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第八十五話 危険な出会い! 安定志向!

 チャートの試行錯誤を始めて少しして……。


「失礼します」


 重厚な作りの扉に落とされたノック音は、まるで小鳥のさえずりのように耳に良く響き、それでいて、決して騒々しくもなかった。つまり、ちょうどよかった。


「はい」


 と応じた俺は、書きかけのチャートを紙束の下にそっと隠し、扉を開けた。


 そこには、一人の少女がいた。


 丸く優しげな形の黒い目、ライトブラウンの髪はボリューミーで背中まであり、かなりの癖っ毛だ。

 年齢は俺より少し下に見える。ミグたちよりはほんの少し上だろうか、と比較してしまったのは、彼女が、三姉妹のトレードマークであるメイド服に身を包んでいたからだ。


「初めましてコタロー様。わたしはクルートと申します。ここでのコタロー様の生活のお手伝いをさせていただきます。どうぞよろしくお願いします」


 ぺこり、とお辞儀をする彼女に、俺も思わず頭を下げていた。


「こちらこそ、お世話になります」


 さすがは帝国仕込み。あどけない顔立ちの少女ではあるが、その佇まいや言葉の抑揚などは、普段素朴なメイドさんであるミグたちを見慣れている俺にとっては、格調高く、より洗練されていることが一目でわかった。


 それにしても、本当に見事な癖っ毛だな。


 …………ん?


 クルートの髪の一部がもぞりと動くのを見て、俺は思わず目を剥いた。

 ぴこっと立ち上がったのは、三角形の髪の毛――じゃない!

 耳、だ!


「…………!」


 ぴこぴこ動くそれに、俺は思わず手を伸ばしていた。


「あっ……」


 さわる。

 寒い夜に毛布にくるまったような温かさと心地よさが、指先からじんわりと体の方に流れてきた。

 なんという感触……。

 俺は毛のない内側は避けて縁の部分を指でなぞり、後ろ側をさわさわと撫でる。


「あっ、あっ……」


 うわー。一生さわってたいわ、これ。


 小さい頃、俺は服の袖のさわり心地が好きで、ずーっとそればっかさわってたという変態の兆しのような話をカーチャンから聞いたことがあったが、まったく記憶にないその行為を、今であれば理解できる。なんかハマるぞ、この毛の感触。


「あっ、あう、きゅう……。こ、困りますコタロー様……。こんなところで……」


 ハッ!


 気づけば、大きな瞳を涙ぐませ、真っ赤になった顔が、俺を下から見上げていた。


「すっ、すまん、つい……!」


 ばっと飛びすさる。クルートは恥ずかしそうに顔をうつむけながら、俺が触っていた耳を何度も撫でつけるようにして整え直した。


 そのとき、ふと、彼女の背後で翻るものが目に入る。

 彼女の髪と同じ、ライトブラウンの……何だ?


 俺が横にずれてそれを確認しようとすると、それに気づいたクルートが、慌てた様子で後ろに手を回し、後ずさりした。


「こ、これは……あの……」

「? それは?」


 何だ?


「静まれ、この、こらっ……ダメなのにっ……」


 何か小声で言いながら、必死に背後の何かを押さえようとしている。

 何だ? 以前の俺と同じように、右手とかに押さえられない力を秘めてる女の子なのか?

 我慢しきれず、俺はクルートに近寄って、彼女の肩越しに背後を確認した。


「あっ……」


 すると。


 彼女のスカートのお尻のあたりから、ふわりとした毛が一塊り、伸びているではないか!


 いや、もう変な言い回しをする必要はないぞ。これは尻尾だ!

 獣耳もある! ということはつまり……!


「クルートは獣人なのか」


 間違いない。ケモミミ、尻尾、それ以外は人間の少女となんら違いはないが、彼女は獣人なのだ。


「獣人は……おいやですか……?」


 さっきまでとは一転、悲しげな眼差しが俺へと向けられる。耳もぺたりと下がっていた。

 まずい! そうだ。彼女たちからすれば俺は〝平地の人〟で、ながらく獣人やオブルニアの人々を見下していた人種なのだ。勘違いされてはいけない!


