四
「ダイチー。ゲットアップアーリー」
ナタリーの陽気な声が大智の頭の上から降って来た。大智はこれは夢? 確か僕は向日葵と寝てたはずだと思いながら閉じていた目を無意識のうちに開けた。
「お。起きたか? グッモーニンダイチー」
ナタリーがいきなり唇に唇を重ねて来た。
「むむうぅ。何やってんですか」
顔を横に向けつつ、ナタリーの肩を手で押し返し、ナタリーのマシュマロのごとき柔らかい唇から唇を引きはがすように離すと、大智は上半身を起こしながら大きな声を上げた。
「おはようのキスだ。向こうじゃ当たり前だぞ」
ナタリーが不満そうに唇を尖らせた。大智はナタリーの顔をまじまじと見つめると、自分の唇に右手の人差し指で触れた。
「どうしたダイチー? ミーのキッスが恋しくなったか?」
ナタリーがムムウと唇を伸ばした。
「夢じゃない? なんでナタリー先輩がここにいるんです?」
大智はムムウとなっているナタリーの質感のあるおいしそうな果物のような唇を無視して聞いた。
「相変わらず乗って来ないなーダイチはー。ここってディスプレイスか? ダイチ、気付いてるか? ここはもうダイチの部屋の中じゃないんだぜ」
「そんな事」
大智は言いながら周囲を見回し、途中で言葉を失った。
「学園の空き教室の中だぜ」
「いつの間に?」
大智はポカンとしながらナタリーの方に顔を向けた。ナタリーがゆっくりと立ち上がった。ナタリーの右手には見た事のない長大なライフルのような物が握られていた。大智の視線に気付いたナタリーがライフルのような物を両手を使って胸の前まで持ち上げた。
「気になるか?」
「それ、銃ですか?」
ナタリーが嬉しそうに微笑んだ。
「イエスザッツライ。現在この地球上でもっとも口径の大きいアンチマテリアルライフル。名前はまだなくってな。対物二十ミリ試験用狙撃銃って呼ばれてる」
ナタリーがライフルを肩に担いだ。
「こうやって構えて撃つんだ。ここの湾曲している部分を肩にはめるように当ててな。反動が半端ないぞ。撃ってみるか?」
「ナタリー先輩。何が、起きてるんですか?」
大智はナタリーの透明感のある青い瞳を見据えながら言った。ナタリーが目をすっと細め、灰色の雲に覆われた空が見える窓の方へ視線を向けた。
「一言で言うなら戦争だ。相手はゴッドとすら呼ばれた事のある奴なんだ。いつものガンじゃ話にならない」
ナタリーが歩き出すと窓際に近付き、狙撃銃を窓外に向けて構えた。
「校庭の真ん中。あそこにいるあいつがエネミーだ」
大智は曇天の下に広がる校庭の中央に目を向けた。
「ナタリー先輩。あれ、あれって、向日葵じゃないですか?」
大智は向日葵に見える人物の姿を目を擦ったり、何度か瞬きしたりしながら凝視した。
「そうだ。ヒマワリがエネミーだ」
大智は目に見えない何かに弾かれたような勢いでナタリーの方に顔を向けた。
「ヒマワリは心が読めるから自分に向けられた殺意から察知して弾をそらすか止めるかするはずだ。こちらの場所もすぐに把握される。カウンターアタックが来るから逃げる用意しとけよ」
大智が口を開く前にナタリーが告げた。
「待って下さい。何言ってんですか? 向日葵ですよ? 撃つって。敵って。ナタリー先輩どうしちゃったんですか?」
大智は狙撃銃を構えるナタリーの傍に行き、ナタリーの顔を横から見つめながら、狙撃銃の銃身に片手を当てて銃口を向日葵に向けさせないようにと下に押した。
「なんだダイチー。邪魔する気か?」
ナタリーが大智の方に不満そうな顔を向けて来た。
「邪魔しますよ。当たり前でしょ。冗談なら今すぐにやめて下さい。こんな事されても全然面白くない」
大智はかなりきつい口調で言い放った。
「ダイチー。ヒマワリに惚れたか?」
ナタリーが悪戯っ子のような笑みを顔に浮かべた。
「はいはい惚れた惚れた。これで良いですか? それじゃ向日葵の所へ行きましょう」
大智は教室の出入り口の方へと顔を向けた。窓の方から、ヒューンという映画か何かを見ていて爆弾が落ちて来る時に流れていた聞いた事のある音が聞こえて来た。
「センコが先に仕掛けちまったか。そういやセンコがアンチヒマワリ用に開発されたってのはダイチには秘密だったな」
ナタリーが小さな声で途中から自分に言い聞かせるように呟き校庭の方に顔を向けると狙撃銃を構え直した。大智はすぐに狙撃銃を先ほど同じようにして押し下げた。
「やめて下さい」
校庭の方から爆音が轟き、校舎が振動で大きく揺れたので戦子がアンチヒマワリ用ってどういう事ですか? と聞こうとしていた事を忘れ、大智は窓から顔を出すと校庭に目を向け向日葵の姿を探した。校庭の中央付近にはクレーターのような形の大きな穴が一つ開いていた。
「向日葵」
粉塵の舞うクレーターのような形の穴の中心の底にボロボロになった制服の袖から伸びている右腕から血を流しつつ空を見上げている向日葵がいた。
「怪我してるじゃないか」
大智は叫ぶと振り返って駆け出した。大智の右手がつかまれ、大智は転びそうになりながら足を止めると自分の手を握って止めたナタリーの顔を睨むように見た。
「放せ」
「ウェイトアセカンド。行っても無駄だ。ヒマワリは怒りに我を忘れてる。一度意識を落とさないとあいつは元に戻らない。その為の戦いなんだ」
大智はナタリーの言葉の真偽を確かめるようにしばらくナタリーの青色の瞳を凝視してから頭を左右に振った。
「意味が分からない。僕が寝ている間に何があったんですか?」
「説明は後だ。今はとにかくヒマワリを止めるのが先だ」
「止めるにしたってこんな事してたら向日葵が死んじゃいます」
ナタリーが一瞬意外そうな顔をしてから、納得が行ったような顔になった。
「なんだ。一晩一緒にいて知らないのか。平気だ。向日葵は死なない。ミーと同じ、いや、ミーの化け物じみた再生能力は向日葵を研究して得た成果が元になってるんだ。ソーリー、ヒマワリ。お前の秘密を一つ勝手にダイチに話してしまった」
ナタリーが窓の外に顔を向け申し訳のなさそうな表情を見せた。
「向日葵がナタリー先輩と同じ? そんな事、信じられるはずがないですよ」
大智は言いながら向日葵が見せてくれた向日葵自身の過去の中に体を切り刻まれるという物があった事を思い出した。
「なら見てみろ。ヒマワリの腕はもう治ってる。ミーと違ってあいつの再生は早い。体が粉微塵になっても数十分と掛からずに元に戻る」
大智は窓の傍に戻ると窓外に目を向けた。校庭を見下ろす前に黒い影が視界の中を空に向かって過ぎって行くのが見えた。
「ヒマワリ。衛星を壊す気か?」
ナタリーが空に向かって狙撃銃を構えようとした。大智は銃口を横にそらすように銃身を横に向けて押した。
「撃たせません」
「ダイチ。恐らくあいつが向かったのはセンコの量産ボディが収納されてる衛星だ。センコが壊されるんだぞ? 良いのか?」
大智はナタリーの言葉を聞きながら空を見上げた。空を覆っている灰色の雲の一カ所に綺麗な円形の穴が開いていた。穴からは雲の向こう側にある青空が覗いていた。
「戦子はどうしてるんですか? どこにいるんですか?」
大智は青空からナタリーの顔へと視線を落とした。
「アスクユアセルフ。ヒマワリと二人きりを良い事に好き勝手やりやがったくせに。センコはそんなダイチを見て傷付いてんだよ」
大智を責めるような言葉とは裏腹にナタリーは悪戯っ子がするような微笑を顔に浮かべていた。
「戦子。聞いてるんだよね? 僕だ。大智だ。えっと、昨日は、ごめん。でも、仕方がなかったんだ」
「リーリイ? ならヒマワリの事を心配する必要なんてないんじゃないか? 仕方なく相手するようなヒマワリが怪我しようがどうしようがどうでもいいだろ」
「こんなおかしな状況放っておけるはずないじゃないですか」
「ダイチ。じゃあ言ってみろ。僕はセンコだけが好きですって。ヒマワリの事は全然気になってませんってよ」
ナタリーが大智の目を射るように見つめ、顔をぐっと大智の顔に近付けて来た。大智はナタリーの青色の瞳を見つめ返し、束の間躊躇ってから口を開こうとした。
「ヘーイ、ダイチー。今躊躇ったろ? 何を考えた? ヒマワリの顔が頭の中に浮かんだんだろ?」
ナタリーが更に顔を近付けて来た。大智は自分の身の潔白を証明しようとするかのようにナタリーの瞳を見つめ返し続けた。
「ムチュー」
ナタリーが言いながら唇を伸ばして来た。
「あぶなっ。ナタリー先輩。何やってんですか」
大智は咄嗟に避けるように顔を横に向けた。
「ちょっと触れたな。さっきしたばっかなのに随分と久し振りな気がするぞ。ダイチの唇の感触」
ナタリーの瞳が艶っぽく潤んだ。微かにナタリーの唇の感触が残っている自分の唇の先を服の袖で拭いていた大智はヒューンという音がまた窓の方から聞こえて来ている事に気が付いた。その音は段々と大智達のいる教室へ近付いて来ているようだった。
「またあの音がしてる」
