第八十三話 神へと至る道(物理)! 安定志向!
まず第一に言いたいことは――さっきまで、このバグは俺にとって歓迎すべきものだったということだ。
なぜなら、どこかのマップにいきなり謎の扉が現れてしまうこの〈不思議な扉〉バグは、〈停戦バグ〉を解消させた、もう一つのバグの成立と共に発生するからだ。
つまり間違いなく、世界は、俺が引き起こした時間の静止を抜け、動き始めている。
世界を動かしたバグ、それは、〈いきなり終盤バグ〉と呼ばれている。
以前、〈アパート買ったら世界滅亡〉というクソなバグが起こったことを覚えているだろうか。グランゼニスでアパートを買い、これから悠々自適の家賃収入生活だと思っていたのをぶち壊してくれた、あれだ。
あれは終盤のイベントの一つが突然やってくるというバグだったが、今回はそれをさらに拡大し、世界が、いきなり終盤の状態に差し換わるという内容になっている。
この〈いきなり終盤バグ〉は、ゲーム開始直後から発生の可能性がある。
偶発的に起こることはごく稀だが、しかるべき手順を踏めば、確実に引き起こすことも可能。
イベントや出現モンスターが終盤状態になるため、序盤でこれを引き起こせば、当然、ゲーム続行は不可能な難易度になる。
普通に考えれば、それは悲劇であり、クソそのものだ。
だが。
完全初期状態で終盤の世界に乗り込んで、ズタズタのメタメタにヤられたい! という、常人には理解できない欲求を持つプレイヤーにとっては、こちらが『ジャイサガ』の正史と言っても過言ではない。
その変態たちは、主人公たちがいかに悲壮な抵抗の末、無惨にやられるかのロールプレイを追究し続けた結果、完全初期状態のまま終盤イベントを完全制圧するチャートを発見するに至り、異形の歴史に名を刻んだ。
これは、変態が高じると逮捕されるかあるいは神域に至るという好例の一つであり、同時に、対策ゲーである『ジャイサガ』に仕込まれた異様なバランス感覚を裏付ける問答無用の根拠にもなった。
そんな由緒正しいこのバグを誘引することにより、静止した世界に、無理矢理終盤戦の時間軸を乗せ、擬似的に話が進んでいることにしてしまおう、というのが俺の計画だ。
〈停戦バグ〉の静止中にこれが起こるのは、もはや天文学的な不運の持ち主でもない限り、まずあり得ないのだが、女神様にかかれば百発百中。こうして世界は動き出した。
それはいい。それはいいのだ――(ここまでの所要時間、約〇・〇〇二秒)。
どうしてこうなった?
「えっ」
「えっ」
俺は固まった。
女神様も固まった。
どちらも、お互いがそこにいるのはおかしい、というアワレな概念に取り憑かれ、自分を見据える目線が、幻のものだと信じ込もうとしている。
女神様の肢体を一言で表すならば、神的な幼児体型だ。
体の凹凸は、ぎりぎり少女を始めたばかりといったところで、ひどくほっそりした、白い樹木のような美しさがある。
そんな彼女が身につけるのは、純白の、翼のような装飾の入った、おパンツのみ。
手にはちょうど、今取り外したばかりらしい、可愛らしいブラがあった。
「めっ……女神様っ……!?」
肩に乗っていたパニシードが甲高い悲鳴を上げたとき、俺は目の前の神様が幻でないと気づいた。
「なにいいいいいいいッ!?」
部屋から引き下がることも忘れ、納得できない思いをすべて吐き出す。
「なっ……!」
対する女神様は、裸を見られた恥ずかしさから悲鳴を――
「誰が72ィですかコタロー! わたしは73あります!」
悲鳴を上げるどころか、ほとんど裸の状態で俺に詰め寄ってきた!
なにその反応! え、なにその反応!?
迫り来る女神様の迫力に押され、俺は慌てて扉を閉めて退散した。
「こらっ、開けなさいコタロー! 訂正なさい!」
ドンドン扉を叩いてくる。
「えぇ!? 追ってくるのかよ! ちょっと待ってくれ、状況を整理させてくれよ!」
がちゃがちゃとホラー映画ばりに回されるドアノブを押さえつつ、俺は叫んだ。
「何で女神様がそこにいるんだよ! そこはキーニの部屋のはず……いや、そもそもこの扉は開かないはずで……どうなってるんだ!?」
「それはこちらの台詞です。断りもなく神の間に入ってくるとは! しかも言うに事欠いて72とは! よく見なさい、もっとある!」
「もっと見たら俺は社会的に死んでしまう! 神の間……! こ、この扉は神様の世界に繋がってるのか!?」
「だから何だと言うのです! この貧乳差別主義者! 大きいことはいいことだなどと一方的かつ偏った思想を掲げ、神すら冒涜しようというのですか、この愚か者! だったら悩みやウオノメも大きい方がいいのですか!? ほら完全論破!」
「してねえですよ! 何の関係もない!」
ダメだあ、この人、何か正気を失ってる!
