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俺が恋に気付くまで

作者: 雪原黒耀

 俺は加藤陸斗(カトウ・リクト)

 スポーツクラブのインストラクターをしている。


 学生の時、水泳で全国大会に出場するほどの実力だったが、上を目指すわけでもなく、大学卒業後まわりのヤツらと同じように就職した。

 新卒で有名商社に勤めていたが、その仕事の内容は俺には合わなかった。

 そんな理由で俺は会社を辞め、今現在次の転職先を決めるまでの間、スポーツクラブでバイトをすることにした。


 スポーツクラブに来る会員は、朝から夕方の時間帯はどちらかと言えば主婦や年配の方が多く、夕方からサラリーマンやOLなど若い人が多い。

 できることなら夕方からの勤務が俺的にも嬉しいのだが、腰掛けバイトの身・・・。そんなワガママは聞き入れてもらえない。

 俺のような若い男のインストラクターは会員の奥様方に大人気のようで、事務長の独断でそーゆー時間帯にシフトインされている。

 俺より2つ年上の先輩インストラクター林原さんは、熟女好きだからウハウハだけどね。


 俺?

 俺はフツーに同じくらいの歳の女の子がいいよ。出来ればスタイルが良くてカワイイ子希望!


 でもさ、会員に手を出すことは厳禁だから。罰金払って更にクビだから!

 そんなリスク負ってまでこんな所で女の子物色するつもりもないし。

 ていうか、対象になるような女の子なんて、俺の勤務時間に存在すらないけどな。

 だって、周りはおばさん…コホン、奥様方ばかりだから(泣)。


 トレーニングルームでマシンの操作を教える位ならまだマシ。

 俺が水泳得意だからって、スイミングのインストラクターまでやらされているんだけど、これが本当に最悪!


 ご想像通り、教える生徒は奥様方。

 スイミングだから水着着用なわけで、俺は奥様方からセクハラを受けている。さりげないボディタッチは当たり前で、水中でモロに股間に触ってくるエロばばぁ…ゲフンゲフンッ、エッチな奥様がいらっしゃる。


 マジでこんなアルバイト辞めてやろうと事務長に辞表を出したら、金を握らされた。

 特別手当を付けるから、辞めないでくれって…。俺目当ての奥様方がかなりいらっしゃるとか。だからこのままスイミングのインストラクターも続けるようにお願いされた。


 本当はとんでもなく嫌だけど、俺も金には弱かった。

 セクハラと金を天秤にかけ、まだ金で我慢できる範囲だったしな。

 ストレスを抱えながらも、俺はバイトに励んだ。


 そんな時、若い女が俺のレッスンに加わった。俺より2つ年下の子。

 奥様方に囲まれセクハラ三昧の俺にとって、彼女は…。

 …癒しにもならなかった。


 彼女は奥様方と同じくかなりふくよかな体型。ウエストにはくびれの「く」の字も無い。ピチピチだけどプリプリでパンパンだ。

 目の保養にもなりゃしない。


 彼女の名は真崎加奈子(マサキ・カナコ)