大智はこの音の後に起こった爆音と衝撃の事を思い、不安を覚えながらも好奇心に駆られて窓の外を見ようとした。
「センコが来たみたいぞ。ダイチ。窓から離れとけ」
ナタリーが大智の腕に自分の腕を絡めると、大智の腕を引っ張りながら窓から走って離れ始めた。
「ナタリー先輩、いきなりなんですか」
大智は躓いて転びそうになりながら、ナタリーに腕を引かれるままに教室の出入り口の傍まで走った。
「すぐにミーに感謝するさ」
ナタリーが足を止めて言ったのとほとんど同時に、教室の窓という窓のガラスが一斉に割れて床の上に落下し粉々になって飛び散った。
「教室を壊してしまったのです。やっぱりこっちの体だと力の加減が難しいのです」
窓の外から戦子の声がしたと思うと背中からメカメカしい翼を生やした戦子が空中に姿を現した。戦子が宙に浮かんだままゆっくりと移動してガラスのなくなった窓枠を潜り抜けると教室の中に入って来た。
「戦子。その体の色」
大智は戦子の体の色がブルーメタリックからワインレッドに変わっているのを見て驚きの声を上げた。
「ナタリーさん。作戦失敗なのです。狙撃してくれないと駄目なのです」
戦子が床の上に降り立つと大智の言葉を無視してナタリーに話し掛けた。大智は戦子に無視されて愕然とした。ナタリーがまだ大智の腕に絡み付けていた自分の腕をグイッと引いて凍り付いたようになっている大智と自分の体を密着させた。
「ソーリーソーリー。ダイチが邪魔するから撃てなかったんだ。ヒマワリはどこに行った? やっぱ、衛星か?」
戦子がくるりと回って大智とナタリーに背中を向けた。
「はいなのです。向日葵さんは低軌道衛星からの落下攻撃を防ぐ為に衛星を破壊中なのです。衛星が破壊されているので空からたくさんの戦子が降って来てるのです。皆後でこっちに来る予定なのです」
戦子が言い終えるとチラリと大智達の方を一瞥し、すぐに顔を元の位置に戻した。
「ナタリー先輩、放して下さい」
大智は戦子のチラリと自分達の方を一瞥した仕草を見て、急いでナタリー先輩から離れないとと思うとナタリーの腕に絡め捕られている自分の腕を抜こうと動かした。
「ヘイ、ダイチー。そんなとこを揉むな」
「どこも揉んでませんよ、もう」
大智はナタリーから離れる事に成功すると、戦子の正面に回り込んだ。
「戦子。ごめん」
大智は戦子に向かって深々と頭を下げた。
「だ、だ、誰なのです? ここ、この人は?」
戦子がしどろもどろになりながらつっけんどんに言った。大智はその言葉を受けて、反射的に顔を上げた。戦子が大智の顔を見た瞬間に申し訳なさそうに俯いて体を小さく震わせた。大智は戦子に近付くと両肩に手を置いた。
「戦子。頼む。許して」
戦子がゆっくりと微かに顔を上げて、大智の顔を上目遣いで見つめるような位置で止めた。
「ヘイヘイ。もう仲直りかー? ダイチーよ。良いのか? 今のこの騒動の原因、戦子にもあるんだぜ」
ナタリーが言いながら、戦子の両肩に置いた大智の手をわざとらしく丁寧な仕草で片手ずつ持ち上げ、ポイッポイッと捨てるように離した。
「大智。ごめんなさいなのです。ナタリーさんの言う通りなのです。戦子が悪いのです」
戦子が消え入りそうな小さな声で告げ、また顔を俯けた。
「そんな事。そんな事、どうでもいいよ。僕が悪かったのは事実なんだ。でも、戦子。分かって欲しい。向日葵だってかわいそうで。だから、放っておけないんだ」
大智は叫ぶようにして自分の気持ちを正直に言い放った。
「本当にセンコを許すのか?」
ナタリーが大智の顔をじっと見つめて来た。大智はチラリとナタリーの顔を見てから大きく力強く頷いた。
「許します。僕は戦子がどんな事をしたって許します。僕は何があっても戦子の味方でいます。それが僕の気持ちの示し方です」
大智は選手宣誓をするスポーツ選手のように堂々と胸を張って言った。
「大智。格好良いのです。凄く嬉しいのです」
戦子が大智に飛び付くようにして抱き付いて来た。
「戦子。いきなりは」
「大丈夫なのです。計算済みなのです」
戦子を抱き止め、倒れそうになる大智の体が宙に浮かび上がった。
「飛んでる?」
「はいなのです。これなら倒れないのです」
戦子がゆっくりと下降すると大智と戦子の足が床の上に付いた。
「ダイチー。実はミーもヒマワリがこうなった原因の一翼を担ってる。センコを許したんだ。ミーの事も許してくれるんだよな?」
ナタリーが嬉しそうに言った。
「ナタリー先輩。後で説明するって言ってたのはそういう事だったんですか? もう良いですよ。戦子と仲直りできたし。そんな事より早く何があったか聞かせて下さい」
ナタリーがああと言って頷くと、顔を窓の方に向けて、遠くを見るような目をした。
「あれは、ディスモーニングの事だ。ミーとセンコとカネサダでダイチの家を訪ねたんだ。ヒマワリが出て来ると、大智はまだ寝てるから会わせられないと言ってな。学校があるから起こせと言ったが、寝かせておくの一点張りだ。普段ならカネサダの言う事は聞くんだが、ディスモーニングは駄目だった。それで、ミーがセンコに頼んで強制的にダイチを奪取してな。今に至ってる」
大智の脳裏に昨晩一緒に過ごしている間に目にした様々な向日葵の姿が浮かび上がって来た。
「向日葵は僕を取り戻したくて怒ってるんですね」
大智は独り言のように言うと、ナタリーの方に向けていた顔を動かし目の前にいる戦子の顔を見た。
「戦子。協力してくれる? 向日葵の所へ行きたいんだ。行って、向日葵を説得したい」
戦子が大智を抱いている腕にギュッと力を込めて来た。
「今の向日葵さんは恐らく大智を見ても、分からないはずなのです。大智をそんな危険な場所ヘは連れて行けないのです」
大智も向日葵を抱く手に力を入れた。
「きっと、向日葵は僕を見れば僕だって分かってくれるはずだ。僕は向日葵を信じてる。だから戦子、お願い」
「ファック。ダイチ、センコ。テイクカバー」
ナタリーが叫びながら窓の下の壁に張り付くようにしてしゃがんだ。
「ダイチ。隠れるのです」
戦子が大智の体を押し倒すようにして床に伏せた。
「何? どうした?」
大智は思わず大きな声を上げながら戦子の顔を見た。
「しっ、なのです」
戦子が小さな声で言いながら自分の顔の人であれば口があるはずの部分に右手の人差し指を当てた。大智は慌てて小声でうんっと言うと口を噤んだ。
「ヒマワリだ。ヒマワリが戻って来た。センコ、やるぞ。もう一度だ。今度はセンコがヒマワリの注意を引き付けてくれ。ヒマワリがセンコを攻撃し始めた隙にこいつで狙撃する」
ナタリーが腰を浮かせると窓から少しだけ顔を出し外を見た。
「戦子。君はここにいてナタリー先輩に銃を撃たせないようにしてて。向日葵の所へ行って来る。向日葵が戻って来たなら一人で行ける」
大智は戦子の顔に真剣な眼差しを向けた。
「大智。そんな格好良い表情で見つめないで欲しいのです」
戦子が恥ずかしそうに言いながら顔を俯けた。
「ヘイ。センコ。そんな事やってる場合じゃないぞ。いつまでも抱き合ってないで早く行ってくれ。ヒマワリに見付かったらまずい」
ナタリーが浮かせていた腰を戻し顔を大智達の方に向けて来た。
「撃たないで下さいって言ってるじゃないですか。向日葵は僕がなんとかします」
大智は知らず知らずのうちに大きな声を出していた。
「ダイチ。シャラップ。声が大きい」
ナタリーが再び腰を浮かせて窓の外を見た。
「こっちが仕掛ける前に気付かれたらお終いなんだぞ。もういい。センコ。ミーがやる。ミーが撃ってヒマワリがカウンターアタックして来たら攻撃してくれ」
ナタリーが立ち上がって狙撃銃を構えた。
「ナタリー先輩」
大智は戦子の腕の中から抜け出して立ち上がると、ナタリーに近付き背後からしがみ付くようにして狙撃を止めた。
「ヘイ、ダイチー」
ナタリーが言いながら振り向き大智の頭に手を当て押し下げるようにして自分とともにしゃがませた。
「来るぞ。今のでこっちの場所がバレたはずだ」
「ナタリー先輩。いい加減にして下さい」
大智はナタリーから狙撃銃を奪おうと手を伸ばした。ナタリーが狙撃銃を大智の手から遠ざけるように床の上に置くと大智の体を包み込むようにして抱き締めて来た。
「ナタリー先輩、こんな時に、何してんですか」
大智はナタリーの腕の中から抜け出そうと手足をバタバタと動かした。
「ダイチ。大人しくしてろ。終わったらミーの体を好きなだけ触らせてやるから。とりあえずセンコはダイチを連れて逃げろ。一人にすると何をするか分からない。合体しとけばどこにも行けないだろ」
「が、合体なのです?!」
戦子が酷く動揺した様子で小声を上げた。
「センコ。しっかりしろ。ダイチがいると本当に駄目だな。ほら、受け取れ。絶対に放すなよ」
ナタリーが大智を抱いたまま戦子の傍に行き大智から腕と体を離した。
「受け取ったのです」
戦子が大智の体をギュッと抱き締めて来た。
「戦子。ナタリー先輩を止めるんだ。向日葵を撃たせちゃ駄目だ」
