第九十一話 地下暮らしの差別主義者! 安定志向!
クラリッサはオブルニアでは珍しい線の細い女性で、眼鏡、作業用のエプロン、ロングスカートという格好。細身だが騎士であるカカリナと並ぶと、いかにも研究者という華奢なシルエットが浮き彫りになる。
どこか逞しい印象のあるオブルニアの民の中で、このたおやかさは素晴らしいギャップだ。頭はいいだろうに、いきなりカカリナに抱きついてしまううっかりさんぶりも大変よろしいと思います。
「クラリッサとわたしは、幼なじみなんだよ。歳はちょっとクラリッサの方が上なんだけど、よく泣いてたのは彼女の方だった」
「もう、カカリナ。人前でそういう話しないでよ……」
そう言いつつ、にこにこと人の良い笑みを浮かべて幸せそうなクラリッサ。
この雰囲気は……確実にキマシタワーが必要ですね。
俺たちは、図書館内にある個室に通されていた。
本だけでなく、大がかりな拡大鏡や、薬品なんかもある、作業場といった趣の部屋だ。
小さなテーブルを挟んで俺、グリフォンリース、キーニが並び、対面の長椅子にクラリッサとカカリナが揃って座っている。
十分な広さのある椅子ではあるが、クラリッサの座っている位置は、ずいぶんとカカリナ側に偏っていた。
カカリナに対してだけ回復量が多い謎は、まあだいたいこれが答えだろう。
ただ、当のカカリナは、普段はクーデリア皇女の可愛さに鼻の下伸ばしてるくせに、クラリッサの隣では「?」みたいな、すっとぼけた顔をしてる。
「そ、それにしても本当に久しぶりね。前に会ったのは一月前くらいかしら」
「そうか? 三日くらい前じゃなかったっけ?」
「違うわよ。前はもうちょっと頻繁に会いに来てくれたのに……」
「おかしいな。昼休みに会ったと思ってたのに。まあいいじゃないか、そんなことは」
「そ、そんなこと……。そんなこと……。う、うん、そうね……うう……」
なのに何で全然デレないんだよ、コイツは……。
クラリッサの何がお気に召さないっていうんだ?
きちんと申し上げておきますと、クラリッサは、とても美人のお姉さんだ。
いや、美人というより、可愛いと言った方がより的確かもしれない。
タレ目で胸も大きく、顔かたちは整って大人びているのだが、ちょこちょこ眼鏡を直す仕草や、肩をそわそわさせている様子が、年端もいかない女の子のようで愛らしい。
それなのにカカリナめ……。鈍感主人公気取るとか、許さんよ俺は。
ふと、カカリナはすぐ横を向いて、真面目な顔をクラリッサに近づけた。
「今日は大事な話があって来たんだ」
「だっ……大事な話って……!?」
ビクンとして背筋を伸ばすクラリッサ。
ああ、何を期待しているのか丸わかりですわ。
「陛下から話を賜っているだろう? 彼がコタロー殿。〈導きの人〉だ」
「えっ……あっ……ええ……」
クラリッサがすんすん鼻をすすりだしたのを見て、俺の口は自然と動いていた。
「カカリナ。クラリッサに謝って」
「えっ?」
いきなり言われ、カカリナは目を白黒させる。
「いいから。とりあえずクラリッサに早く謝っテ」
「……えっ、え? 何だかわからないけど、クラリッサ、ごめん……」
「えっ、ちょっ……な、なに? コタローさんも、な、何のことかわからないわ……」
我に返り、あたふたと手を振り回すクラリッサ。さすが、反省値も高い女。
「た、確かに大宮殿から連絡を受けてるわ。ここにいる研究員たちにも通達は行っているはずだから、必要な資料は自由に使って」
クラリッサの説明によると、基本的に閲覧自由だが、貴重な資料は奥の書架にしまわれている場合が多いので、探す際は自分に一声かけてほしいこと。貸し出しはできないが、写す分には問題ないこと。気がついたことがあったら何でも相談してほしいこと、などなど。
だが、実を言うと、俺の最大の興味は、別のところにあった。
「クラリッサ。この図書館の地下封印について聞きたいんだが」
「えっ!?」
クラリッサはずり下がった眼鏡を慌てて直す。
「よ、よくご存じね。さすが〈導きの人〉……」
「地下封印? 何かあったっけ?」
カカリナが問いかける。
「もうっ。前に教えてあげたでしょ。ここの地下には、帝国がまだそう呼ばれるより前に作られた古い施設があるのよ。とても危険な場所だから、過去の皇帝によって立ち入り禁止にされているけれど」
「ふうん。何の施設なんだ?」
悪びれた様子もなく続けて質問するカカリナは、クラリッサの前では何だか妙に子供っぽく見える。そして、やれやれといった様子で答えているクラリッサはやたら嬉しそうだ。
このへんが、二人にとっていつもの距離感なのだろう。
「わからないわ。調査は長いことされていないし、入れる人員も限られている。コタローさんが知っていることだって、とても希有なことよ」
「そうか。コタロー殿、そこを調べたいのか?」
俺はうなずいた。
が、クラリッサは残念そうに首を横に振る。
「残念だけど、コタローさんたちはそこを通ることはできないの」
「どうしてだクラリッサ。コタロー殿たちには、あらゆる手段を用いて協力するよう、陛下から仰せつかっている。出し渋りはよせ」
たしなめるようなカカリナに、クラリッサはため息混じりに答えた。
「一緒に来てもらえればわかるけど、コタローさんたちでは決して地下には入れないの。ここでそれができるのは、わたしとカカリナだけよ」
言葉の意味がわからず、カカリナは俺たちに不思議そうな顔を向けた。