 ダイエットを目的にうちのスポーツクラブに入会したようだ。


 俺の説明を真面目に聞き、不格好ながらも一生懸命泳ぐその姿。ハッキリ言って、溺れかけの子ブタみたいで笑えた。


 彼女は奥様方のように俺に過剰なスキンシップをしてくるわけではない。媚びも売ってこない。ただ真面目にレッスンを受けるのみ。

 それこそ俺に見向きもしないんだけど…。


 なんかそれってちょっと悔しい気もする。

 俺に魅力が無いって言われているみたいでさ。言い寄って来られても嫌だけど、無関心なのも腹が立つんだな、これが。俺ってワガママ~(笑)。


 奥様方にはほとんどしない俺からのスキンシップを彼女にさりげなくしてみたが、それでも全く反応なし。

 俺…自信無くしそう…(泣)。


 彼女は何も悪くないけど、俺は彼女を自分のストレスの発散に使うことにした。


 奥様方から受けたセクハラを彼女で晴らす。

 かなり厳しく指導する俺は傍から見ればスパルタコーチだ。泳ぎのフォームを教える振りををして、彼女の体を触りまくる。

 彼女の体はプニプニで柔らかい。なんだろ、この感覚。すげー気持ちいいんだけど。


 そんな俺を見ていたのか、帰り際事務所で先輩の林原さんに呼び止められた。

 そして俺は忠告を受けた。


「お前、真崎さんのこと好きなワケ? 罰金だよ、罰金! それにクビになるぞ。」


 紙パックのコーヒーを飲みながらニヤニヤする彼はすげー楽しそうで、どう見ても忠告してる顔じゃない。


 俺が彼女を好き? んなわけあるはずねぇって!

 あんなおデブちゃん、完全に許容範囲外だ。


 俺はタイムカードを打ちながら林原さんに言った。


「何言ってるんスか。 アレはただのストレス発散対象物ですよ。」

「ひでーこと言いやがるなぁ。」

「俺が日頃どれだけストレス感じてるか分かってます!? そりゃ、林原さんは熟女好きっスから、天国かもしれませんけど!」

「そ、俺にとっちゃマジで天国だね。」


 嫌味で言ったつもりなのに、林原さんには通用しなかった。

 一回マジで地獄を見せてやりたい!


「でもさ、お前完全にセクハラしてるよな。 訴えられても文句言えねーぞ。」

「大丈夫っスよ。あの子、何にも言わないし。あれがセクハラだって気が付いてないんじゃないっスか?」

「ふ~ん…。」


 林原さんはストローを噛みながら窓の外に視線を向けた。

 その視線の先にはコロコロと今にも転がりそうな真崎さんがいる。暗くてもすぐにその体型で彼女だと分かる。

 彼女は足早に車に乗り込むと、そのまま帰って行った。


「あの子すげー真面目だよな。」

「そーっスね。」

「毎日来てるよな。」

「そーっスね。」

「必死だよな。」

「そーっスね。」

「…。」


 林原さんは俺を睨んだ。


「お前、それしか言えねーのか?」

「…スイマセン。」


 俺の謝罪は棒読みだ。だって、別に悪いと思ってねーし。


「俺さ、あーゆー子結構好きかも。」

「え? 林原さんってデブ専なんスか?」

「お前なぁ…、言葉を選べよ、言葉を!」


 林原さんはさっきより更に険しい表情で睨んできた。

 すいませんねぇ~、俺素直だから言葉なんか選べないんスよ。

 林原さんは窓際から移動し、空いている事務員の席に勝手に座った。そしてイスの背に持たれながら、俺を見上げた。


「俺は見た目で判断してんじゃねーよ。あの子さぁ、かなり従順だろ? 素直だし。 教えたこと一生懸命覚えようとするし、まさに生徒の鏡だよな。そーゆーのって、可愛いと思わねーか?」

「思いませんね、全く。」

「お前、一辺死んで来い!」


 いやいや、死んだ方がいいのは先輩っスよ!

