第八十二話 ふしぎなとびらのむこうには! 安定志向!
グリフォンリースたちは、他の〈魔王征伐団〉の合流を待って、ザンデリア皇帝のいる大宮殿で謁見式をやるそうだが、俺は誰かのスケジュールに縛られることもない。
というわけで、俺を皇帝と繋いでくれた恩人であり、今回、住まいまで提供してくれるという天使、クーデリア第七皇女に挨拶に向かうことにした。
「よく来てくれました。コタロー……」
部屋に入るなり、彼女は俺の袖口をはっしと掴んで、豪奢な椅子のところまで案内してくれた。
以前と違って、ここは謁見の間ではない。小宮殿内にある、親しいごく一部の者のみが入れる彼女の私室だ。足首まで沈み込みそうな分厚い絨毯が敷かれ、瀟洒な暖炉や調度品があり、大きな窓があり、本棚があり、そして何よりも、帝国の姫という偶像に近いクーデリアが醸し出す、一人の少女としての生活感があった。
ちなみに、寝室は別にあるらしい。
椅子に座らせられた俺は、クーデリア皇女と指先だけの握手のような、かすかなスキンシップを交わしながら、強ばった声を出した。
「お、お久しぶりです。クーデリア様。お元気でしたか」
「はい……。あなたがわたしを訪ねてくれるのを、今か今かと待っていました……」
ささやくような優しい声にも、興奮が見て取れる。
「クーデリア様は、コタロー殿を停戦の英雄として、とても慕っておられるのです」
カカリナがニコニコしながら言う。よかった。ここで嫉妬のオーラをまき散らすようなヤツじゃなくて。
「あなたは帝国の、そしてお母様の過ちを正してくれました。この恩を、わたしたちは決して忘れてはいけないと思います。困ったことがあったら何でも言ってください」
「あ、ありがとうございます。こんな立派な宮殿に住まわせてもらえるだけで十分です。そ、そうだ、みんなも挨拶を」
俺が目線を投じると、クーデリア皇女もそれにならい、茫洋とした目を、部屋の入り口のあたりにいるマユラたちへと向けた。
「コタローの妹ですか? そっくりな顔が四つもあります」
「彼女たちは俺の家族です。ええ、その……。メイドとそのまとめ役で、彼女がマユラ。それと三姉妹のミグ、マグ、メグ……」
紹介される順に、行儀良くお辞儀をしていく少女たち。何やら、俺の知らない作法が入っているようで、ナイツガーデンでしっかり習ってきたのかもしれない。
「そして彼女はキーニ……っておい、何してるんだ」
キーニは部屋の隅にうずくまって震えていた。
《消える》《消えたい》《なにこのお城》《お姫様も異常に可愛い》《どうしてわたしこんなとこにいるの?》《もっと洞窟みたいなところに住まわせてくれればいいのに》
コミュ障つらいね。偉い人とかに会いたくないよね。俺だって、パーティーで一緒に歩き回った経験があるからまともに応対できるけど、初見だったら無理ゲーだよ。
俺が心の中で涙していると、クーデリア皇女はそんな彼女を訝ることもなく、楚々とした足取りで近づき、震えるその手を取った。
「人が怖いのですね。わかります。わたしもそうだったから」
「えっ……」
皇女の意外な言葉に、キーニが驚きを露わにした。
「でも大丈夫。ここにあなたを傷つける人はいません。あなたはあなたらしく振る舞っていいんです。わたしが必ず守りますから」
「あっ……ああ……」
抑え切れぬ涙のように、キーニの口から音がもれる。
《ああああああ》《癒される》《優しすぎる》《慈悲深い》《天使様では?》《ああでも》《まぶしすぎる》《いくら光でも》《太陽は見つめられない》《助けてコタロー》《あああああ》《しょわあああ……》
クーデリア様待って! このままじゃキーニちゃん浄化されちゃう! 天に召されちゃう!