とにかく落ち着かせないと……いや、この誤解を解かないと!
「勘違いするな、女神様! 女の子のおっぱいとお尻に貴賤なし! すべて貴い! 俺は全部好きだ! 全部可愛い! 当然、女神様のも可愛い! 人間が可愛いものの優劣を語ろうなどと、おこがましいとは思わんかね!」
どん、と一際大きく叩かれ、それきりドアは静かになる。
やがて、遠慮がちな声が聞こえた。
「……ほんとーですか。ほんとーに可愛いですか」
「あ、ああ。本当だ。だいたい俺の仲間はちっぱい率高いし。発育がいいのはグリフォンリースちゃんくらいで、あとはみんな慎ましやかだぞ。だが俺はそれを残念に思ったことは一度もない」
「…………。いいでしょう。その謙虚さに免じて、神の間に無断で踏み込んだことと、人の胸を72と決めつけたことは許しましょう。わたしは73ありますから」
「あ、ありがとうございます……」
念のために言っておくと、俺は「なにィ」と叫んだだけで「72ィ」と叫んだわけではない。この女神様、妙なコンプレックスに凝り固まってるのかもしれない。
「それじゃあ、話を聞いてもらえるか? 扉を開けるから」
「ええどうぞ」
俺は扉をそっと開けた。
パンツ脱いでる最中の女神様がいた。
「何でだよ!」
俺は思いきり扉を叩き閉めた。
「騒々しいですね。何ですか?」
扉の奥から不機嫌そうな声が聞こえてくる。
「どうしてパンツ脱いでるんだ! 扉開けるって言っただろうがよお!」
「だから何だと言うのですか。あなたが扉を開けるのと、わたしが着替えを続けることに、どんな不都合な理があると?」
「いや、女の子が男の子の前で全裸はまずいだろ!」
「神ですから」
「理由になってない! ――いや、ちょっと待てよ……」
そういえば、昔、人間が人間を奴隷としてこき使っていた頃、使役する側の人間は、奴隷に裸を見られても少しも気にしなかったという話があるらしい。
これは、シャレならんことに、奴隷を人間として見ていなかったからだ。動物や虫に見られているのと同じ感覚だったからだ。
女神様も、そういう感覚で人間を見て……?
「ああ、解放感、解放感。服というのは窮屈ですからね。やはり全裸が一番です」
「ただのヌーディストだった! ただのヌーディズムだった!!」
なんなんだ、この女神は! デウス・エクス・マキナ兼、俺を社会的に殺す死神か何かなのか!?
「そもそもどの服もわたしにサイズが合わないのが悪いのです。裾は引きずるし、袖は長くて手が出ない。こんな不便なもの、どうして発明したんです?」
「知らねえよ服の起源なんて!」
「さあコタロー、話があるならさっさとなさい。きちんとわたしの顔を見て。まさか扉越しなどと無礼なことはしないでしょうね?」
再びがちゃがちゃとドアノブを回してくる。
「ま、待て、待って! 開ける。開けるから、何でもいいから服を着てください。お願いします! そうしないと会えない!」
「はあ……。仕方ないですね」
必死の祈りが功を奏したのか、扉から身を引く気配があった。俺はほっとする。
「パニシード、女神ってのは、いつもこんななのか?」
「こ、こらあなた様! こんなとか言わないでください、いくらこんなでも。わたしまで一緒に怒られるじゃないですか! 触らぬ神に祟りなしという名言を知らないんですか!?」
「パニシード、聞こえてますからね?」
「ぴぎぃ!」
泡を吹いて肩から転げ落ちたところを、俺が両手で受け止めてやる。この失言放題のパニシードを許してやってるあたり、女神様ってコンプレックスに関わること以外はすげー心広いのかもしれない。
「着ましたよ。入りなさい」
「は、はい。失礼します」
ペンギンの着ぐるみを着た女神がいた。
「だから何でだよォ!」
「うるさいですね。まだ何か気にくわないというんですか?」
ペンギンの胸のあたりから露出する、女神様の顔が不機嫌そうに言った。
「いやあの、当初の願いは十分に叶えられたんだが、どうしてペンギンの着ぐるみなんか……?」
「何だっていいと言うから、何だってよさそうな適当な服を着たのです。それが何か?」
「それ服じゃない。着ぐるみ」
「何だって同じですよ。見た目が違うだけです。それにしてもやはり服は動きづらいですね。まったく……」
不満げな顔で、手足をパタパタさせる神。
マジで言ってる。この人、服にこだわりがないとかいうレベルじゃねえ。服の違いがわかってねえ。短パンをウサギ型獣人の帽子だと言っても信じるんじゃないのか?
