1 記憶喪失の男
俺は目覚めると真っ白な天井があった。
どうもベッドに寝ていたようだが記憶が無い。
上体を起こすと、かなり身体が凝っているようで首や肩からゴキゴキと関節が鳴る音がした。
状況を把握しようと周囲を見渡したところで背後から声を掛けられた。
「おはよう。気分はどうだい?」
振り向くと白衣を着た20代中ごろの優しそうだがどこかうさんくさそうな顔つきの男がいた。
「お…はようございます。
起きたばかりで気分がいいとは言えないけど、それよりもここはどこです?」
「わからないかな。ここは病院で僕は医者。
ほら、白衣を着ているだろう?」
「では、私はなぜ病院にいるのです?
何かの病気にかかっていたとかでしょうか?」
「いやー、入院は君の希望だよ。まあ、病気かどうかで言えば病気だったのかもしれないけど。
当時のこと、覚えてないのかい?」
俺は思い出そうとしたが、急に頭痛が襲ってきた。思わず頭を押さえうずくまる。
「痛っ。」
「おっと、今は負担を掛けないほうがいいかな。
まずはゆっくり休むことが大事だよ。」
そう言って、医者はそそくさと部屋を出ていった。
頭痛がおさまった後、俺はもう一度思い出そうと試みることにした。
しかし、再び頭痛が襲ってきて、思い出すどころでは無かった。
仕方が無いので、気を紛らわそうとベッドから起き上がり、窓から外の様子を確認する。
広い街道の左右にテントが張られ、簡易の店が立ち並んでいる。
食料品や衣類。装飾品など多種多様な品々が売買されている。
商人の活気ある声が響いている。賑やかな街のようだ。
話している言葉も聞き取れるようだし、言葉に関しては違和感は無さそうだ。
ベッドに戻ると、ベッド横に鞄と本が置いてあるのに気がついた。
革製の鞄で結構使い込まれているようだ。鞄の表面がつるつるになっている。
鞄の中を確認したが、中には特に何も見当たらない。
鞄の内側にロゴマークのようなものが彫られていただけだ。
次に、置いてある本を手に取ると、タイトルも何もないハードカバーの古い本だった。
本を開いてパラパラと頁をめくると文章が書いてある。
記憶が無いせいか、それとももともと読めないからなのか、文字がわからなかった。
だが無性に気になって、じっくりと読み進めていく。
「どうだい。気分は落ち着いたかい?」
その言葉にハッとなった。
どうやら時がたつのも忘れて本を眺めていたらしい。
医者が戻ってきていた。
「その本は、君が持っていたものだ。
何か思い出したかい?」
俺は首を横に振り、思い出そうとすると頭痛がすることを説明した。
「うーん、無理に思い出そうとしない方がいいかもしれないね。
まあ、焦らずにゆっくりいこう。」
「なんて、書いてあるかわかりますか?」
「ん、その本のことかい?さあ、僕の知っている言葉じゃないんでわからないな。」
「そう、ですか。」
医者ならわかるかと思っていたが、知らない言葉のようだ。
自分の本だというなら、何かヒントが書かれていると期待したが、そう簡単ではなさそうだ。
そんなことを考えていると、急に視界がぼやけ、思わず手で顔を覆った。
「おっと。君のことは時期を見て話すことにしよう。
まずは体力の回復に専念することだ。今日はもうゆっくり寝ておくといい。」
そういって、医者は何か含むような笑みをこぼしながら部屋を後にした。
* * *
俺は自分のことを覚えていないが、人々が話している言葉は分かる。
だから、再び目を覚ましてから、人々の会話や街の様子を観察し情報収集に努めた。
また、自分が理解出来ない点を、うさんくさそうな医者のロイに確認して自分の置かれている状況を少しずつ整理していった。
この街はウルハメード王国という国に所属している西マレニ地区という街である。
主は貨幣でのやりとりた一般的なようで、レストという単位の貨幣が流通している。
ただ、場所や場合によっては貨幣を介さず、物々交換での取引も行われている。
ウルハメード王国は王族が最大権力を有しており、次に貴族が権力を持っている。
その下にいわゆる一般人である平民へと続いている。
貴族は王の代行として統治する土地が与えられており、国に納税することで土地を治めているのだ。
そんな貴族の中でも序列が分けられている。
王族の直系では分家達から形成されている公爵。
王国建国に多大な貢献をした者達から形成されている辺境伯。
以下、王国への貢献度と出生により伯爵、子爵、男爵、騎士爵等の爵位が与えられている。
一方、平民の中にも序列がある。
肩書きのある名誉民と肩書きの無い庶民へとわかれている。
名誉民は商人や騎士、魔術師などある分野で優れた功績を残している個人に送られる称号である。
ウルハメード王国では貴族入りをするためには一定の功績を認められる必要があり、王の代行を行っている貴族が発行している。
現在では当初の目的は形骸化しており、金持ちの商人や貴族お気に入りの騎士、魔術師や妾として認められた個人に送られている。
だからこそ庶民たちは家業を継いで農業、畜産業や商人になるものもいるが、魔術師や騎士を目指す者が多い。
魔術師や騎士になれば貴族に取り入る機会が増え貴族に取り入ることが出来れば一生が約束されたものになるからだ。
現在は、国としても魔術師や騎士の育成に力を入れており、学習施設として学校が各地域に造られ広く門戸が開かれていることも志望者増加の一因となっている。
この西マレニ地区にも3つの学院が建っており、各学校の生徒はそれぞれの学院が指定するローブの着用が義務付けられている。
指定のローブは各学院から配給されており、色で識別することが出来る。
マレニ騎士学院は忠誠を示す「紫色」のローブ
カンカニ魔学院は冷静を示す「青色」のローブ
オイオット学院は向上を示す「黄色」のローブ
かくいう俺も、一か月後、オイオット学院に通うことになった。
1つは失った記憶を取り戻すために必要な情報を得られると思ったから。
1つは記憶を失ったままである場合、人脈や生きるための術を習得しておくのもメリットがあると思ったからだ。
1ヶ月、俺はロイの病院を退院し、オイオット学院にやって来た。
オイオット学院の校門前には警備兵が常駐している。
警備兵に氏名と編入生であること告げると、学院に連絡をしてくれた。
数分後、赤色のローブを着た人がやってきた。
「ヴィレ=トーサ君だね。ようこそオイオット学院へ。
私はサンカネル=ヨルという。ここの教師の一人さ。
今日から学ぶ教室に移動するのでついてきなさい。」
こうして、記憶喪失のヴィレ=トーサはオイオット学院に通うことになった。