのか気になってくるな」
「本当に疑り深いなキミは。まぁ、それについてはちゃんと意味はあるがね。デメリットもあるんだよ」
「デメリット?」
「まず私と一生一緒にいてもらう」
……?
「一生……?」
「そうだ、私を使ってもらうにはまず最初に神経に直接接続してもらい、更に契約も結んでもらう。使用者と私が精神的に同化する必要があるからな。離れようにも離れなれなくなるのだよ」
「……精神的に同化ってイメージしづらいんだけど」
「要するに私が常にキミの側にいるようなものだよ」
「あんなことやそんなことをしてる時もずっと?」
「あんなことやそんなことがどんなことかは分からないが、まぁ何をしていようとも全部私に筒抜けという事だな」
「嗚呼……神よ」
思わず信仰心の欠片も持ち合わせていないのに神に祈ってしまった。こんなのがずっといる状態でのことを想像するんじゃなかった。こんな時代にもプライバシーを守る権利くらいはあるはずだろ。
「恥ずかしいという感情については、まぁさっさと諦めてもらうしかないな。どうしようもないからな」
あっさり言ってくれるなオイ。いや、力が手に入ると思えば安いのか……いやでも最低限の誇りのようなものが……。
「それに本命はそれではない」
雰囲気が切り替わった。これから言うことは冗談ではないと言外に伝えているのだ。
そして、ヤツは次の言葉を紡ぐあいだに沈黙を置いた。コチラに心構えをさせようとしているようだった。つまりそれだけ重いということだろう、これから言おうとしていることは。
「先程言ったが、私を使うには神経接続をする必要がある。要するに手術をする訳だが、これは決して簡単な手術ではない。私がミスする可能性も勿論あるし、何より……痛い」
「痛みくらいならいくらでも我慢してやるよ」
「我慢できる出来ないのレベルでは無いのだよ。……人を殺せる程の痛みを想像できるかな? この手術は神経を直接触ることになる。その際ありとあらゆる感覚が蹂躙され、キミはキミ自身の意思など関係なくただ本能のままに泣き叫ぶ暴れるだろう。逃れようにも逃れられない。それに気づいた時、キミは最悪自ら自我を殺すことも考えられる。ただ苦痛から逃れるために。……それがキミが私を受け入れるのならば味わうことになる地獄だ」
ヘルメットが言い並べた恐ろしい言葉達には確かな重みを感じられた。重量と言えばいいだろうか、人を大地に縛り付ける絶対の法則。それと似たような絶対さがその言葉達にはあった。
「……あー言葉だけじゃよく分からない。取り敢えず被れば分かるのか?」
そう感じた上で、所詮は言葉と切り捨てることにした。そもそも他に選択肢なんて無いんだ尻すぼみするくらいなら無視した方が断然マシだ。
その言葉にヘルメットが返答するのに少し間があった。当然の事だがヘルメットに表情なんて無い。よってコイツが何を考えてるのか推測することは難しい。感心したのかな? いや呆れただけな気もする。
「……そうか、いずれにしろ被るのだな。ならば覚悟を決めろ。その一瞬を超える覚悟。そしてその先を走り切る覚悟を」
オレは両手でヘルメットを頭上まで持ち上げる。前持った時はそうでもなかったんだが、今はその重さを確かに感じる。つまりはコレが今コイツが言った覚悟の重さなのだろう。
誤魔化そうとも先の言葉は確かに伝わっていたわけだ。それはいい。
けど今の言葉はちょっと聞き捨てならない。
「覚悟がない前提で話すんじゃねぇよ!お前に言われる前から出会う前から、ずっとずっと昔から、オレは覚悟だけは決めてんだよ!」
気合を入れるようにそう叫ぶとオレはヘルメットを頭に被った。変えられるのなら、ここから先に進めるのなら何だってしてやるよ。
被ると首の裏に何かが突き刺さった。不思議とそれ自体には痛みは無かった。
「神経魔道契約術式開始」
それが地獄への招待を意味するラッパの音だった。
痛……痛痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
痛み、ただそれだけが脳を、いや魂すらも覆い尽くした。足掻こうとする、信念を貫こうとする、己を示そうとする。それ以前の問題だった。思考そのものが許されないただの信号の洪水。
歩く時にいちいち身体の動きを意識するだろうか。瞬きすることに意識は介在するだろうか。物を見る時に見ると命令していると自覚出来るだろうか。
つまるところ、これは無意識の問題だ。個々人の個性の領域でなく生物としての人間のつくりに従って、ただ流されるままに動いている状態。制御不能の暴走状態だ。
だとすれば努力することはないという事で。後はただひたすら、限界になる前にこの痛みの先に辿り着けるように祈るくらいしかやることは無いわけだ。
さて、諦めたおかげで見えてきたものがあるんだが……。
この思考は一体なんなんだろうな?