が。
「……まあ、確かに。同じだな」
俺は鋼の意思で自分のツッコミをすべて封殺しきることに成功した。
本当は「なんでやねん」って突き飛ばして、ひっくり返ったままジタバタする女神様を見たかった。それも我慢した。
別にいいさ、目の前にいるのがペンギンの着ぐるみを着た女神だって。何が困るっていうんだ。全裸より全然困らないのだから、それで話を進めるべきだ。何でペンギンの着ぐるみが神の部屋にあるのかなんて、全然気にならないのだ。絶対。
俺は改めて部屋の中を見回した。
さっき耳にした、神の間という単語。
その環境を一言で表すなら、白一色。
執務机らしきものがあるが、それはシンプルな直線で構築された、半透明な石の塊にも見えた。四方は壁に囲まれているが、その壁もガラスのように半透明だ。天井がなく、上には快晴の空を思わせる青一色の世界が広がっている。
足下は、やはりガラスめいたタイルが敷かれている。靴底を介して伝わる感触はそれなりに堅い。
空の上のどこかにあるガラス張りの部屋――想像力の欠如した俺が咄嗟に思いついたのはそんなイメージで、そこから目線をペンギンに戻すと、その場違いさがより鮮明になって、ツッコミの衝動を胸の中にうずかせた。何とかこらえる。
「この扉は、女神様の部屋と繋がっちまったのか?」
「そのようですね。また不条理を操作したのですか?」
じろりと俺を睨む女神。残念ながらまだ十分な睡眠は取れていないらしく、目の下にクマが残っている。
「いや、これは、俺が前に女神様に頼んだバグの弊害だ。本当は扉に見えるだけで行き来はできないはずなんだが……いや、あるいはできていたのかもな」
開かない扉の先には神がいた。
ゲームにおいて、調べた瞬間に生じる停滞は、ロード時間ではなく、神の姿を見たことへの戸惑いや恐怖から、主人公の理性がその記憶を拒否した末の空白だったのかもしれない。
だとしたらちょっと怖い話である。
しかし、ロマンの結末として案外悪くないと思うのは、俺だけだろうか。
それはともかく。
「まいったな。この扉を消す方法はないんだ。女神様、消せるか?」
「別に消す必要もないでしょう」
ペンギン少女……じゃなくて、女神様は意外なことを言った。
「あなたは、その扉のむこうで生活しているのでしょう? 何か用があればすぐに会える。以前のように、時空を切り離し、神を受け容れるだけの場を作らずとも。便利だとわたしは思いますよ」
「くぴっ……」
意識を取り戻しかけていたパニシードが、ビクンと仰け反って泡を吹き始めた。
ひどい追い打ち――いや、死体蹴りを見た。隣の部屋に上司が住んで、いつこっちに出てくるかわからないとなれば、こうもなろう。
「それにこの扉、普通の人間には通るどころか、目にすることもできないものです」
「そういえば、パニシードには見えてなかったな。扉を開けてからは、認識できたようだが」
「では、そちらの人々がうっかりここを通過して、混乱することもないでしょう。コタロー。あなたはこの女神と直接約束をした身。何か助けが必要ならば、こちらとしても手をさしのべるのはやぶさかではありません」
そっか。女神様の力を借りることを考えると、確かにこの神へと至る道は、残しておいても便利かも。
「わかった。この扉については、このままでいくことにしよう。何かあったらよろしく頼む」
「引き受けましょう」
ペンギンのぺらぺらな手が、着ぐるみの腹をぺんと叩いた。
「それじゃあ俺はそろそろ戻る。あんまり長居すると、むこうが騒ぎになっちまうから」
「また会いましょう」
「ああ。また」
俺は神の間から、帝都へと戻る。
ああは言ったものの、隣の部屋に神様が住んでるのはメリットだけではなく、デメリットも大きい。
彼女は俺を味方だと信じて疑ってないようだが、俺は彼女を裏切る気満々なのだ。
言われるがまま魔王を倒したりなんかしない。
扉一枚しか隔てていないとなると、ひょんなことからそれを悟られる可能性もある。
これからの言動にはより注意しないとまずいようだ。
……あの女神様が、そんなに鋭いとは思えないが……。
窓を開けたら隣家に住むヒロインの部屋と直通、なんて設定が懐かしいです