大智が叫ぶように声を上げると、戦子がごめんなさいなのですと言って大智の口をそっと優しく手で塞いで来た。
「早く行け」
ナタリーが立ち上がり、窓外に向けて狙撃銃を構えた。
「レッツパーリィー」
ナタリーが嬉しそうに歌うように言いながら引き金に添えた指を動かし掛けたが、すぐに止めると指を引き金から離した。
「ワッツハプン。ヒマワリの奴、ミーに気付いてないのか?」
ナタリーが意外そうに言いながら再度指を引き金に添えた。大智はナタリーを止めようと戦子の腕の中から抜け出そうとしたが戦子の優しい拘束から抜け出る事はできなかった。何を思ったのか、狙撃銃のスコープからナタリーが目を離した。やる気の抜けた様子でしゃがみ込むと狙撃銃を床の上に置いた。
「殺意を向けてるのに何もして来ないどころか、こっちの居場所すら分かってないみたいだ。あいつ、どうしちまったんだ?」
ナタリーが戦子の方に顔を向けながら首を傾げた。
「向日葵さんは読心能力を使って索敵をしていないのです?」
戦子が不思議そうに聞いた。大智は戦子の言葉を聞いて、昨晩向日葵に心を読まないと約束してと言った事を思い出した。大智は今も向日葵は約束を守ってくれてるんだと思うと昨晩向日葵が約束を守ってくれてると思った時に感じた気持ちや寝る時に向日葵とした読心能力に関する会話などの事も思い出した。今も約束を守っている向日葵が怒りに我を忘れているはずなどないと強く思うと大智はその事を伝えようとして口を動かしたが戦子の手に塞がれている口からは言葉を出す事ができなかった。
「大智。ごめんなさいなのです。今は静かにしていて欲しいのです」
戦子に優しくたしなめられた大智は腕も動かしてなんとか言葉を出したいという意志を伝えようとしたが、戦子が大智の口に当てた手と腕ごと体を抱いている手に優しく力を込めて来たので、口を動かす事も腕を動かす事もできなくなってしまった。
「まさか、そんな事があるのか。だが、そうだとすると納得はできる。なぜだ? なぜ、ヒマワリは読心能力を使わない?」
ナタリーが振り返ると腰を浮かせて窓から顔を少しだけ出し外を見た。
「何か別の事に脳を使っているのです?」
ナタリーがそれは分からないが、と言いながら浮かせていた腰を下ろすと顔を狙撃銃の方に向け手を伸ばし銃把を握った。
「面白味に欠けるが、なんにしても、これはチャンスだととらえるべきだな。恐らく今ならやれる」
ナタリーが立ち上がり窓外に向けて狙撃銃を構えた。
「センコ。二、三発ぶち込むからヒマワリが行動不能になったら確保してくれ」
ナタリーが引き金に指を添えた。
「大智はどうするのです? 合体はした方が良いのです?」
合体という言葉を言った時、戦子の大智を抱いている手にギュッと力がこもった。
「ミーが撃ってから行けば良い。それなら合体する必要もないだろ」
ナタリーがスコープから目を離すと顔を戦子の方に向け、嬉しそうに意地悪な笑み作った。
「合体しなくて良いのです?」
戦子が不満そうな寂しそうな声を上げた。
「したいならすれば良い。どっちにしても、早くしろ。もう撃つぞ」
ナタリーが顔の向きを戻すとスコープを覗き込んだ。
「大智。まずは口の手を放すのです。大きな声は駄目なのです」
大智が頷くと口を塞いでいた戦子の手が離れた。
「ナタリー先輩。戦子。向日葵は怒りに我を忘れたりなんてしてない」
大智は堰を切ったように言葉を出した。
「ダイチー。何言ってんだ? ヒマワリが我を忘れてないだと? この状況を見ろ。あいつが暴れたからこうなってんだぞ」
ナタリーが狙撃銃を構えたまま、口だけを動かした。
「昨日、僕の心を読まないって約束してって向日葵に言ったんです。きっと向日葵はその約束を今も守ってるから、だから、ナタリー先輩の殺意が読めないんだ。そうだ。向日葵の所へ行かせて。行けば、きっと向日葵をこれ以上傷付けなくて済む」
ナタリーが狙撃銃を下ろし大智の顔を値踏みでもしているかのようにじろじろと見てからしゃがんだ。
「ダイチー。行ったら死ぬかも知れないんだぜ。それでも良いのか?」
ナタリーが透き通るような青色の瞳で大智の目を覗き込むように見つめて来た。
「向日葵を信じてます。行きます」
ナタリーが両手を胸の高さまで上げて大げさに呆れたという仕草をした。
「ダイチはウォーマナイザーだな。センコ。合体して一緒に行け。ヤバそうだったらすぐにダイチを連れて逃げるんだ」
「やっぱり合体なのです?」
戦子が動揺しつつ恥ずかしそうにしながら嬉しそうな声を出した。
「一人で行きます。戦子と行ったら向日葵が変な誤解をして怒るかも知れない」
ナタリーがすっと目を細め青色の瞳を鋭くして大智を睨んだ。
「変な誤解? ダイチー。そりゃどういう事だ?」
「向日葵が戦子みたいに、が、合体を、その、なんか変な風に思ってたら、まずいから」
なぜだか急に大智も合体という言葉を言うのが恥ずかしくなったので顔を俯けた。
「ダイチ。センコの事が好きなんだろ?」
大智は顔を上げると、急に何を言い出すんだろうと思いながらナタリーの顔を見た。
「もちろんです」
「大智。即答なのです」
戦子が至極嬉しそうにウキャーッと黄色い声を上げた。
「なら堂々と見せ付けろ。誤解も何もない。それがヒマワリの為にもなる」
「でも向日葵の気持ちを考えると」
「それが本音か。誤解はあんまり関係ないみたいだな。ダイチ。二人の女は選べない。どっちにも良い顔は見せられないんだ」
大智は声を大きな声を出した。
「そういう事じゃないですよ。向日葵はかわいそうな子なんだ。そんな向日葵を傷付けたくないって、そう思うのはいけない事ですか?」
ナタリーの青色の瞳に微かに影が差した。
「傷付かなきゃ、人は生きてはいけないんだ。違うか? ダイチの言ってる事は悪い事じゃない。だが、不可能だ。それに、一時的な物だ。ずっと隠れてコソコソとセンコと付き合うのか? それで、ダイチは辛くはならないのか? ヒマワリの気持ちはどうだ? ずっと裏切り続けるんだぞ。センコだってかわいそうだ。その考えでは誰もハッピーにはならない」
大智はナタリーの言葉を聞き、体を震わせながら声を上げた。
「それでも、僕はそうしてあげたい。向日葵にはもう辛い思いはして欲しくないんだ」
ナタリーが演劇の舞台に立つ役者がするような大きなはっきりとした笑い声を出した。
「ダイチー。それは惚れてるって事じゃないか? ダイチは酷い奴だ。センコの事を好きだと言いながらヒマワリの事も好きなんだからな」
ダイチは咄嗟に否定しようと思ったがナタリーの言葉が奔流のごとくに心の中を突き抜けて行ったような不思議な感じがして言葉を出す事ができなかった。
「そんな顔するなって。ダイチはヴァージンだろ? 引きこもってたっていう過去からすると、女と付き合った事もなさそうだしな。急にセンコとヒマワリに好かれたから混乱してんだ。まあ、本気で悩むような事になったら最終的にはミーを選べば良いと思うぜ。家柄も良いし、ボディもこれだしな。センコはだたのウォーマシンだし、ヒマワリは頭のイッてる超能力者と来てる。どう転んでもこの二人と付き合って幸せになれるはずはないからな」
ナタリーが大真面目な顔になって言いながら大智の傍に来ると肩を力強く抱いて来た。
「ナタリーさん。ダイチは戦子の事が好きなのです。ただのウォーマシンなのです? いくらナタリーさんでも酷いのです」
戦子が体の位置をずらして大智とナタリーの間に強引に割って入って来ると大智をナタリーから奪うようにして引き離した。
「ナタリー先輩。僕は戦子の事が好きです。向日葵の事は大切だと思うけど、戦子みたいには好きじゃない」
不思議な感じに翻弄され僕は向日葵の事が好きなのか? と自分の気持ちを信じられなくなっていた大智だったが戦子の言葉に勇気付けられしっかりしなければと思うとナタリーに向かって宣言するように言った。ナタリーを強い意志のこもった目で睨むように見つめる大智の視界の端にキラキラと光る透明な何かがたくさん入って来た。なんだ? と大智が思った瞬間、危ないのですと叫ぶ声が聞こえ、戦子がぶつかるようにして大智を押し倒して来た。
「ヘイ、センコ。ダイチと逃げろ」
体の下に入っている戦子の腕のお陰で床に倒れた衝撃はかなり弱められていたが胸部が圧迫された事によって呼吸が乱れてしまいその苦しさに大智が喘いでいるとナタリーの声が聞こえ、腹の底に響く重く低い銃声が轟いた。
「大智。ちゃんと守れなくてごめんなさいなのです」
戦子が辛そうに言いながら立ち上がると大智に背を向け窓の方に体の正面を向けた。
「ナタリーさん。戦子が戦うのです。ナタリーさんが大智を連れて逃げるのです」
乱れていた呼吸が正常になり苦しさから解放された大智は思い切り息を吸い込みながら上半身を起こした。戦子の背中越しに空中に静止するように浮かび鋭く尖った先端を戦子、ナタリー、大智に向けている無数のガラスの破片とボロボロになった制服を風に揺らしながら大智達のいる教室内を窓の外に浮かびつつじっと見つめている向日葵の姿が見えた。
