第八十話 さよならナイツガーデン! 安定志向!
「あ、コタローさん。おはようございます」
「おはよう、クレセドさん」
エントランスでばったり行き会った彼女に、俺はいつもより深めにお辞儀をした。
同じタイミングで頭を上げたクレセドさんは、その曇りない目で、俺をじっと見つめる。
「こうしてお会いできるのも、あと少しなんですね」
「そう、だな……」
「コタローさんは可愛い女の子に囲まれてこれからもウハウハで、色気もない修道女たちの不在なんか気にもしないでしょうけど、わたしたちはちょっと寂しくなりますね」
「あの、俺も寂しいんで……もう少し言葉選びましょう」
最後までクレセドさんの〈ドラゴニックシンドローム〉は見られなかったな。いや、見ない方がいいのかもだけど。
それにしても聞いてくれましたか、皆さん。
コタローですよ、コタロー!
やはり馴染むッ! 自分の名前だから当たり前だ!
タタローとかキラキラネーム以下でしょ。まずキラキラしてないし。呪いって感じ。
いやあ、やっぱ女神様は神だわ!〈名前ズレバグ・危険度:人による〉を一瞬で解消して、俺をコタローに戻してくれた。願ってみるものですなあ!
「朝食の準備はもうじき終わりますよ。一緒に行きますか?」
「ああ。行こう」
ちゃんとした名前で呼ばれることの喜びは、胸の内にしまっておくとして。
ナイツガーデンからの出発は、もう明日に迫っていた。
グリフォンリースたち〈魔王征伐団〉が、オブルニア山岳帝都へと向かうのだ。
このナイツガーデンで過ごす最後の日。
今考えれば、ここでは毎日が特別だった。
だから今日も、いつも通り、特別に、そして何事もなく過ぎていく。
グリフォンリースはクリムと騎士院に。
ミグたちはこれまでの感謝を込めて、屋敷の掃除をしている。
クレセドさんたちは、今日もお勤め。変わらないことが大切だ。
リリィ姫とアンドレアは、そんなシスターたちに交じって、もう少しこの屋敷にいることにしたそうだ。社会勉強と、花嫁修業が一区切りつくまで。
パニシードは、死んだ魚の目をして、部屋で何か写経みたいなのをしてる。まあ、反省文の一種らしい。
そして俺は、キーニをつれて、ツヴァイニッヒの屋敷にいた。
《うさぎ》《うさぎ可愛い》《チンピラが拾ったの?》《雨の日に捨てうさぎを拾うのはずるい》《あざといのは許されない》
キーニが跳ねるうさぎを追って、のそのそと部屋を歩き回る中、俺とツヴァイニッヒとセバスチャンは、いつも通り、応接間で向かい合っていた。
「何度聞いても、信じられねえ話だよ。コタロー、てめえは本物の英雄になっちまった」
騎士院ではいまだにその話で持ちきりらしく、噂に尾びれだけじゃなく翼まで生えたか、俺が初代騎士公の末裔ではという話まで出てきているらしい。
背もたれに背中を預け、天井を仰ぐツヴァイニッヒは、あくまで親しい友達を家に招いた態度のまま。俺を英雄視する素振りも見せてはいない。
「悪巧みばかりしてる坊ちゃんの、53万倍立派でございますな。見習ってもっとましなことしたら? 失礼、本音が」
「うるせーが、53万倍は妥当だ」
どう計算して納得したんだよ……。
「一歩間違えば、大陸一の裏切り者だった。だが、てめえはそれを逆にした。大陸一の英雄とは……あー、利用しようにも、大仰すぎて扱いづれえよ!」
ツヴァイニッヒが頭を掻きむしり、足をばたつかせた。
「坊ちゃんが所詮小悪党であることが証明されてしまいましたな。掛け値なしに」
「失礼本音が、って言えや! クビにすんぞ!」
相変わらずの名コンビだ。これが見られなくなると思うと、結構寂しいな……。
「前も話したけどさ、俺だけの力じゃないよ。ツヴァイニッヒの協力あってこそだし、カカリナとか、クーデリア皇女にも力添えしてもらえたから、そこまでたどり着けたんだ。謙遜じゃない。事実としてそうだった」
「だろうよ。だが、もし帝都に行ったのがてめえじゃなかったら、この結末はあり得なかった。てめえの価値ってのは、そこに表れるんだ」
「確かに、人は一人では少ないことしかできません。みなの協力があってこそ、物事は成し遂げられる。それはコタロー様の言うとおりでございます。が、その、やるべき少ないことを十全にやり遂げるのは、実は非常に難しいことなのです。できて当たり前などということは、この世にはない。いずれ、当人の多大な努力が支払われているものなのです。あなたは、十分に力を尽くされた。それがこの結果を導いたのです」