 俺らがそんなどうでもいい言い合いをしてると、事務長の佐々木さんが戻ってきた。


「おやおや、何じゃれ合ってるんだい?」

「「じゃれ合ってなんかいません!」」


 林原さんと息が合ってしまったことに思わず嫌悪してしまう。最悪だ…。


「誰のこと話してたんだい?」

「真崎さんのことですよ。」

「真崎ちゃん?」


 事務長は林原さんの言葉に、珍しく反応した。

 この人、かなりひょうひょうとしていて掴みどころがないんだよな。いつも何に対しても興味を示さない人なんだけど…。


「事務長、なんっスか、その親しそうな呼び方は。」

「え? だって僕、真崎ちゃんと仲いいし…。」

「「はぁ?」」


 それはとても意外な答えだった。


「真崎ちゃんってさ、人懐っこくて明るくて、すごくいい子なんだよ。」

「なんで、そんなに彼女の事知ってるんですか?」


 ほんわりという効果音が付きそうな事務長の笑みに、俺は目を疑った。初めて見たよ、この人のこんな優しそうな笑顔…。

 普段から言葉遣いは丁寧で優しそうだけど、瞳はいつも冷めてて何考えてるか分かんない人だもんな。


「あれ? 言ってなかったっけ? 真崎ちゃんって原田さんの部下なんだよ。」

「原田さんって誰っスか?」


 聞き覚えのない名前に首を傾げれば、事務長は詳しく教えてくれた。


「ほら、アサヒ企画の営業さんだよ。こないだ会員募集の広告でお世話になっただろ?」

「あぁ! あの印刷会社の!」


 林原さんは知ってるようだけど、俺には全く分からない。印刷会社の営業とか言われたって、そんなの俺には全く関係ないからね。

 だって俺、出勤と退勤の時しか事務所に来ねーし、タイムカード打つしかここに用事なんてないからさ。

 俺と違って、林原さんはよくここでサボってるようだけど。


「…俺、分かんないっス。」

「加藤君は会ったことないかもね。真崎ちゃんは原田さんの紹介で入会したんだよ。」


 どうやらあのおデブちゃんは、会社の人の口利きでここに入会したようだ。それって少しはサービスとかあるんだろうか? まぁ、どうでもいいけど。


「彼女、いつも受付の時に話しかけてくれるんだよ。受付の子にも聞いてごらんよ。」


 事務長の瞳がキラキラと輝いているように見えるのは、気のせい? 今頃気が付いたけど、この人意外とイケメンだな。


「僕はさ、結構真崎ちゃんの事気に入ってるんだけど、君たちはどうなの?」

「俺は可愛いと思いますよ。」

「だよね~! 加藤君は?」


 キャイキャイとはしゃぐ二人を横目に、俺一人だけスゲェ冷めてる。


「俺は別に普通っス。」

「僕的には思いっきりストライクなんだよね、彼女。」


 俺のこの低すぎるテンションに、目の前の二人は気付いちゃいない。だから思わず毒舌になっちまった。


「あれ、事務長ってデブ専なんっスか?」


 これ言うの二度目だな…。


「加藤君、君かなり失礼だね。僕はぽっちゃりした子が好きなんだよ。ガリガリのスレンダーより、肉感的な方が魅力的だろ。あと数年したら、君らだって分かるようになるよ。」


 何年経とうとも、俺にはその感覚分かんないと思うっスけど。


「でも事務長っていくつでしたっけ? 俺らより結構上でしたよね?」


 ふと今気付いたように、林原さんは言った。そう言えばこの人…見た目は若いけどかなり上だったはず。


「…35だけど、何? いいんだよ、恋愛に年齢なんてないんだから。」

「まじっスか…。」

「大人の魅力で攻めるから。」


 事務長のその言葉に、俺達は苦笑いしか浮かばなかった。


「会員と恋愛は禁止だったんじゃないんスか?」

「君らのようなチャラチャラした恋愛ごっこは禁止だけど、僕のような真剣な恋愛はOKなの。 分かるかい?」


 なんだよそれ! 俺がチャラチャラしてるって? チャラ男はマダムキラーの林原さんだけだろ? 一緒にするなっつーの!

 内心憤慨する俺の気持ちなんかお構いなしで、事務長のテンションは高いままだった。


「あ、そうそう! 今度みんなでバーベキューするだろ? あれ、真崎ちゃんも呼んだから。なんだか今から楽しみだなぁ。」


 俺、今無性に転職したくなった…。




 バーベキュー当日、集合場所はスポーツクラブの駐車場。


 当日になって急にその時間が変更になった。

 食材調達に向かっていた事務長の車が渋滞に巻き込まれ、1時間くらい遅れると林原さんから連絡を受けたけど、俺以外の参加メンバーは事務員の子が電話連絡している。

 俺はその待ち合わせ時間より、30分ほど早く集合場所に向かった。


 俺と林原さんはバーベキュー道具の準備担当。

 クラブの倉庫に道具一式放り込んであるらしく、それを車に詰め込まなくてはならない。

 林原さんに聞いたことだが、このバーベキューは毎年恒例の行事らしい。でも、今年はかなり特別のようで、花火大会もあるらしい。

 なんだ、ただの花火か…なんて思ったら、それは大間違いだから!