「ダイチと合体したセンコの方が勝ち目がある。ミーとダイチが合体しても気持ちが良くなるだけだからな」
「ナタリーさん。こんな時に何を言っているのです。戦子ならこんなガラスの破片なんてへっちゃらなのです」
戦子の言葉をかき消すように再び銃声が轟いた。向日葵のサイコキネシスよって二十ミリ口径の弾丸が突然その場に現れたかのように空中で止められ、ポロリと情けなく落下して行く様子が大智の目に映った。
「ヘイ、センコ、そっちこそこんな時に何言ってんだ。ガラス片の第一波はなんとかかわしたが、何度も避けれるもんじゃない。ミーの体はセンコと違って金属製じゃないんだ。ミーにダイチは守れない。しっかりしろセンコ。本当はどうすれば一番良いのか分かってんだろ」
「ん」
向日葵の抑揚のない小さな声がした。ガラスの破片がキラキラと美しく煌めきながら大智、ナタリー、戦子に襲い掛かった。
「大智」
ガラスの破片が大智の体に到達する前に戦子が大智の体の上に覆い被さると戦子の金属製のボディに激しくガラスの破片がぶつかりガラスの破片が砕け戦子のボディが削られる音がした。
「こんなもんでミーがやられると思うのか?」
ナタリーの嬉々とした挑発の声がし、三度目の銃声が大気を激しく振動させ引き裂いた。
「大智。すぐに合体するのです。そうすれば大智を守ったまま戦えて、ナタリーさんも守れるのです」
戦子が無数のガラスの破片が突き刺さっている教室の床に両手を突き立てて上半身を起こすと、顔を動かして大智の顔を覗き込むような格好をした。
「向日葵は、僕達を殺そうとした?」
大智は戦子の目のような顔にある丸い二つの物体を自分の言葉を否定して欲しいとすがるような思いを込めて見た。
「大智」
戦子が大智の名を呼び、何かを言おうとして言いよどみ押し黙った。
「ヘイ、ヒマワリ。まだ怒ってるのか? いい加減にしないと愛しのダイチに嫌われるぜ」
ナタリーの声がすると、窓の方から金属やコンクリートといった校舎を構成する建材が破壊されて行く音が聞こえて来た。
「合体するのです。話はその後なのです」
戦子が意を決したように言った。大智は了承の為に頷く事も拒否の為に頭を左右に振る事もせずに戦子の目のような二つの物体を見つめ続けていた。
「これが、戦子と大智の愛の結晶合体なのです!!」
戦子が声も高らかに告げると戦子の体が内側から外側に膨張して行くようにして変形し始め大智の体に圧し掛かるように倒れて来た。
「戦子」
倒れて来た戦子の体を咄嗟に受け止めようと伸ばした大智の両腕が戦子の膨張して行くように変形を続ける金属製のボディに飲み込まれるようにして包まれた。戦子のボディが大智の全身を飲み込み終わるまでに要した時間はほんの数秒だった。
「合体完了なのです。大智。戦子は今、とっても感動しているのです。大智は今、戦子の中にいるのです」
戦子の優しく満足げで嬉しそうで、それでいてどこか寂しそうな声が言った。
「これが、合体?」
大智は目の前にあるVRヘッドセットをしている時に見えるような映像として映し出されている教室の天井を見ながら呟いた。
「合体なのです。大智。行くのです」
戦子が言い、体が立ち上がった。
「大智は戦子を着ているような状態になっているのです。大智が体を動かせば、戦子の体も自然に動くのです。その逆もあるのです。今みたいに戦子が動いて大智の動きを制御するのです」
体が勝手に動く不思議ななんともいえない感覚が大智を戸惑わせている間に戦子が教室内を移動し、いつの間にか教室内に入って来ていた向日葵と対峙するように向日葵の眼前に立った。
「向日葵さん。もうやめるのです」
戦子が向日葵に呼び掛けた。間近で見る向日葵は昨晩一緒にいた向日葵とどこも変わったところがないように見えた。
「ん」
向日葵の小さな抑揚のない声がした思うと、大智と戦子の体が後ろに向かって凄まじい勢いで何かに弾かれたように吹き飛ばされた。
「大丈夫なのです」
戦子の声が告げ、吹き飛ばされていた体が空中で静止した。
「大智。大智も何か言うのです。大智の声なら向日葵さんの心に届くかも知れないのです」
大智は今は離れている向日葵の姿をじっと見つめた。
「向日葵」
大智は呟くように言いながら向日葵の顔を映像越しにじっと見つめた。向日葵の攻撃と戦子との合体という事態が立て続けに起こり困惑していた大智の頭の中に向日葵に対する思いが湧水の最初が大地から染み出すようにじわりと現れるとあっという間に大きく広がって行った。
「向日葵。僕はここにいる。だから、もうやめて」
向日葵が右手を大智と戦子に向かって伸ばした。
「向日葵。分かってくれたの?」
向日葵の軽く拳を握っていた手がゆっくりと開いた。
「まずいのです」
戦子が言い、体が素早く横に向かって跳んだ。向日葵が開いた手をギュッと握り締めると大智達がさっきまでいた場所の床や天井の一部分が円形に切り取られたような跡を残して消えた。
「嘘だ。そんな。今のは攻撃したんじゃない。戦子。そうだよね?」
大智の言葉に応じるように銃声が轟いた。
「おしいな。もう少しで二十ミリがヒットしそうだったのに。ダイチ。分かったろ? 今のヒマワリはいつものヒマワリじゃない。戦うしかないのさ」
向日葵の姿を映していた映像が切り替わり狙撃銃を向日葵に向けて構えているナタリーの姿が映し出された。
「ナタリーさん。ここは戦子と大智に任せるのです。ナタリーさんは逃げるのです」
大智達は滑るように空中を飛んで素早く移動し、ナタリーを庇うようにナタリーの前に立った
「このままだと、ミーが足を引っ張る事になるか。センコ。悪いがヒマワリを校庭に連れ出してくれ」
ナタリーが言い終えると教室に二つある出入り口の自分に近い方の一つに向かって駆け出した。
「ん」
向日葵の声がし、ガラスの破片が煌めきながらナタリーと大智達に向かって降り注いだ。
「ナタリーさん」
「ナタリー先輩」
戦子がナタリーに向かって飛ぶがガラスの破片の方がはるかに早くナタリーに襲い掛かった。
「だからこんなもんでミーはやられねーんだよっ」
狙撃銃を盾にしてガラスの破片から身を守りながらナタリーは走り続けた。
「ナタリーさん。気を付けて行くのです。大智。戦子達も行くのです」
「うん」
大智がその言葉に反応するよりも早く体が動いた。背中にある推進装置を使って空中を飛び向日葵に肉薄した大智達は両手を伸ばして向日葵に抱き付くとそのまま教室の窓から空中に飛び出した。
「ん」
校庭に向けて降下を開始した大智達の腕の中で向日葵が小さな声を出した。
「サイコキネシスなのです。腕をパージするのです」
ミシッという音がして大智の腕を殻のように覆っている戦子の金属製の腕の一部がへこんだのとほとんど同時に戦子が言い、戦子の金属製の腕が二本ともバシュッという音ともに肩の部分から外れて抱いている向日葵の体ごと前方斜め下に向かって飛んで行った。
「向日葵」
大智は離れて行く向日葵の名を叫んだ。
「向日葵さんは大丈夫なのです。今のうちに量産ボディと合体するのです」
大智達は空に向かって上昇を始めた。
「大丈夫って、あのまま落ちたら」
曇っている空だけが映っている映像の端に小さな正方形の新しい映像が一つ表示された。
「向日葵。良かった」
向日葵が空中で静止し、大智達の方を見上げている姿がそこに映っていた。
「大智。戦子の体の色の事、話すのです」
上昇し続けながら戦子が言った。
「体の色?」
大智は言いながら、戦子の体の色がワインレッドに変わっていた事を思い出した。
「そうなのです。今、戦子は向日葵クラッシャーモードになっているのです」
向日葵クラッシャーモード? 大智はなんだろう? と思いながらその言葉を頭の中で反芻した。
「できれば言いたくなかったのです。けど、しょうがないのです。自業自得なのです。向日葵さんから大智を取り上げたのは戦子なのです。戦子が開発された本当の理由は、向日葵さんを倒す為なのです。戦子は対向日葵さん用に作られたのです」
「何言ってんだよ。戦子は軍事用だろ? そりゃ、軍事用だから戦う事は当然できるだろうけど、向日葵用って。兼定先輩は軍事用だって言ってた」
大智は戦子の言葉に得体の知れない、意味の分からない漠然とした恐怖を覚え、その恐怖を振り払おうとするかのように言葉を出した。
「兼定さんは大智には言わなくて良いと言っていたのです。兼定さんが言っていた有事というのは向日葵さんと戦う事なのです。大智はその時の為のパイロットなのです」
大智は自分の抱いた得体の知れない、意味の分からない漠然とした恐怖の正体を知り、強い口調で言った。
「そんな事知りたくないよ。もう言わなくて良い」