「と、とんでもない! 俺は世間知らずだから、つい驚いちゃっただけだ。いや、嬉しいよ。こんな可愛いメイドさんが世話してくれるなんて。オブルニアに来たかいがあったなあ!」


 慌てて(ほぼ本心を)まくしたてると、クルートの表情はみるみる明るくなり、尻尾も左右に大きく振れ始める。


「よかった……。嬉しいです。本当に……。英雄様があなたのように優しい方で……」

「はは。英雄は一時的なあだ名みたいなもんだ。そのうち普通のコタローに戻るし、俺としてはそうなってほしい。帝国の将軍とか騎士の心意気には、到底及ばないからな」

「謙虚なんですね」

「正直者の方だよ」


 クルートの眼差しに羨望が膨れる。

 いやマジに、とっとと英雄の名前なんか捨てたいんだよ俺は。

 だって英雄って正義の味方と同じで、一度なったらもうかすかにも悪いことできないじゃん! カスとか悪党なら、良い行いも悪い行いも好き勝手にやっていいじゃん!


 いや、今はそんなことどうでもいいだろ俺!

 よく見ろ、目の前の少女を!


 俺は高鳴る胸をそっと押さえる。


 獣人メイドさんが目の前にいる! この重さ、『ジャイサガ』を深く愛した人間以外にどこまで通じるか!? 俺たちプレイヤーは、彼女と出会うために百年の苦悶を続けたのだ!


 唐突だが、愚か者たちの話をしよう。


『ジャイアント・サーガ』は時代遅れの2Dドットで表現されたレトロな世界だ。

 よくできたドット絵ではなく、粗いドット絵だった。どれくらい粗いかというと、鉄の塊であるグリフォンリースちゃんの頭がどこからどこまでかわからないくらい粗い。

 そこで俺たちは、やれカカリナが可愛いだの、シェリルのこれはスカートではなく前垂れだのと不毛な論争を日々続けていた。


 そんなある日、一つの問題が提起される。


 オブルニアの大宮殿にいる、一人のメイドさんについてだ。

 手抜きなのか何なのか、帝都にはメイドさんが一人しかいない。そして彼女は、他の国と同様の汎用ドットだった。


 この世界でこれまで見てきたように、オブルニアの民は褐色の肌を持つ。だが、ゲームの方では、カカリナのように専用ドットを持つキャラ以外、すべて汎用のドットが使われているのだ。クーデリア皇女ですら!

 だから、このメイドさんも誰に目をつけられることもなく、単なる流用キャラだと思われていた。


 ……が!


 ――このメイドさん、ケモノ耳付いてない?


 掲示板にこの疑問が投げかけられたとき、広大なネット界隈の、猫の額ほどの広さに棲むノミの目くらいの範囲でしか活動していなかった我々に、地球を貫通する巨大隕石が墜落したのと同じくらいの衝撃が走った。


 俺たちは――走った。

 テレビの前へ。


 艶のある最新鋭機の横で黄ばんでいた旧ハードの電源を押し、びにょーんという独特の効果音を持つ起動画面の中、待ちきれず狂ったようにボタンを連打した。


 そして、クリア済みのデータを呼び出し――確認した。

 本当か。本当なのか。俺たちはそんな重要なものを見落としていたのか。

 果たして、誰もが思う。


 ――微妙……と。


 あるといえば、ある。ないといえば、ない。

 その程度のものだった。だからこそ、今まで誰も言及しなかったのだ。


 ある者は、宮殿の床の模様とドットが干渉して、突起があるように錯覚しているのではないかと考察し。

 ある者は「俺のソフトは初期型だからはっきり見えた。が、さっきデータが飛んだので画像はあげられない」と小学生のウソばりの胡散臭さを発揮し。

 ある者は「ないと思うから見えないのだ。あると思うわたしには見える……見えるぞ!」と、瞑想の世界へと沈んでそれきり帰ってこなかった。


 こうして、オブルニアのメイドさんの騒動は、それ以上の膨らみを見せず、ほんの二日ほどで沈静化した。


 ここまでは、大した事件ではない。


 問題はそれからだった。


 この一件以来、〝ケモ耳メイドさん〟は、『ジャイサガ』でのプレイヤーのスタンスを計る上において、重要な標語として名を残すことになる。


 認めるのか、認めないのか。それはつまり、ロマン派なのか、現実派なのかの線引きでもあった。


 ロマン派は、現実派を「キャラのステの強さだけ見てパーティーを編制する心なきマシーン」と蔑み、現実派はロマン派を「計算のできないモンキーは、最後に残された自分の好き嫌いというアワレなほど薄っぺらな基準のみを拠り所にしてパーティーを作り上げるしかない」と、長々あざ笑った。