 家庭用花火セットのようなこじんまりしたものだけでなく、なんと本格的な打ち上げ花火まで打ち上げるらしい。

 この打ち上げ花火は、「煙火打場従事者」という資格が必要で、さらに警察・消防署に届け出をしないとならないそうだ。

 なんか良く分かんないけれど、事務長がスゲー張り切っちゃってるみたいなんだよな。

 車に全て詰め込むと、俺達は駐車場へと車を回した。


 駐車場にはもうすでに数人集まっている。

 そういえば、俺らが来る前から真崎さんの車が停車していた。だけど本人の姿は見えない。どこに行ったんだ?


 事務長の車が駐車場に入ってきた。彼の車は四輪駆動のゴツイ外国製。事務長のくせに金持ってるよなぁ。

 彼は車をいつもの定位置に停車し、降りてきた。

 助手席から降りてきた人物に俺は驚いた。なんとあのコロコロの真崎さんだ。


 入会当時より少しスリムになってはいるが、相変わらず俺の目にはデブにしか見えない。まぁ、入会してまだ3週間しか経ってないけどね。あの体型から言って、かなり食いそうじゃね? ほとんど肉食われちゃいそーじゃん?


 それにしても、事務長ってちゃっかりしてるよな。狙った獲物は逃さないのか、いつの間にか彼女の隣をしっかりキープしてやがる。


 みんなで車数台に乗り込み、目的の川原へと移動すると、俺達はバーべキューの用意を始めた。

 一応スタッフが主催者側だから全て準備し、その間会員には適当に遊んでてもらうんだけど、真崎さんはスタッフに交じって手伝いをしてくれた。野菜や肉を切ったり、焼いたり、スタッフ以上に動いていた。


 そして、人の世話を焼くばかりで自分は全く食べていない。


「食べないの?」


 俺がそう聞くと、彼女はニッコリ笑った。


「食べますよ。でも、ダイエット中だから少し自粛してますけど。」

「でも、金払ってるんだし、その分しっかり食べないと!」

「そうですね。よかったら私の分まで食べてもらえます? 私、この匂いだけでお腹いっぱいになりそうですから。」


 確かに、この肉の焼けるニオイは涎が垂れるほど良い匂いだ。白飯だけでも何杯かイケる。でもやっぱり何か食べないと腹は減る。この匂いだけでお腹いっぱいだなんて、そんなことないだろ?

 それに彼女はスタッフではなくゲストだ。お客さんだ。俺らスタッフみたいにタダでこのイベントに参加している訳じゃない。きちんと別会費を払って参加してるんだから、その分はちゃんと食べて貰わないと。


 俺が何とかして彼女に肉を食べて貰おうと苦悩していると、事務長がニコニコしながらやって来た。


「真崎ちゃん、ビール持って来たよ。ちょっと休憩してこっちで一緒に飲もうよ。」

「もうちょっと焼いたら休憩しますね。だから先に飲んでてください。」


 にこやかな表情を浮かべながらも事務長は、俺に鋭い視線を向けた。分かってますよ、あんたの言いたいことは!


「俺、代わってやるよ。ちょっとだけでも食ってきなよ。」

「でも…。」


 渋る彼女から菜箸を奪い取り、取り皿に焼けた肉や野菜を盛って渡した。


「いいから。ほら。」

「ありがとうございます。じゃぁ、少しだけ交替お願いします。 え~っと…。」


 彼女はちょっと困ったように眉をハの字にして俺の顔を見上げた。じっくりと顔を見たのは今日が初めてかもしれない。美人とは程遠いけど、ぽっちゃりした愛嬌のある顔だ。丸みのあるその顔は少し幼くも見え、可愛いと言えなくもない…かもしれない。まぁ、俺にしてみれば圏外のなにものでもないけどさ。


「私、真崎加奈子です。よろしくお願いします。あなたのお名前教えて頂けますか?」

「!?」


 え~っ!? 衝撃が走った!