「ど、どうも……」
ダメだな。何を言っても、二人の方がものの見方がわかってるから、無駄な謙遜にしかならない。おとなしく褒められておくのが正解だ。
最後まで、こんなだな。俺は。
「明日、ナイツガーデンを発つんだろ?」
ツヴァイニッヒが改まって言った。
「ああ」
「振り返ってみれば、てめえがここに来て二ヶ月くらいか。来るなり騎士院を騒がせた挙げ句、初代騎士公の遺品が評価されて俺の席順が一つ繰り上がるよりも早く、てめえは国をまたいだ英雄になって、そして出ていくわけだ」
「英雄なんて、〈円卓〉の席順に比べれば一時的なものだろ?」
どこか当てこするような態度のツヴァイニッヒにそう言ってやると、彼はニヤリと笑い。
「まあな。てめえの名声は花で、まだ実がねえ。つまり、それに伴う権力だとか、地盤だとかがな。そんなもん、いらねえと思うかもしれねえが。そうだな……もし、不本意にせよそれらを手にしちまったときのために、俺が秘訣をレクチャーしといてやるか。餞別にな」
「じゃあ、せっかくだし聞いておく」
俺はわざと軽く受ける。言葉に心がこもっていることは、お互いわかってるから。
「人を使うとき。まず、使う人間はよく選べ」
ツヴァイニッヒは、まず常識的かつ、当たり前のことから口にした。
「信用できる人間だけを使え。そんで、使い捨てには絶対するな。一蓮托生の覚悟で使え。切り捨てれば、てめえもそいつから切り捨てられる。忘れるな。てめえもその相手も人間で、なおかつどちらも人の世界に住んでいるってことを。もし、どうしてもそいつを切り離さねえといけなくなったら、安全な場所まで必ず逃がせ。そこまでがてめえの遂行すべき義務だ」
そういえば、ツヴァイニッヒは街道整備をしつつ、人が知らない色んな抜け道を調べてるんだったっけ。いざとなったらそこから逃がしてやる、みたいな発言もしてたかもしれない。
「そうやってようやく、てめえの中だけで〝集団〟ができる。これができねえヤツは、集団の一部になるだけだ。時勢に流され、時流に浮き沈みするだけの存在だ。巡り合わせで一度くらいは権力を手にするかもしれないが、その後必ず衰退する。周囲がどうあれ、揺るぎない力として存在するためには、てめえ独自の〝集団〟を備えておく、これが大事だ」
綺麗事じゃない。これは実務的な話だ。人間の心理と、世間の道理をほどよく組み合わせた理想的な処世術。理想とは言っても……努力次第で実現可能で、かつ、目の前のこの男はそれを実行している。
使う場面が来るとは思えないが、考え方として自分の中に組み込んでおくには、とても優秀な助言に思えた。
「てめえは兄貴に似てるから、切り捨てるタイミングさえ見誤りそうだが、そこは納得できるラインを自分で見極めるんだな。以上が、悪党からお人好しへ、人をこき使うときのアドバイスだ」
「ありがとう。勉強になったよ。ところで……」
俺は薄く笑って、今さらのことを告げる。
「この屋敷本当は、おまえとセバスチャンさん以外にも、結構人いるだろ?」
その一言は、少なくとも、この屋敷の時間を数瞬間は止めた。
「…………ハッ」
少し間を置いてから、ツヴァイニッヒは観念したように笑った。
「まあな。でも、誰にも言うんじゃねえぜ?」
なぜ? なんて聞くほど野暮じゃなく、俺はうなずいて返事とした。
レベル99の感覚が、屋敷の中で息を潜める何者かの気配を探り当てていた。
以前のレベルならまるで気づかないスニークぶりだ。
どうしてそれを秘密にしているのかといえば、それが単なる人見知りのメイドさんとかではなく、密偵だから。
この屋敷の周囲を見張らせている。
留守番のうさぎに話したことがツヴァイニッヒに伝わるのは、そういうカラクリだ。
自分のカードは伏せたまま。そしてカードを切った後も、手元にあと何枚あり、どういう性質のものなのか誰にも悟らせない。そういう戦略。
では、なぜカモフラージュ用にでも使用人を雇わないのか。
なぜうさぎなのか。
それは。
……そういう人間を囲うために、メイドさんとか雇うお金がない! だろう。
これは貧乏な小悪党の、涙ぐましい節約術でもあったのだ。
「また会いましょう」