天使からの祝福に、ガクブル状態になったキーニをどうにか復活させた後、積もる話は後にして、ひとまず離宮に案内してもらうことになった。こちらが山旅で疲れていることを見越した、皇女の心遣いだ。
クーデリア皇女も同行し、道中、ミグたちと俺の普段の素行についての話をしていた。
「わたしは毎日ご主人様を起こしてさしあげています」
「そうなのですかミグ。寝起きのコタローはどうなのですか?」
「はい、姫様。起こしに来たわたしに、とても優しくしてくれます。時には、そっと手を取って甘い言葉をかけ、それから……」
「ゴクリ……」
ミグちゃんやめようかあ!? それは君の妄想だからさあ! クーデリア様とカカリナも顔赤くして真剣に聞くのやめて!
離宮へは、宮殿本体から、屋根付きの通路を通って行く。
学校の、校舎から体育館へ行く道を、レベル1000くらいまで上げて豪華にしたら、似たようなものになるんじゃないかな。
クーデリア皇女の住まいと比べるともちろん小さいものになるが、豪華さでは同格であり、中庭付きで、そこにはプールのような四角いため池があり、中心部に小さなテーブルと椅子を備えた休憩所まであった。
「ここには緑があるのだな」
マユラが庭を満たす植物を見てつぶやくと、クーデリアは首肯し、
「ええ。三つ山を越えた土地に生える高山植物を持ち込んでいます。きちんと手入れをすれば、ここでも花が咲きます」
帝都に着くまで荒涼とした山岳地帯をひたすら歩いてきただけに、この庭は山の頂を一つ越え、天空庭園といった趣すらある。
離宮内部の作りは、小宮殿とよく似ていた。
「ねえ、お姫様~。外から見えたあの高い塔はどこにあるの~?」
メグが気安く話しかけても、クーデリアは怒るどころか、口元に自然な微笑を浮かべて応じる。年齢が近いからなのか、単に大らかなのか、皇女と三姉妹の相性はいいようだ。
「離宮の尖塔は、展望台として使えます。この通路を進んで、螺旋階段を上った先です。が、今は先にあなた方の部屋へ行きましょう」
「はあい」
俺たちに割り振られた部屋数はおよそ十。
数だけ見ればナイツガーデンの屋敷の半分くらいだが、ここは本邸ではなく、あくまで宮殿敷地内にある離れだ。同じくくりでは語れないだろう。
ここは将来、クーデリア皇女が家族を持ったときに、その人たちを住まわせる予定で建てられたものだという。
今はまだ本来の役目を果たすときではなく、姉たちや、ごく近しい者を泊めるときにだけ使われる、お客様用の宿泊施設として利用されているそうだ。
カカリナが教えてくれた部屋割りに従い、各人が中を確認する。
ミグたち三姉妹は、偶然にも複数人が泊まるための部屋があったので、そこを使わせてもらうことになった。
「うおう……」
自室の扉を開けた俺は、とりあえずアホ面を晒した。
部屋の内装は、クーデリア皇女の私室とよく似ていた。恐らくはこれが、帝都でもっとも高位の人間に与えられる景観なのだろう。
「見ろよパニ。あのベッド、偉そうに屋根がついてるぞ」
俺より偉い気がする。家具のくせに。
「うう……。喜んでる場合ですか。きっと今も、女神様はわたしたちを監視してるんですよ」
パニシードは、女神と会って以来、ずっと浮かない顔をしている。彼女の贅沢志向からすれば、この生活はついにキタという感じなはずなのに、上司から見張られている限りは、くそ真面目を装っていなければいけないのが、真面目系クズという人種の宿命だ。
バレたんなら開き直るのも、心の平穏を保つコツなのだが……。まあ、そううまく切り替えられないのが性格というものか。
「あれ……」
俺はふと違和感を覚える。
この部屋に一つ、あるべきであり、同時にないはずのものが目に入った。
扉。
すぐ隣はキーニの部屋になっている。