 何この子、俺のこと知らなかったの? あんなに毎回、手とり足とり腰とり色んな事やってるのに!


「どうかされました?」


 首を傾げながら俺を見上げる彼女はきょとんとしている。全く悪気も何も無さそうで、それが反対に俺を深く落ち込ませた。


「いや、何でもないっス…。俺、加藤陸斗。」

「加藤さんですね。」


 ほんわりとしたその笑みに俺は愛想笑いで返し、その場をやり過ごした。内心はすっごく傷付いてるんだけどな。


「真崎ちゃ~んッ!」

「あ、ちょっと待って下さい! すぐに行きますから! じゃぁ、ちょっと行ってきます。」

「い…行ってらっしゃい。」


 俺が菜箸を奪った時点でしっかりと座る場所を確保しに行った事務長に呼ばれ、彼女はトテトテと走って行った。うん、あれは走ってるんだと思う。普通の人でいう小走りというやつだ。

 彼女の肉付きのよい背中を眺めながら、俺は大きな溜息を吐いた。


 事務長の笑顔がとってもギラついている。あれはまるで獲物を前にした狼だ。今まで肉を焼いていた彼女の髪や服には、食欲をそそる匂いがこれでもかと付いている。まさに、ご馳走だろう。童話に出てくる子ブタを思い浮かべながら、俺はカクリと項垂れた。


「あれ? どうした?」


 奥様方のお相手をしていてかなりご機嫌な林原さんが、ほろよい加減でビール片手にこっちにやって来た。林原さん、あんたマジでマダムキラーだな。マダム達があんたを視線で追っかけてるよ。

 ショックと呆れのダブルコンボできっと俺は今、魚が死んだような目をしているに違いない。


「俺…立ち直れねェ…。」

「何があった?」


 あまりにも俺の落ち込み様に、林原さんは本気で心配するように俺の肩を掴んだ。


「俺ってそんなに影薄いか? あんなにスパルタでセクハラでスゲー印象深いヤツだと思うのに、俺のこと名前さえも知らねーなんて…。」

「え、何? もしかしてお前、真崎さんに覚えてもらって無かったの?」

「…信じられねェ。」


 言葉に出してみれば、更に落ち込む。マジで信じられねーよ、まったく!



 翌日のレッスンから俺は彼女に対してのセクハラ行為を更にエスカレートさせたのは言うまでもない。


 平泳ぎがうまくできない彼女にフォームを教える振りをして背後からピッタリ密着した。足の動きをマスターさせるという名目で、プールの縁を掴ませ、後ろから足首を掴んで股を開かせた。それだけでは足りず、プールサイドに上半身だけ俯けにし、下半身はそのままプールの方へと足を投げ出すような体制にし、陸上で平泳ぎのフォームを練習させた。

 勿論俺は彼女の後ろから彼女の足を掴んで動かしている。大きくその足を開脚させ、彼女のあられもない姿を見つめている。


 それでも彼女は何も文句は言わなかった。

 彼女が何も言わないから俺は更にエスカレートする。


 自分の股間を彼女に押し付けてみたり、さりげなく胸を揉んでみたり…。自分で言うのもなんだけど、俺って本当に最悪な男だと思う。


 俺がひどいセクハラをしていることを知っている林原さんも、いつからか彼女にセクハラをするようになっていた。林原さんから告白されるまで知らなかったことだが、それを知った時俺は彼に対して怒りを感じた。自分の事は棚に上げて…。