目線はツヴァイニッヒに向けたまま、けれど意識はこの屋敷に潜む誰かに向けて言う。知らないうちに、俺はその人ときっと何度もすれ違っているだろうから。
はい、また。
声なき声が、そう応えた気がした。
※
その日、その朝。
昨日と変わらず上った朝日は、今日から変わる俺たちの屋敷を、いつもと変わらない光で包んだ。
エントランスには全員が集合している。
シスターたちもお勤めの時間を遅らせ、見送りにきてくれた。
「グリフォンリース様。必ずまたお会いしましょう。ご武運をお祈りしておりますわ」
「は、はい。リリィ姫。あの、そろそろ出発ですので、は、離していただいてもよろしいでありましょうか?」
「もう少しだけ、あなた様のぬくもりを感じさせてくださいませ。昨日一晩では、とてもたりませんでしたから……」
R18かな? グリフォンリースとリリィ姫は、ここに集まる前からほとんど新婚さんの気配だった。
「いい雰囲気ですね。わたしもコタローさんと同じことしてみようかな」
そんな二人を見ながら、クレセドさんが悪戯っぽく笑った。
「やっぱりやめます。別れ際になって初めて本当の気持ちに気づくなんて、悲しすぎますから」
「クレセドさん……」
「それに、やっぱりそんな特別な気持ちはなかったと気づいても、普通すぎて、大して面白くないですからね」
「やめましょう。思ったこと全部口にするのは」
別に特別な好意があったわけじゃないけど、興味ないですって言われるのは、それはそれでつらいことだからね? 男の子の心、簡単に折れちゃうからね?
「さようなら、シスターマクレア」
「またね」
「お世話になりました」
ミグ、マグ、メグが、マクレアさんの豊かな体に埋もれるように抱きついている。
涙はなく、ただ温かみがあった。
マユラは、魔王の封印のことも含めてシスターたちに励まされ、そして珍しいことに、キーニも彼女たちから色々とアドバイスをされ、素直にうなずいている。
ちょっと聞き耳を立ててみると、
「もっと積極的にアプローチした方がいいですよ」「キーニちゃんはおとなしすぎ」「男なんて押し倒せば簡単にその気になりますからね」「特にコタローさんはチョロいわ」「既成事実さえあれば!」「へたれ誘い受けなら十分狙える。ガンバッテ!」
おいやめろや。
「ううう……わた……わたしは……真面目にやっております……。女神様、ゆる、許して……うううう……」
懐から、徹夜で反省文を書いていたパニシードのうなされる声が聞こえ、俺が小さな苦笑を浮かべたとき、
「グリフォンリース、みんな、準備はいい?」
屋敷の扉を開け、エントランスに別れの風を入れたのはクリムだった。
彼女もすっかりシスターたちと顔見知りだ。
マクレアさんが代表して口を開く。
「わたくしどもの友人たちの門出が、あなたのように善良な騎士によって始まることを嬉しく思います」
「まあ、実は俺もいるんだがな」
「あら、汚い騎士の声が。目に入りませんでしたわ」
見送りに来てくれたらしいツヴァイニッヒと目を合わせず、マクレアさんはうそぶいた。
結局両者は和解しないままだったけど、たびたび屋敷を訪れて、俺と会話しているせいか、シスターたちもツヴァイニッヒにいくらか慣れたような気がしなくもない。正面切って悪口ぶつけても怒らないしな、こいつ。
どんな形であれ、交流があるのは大事だって、言ってたっけ。
「また会おう。ツヴァイニッヒ」
俺が差し出した手を、ツヴァイニッヒはしっかりと握った。
「ああ。つっても、てめえらの動向は筒抜けだろうがな――密偵とか関係なしにな」
ツヴァイニッヒは「励めよ」とグリフォンリースとクリムに言う。
さあ、いよいよ本当にお別れだ。
「コタローさん、また遊びに来てくださいね!」
「グリフォンリース様、リリィを迎えに来てくださいませ。わたし、待ってますから!」
「みんな元気でねえ」
「さようならあ」
大勢に手を振られ、振り返しながら、俺たちは屋敷を後にする。
この蒼い町が、今では恋しい故郷にすら感じられる。
別れ際になって本当の気持ちに気づく、か。
クレセドさん、その通りだな。
俺はこの町がきっと好きだった。みんながいるから、好きだった。
だからきっと、また戻ってくる。
さよなら。そして、ありがとう、ナイツガーデン!
主人公の名前復活! ちゃんとした名前でお別れです。