グリフォンリースとキーニが同じ顔を作る中、俺だけが、すでにその答えを知っていた。
「ここを通れるのはオブルニアの血統者のみである。異民族は速やかに去るべきである」
帝国図書館の地下。薄暗い石組みの部屋の奥に、青白い輝きを纏った扉があり、その中央に張りつけられた目玉が俺たちを睥睨して、そう告げた。
「ひえ……。何でありますか、これ。気持ち悪い……」
と、グリフォンリースちゃんが気味悪がる一方で、
《すごい》《自己判断能力を持った封印》《今の魔法系統とは別の、失われた式を使ってる》《かっこいい》《さすがオブルニア》《あれほしい》《部屋につけたい》
古代魔法の研究家としての血が騒いだのか、鈍い色の瞳に青白い光を照り返しながら、じっと扉を見つめているキーニがいる。
こいつはいわば、このダンジョンの番人的存在だ。
別にこいつ自身がそうであるわけではないのだが、「このロリコンどもさん」というあだ名がつけられている。
「ねえ聞いて。この人たちは世界を救う〈導きの人〉よ。この先に大事な用があるの。封印を解いてちょうだい」
クラリッサが、まるで人間を相手にするみたいに話しかけるが、
「ダメである。彼らは褐色の肌、緑眼のオブルニアの民ではないである。異民族を通すわけにはいかないである。即刻立ち去るである」
どこから声を出しているのか、目玉は速攻で拒絶を示した。ちょっとしゃべり方が怪しいが、ゲーム本編よりもちゃんとした受け答えをしており、本当に人格を有しているようにも感じられる。
「それはもうオブルニアの民の特徴ではないわ。〝平地の人〟の特徴を持つ者もいれば、獣人だっている。あなたの時代は古いの。もうちょっと柔軟に考えて」
「あり得ないのである。色白のオブルニア人などいるわけがないし、二本足で立つクマやワンコが人のはずがないのである。長い年月を経てオブルニア人がそこまでアホになったかと思うと、我、嘆かわしいである」
「もうっ、このわからず屋! 頭堅すぎよ!」
「かわいこぶっても無駄である。あと全然可愛くない」
「な、何よっ! 別にかわいこぶってなんかいないわよ!」
「婚期逃しそうである。むしろもう何度か逃してるである」
「ほっといてよ! うわあん」
器用にクラリッサと口げんかを始めた。この封印の人格、規則に関しては頭が固いかもしれないが、受け答えはかなり柔軟なのではないだろうか……。
「何を言われようと、ここを通れるのはおまえともう一人の娘だけである」
目玉がぎょろりと動いて、カカリナに向く。
「ん。わたしか」
「いかにもである。ン? おまえはオブルニアの騎士であるか。女が騎士を務める時代が来るとは、我、嘆かわしいである」
「ほう。なぜだ」
「戦に出る女は気性が荒く、家を守れぬ。家事は大雑把で、料理も雑である。そのような暴れ馬では男も寄りつかず、いつの間にかあっさり婚期を逃すであろう」
こいつ婚期にしか興味ないのか?
しかし口論にまで発展していたクラリッサとは違い、カカリナはあっさりとかわした。
「何だそんなことか。別に気にすることはない。わたしがいきおくれたら、クラリッサにでももらってもらうさ」
「ま、任せて!」
拳を握って反応するクラリッサ。
「…………。冗談だったので、そんなに力強く同意されると少し困るな」
「我も、今のは同意する場面ではないと思うである」
「ご、ごめんなさい……。すみません……」
天然百合たらしって怖いすね。
二人の意識の壁はともかく、俺たちがこの封印の壁を突破できないことははっきりとわかった。
ゲームでもここは特殊な場所で、全編を通じて、唯一主人公が立ち入ることができないダンジョンでもある。
この〈図書館迷宮〉に進入できるのは、なんとゲーム中、ただ二人のみ。カカリナとクラリッサだけなのだ。オブルニアでは獣人を仲間にすることもできるが、この封印はそれを断固として帝都の住人とは認めない。
褐色肌と緑眼のみを基準にしているからだ。
だが、彼女たちを二人で潜らせるわけにはいかない。
ここは普通のダンジョンではない。
地下に潜れば潜るほど敵が際限なく強くなり、ネットの動画で確認されている範囲では地下百二十一階が最高記録。
バグで最強&無敵化したバ火力パーティーを突っ込ませ、百二十一階で出会ったモンスターと65536ターンに渡る死闘の末、「パーティーは疲れ果てた……」という特殊メッセージを残して全滅したまでが人類の限界となる。
その戦闘での与ダメは、およそ四十四億。シューティングゲームの得点みたいな数値だが、それでも倒し切れなかった。要するにクリア前提で作られていないのだ。
証拠はないが百二十一階以降に到達したという情報もネットには点在し、強さのインフレはゲームの限界を超え、「ダメージを受けたらデータが飛んだ」とか「ディスクが本体から飛び出して壁に刺さった」とか「突然カーチャンが助走をつけて殴ってきた」などの怪奇現象と共に語られている。
そこまで深くは潜らないにしても、最低でもレベル50は必要なダンジョン。カカリナたちを挑ませるわけにはいかない。
しかし、オブルニア人の特徴を持たない人間は通ることができない。
「どうするでありますか……?」
不安げに聞いてくるグリフォンリースに、俺はあっさりと答える。
「ああ。なればいい。俺たちが、オブルニア人に」
褐色肌は健康的なイメージだけど、眼鏡でおしとやかなのも いいぞ。