「知っておいて欲しいのです。向日葵さんと戦うのは向日葵さんを止める為なのです。向日葵さんが暴れ続ければ、巡天の本社直属の機動部隊が動くのです。本社直属の機動部隊が介入すれば向日葵さんが元々いた巡天の研究所にまた収容されるかも知れないのです」
向日葵に見せられた過去の映像が大智の脳裏を過ぎった。
「でも、戦って向日葵を傷付けたくない」
「大智は向日葵さんがいなくなっても良いのです?」
「良いはずない。でも、だったらなんで向日葵を怒らせるような事をしたんだ。僕と向日葵の事を放っておけば良かったじゃないか」
「兼定さんは向日葵さんに普通の生活をさせてあげたいといって研究所の関係者を説得して向日葵さんを研究所から連れ出したのです。それから向日葵さんは寮に住み学園に通うようになったのです。武部にも入ったのです。すべては兼定さんが向日葵さんの事を思ってやった事なのです。大智と仲良くなる事で向日葵さんにいろいろな事を経験して欲しいと兼定さんは思って警備の仕事を任せたのです。兼定さんは甘やかす事ばかりをしない人なのです。だから今朝は向日葵さんが怒るのを承知でナタリーさんの意見を支持したのです」
「なんだよそれ。兼定先輩はどこいるんだよ? こんな時にいないじゃないか」
大智はこうなった責任を全部兼定先輩に取ってもらえば良いんだとどうしようもない無茶苦茶な事を思いながらなじるように言葉を出した。
「兼定さんは巡天本社に本社直属の機動部隊を動かさないようにと話をしに行っているのです」
「どうして今更そんな事言うんだよ。最初から言えば良いじゃないか。そうすれば僕だって向日葵と仲良くなんてしなかった。何も知らないからこんな事になったんだ。皆酷いよ」
大智は駄々をこねる子供のように大きな声を上げた。
「向日葵さんと仲良くならない方が良かったのです?」
大智はその方が良かったと言おうとしてすんでのところでこの言葉を言ってしまったら向日葵を酷く傷付ける事になると思い何も言う事ができなくなって押し黙った。戦子が上昇をやめた。
「大智がパイロットで良かったのです。大智という本物の人の心があるから戦子は本当のウォーマシンにならないで済んでいるのです」
曇天だけを映し出していた映像の中に小さな黒い点が一つまた一つ映り始めた。
「皆が集まって来たのです」
黒い点が徐々に大きくなって行き、戦子の傍に戦子と同じ形をした量産ボディたちが集まって来た。
「戦子はこう思うのです。戦う事は悪い事なのです。けど、相手の為を思って戦う事は悪い事ではないのです。どんなに傷付け合う事になっても、相手の事を大事にする気持ちがあればそれは悪い事ではないと思うのです」
戦子が大智を気遣うような口調で言った。戦子の量産ボディ達が変形を始めた。量産ボディ達は一体一体が何かの部品のような形になって行った。
「戦子。ありがとう。でも、それは違うと思う。傷付け合うのは、戦うのはどんな理由があっても悪い事だ。相手の事を大事に思うんだったら、そんな方法をとらないでなんとかする道を探すべきなんだ」
大智は自分の心の中を確かめるように静かな口調で言葉を出した。
「大智は向日葵さんに昨日の夜何回か鏡の破片を刺されそうになっていたのです。けど、大智はその事で向日葵さんを責めていないのです。大智はドMなのです? 自分が傷付けられるのはアリな人なのです?」
急に何を言い出すんだ、と思ったが戦子なりに気を使ってちょっとおかしな事を言い場を和まそうとしてるのかも知れないと考えると、大智は小さな微笑みを顔に浮かべた。
「戦子がゲームのキャラクターで一緒にゲームをやって頃の事。あいつら、あの後、皆、僕から離れて行っただろ。凄く恨んだ。憎んだ。どうして僕を一人にするんだって思った。でも、本当は心のどこかでまた仲良くなりたいと思ってた。あの頃みたいに逃げるのは嫌だ。また傷付く事になったりするのは嫌だけど、向日葵がいなくなるのはもっと嫌だ」
「じゃあ、戦うのです?」
部品のような形になった戦子の量産ボディ達が合体を始めた。百体以上は集まって来ているであろう量産ボディ達は十数メートルはあろうかという巨大な人型の物を形作って行っていた。
「戦わない。でも、向日葵は止める。兼定先輩やナタリー先輩、それと戦子に会って僕は変わったみたいだ。やってみようって思える」
量産ボディ達の合体が終わった。巨大な人型の物は胸の部分に四角い穴の開いた数十倍の大きさの戦子の姿になっていた。
「向日葵クラッシャー巨大化合体なのです」
戦子が穴の中に入ると量産ボディが部品化した蓋が穴の入り口を塞いだ。闇に包まれた穴の内部を映していた映像が切り替わり校庭に降り立ち大智達の方を見上げている向日葵の姿が大智の視界いっぱいに映し出された。
「絶対に踏み潰したりしちゃ駄目だよ」
大智の言葉を聞いて戦子が小さな笑い声を上げた。
「向日葵さんは踏み潰されたりしないのです。踏もうとしても足を壊されるだけなのです。本体である戦子と大智をより確実に守りながら向日葵さんを拘束する為に巨大化合体したのです。サイコキネシスで壊されても壊された部分が別の量産ボディに入れ代ってすぐに再生するようにして元の形に戻るのです。さっきパージした腕ももう新しくなっているのです。量産ボディがある程度損耗するまではこの状態で戦うのです」
「拘束する事ができたら説得しよう。話し掛け続ければきっと向日葵だって僕達の事が分かるはずだ」
大智達を内包した巨大戦子がゆっくりと降下を開始した。
「拘束してそのまま頭をねじ切った方が早いのです」
大智は戦子が何気なく言った恐ろしい言葉を聞いて我耳を疑いながら口を開いた。
「戦子? 今、なんて言った? 頭をねじ切るって聞こえたんだけど」
戦子が自分でも自分の言った言葉に驚いたようにあたふたしつつ言った。
「ご、ごめんなさいなのです。向日葵クラッシャーモードになると思考体系が変更されるのです。今は普段と違って暴力的で残酷な事も平気でできてしまうのです」
大智はそういえばさっきから戦子は戦う事に対して前向きな事ばかりを言ってたと思い大智という本物の人の心があるから戦子は本当のウォーマシンにならないで済んでいるのですという戦子の言葉を脳裏に浮かべながら戦子は僕がいなかったらウォーマシンになってしまうのかも知れないと考えると心の奥に冷たい金属の塊が押し込まれそれがどこにも行かずにそこに留まってしまっているような沈鬱な気分になった。
「戦子は向日葵の事、嫌い?」
大智は戦子なら絶対に好きって言うはずだと思いながらも、今の戦子だったら嫌いというのかも知れないと不安を抱きつつ言葉を作った。
「好きなのです。向日葵さんは無口で素っ気ない人なのです。けど、戦子の大事な友達なのです」
大智は戦子の言葉を聞いて安堵し嬉しくなって、それから、だったら絶対に戦っちゃいけないと思った。
「クラッシャーモードから元に戻る事はできない?」
「できないのです。向日葵さんの行動に反応してモードが切り替わるようになっているのです。前もってこの機能をオフにしておけば良かったのです。けど、向日葵さんが暴走した時の事を想定するとオフにする事ができなかったのです。戦子は戦って向日葵さんを止めないといけないのです。戦子はその為に作られたのです」
大智は戦子の言葉を聞いていて戦子は機械だけど人と同じように多面性があって本当は向日葵と戦いたくないと思ってくれてたら良いなと思った。
「戦子。ブラッドウォーだ。戦子はサポート。僕が動かす」
「あの頃みたいに、なのです?」
大智は戦子の心である僕がしっかりしなきゃと思い覚悟を示すように力強く頷いた。
「そう。あの頃みたいに」
大智は目の前に映し出されている向日葵の顔をじっと見つめた。
「了解なのです。指示を求めるのです」
「もう一度、僕が向日葵に向かって話し掛ける事はできるよね?」
「できるのです。けど、今の向日葵さんには何を言っても無駄だと思うのです」
「駄目だったらまた何か考えるよ。戦子。向日葵の正面に降りよう」
「分かったのです」
巨大戦子が降下速度を上げた。地響きのような音をたてて巨大戦子が校庭に着地すると向日葵の体がふわりと浮き上がり、巨大戦子の顔の前まで上昇して来て静止した。
「戦子。向日葵に話し掛ける」
「準備はできているのです。いつでも話して良いのです」
大智は映像の中にいる向日葵のいつもと変わらない表情を浮かべている顔をじっと見つめた。
「向日葵。僕だ。大智だ。聞こえてる?」
向日葵の口が微かに動いた。
「ん」
小さな声が戦子の内部に搭載されているスピーカーを通して大智の耳に聞こえて来た。
「サイコキネシス来るのです」
戦子が告げたのとほぼ同時に、巨大戦子の右腕が大智達のいる胸部を庇うように前に出た。金属がへこみ引き裂かれて行く音が襲い掛かって来るように轟き始めた。
「向日葵。やめるんだ」
大智は破壊されて行く腕を映像で見ながら叫んだ。大智の声は聞こえているはずなのだが向日葵は攻撃をやめず、腕の破損範囲が凄まじい勢いで広がって行っていた。
「向日葵。頼む。もうやめてくれ」