 ひどいセクハラを俺達から受けながら、彼女は必死にレッスンを受ける。ただ綺麗なフォームで泳ぎたいその一心で。

 そんな彼女の一生懸命さや従順さ、素直さに今更ながら心が動かされた。


 彼女の体型はその頃になるとかなり見れるものになってきた。ウエストのくびれが現れ、余分な脂肪も徐々に取れてきた。

 事務長から聞いた情報によると、彼女はこのスポーツクラブ以外に、食事制限や、ランニングもしているらしい。だからだろうか? 彼女の体型の変化は普通の人よりかなり早かった。


「加奈子ちゃん、女らしい体型になってきたよなぁ。ダイエットしてるのに胸の大きさ、柔らかさは全然変わんないし…。お尻も触り心地いいしさぁ。」


 林原さんはそう言って、胸を揉むような手付きをした。

 いつからなのか彼女を名前で呼んでいる。

 そんな林原さんを見て、俺はイラッとした。あんたマジで最低だ!そして俺も…!


 俺はレッスンの時、彼女に言った。


「水泳は週3回位が一番ベストだよ。筋肉を休ませる日も必要だ。それに色んなインストラクターから指導を受けることはあまりお勧めしない。インストラクターによって癖があるから、フォームがまとまらないことがあるんだ。だからこれからは俺のレッスンだけ受けるように。分かったね?」