「生死の超越線へようこそ。無謀で勇敢な勇者よ」
声がした。聞き覚えのある声だ。てかさっきのヘルメットの声だ。
声のした方向を見る。いやこれは見るという言葉が正しいのか分からない。意識だけと言えばいいのか、今の自分に身体は、目は無いからだ。とにかく見るあるいはその方向を向くという行為に類することをした。
暗いのか明るいのかもよく意識出来ない空間としか呼べない空間のような曖昧な場所において確かにヤツはそこにいた。
「仮にも私を使うのだ。軽くこの境地にくらいには達してもらわないとな」
白い長髪を無作法に伸ばしっぱなしにしたような髪型で男か女かよく分からない体つきと容姿の虹色の瞳の人物がそこに立っていた。これまで会ったことの無い人物だ。でもさっきの声はコイツから聞こえたのは確かだった。
不思議とこいつは見えていると意識出来た。目は……多分まだ無い。
色々聞こうとするが口が無いので疑問を言葉にできない。
「今はただこの光景を目に焼き付けておけ。ここはこれからキミが人生をかけて目指すべき場所なのだから」
見える見えないの状態ですらないんだから光景もへったくれも無いじゃないか!
と、ツッコミたかったがそれを行う手段は勿論無かった。なるほど、身体があることの大切さを学んだ気がする。
「正確には存在していないはずなのにそこまで個性を発揮できるとは。魂がうるさいと称するべきかな?」
あちらからこちらがどう認識されているかは分からないが、うるさいと感じさせることは出来ているようだ。そんなことしようとも思って無いんだけどな。本当によく分からない状況なことで。
「さて、そろそろ術式は完了する。覚醒すればここでの記憶は非常に朧気なものとなるだろう。だが心配しなくとも魂には確かに刻まれたはずだ。いずれ無意識がキミをここへ導いてくれる。私はその時をずっと待っていよう」
何かに引っ張られるような感触を覚える。暗闇が急に自分を覆い始める。慣れ親しんだ肉体に戻り始めているのだと本能的に分かった。
この暗闇の幕の向こうでヤツは静かに佇んでいた。最早ヤツの言葉は思い出せないが、それでもいつかまた会うだろうという確信だけは心の内に残っていた。
「起きたまえ寝坊助の少年」
そんな小憎たらしい言葉が聞こえてきた。悪夢を見て目が覚めた時のように身体と心が疲れきっていた。寝てたのに疲れが取れないとか最悪だ。
瞼を開くと瓦礫の上で横になっていたようだ。……ああ確かアイツを被ったんだっけか?
「どうだ力を得た気分は?」
「そうだな……違和感しかないよ」
頭の中に直接響いてくる声にそう答える。
凝っていた首を回すと頭に着けているそれが肩とかに当たる。両手を頭に持ってくると確かにソレはそこにあった。
「凄いな。被ってるのにどうしてこんなに綺麗に周りが見えてるんだ?」
「超音波レーダーの要領で得た地形データをキミの頭に直接叩き込んでいるんだよ。被る前より色々な物が見えているんじゃないかな?」
なるほど理屈は相変わらずよく分からないが前よりは確かに色んな物が見えている。後ろの景色まで見えているのは、実際体験していても言葉にしようがない意味不明な感覚だが。
「さて、これでキミと私は運命共同体となったわけだ」
「外せるのかこれ」
「いきなりそれを聞くのかいキミは……。取り外しは可能だよ。神経接続は1度で十分だからね」
両手でヘルメットを持ち上げて取り外す。後ろは見えなくなった。つまりこれは自分の視界だ。こっちの方がやっぱり楽。
「ちなみに私を被りたい時は別に私を手で持って被せる必要は無い。言ってくれればこちらで転移して装備出来るからね」
そう言うと手から急に重みが無くなりまた後ろの景色が見えるようになった。変化の際の違和感が無さすぎて普通に不気味だ。しかし、これはお互い離れていても装備出来るってことか。便利なことで。
「他にも色々出来ることを確認してもいいが、それは目的地に向かいながら説明していこうか。まず早急にやるべき事があるのだろう?」
倒れているルイスを瓦礫を動かして作った適当な空間の中に動かしておく。これでパンタシアに摘み食いされることは無いだろう。建物が更に崩落する危険性はこのヘルメットが計算して否定してくれているから心配はない。
そしてオレは街の方を向く。
そうだな、色々と取り返しに行かないとな。力で全部奪われたなら、また力で奪い返すだけだ。
この奇特な力は果たしてそれを成せるだけのものなのかは分からない。それでも行かない選択肢は無い。ならば迷わず進むしかないだろう。
待ってろよ?クソッタレ!
ルイスの位置が前の記述とズレているのはヘルメットが魔道でえっさほいさと運んだから。後、消化もヘルメットがやった。