 全盛期をとっくにすぎ、プレイ人口がごくごくわずかしか残っていない過疎区にもかかわらず、いや、だからこそ、極限までこし取られた粋たる我らだからこそ、両者が和解できる余地はなかった。

 今でも、この話題が提起されると、ネットの一部で火炎の華が咲く。


 だがその戦い……終わったよ……みんな……!


 俺は万感の思いこめて、目の前のケモ耳メイドさんを見る。

 いたんだ。いたんだよ、本当に! ケモ耳メイドさんは!


 陰惨な憎みあいだった。相手の好きなキャラをディスるのは当たり前、中には白熱しすぎて、相手を罵る「カス」以外の語彙を失ってしまった者もいる。

 もうやめるんだ。ノーサイドだ。こうなってはもう勝ち負けはない。ケモ耳メイドさんがいる――これはロマン派も現実派も望んでいたことなのだ。それがあやふやだったから争いが生じたのだ。


 みんな。彼女はここにいる。俺たちはもう勝っていい。みんなで勝って終わらせよう、この戦いを。ケモ耳メイドさんは、ここにいるッ……!


「ク、クルート」

「はい?」

「その……さっきはいきなりで悪かったんだが、また頭さわってもいいか?」


 クルートは驚いて目を丸くしたが、


「……は、はい。コタロー様がそれを望まれるなら」


 と、頭を前に差し向けてきた。


「無理はしなくていいからな? いやならいやって言ってくれよ? さっきもの凄くさわり心地が良かったから、またさわりたいってだけで、個人的趣向以外のなにものでもないからな?」

「そ、そこまで言っていただけるなら光栄です。どうぞ、ご随意に……!」


 さらにずいっと前に出てきた頭に、俺はそうっと手を伸ばす。

 ふわっ。


「んっ……」


 ふわっ、ふわっ。


「……っ。んんっ……」


 くああああああ……。この……この天上のさわり心地は!

 俺たちのロマンを軽く超えていく、この優しくくすぐられるな感触は!

 俺たちを……すべての『ジャイサガ』プレイヤーを憎しみから解き放つ……それに足る、安らぎ……! この存在を……世界に伝えたい! オブルニア万歳! オブルニア万歳!


「あふ……ひゅぅ……」


 クルートも気持ちよさそうに目を細め、口はしどけなく半開きになり、尻尾も左右にぶんぶんで……。


 ――ハッ!?


 俺はクルートの頭を撫でていた手を止めた。

 何だ? 今何か、ゾクッときた!


 このレベル99の探索者であるコタローを、ここまで戦慄させるとは!?

 何者だ? まさか、恐るべき危機が帝都に迫っているのか――。


「…………ご主人、様…………」


 あっ。


 開いたままの、廊下に繋がる扉のところ。

 日没を受けて闇の溜まったその廊下に、それ自体が光を放っているかのように、青い二つの目が浮いて見えた。


 この圧力を俺は知っている。嫉妬と羨望と独占欲にまみれた薄暗い輝きは、グリフォンリ――いや!?


 今、俺の目の前にいる少女とよく似た格好。メイド服の。

 三姉妹の長女。ミグの姿が、そこにあった。


「何を――」


 小さな唇から、凍えるような声が漏れる。

 それは俺を耳から凍らせ、クルートに乗せた手以外を、冷気の淵へと叩き込んだ。


「しているのですか――?」


 我が家のメイドさんミグと、帝都のメイドさんクルート。

 出会ってはいけない二人が、ここに邂逅する。


※ お話の途中ですが、お盆とかその他諸々の理由で、一週間ほど更新が止まります。

  毎日読んでくださってる方は申し訳ありません!

  よければ、一週間後くらいにまたのぞきに来てやってください。

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― 新着の感想 ―
[一言] >はは。英雄は一時的なあだ名みたいなもんだ。そのうち普通のコタローに戻るし、俺としてはそうなってほしい。 この世界だと普通に称号リセットするみたいなバグが転がってそう
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