 彼女は一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐにコクリと頷いた。

 翌日から俺の指示通り彼女は俺のレッスンしか受けないようになった。

 別に彼女が好きだからとか、そんな気持ちなんかない。ただ、俺以外の誰かに手を出されるのが嫌だった。

 独占欲? よく分かんねーけど、彼女にセクハラするのは俺だけで充分だ。



「お前、加奈子ちゃんになんか言っただろ!」

「何のことっスか?」

「しらばっくれてるんじゃねーよ! 加奈子ちゃん、俺のレッスンに出なくなったのはお前のせいだろ!」

「別に俺、林原さんのこと何も言ってないっスよ。」

「お前さ、加奈子ちゃんのこと好きじゃないんだろ? だったら俺とレッスン日代われ!」

「嫌っス。俺だって色々予定あるんスから、他の曜日は絶対無理っス。」


 林原さんがしつこく突っかかってくるけど、俺はそれをかわし続けた。


 俺だけが彼女を教えるようになって、数週間経過した。

 彼女は俺のスパルタ指導のおかげもあって、綺麗なフォームで泳げるようになった。そしてそのスタイルも均等の取れた素晴らしいものになった。

 だからと言って彼女のことを好きになった訳じゃない。一応俺の許容範囲に入ることができた…それだけのこと。俺に特別な感情は無い。たぶん…。

 あの独占欲のような気持ちは健在だけどな。


 だからまだセクハラも続いている。

 許容範囲に入ったからなのか、俺のが反応するようになっちまった。股間を押し付けただけで、反応しちまう。そして反応したそれを擦りつけたり…。

 最低なことをしてるって理解してっけど、それを止めることはできなかった。



 スイミングクラスには進級テストってやつがある。俺は初級クラスを担当しているが、他に中級・上級がある。

 同じ時間帯に同じプールで各レッスンは行われているが、今回の進級テストが終わったら俺は中級クラスを担当しようと思っている。

 真崎さんが初級を合格することが確実だからだ。これからもずっと俺が手取り足取り教えてやりたいし…。


 奥様方からもぜひ中級クラスでも指導して欲しいとお願いされたことを理由に事務長にお願いすれば、意外とあっさりOKを貰えた。

 事務長には俺や林原さんが彼女にセクハラをしていたことは内緒にしている。

 知られたら、絶対クビにされそうだし…。


 事務長は相変わらず彼女に好意を寄せているようで、時々色んなお誘いをしているらしい。

 先日は日帰り旅行に誘っていた。勿論それはまたスポーツクラブ主催の行事。今度は社員旅行みたいなもんで、一般会員は誘わない。

 事務長の特権で勝手に誘ったみたいだけど、彼女からは「用事があるから」とお断りされたらしい。

 それでも事務長は諦めず、一方的に彼女におみやげを買ってくる約束をしたようだ。そして強引に彼女の携帯番号やアドレスを聞き出したらしい。…必死だな、おい。

 スゲー必死なイケメン事務長の鬼アプローチにも、全くなびかない彼女もかなりのつわものだと俺は思う。



 真崎さんは予想通り中級に進級した。

 そして俺も中級クラスを受け持つことになった。


 だけど彼女は俺が指導する中級に一度も参加しなかった。彼女は未だに初級クラスにいる。

 隣のコースで泳いでいるからすれ違いざまに彼女に声をかければ、思ってもいなかった答えが返ってきた。


「私には無理です。」


 今まであんなに頑張ってきたのに、無理なんてことは絶対ない。それなのに、彼女は今以上を目指そうとしない。


「大丈夫だよ、一緒に頑張ろう? 俺がきちんと教えてあげるから。」

「もういいんです。今のままで充分ですから。私には皆さんのように一気に100mも泳ぎきる体力もありませんし…。」


 中級クラスは初級クラスと比べ、確かに泳ぐ距離が2倍以上だ。勿論その速度もかなり速い。一気に100mなんて当たり前だし、それを何本も繰り返す。

 彼女の体力なら二、三日はキツイと思うけど、すぐに慣れるはず。だから俺は彼女に中級に参加するように何度も説得した。


「そのうち、中級に移りますね。」


 しつこい俺の説得に、彼女は苦笑いしながらそう言った。

 その後、彼女は中級クラスには来てくれなかった。


 彼女にセクハラ出来ない日が続き、俺は我慢の限界にきてしまった。彼女を見ると抱き付きたくなるのは、禁断症状なのかもしれない。

 そして俺が取った行動は、初級クラスのインストラクターに彼女に中級を受けるよう口煩く勧めてもらうことだった。

 だけど結局彼女は俺のクラスに来なかった。

 そしてスイミング自体も参加しなくなり、今日はスポーツクラブにも顔を出さなかった。


 彼女がいないだけで、なんだかポッカリ胸に穴が空いたような気がする。

 彼女がいないと、バイトもつまらない。

 こんなに彼女の存在が俺にとって大きなものになっていたなんて、自分でも信じられなかった。




「お疲れっした!」


 いつも通りタイムカードを押し、俺はスポーツクラブを出た。

 普段ならそのまま車に乗り込み帰宅するんだけど、真っ直ぐ帰る気にもなれない。

 俺がしつこく中級クラスに勧誘したせいか、それともセクハラしすぎたせいか…。彼女が来ないのは俺のせいのような気がする。

 このまま彼女がスポーツクラブを辞めてしまったら、もう彼女に触れることもできない。自分がしてきたことで彼女を追い詰めてしまったのかもしれない。

 彼女に会いたくて、彼女に触れたくて、俺はいても経ってもいられなかった。

 だからそのまま街に出た。

 もしかしたら会えるかもなんて都合のいい期待をしているわけじゃない。彼女の面影を別人でもいいから見つけたかったのかもしれない。


 必死にその面影を探していたら、彼女に似た人を見つけた。

 あれ…? 俺、目がおかしいのかもしれない。目に映るその人が俺が求めていた本人に見える。俺の願望が幸せな幻を見せているのかもしれない…。

 これって、かなり重傷だよな。そう思いながらも俺は彼女に近付く。

 そして声をかけた。

 人違いでも構わない。もっと間近で彼女の面影を感じたかったから…。


「真崎さん!」


 俺がそう声をかけると、彼女は振り返った。少し驚いた顔…あれれ?