一見して、そこと繋がる向きに設えられた扉だ。
だが、妙。
デザインは廊下に繋がる扉と同じで、そこに突出した違和感はない。
おかしいのは……その扉の隙間から、光の粒がきらきらこぼれ落ちていることだ。
「パニ。おまえ、あそこに何か見えるか?」
俺は扉を指さしてたずねる。すると、
「はあ。壁でございますか? のぞき穴でもついていましたか?」
パニシードは素っ頓狂な答えを返してきた。彼女にはあの扉が見えていない。
あー。そういうことか。
こんな露骨に不思議な現象が起きたら、俺は、パニシードがすっとぼけているとか、幻を見ているとかより先に疑うべきものがある。
バグである。
さらに言うと、俺はこのバグに思い切り心当たりがある。
これは〈グラフィックチェンジバグ〉の一種で、特別に〈不思議な扉〉という絵本のタイトルみたいな名前がつけられている。
見ての通り、壁のグラフィックが扉のグラフィックに置き換わってしまう現象だ。
どこの壁がグラ化けするかはランダムなので、バグが発生しているのに最後まで気づかない人も大勢いる。
扉に見えるが実際はただの壁なので、もちろんそこを通過することはできない。
……のはずなのだが、この扉には少々奇妙な特性がある。
調べようとすると、一瞬の〝間〟があるのだ。
この間は、『ジャイアント・サーガ』ではごくありふれたもので、フラグによって一人のキャラに複数の台詞なんかが用意されている場合、この一瞬の間が挟まって、状況に応じたテキストが表示される。
つまり、データをロードする間なのだ。
ここにもそれがある。
では、もしかすると、何らかの条件を満たしたらこれが開くのでは……?
そう考えた多くの『ジャイサガ』プレイヤーは、その条件を模索すると平行して、この謎めいた扉に〈不思議な扉〉と名付けた。
先鋭的な中二センスではなく、かの『不思議の国のアリス』にちなんだ、あえて牧歌的なネーミングを行った。
いつかこの扉が開き、我々を異世界へと導いてくれますようにと、子供のような気持ちで願って。
が、そんな人々の願いも空しく、扉の開放条件はまったく見つからなかった。数々のツールによってバグ解析が進んだ今でも、この扉が持つ一瞬の間が何を意味するかは判明していないそうだ。
今や、真実を追い求める者は減り、待ちわびる者も大半が去った。
そして俺は、扉とは関係なく異世界に来ちまった。
謎を解き明かすことは、もうできないのかもしれない。
しかし、それでもいい。
〈不思議な扉〉は不思議なまま。開いてしまったら、ただの扉だ。
開かない限り、これは永遠のロマンと、尽きることのない空想を俺たちにもたらしてくれる。いずれ俺たちがいなくなっても、ロマンはそこに、忘れ去られたデータの中に、ずっとあり続ける。
そう思いを馳せるだけで、俺たちの胸は甘美な痺れを味わうのだ……。
いかん。ものすごく気持ち悪く酔ってしまった!
『ジャイサガ』プレイヤーはすぐ自分に酔う! これ豆な。
「まさか、元の世界に戻るための扉じゃないよな」
俺は適当なことをつぶやきながら、何とはなしにバグ扉に近づき、ドアノブを掴んだ。
………………。
手のひらは、金属の堅い感触を受け取った。
掴めるのか?
どうせ幻だろうとタカをくくっていた俺の神経が、奇妙な焦りを覚えて熱を持つ。
ドアノブに触れたら、回したくなるのが文明人のサガ。
俺はこれまで、『ジャイサガ』がゲームであるうちは判明しなかった、ささやかな謎と対面し、真相を見てきた。
ここでも、また、それが――?
回す。
扉が、開いた。
そこに。
「えっ」
「えっ」
半裸の女神様がいた。
開かない扉には惹かれる何かがあります
密室殺人の犯人も、ロマンを求めて扉を開かなくしたりしますもんね