大智は叫びながら、どうすれば良いんだ? と必死に考えた。
「戦子。一時後退。向日葵から距離を取って。向日葵の攻撃がやんだら僕が外に出る。僕の姿が見えれば話を聞いてくれるんじゃないかと思うんだ」
大智は考え付いたこれだという案を戦子に伝えた。
「何を言い出すのです。教室で攻撃されたのを忘れたのです? 今だって大智の声は向日葵さんには届いていないのです。大智だったらどうなのです? 巨大なロボットに乗っていて姿が見えないからといって、大事な人が声を掛けて来ているのにいきなり攻撃したりするのです?」
自分だったらきっと攻撃などはしない、大智はそう思ってから、けれど、自分が向日葵のような過去を背負っていて今のような状況に陥っていたらどうなのだろうか? と考えた。
「僕は攻撃なんてしない。でも、相手は向日葵だ。僕とは違う」
「右腕を抜かれそうなのです。大智を外に出す事には反対なのです。けど、一時後退して距離を取る事には賛成なのです」
巨大戦子が後方に飛びさがった。向日葵はその場から動かずに空中で静止していたので数十メートルの距離があいた。
「外に出して」
「駄目なのです。大智に何かあったら戦子は向日葵さんを巻き込んで自爆するのです」
大智は戦子の思いのこもった過激な言葉を聞いて、慌てて口を動かした。
「自爆なんて、そんなの絶対駄目だ」
「では大智も絶対に外に出ては駄目なのです」
戦子の口調から絶対にこれは譲らないのですという思いが伝わって来た。
「戦子。あれは? 向日葵は何を始めたんだ?」
校庭にあるフェンスの支柱や校舎の一部や駐車場に止まっていた車などが竜巻に巻かれているかのように破壊されて浮き上がり乱舞するイナゴの群れのように空中を飛んで向日葵の体の周りに集まって行っていた。
「もうなのです。関係のない事を言ってとぼけても駄目なのです。外には絶対に出さないのです。もちろん戦いが終わったら出ても良いのです。戦子は向日葵さんと違って理不尽でおかしな束縛はしないのです」
戦子が不満そうな声で言い募った。
「戦子こそ、今はそんな事言ってる場合じゃないってば。向日葵を見て」
「向日葵さんがそんなに気になるのです? 戦子は本気で心配しているのです。大智は」
戦子が何かに気付いたように途中で言葉を切った。
「あれは、なんなのです?」
戦子が呟くように言った。
「分かんない。さっきはあんなじゃなかった」
向日葵の体の周りに集まって行っていた物体達がぶつかり合い軋み合い悲鳴のような音をたてつつ密集し崩れ壊れながらも合体して巨大戦子とほとんど変わらない大きさの人型の物体を形作っていた。
「戦子の真似なのです?」
戦子が畏怖の念を抱いているかのようなロボットらしからぬ声を出した。向日葵を内包する巨大人型物体が右腕を大きく振り上げる左足を前に踏み出し、右腕を振るって巨大戦子に殴り掛かって来た。
「戦子。避けられる?」
「無理なのです。へたに避けると後ろにある校舎を壊す事になりかねないのです」
巨大戦子が顔の前で両腕を交差させるようにして突き出すと巨大人型物体の拳を受け止めた。
「凄い力なのです」
巨大戦子が地響きをたてながら少し後方にさがった。
「また来るのです」
巨大人型物体が今度は左腕を振るった。巨大戦子のガードを切り崩そうとするかのように交差している両腕に拳を突き立てて来た。左、右、左、右と交互に巨大人型物体の拳が振るわれ巨大戦子の腕を殴り続けた。
「まずいのです。このままだと後ろにある校舎を壊してしまうのです」
大智は映像に映し出されている校舎と巨大戦子との距離を目測しながら拳を振るい続ける巨大人型物体の中にいる向日葵に向かって叫んだ。
「向日葵。どうして? どうしてこんな事するんだ」
「大智。無駄なのです。戦うしかないのです」
巨大戦子の体は土埃を上げ地響きをたてながら少しずつ少しずつ後ろにさがり校舎に迫って行っていた。
「なんでだよ、向日葵」
大智はやり切れない思いを叩き付けるようにそう言ってから、ふっと脳裏を過ぎった考えに愕然としながら声を上げた。
「戦子。生徒達は? まさか中にいたりしないよね?」
「大丈夫なのです。とっくに避難済みなのです」
大智は安堵の息をつきながら未だに狂ったように拳を振るい続けている巨大人型物体を見つめた。
「大智。どうするのです?」
最後通告のように戦子が聞いて来た。
「とにかく止めよう。相手の腕をつかめる?」
「難しいのです。失敗したら校舎を破壊してしまう危険があるのです。相手の胴体部分に組み付いて動きを封じるという方法を提案するのです」
「タックルするって事?」
大智は背中から校庭に向かって倒れて行く巨大人型物体の姿を想像した。
「そのような感じなのです」
「相手を倒さないようにできる? 向日葵が中にいるんだ。できるだけ中に衝撃を与えたくない」
「やってみるのです」
巨大戦子が巨大人型物体の右の拳を受け止めると同時に拳を受け止めている両腕を下ろした。下ろした両腕を前に向かって広げて伸ばし巨大人型物体の胴体を包み込むようにすると両腕をそのままの形にしたまま体を斜め前に移動させ巨大人型物体の横をすり抜けるようにして背後に回り込んだ。
「捕まえたのです」
戦子が勝利を告げるような口調で言い、巨大戦子の両腕が巨大人型物体の胴体に破砕音をたてながら食い込んだ。
「大智。このまま相手の体を真っ二つに折る事を提案するのです。行動不能にして向日葵さんを中から引きずり出すのです」
「駄目だ。向日葵がどこにいるか分からない」
「今を逃したら次はないかも知れないのです。判断を誤っては駄目なのです。大智の判断力は向日葵さんの所為で鈍っているのです」
戦子が感情を爆発させたかのように強い口調で捲し立てた。
「向日葵を傷付けたくないんだ」
大智の声は戦子の口調に引っ張られるようにして大きな物になった。
「大智」
戦子がすがり付くように大智の名を呼んだ。
「分かったのです。このまま待機するのです」
しばしの間を空けてから感情を押し殺したような小さな声で戦子が付け足すように言った。巨大人型物体は巨大戦子に拘束されてから動きを止めていた。大智はこのまま巨大人型物体を拘束し続ける事で向日葵の体力を削れるのではないかと思った。
「戦子。向日葵がこの巨大な作り物の体を維持するのに疲れて諦めるのを待とう」
「そんな時間はないのです。言ったはずなのです。巡天の部隊が来たら向日葵さんはお終いなのです。巨大化合体ですぐに仕留められなかったのは戦子の失敗なのです。ここまで事が大きくなっているのです。兼定さんの交渉は失敗していると推測するのです」
向日葵が疲れるのが先か、巡天の部隊が到着するのが先か、戦子の言葉を聞いてタイムリミットが迫っているのかも知れないと思った大智の心は揺れ動いた。
「大智。見るのです。人型物体の体が崩れ始めたのです」
大智は映像の中にいる巨大人型物体を凝視した。
「本当だ。戦子。これなら巡天財閥の部隊が来る前になんとかなるかも知れない」
大智は向日葵が疲れ始めてるんだと思い嬉しくなって思わず声を弾ませながら言葉を出した。
「これは、何事なのです? 人型物体の体から崩れ落ちた破片が戦子の外装に付着して来ているのです」
映像が切り替わり巨大戦子の外装を覆うように付着して行く破片の様子が映し出された。
「外装部分に何か異常は?」
大智は言いながらただの杞憂であって欲しいと願った。
「今のところは、待つのです。破片が付着した部分に異常な圧力を感知したのです」
向日葵が疲れて来たから巨大人型物体が崩れ始めたんじゃなかったんだと思った大智は自分の浅はかさを責めながら叫ぶように言った。
「戦子。破片がこれ以上付かないように逃げるんだ」
「破片で覆われた部分が動かせないのです。移動は無理なのです。向日葵さんは巨大化合体した戦子を破片で覆い、その中に閉じ込めて潰そうとしていると推測されるのです」
不意に映像が途切れ大智の目の前に真っ暗な闇だけが広がった。
「全身を覆われたのです。衛星からの映像と学内にある監視カメラからの映像を繋いで視界を確保するのです」
大智の目の前が突然明るくなり映像が再び映し出された。巨大人型物体を形作っていた破片に全身を覆われた巨大戦子の姿が頭上から見下ろす形で映されていた。
「大智。向日葵さんを侮っていたのです。こんな方法でこの合体が封じられるとは予測していなかったのです。サイコキネシスだけであれば全身を包み込むように圧力を掛けられても直接サイコキネシスを受けている外装部分をパージしてしまえば動く事ができるのです。けど、こんな形で外装を覆われて固められてはどうする事もできないのです」
戦子が今まで聞いた事のないような弱々しい声を出した。
「戦子の所為じゃない。僕が戦わないでって言ったからだ。でも、今はそんな事よりこの状況をどうするかだよ。合体を解けばなんとかなったりしない?」
大智は戦子を元気付ようとわざと明るい声を出した。