「あ…、こんばんは。」


 はにかんだように笑う彼女は、紛れもなく俺が会いたかった彼女だった。

 見たところ、彼女はスポーツクラブに行くような鞄は持っていない。確認のために彼女に聞いた。


「今日は来ないの?」


 もしこの後彼女が『行く』って言ったら、俺もサービス残業ってことで戻ろう。

 彼女は俺から目を逸らし、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ええ、もう行かないと思います。」


 そう口にした彼女の言葉に、俺は一瞬眉間に皺を寄せた。


「え!? もう行かないってどういうこと? 辞めちゃうの?」

「一応、目標達成したので、今月いっぱいで退会しようと思ってます。」

「…。」


 退会…それは俺が一番聞きたくなかった単語。

 目標達成なんて言っちゃってるけど、それって言い訳っていうか誤魔化しじゃないの? 本当は俺が嫌だからとか…。

 目の前が真っ暗になるような気がした。


「加藤さんには色々とお世話になりました。 綺麗なフォームでかなりの距離を泳げるようになったのは加藤さんのスパルタのおかげです。スパルタ過ぎてちょっと泣きそうでしたけどね(笑)。本当に今までありがとうございました。」


 明るく言ってるけど、それってやっぱり俺のせいだよね? 俺、泣きそーなんだけど…。だけど、簡単には諦めきれない。俺ってしつこいからね。


「え~っ、せっかく完璧な泳ぎ方をマスターしたのに? ねぇ、これからはもっと優しく教えてあげるから、辞めないでよ。」

「あはは…。泣きそうだったなんて冗談ですから、そんなに気にしないでください。加藤さんのスパルタは私にとって最高でしたから!」

「ねぇ、本当に辞めちゃうつもり?」

「…はい。ごめんなさい。」


 彼女の意志は固いようで、何を言っても無駄だと感じた。

 クラブを辞るのは決定事項で、もう止められない。それなら、クラブ以外で彼女に接触するようにしなければ。そうしないと、今日この場所が彼女との別れになってしまう。そんなの、嫌だ!


「謝らなくてもいいよ。真崎さんがそう決めたなら、俺は何も言えないし。」


 俺は小さくため息をつきながら、どう彼女との関係を繋ぎとめておくか必死に考えた。でも数秒という短時間では、考えてもいい案は浮かばなかった。

 俺は一度コホンと咳払いをして、色々策を巡らして考えることを諦めた。それならもう、開き直って本心を伝えよう。


「あのさ…よかったら連絡先教えてくれない?」

「え…?」


 嫌いだって言われたら元も子もないんだけど、一か八かの賭けに出ることにした。


「俺、真崎さんの事、好きになっちゃったんだ。」


 俺の突然の告白に、彼女はビックリしていた。


「俺、一生懸命でひたむきな君が好きなんだ。だからこれからはインストラクターと会員じゃなくて、友達として付き合ってくれないか?できれば彼氏がいいんだけど…。」

「…。」

「だめかな?」


 真っ直ぐに彼女を見つめた。

 一応、友達という選択肢も付け加えてみた。だって、やっぱりハッキリ断られたくなかったからさ。何とかして繋がっていたい…例えそれがただの友達だとしても。繋がっていれば、これからでもその関係はいいものに変わる可能性だってある。まぁ、俺の努力次第だけど…。


 じっと彼女の返事を待っていると、彼女は徐々に顔を赤らめた。


「…だめじゃないですッ。友達からでよかったら、これからも仲良くしてください。」


 その言葉を聞いて、俺は胸を撫で下ろした。

 友達って選択肢を入れておいて良かった…。


「やっぱり、友達からかぁ。ま、いいか。真崎さん、これからもずっとよろしくね。」


 俺はそう言って彼女に手を差し出した。


「はい。」


 顔を赤くしながらも微笑む彼女は、そっと俺の手に自分の手を重ねた。

 柔らかくて温かな彼女の手に、胸が騒ぐ。

 繋いだ手のように俺と彼女の関係も一応は繋がった。

 きっとこれが俺と彼女の関係のスタートになるんだと思う。彼女の事をハッキリと意識し、それを言葉にした今この時から俺は次のステップへ進むべく動き出す。


 彼女と一緒に笑いながら、俺はその手をギュッと握った。


 絶対俺に振り向かせてやる。そう心の中で俺は誓った。





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