「パージができないので合体も解けないのです。潰そうとする圧力が強過ぎるのです。内部で合体を解けば、そこから圧潰して行くと推測されるのです」
このまま死ぬのかも知れないという思いが現実味をともなって大智の脳裏をかすめた。
「戦子。向日葵は?」
映像が切り替わり巨大戦子の頭頂部が拡大されて映った。
「向日葵さんはあそこにいるのです」
向日葵は頭頂部の上に何事も起こっていないかのようにただ立っていた。
「無事みたいだ。良かった」
大智は眩しい物でも見ているように目を細めた。
「良くないのです。このままだと大智は死んでしまうかも知れないのです」
「僕が悪かったんだ。戦子が戦おうって何度も言ってくれたのに駄目だって言ったから」
今まですぐに言葉を返して来ていた戦子がしばらくの間沈黙してから言葉を出した。
「大智。何を言ってるのです。大丈夫なのです。大智は戦子が守るのです。大智の生命を危険に晒す可能性がある方法なので行いたくはなかったのです。けど、この状況ではやむを得ないと判断するのです。大智。実行する許可を求めるのです」
戦子の声は何か重大な事を決断した者が発するような力強く深い物だった。
「戦子ごめん」
「どうして謝るのです? まさか、このまま何もしないで死ぬ気なのです?」
戦子の声が途中から大きくなり悲痛な色を帯びた。
「違うよ。戦子にそんな風に言わせちゃってって事。でも、向日葵を傷付けるような事だけはしないで。それができるなら許可する」
「大智は馬鹿なのです。戦子以外の女の子にそんな風に優しくして欲しくないのです」
戦子が冗談めかして拗ねるように言った。
「行動を開始するのです」
一呼吸置いてから戦子が引き締まった声を出した。
「戦子、無理だけはしないで」
「分かっているのです」
大智の腕を内包する戦子の腕が動き出し、それに続いて全身が動き始めた。
「やる事は簡単なのです。破片の圧力を押し退けて外に出るだけなのです」
金属が歪み軋む音が聞こえて来た。
「大丈夫なのです。今聞こえている音は戦子が外に向かって力を掛けているから出ている音なのです」
不安にさせないようにと戦子がかけてくれてるであろう言葉に応じるように大智は口を開いた。
「戦子、ありがとう」
「そんなしんみりした言い方はしないで欲しいのです」
金属が歪み軋む音が激しくなった。映像は向日葵の姿を映している物から変わってはいないので何が起こっているのか大智が見る事はできなかった。
「大智。大丈夫なのです?」
一際大きな金属の泣くような狂おしい音がしたと思うと戦子が焦った様子で聞いて来た。
「大丈夫だよ。どうして?」
「なんでもないのです。大丈夫なら良かったのです」
大智は何があったの? と聞こうと口を開こうとした。
「大智。平気なのです?」
戦子が先ほどと同じようにまた聞いて来た。
「大丈夫だけど、さっきから何が起こってるの?」
金属が押し潰されるような大きな音が鳴り響き、次いで戦子の声がした。
「後少しで外なのです。大智。外に出たら校舎の中に入って出ては駄目なのです。向日葵さんが追って来たらとにかく逃げるのです。九分二十八秒間逃げていれば量産ボディが到着するのです。それまでは、ごめんなさいなのです。一人で頑張って欲しいのです」
「一人で? 戦子は?」
戦子の返事はなく大智の頭を覆っていた戦子の頭部がバシュッという音とともに外れた。
「戦子? どうした?」
叫ぶ大智の目に校舎の姿が迫るようにして飛び込んで来た。大智は巨大戦子の外にいて、一番近くにあった校舎の窓に向かって飛行していた。
「戦子? 返事をして」
戦子の声は返って来なかった。大智は戦子の姿を探すように自分の体を見回した。
「そんな、戦子?」
大智の体を覆っていた戦子の体は大智の胴体部分を覆っている箇所を残して何もなくなっていた。
「どこに行ったんだよ、戦子」
大智は叫びながら振り向いた。巨大戦子が破片の圧力に負け断末魔の咆哮のような破壊音を鳴らしながら押し潰されて行く様子が見えた。大智の体は校舎の窓の中に飛び込み床の上を数回転がってから止まった。大智は床に手を突き急いで立ち上がると窓に向かって走った。
「ダイチ。隠れろ」
背後からいきなり肩を引っ張られ体のバランスを崩した大智は前に向かって倒れるようにして窓の下の壁にぶつかった。
「ソーリーダイチ。大丈夫か?」
ナタリーが壁際に座り込んだ大智の顔を覗くように見て来た。
「ダイチがセンコの中から出てこの窓に向かう姿が見えたから急いで来たんだ。センコはやられたのか?」
たぶん、と返事をした後に何が起きたのか分からないんですと言おうとしたが、ナタリーの姿に違和感を覚えた大智は何がおかしいんだ? と思い何も言葉を出せなくなってナタリーの姿を凝視した。
「そんなに見つめるな。ミーもこっぴどくやられちまった。右腕がパーだ」
不敵に笑ってみせるナタリーの右腕は肩の部分から何もなくなっていた。
「ナタリー先輩。大丈夫なんですか?」
大智はナタリーの頬に付く乾いたばかりの生々しい血の痕に視線を奪われながら叫んだ。
「ノープレブロムだ。ミーの体は勝手に治る。ミーの事よりセンコだ。どうするか言ってなかったか?」
「戦子がですか?」
大智はナタリーの怪我を見て真っ白になってしまった頭の中を懸命に切り替えて戦子が何か言ってなかったか思い出そうとした。
「言ってました。量産ボディが来るまで向日葵から逃げろって」
「逃げろ、か」
ナタリーが体を伸ばすようにして頭を上げ窓の外を見た。
「ヒマワリは破壊したセンコの上にいる。あの様子ならミー達の居場所はまだ分かってないな」
ナタリーが伸ばすようにしていた体を戻すと壁に背中をもたせ掛けた。
「戦子はきっと僕を助ける為に体をバラバラにしたんだ」
大智は教室の床に視線を落とすと誰に言うともなしに懺悔の告白をするかのように言葉を出した。
「ヘイダイチー。センコなら大丈夫だ。来ると言ってた量産ボディの中に入ってるさ」
大智は床をじっと見つめたままナタリーの言葉に応じた。
「それは分かってるんです。でも、僕と一緒にあの時いた戦子はもういないんだ。僕がもっとしっかりしてればこんな事にならなかったはずなんです。戦子は何度も戦うように僕に言ったんです。でも、僕はその言葉に耳を貸さなかった。戦子は壊れてもまた直るかも知れないけど、そうだからって簡単に失うような事しちゃ駄目だったんだ」
ナタリーがフンッと優しく鼻で笑った。
「ゼアーズオールウェイズアネクストタイム。次がある。これで終わりじゃない。失敗から学べば良い」
大智は顔を少し上げてナタリーの顔を上目遣いに見た。
「怒らないんですね」
「残念だったな。泣き言くらい良いさ。ミーは相手をほめて伸ばすタイプなんだ」
ナタリーがわざとらしく顔をくしゃっと潰したようなしかめっ面をした。
「向日葵を気絶させるだけでも良いんですよね?」
ナタリーが真面目な顔になると小さく頷いてから腕のなくなってしまっている右肩を見た。
「それで良い。ミーはもう役に立ちそうにないからな」
窓の外から数台の車が校庭を走っているであろう走行音が聞こえて来た。ナタリーが壁から背中を離すと、また体を伸ばすようにして窓の外を見た。
「まずい事になったな。ジュンテンの本社の奴らだ。センコはまだなのか」
大智もナタリーのように体を伸ばし、校庭に目を向けた。向日葵とその足の下にある巨大戦子の残骸を囲むように四台の黒塗りのワゴン車が停車する様子が目に入って来た。一台のワゴン車の右側面にあるスライドドアが開くと学園の制服を着た二人の女生徒が校庭に降り立った。
「キクコか。オー。あれは、カネサダ」
ナタリーが呟くように言った。
「兼定先輩ですか? どこにいます?」
大智は言いながら顔を動かして兼定の姿を探した。
「ダイチは見た事がなかったか。それに今はウィッグを付けてるからな。あれがカネサダの本来の姿だ。二人いる女生徒のこっちから見て右のショートヘアの方がキクコで、その隣の左にいるロングヘアの方がカネサダだ」
大智はナタリーが言葉で示した女生徒の姿をまじまじと見つめた。
「丁髷って解くとあんな風になるんですか?」
「驚くとこはそこなのか? あれはただ解いただけじゃない。さっきも言ったがウィッグを付けてるんだ」
「いや、えっと、だって、あまりにも唐突だったから混乱してるんです。兼定先輩って女の人だったって事ですか?」
「やっぱり気付いてなかったのかよ。さっすがヴァージンだな。どっからどう見ても男装してる女だったろ」
「本当ですか? 本当に、あれが兼定先輩?」
ナタリーが顔を引っ込めると大智の腕を引っ張って来た。
「なんですか?」
「見付かると面倒だ。話なら隠れていてもできる。ダイチも隠れろ」
大智は伸ばしていた体を戻すと、説明を求めるようにナタリーの顔を見つめながら言った。
「何がどうなってるんですか?」
「カネサダは姉のキクコの思い通りにはならないっていう意志を示す為に男装を始めたんだ。キクコは頭のネジがぶっ飛んでるんじゃないのかって思えるくらいの重度のシスコンでな。ジュンテンの次期当主には妹のカネサダをと周囲の人間達を説き伏せて回ってる。キクコは冷酷で完璧で抜け目のない鋭い女だ。あの年齢でジュンテンのすべてを掌握してるといって良い立場にいる。カネサダがあの姿に戻ってるって事はキクコに屈服したのかもな。カネサダの抵抗もこれまでっていう事かも知れない」
ナタリーがそこまで話すと大智の方に向けていた顔を正面に向け気だるそうに目を細めて沈黙した。
「それって、これからどうなるって事なんですか?」
大智は漠然とした不安を覚え顔を一度俯けてから僅かに上げると正面をじっと見据えているナタリーの横顔を見た。
「武部は廃部。ヒマワリは研究所へリターンされて、センコは学園に来なくなる。こんなとこじゃないか」
ナタリーが大智の方に顔を向け、大智の表情を確かめるかのようにじっと見つめて来た。
「皆に会えなくなるって事ですか?」
大智は自分をじっと見つめているナタリーの青い瞳を見つめ返した。
「このままだとそうなるかもな。ミーは武部の連中ともっと一緒にいたいって思ってるぜ」
「僕だってこのまま終わりなんて嫌ですよ。ナタリー先輩、兼定先輩は本当に屈服なんてしたんですか? 何か考えがあってああしてるとかじゃないですか?」
大智は兼定が自分の前で見せていた強さにすがるような思いでそう言った。
「なるほど。確かに聞いてみてから判断した方が良いのかもな。カネサダに何を考えてるのか直接聞きに行くか」
大智はナタリーの言葉を聞いて自分の耳を疑いながら口を開いた。
「今、直接聞きに行くって言ったんですか?」
ナタリーが大智の方に顔を向け、悪戯っ子が何か新しい悪戯を思い付いた時に見せるような笑みを顔に浮かべた。
「殺されはしないだろ。カネサダと話をしておいた方がセンコが来た時に動きやすくなるかも知れないしな」
「そうかも知れないけど、この状況ですよ? そんなに簡単に会いに行っちゃって良いんですか?」
大智とナタリーの会話を斬り裂くように校庭の方から爆発音が鳴り響いた。
「ワッツハプン」
ナタリーが飛び上がるようにして立ち上がり窓の外を見た。大智も急いで立ち上がり、ナタリーの横に並ぶようにして校庭を見た。
「戦子」
大智は数体の量産ボディ達が向日葵を取り囲んでいる様子を見て戦子の名を叫んだ。
「戦ってるようだな。本社の連中の乗ってた車が火を噴いてやがる。センコの奴、なんでミー達の所に来ないで戦闘を始めたんだ?」
向日葵を取り囲んでいた量産ボディ達が向日葵のサイコキネシスによって一体また一体と破壊され始めた。
「ナタリー先輩。戦子が、戦子が、壊されてる。行きましょう。戦子の所に行ってあげないと」
大智は言いながら振り向き教室の前の方の出入り口に向かって駆け出した。
「戦子」
教室の前の方の出入り口から量産ボディが一体教室の中に入って来たのを見た大智は安堵と嬉しさを感じながら戦子の名を呼びつつ足を止めた。
「ヘイ、センコ。なんですぐにミー達の所へ来なかったんだ」
ナタリーが言いながら量産ボディに向かって歩いて近付いて行った。
「戦子。今、他のボディ達がやられたけど大丈夫?」
大智は気遣うように言いつつ止めていた足を踏み出すと量産ボディに駆け寄った。
「拘束目標発見。ただちに確保します」
量産ボディが映画やアニメに出て来るような典型的なロボットの声と口調で言うと新たに三体の量産ボディが教室の中に入って来た。
「戦子? 何言ってんの?」
大智は心底驚きながら目の前いる量産ボディの顔を見つめた。
「ダイチ。どうも雰囲気がおかしい。センコに何かあったんじゃないか」
ナタリーが警戒した様子で教室内に入って来ているすべての量産ボディから距離を取るように窓の方へとさがった。
「ナタリー先輩。何言ってんですか。戦子。そんな冗談は良いから、普通に話してよ」
大智は身を挺して自分を逃がした所為で戦子が消えてしまったのかも知れないと思い不安に心を慄かせながら言った。
「抵抗はしないで下さい。抵抗をしなければ身の安全は保障します」
大智の言葉に答えるようなタイミングで別の量産ボディがやはり典型的ないかにもロボットだというような口調と声で言った。
「ダイチ。一旦さがれ」
ナタリーが言った瞬間、三体の量産ボディが素早い動きで大智に肉薄し大智の体を六本の腕で絡め取るようにして拘束した。
「戦子? 冗談なんだよね? でも、この状況で、これはやり過ぎだよ」
大智は拘束された事によって肩や腕の関節やその他の量産ボディの腕や体が当たっている部分に痛みを感じていたが、その事に触れると戦子との関係が壊れてしまいそうな気がして怖くなり何も言わなかった。
「ダイチ。抵抗はするな。抵抗したら何をされるか分からないぞ」
ナタリーがゆっくりとさがって行き、窓とその下の壁に背中を付けた。
「ナタリー先輩。僕はここで戦子と話をしてから行きます。僕の事は構わずに先に行って下さい」
「ダイチ、あくまで信じるんだな」
「早く行って下さい」
大智が言い終えるとすぐに窓から新たに三体の量産ボディ達が空を飛んで入って来た。
「ミーに近付くな」
窓から入って来た三体の量産ボディ達がナタリーを取り囲み、ナタリーに向かって腕を伸ばした。大智は戦子に対する思いをぶつけるように全身全霊を傾けて大きな叫び声を出した。
「戦子。頼むからやめて。お願いだ」
教室内を突風のように吹き抜けた大智の叫びは量産ボディ達には届かなかった。量産ボディ達は動きを止めなかった。
「ソーリーセンコ」
ナタリーが一体の量産ボディの腕を片方しかない腕で取ると柔道の教本に載っている写真のような美しいと形容のできる動きと姿で一本背負いをした。一本背負いされた量産ボディが別の量産ボディ二体にぶつかり巻き込んで一緒に床の上に倒れた。
「ダイチ、すぐ助けるからな」
ナタリーが大智と大智を拘束している三体の量産ボディ達の傍に駆け寄って来ると、一体の量産ボディの背後に立ち背中に向かって腕を伸ばした。
「ナタリー先輩。僕は平気ですから、行って下さい」
「ドンウォーリーダイチ。ミーはこいつらの緊急停止スイッチの場所を知ってるんだ」
ナタリーが言ったのとほとんど同時に、ナタリーの前に立っていた量産ボディが音もなく突然頭をだらりと前に向かって垂らしたと思うと大智の体を拘束していたその腕からも力が抜けた。
「どうだダイチー。ミーって凄いだろ?」
ナタリーが得意満面な笑みを顔に浮かべながら、停止した量産ボディの隣の量産ボディの背後に移動した。大智のちょうど正面の位置に来たナタリーが量産ボディの背中に向かってまた腕を伸ばした。
「ナタリー先輩。後ろ」
ナタリーの背後に一体の量産ボディが近付くのを見て大智は叫び声を上げた。
「オーケーダイチー」
ナタリーが体を回転させて薙ぐように中段前回し蹴りを放つと、ナタリーの背後に近付いて来ていた量産ボディの腰部に蹴りが当たり量産ボディが横に数十センチ飛んで倒れた。
「ダイチ。ウェイトアセカンド。ここにいる奴らを全部先に黙らせる」
ナタリーが蹴りで倒した量産ボディに近付いてしゃがむとちょうど上を向いていた背中に向かって手を伸ばした。窓と教室の前後にある出入り口から十数体の量産ボディが入って来た。
「ナタリー先輩。早く行って下さい。凄い数が来ました」
ナタリーが蹴りで倒した量産ボディの緊急停止スイッチを操作し終え立ち上がった。
「ダイチー。そんな声出すな。大丈夫だ」
ナタリーが言いながら周囲を見回した。
「前言撤回って奴だな。ダイチ、ソーリー。これはいくらミーでもヘビーウェポンなしじゃ無理だ」
ナタリーが片方しかない手を使って、お手上げという格好をジェスチャーで作った。
「確保完了。連行します」
お手上げという格好をしている間に拘束されたナタリーと既に拘束されていた大智は窓から外へと連れ出された。
「どこへ行く気だ」
「ナタリー先輩。あれ見て下さい。量産ボディだらけで、向日葵がいない」
向日葵が上に立っていた巨大戦子の残骸は百体以上はいるであろう大量の量産ボディ達に覆い尽くされていた。
「ヒマワリはやられたみたいだな。あいつら、残骸と合体してってやがる」
巨大戦子の残骸とその上を覆い尽くしている量産ボディ達がそこかしこで溶け合うようにして合体して行っている様子が大智の目にも入って来た。
「そんな、向日葵は、向日葵はやれたんですか? 戦子は? 戦子はどうなったんですか?」
大智は右隣を量産ボディに抱えられて飛行しているナタリーの方に顔を向けると言葉を出しながらその言葉を自分で確かめるように聞いた。大智達を輸送している量産ボディ達が降下を開始した。
「すぐに聞けると思うぜ」
大智達を輸送している量産ボディ達が巨大戦子の残骸の傍にとめてある破壊されていない黒塗りのワゴン車の前に着地した。