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第七十九話 不条理の王とご都合主義の神 安定志向!

 俺が起こしてきた様々なバグの尻ぬぐい。

 この女神はそれをやってきた。

 その一方で、俺を〈導きの人〉への使命にも追い立てた。


「これでいい、これで全部。ふふ、うふふふ……」


 ベッドの上にあるシーツの丸みが、寝言を言いながらもぞもぞ動いている。


 世界を自分の都合のいい形に落着させる。

 まさにご都合主義。

 混沌とした状況に颯爽と現れ、理不尽なまでの神性ですべてを解決してくれる、デウス・エクス・マキナそのものだ。


 だが……。

 突然シーツがばっとめくられ、目の下に深いクマを刻んだ彼女が、睡眠不足特有のしかめっ面を俺に向けた。


「夢かっ!」


 ……この、どっちかというと不憫そうな少女に、その絶対的な神性を見つけることは難しい。

 俺はひとまず挨拶から始めることにした。


「おはようございます。女神様」

「おはようございます。コタロー」

「えっ」

「えっ」


 俺は動揺する。今、彼女は聞き捨てならないことを口にした。


「あの、女神様、今、俺になんて言いました?」

「おはようございます、コタローと」

「うおおおお!? 俺の、俺の本当の名前を……! 俺の真名を知っている……!?」


 どんだけぶりかに呼ばれたコタローの響きに、俺は感動し、中腰の姿勢で拳を握っていた。

 クッソふざけた祟郎とかいう一発ギャグを、これからずっと聞かされ続けなければいけないかと思って絶望し、その感覚が麻痺してもうタタローでいいよと捨て鉢になり始めていた現状に、このコタローというさわやかな音の響きが心に染み渡る!


 タローほど素っ気なくもなく、コジローほどキザでもない。

コタロー。口にしてみればなんという絶妙の小粋さ。

 やはり俺を表す名前はタタローではない、コタローだ!


「あなたがいかに不条理を操作しようとしても、わたしには通じません」

「よかった! ありがとう女神様! あんたが大将だ!」

「地位下がってますけど」


 女神の手を掴み、ぶんぶんと上下に振る俺に、そんな些細なツッコミは聞こえなかった。


「それで、うちの妖精はどこですか?」


 女神は据わった目で言ってきた。


「ああ、パニシードなら、そこの空き箱の中で震えてますよ。あの、精神崩壊しかかってるので、ホントに許してやってくれませんか。悪いの俺なんで、ホントに……」


 女神の仮眠中に箱の中を確認したのだが、パニシードのやつ、目から光が消えて「ごめんなさいごめんなさい」を繰り返すマシーンに変貌していた。

 心の振り子が、振り切れたのだ。さすがにこれを見捨てるわけにはいかない。

 が、ちょっと自己犠牲的に彼女をかばった俺を、女神はやはり寝不足の目でにらむように見つめて、


「あなたが悪いのは当然です。わたしがなぜ、このような目つきをしているのかわかりますか」

「俺のバグのせいですよね……」


 女神はうなずいた。


「そう。……不条理操作です」

「不条理……操作?」


 何だか聞き覚えのない単語が出てきた。これは『ジャイサガ』のバグの名前じゃない。こういう単語をスルーすると、後の会話が宙に浮いて、結局何の話をしているのかわからなくなる。ネットで見かける「スキームッ!」だとか「アウトソージングッ!」とかいう必殺技の名前と同じだ。


 俺は素直に「それは何ですか」という誰にでも通じる言葉をぶつけた。すると女神はすぐには答えず、実演をもって教えてくれた。


「この世界は〝黄金の律〟によって作られた完璧な条理によってできています。たとえばコップがあるとしましょう」


 彼女は手を広げた。そこに唐突にガラスのコップが生じる。


「そして、その中には水が入っている」


 まるで底からわき出るようにして、コップが水で満たされる。


「ここまでは世界の意による条理です。いいですね」

「いや、それ、すでに最高に世界のルールに違反してるっつうか、不条理な感じなんですが……」


 俺のツッコミを無視し、女神はコップを逆さにひっくり返した。

 当然、中の水は、床にぶちまけられる。

 何すんだこの人……と思ったら。


 そこで、世界が止まった。


 いや。

 その中で女神はすっとベッドから下り、俺はそれを目で追えている。止まっていない。止まったのは……この水の時間だけか?


「それも、〝黄金の律〟さんって人の意に反してるんじゃないんですか?」

「いいえ。あなたとは違います」


 そう突っぱねると、彼女はまき散らされるまさにその瞬間の水しぶきに、つと目を落とした。


「見てわかるとおり、水が跳ねています」

「はあ」


 ぐにゃぐにゃになった無数の水滴が、床の上で静止している。目玉が高感度カメラに置き換わらなければ、なかなか見られる光景ではない。

 その水滴一つ一つを指さし、彼女は言った。


「これは条理、これもこれも条理。しかしこれは不条理。本来、ここに跳ね返るべきではない水滴です」

「……へ?」


 不条理扱いされた水滴の、他と違うところが、俺からは何一つわからない。


「この落差、角度、反射面の形、水の質量、空気の状況、すべてを計算し尽くしても、ここにこの水滴があることはありえません」

「でも、実際にはあるんですよね?」

「そう。〝黄金の律〟は、完璧に正しいものではあるけれど、完全ではない。小さな綻びがある。ときおり、あり得ないはずのことが起きてしまうという綻びが」


 …………。ん、今、何か。

 何か連想するものがあった。

 何だろ……。あり得ないもの。矛盾するもの……。


 俺の思索をよそに、女神は結論を述べた。


「あなたが時々使っている不条理操作とは、この綻びを極大化させたもの」

「そうだったんですか……」


 うなずく他ない。そんな偉そうな名前はいらないと思う気持ちを抑えて。


「それを放置すれば、黄金の律の綻びはさらに大きくなってしまう。だからわたしは、すべての不条理を条理に結びつけ、世界の形を保ってきたのです。ここ三ヶ月ほど、一睡もできずに」

「えっ……」

「さっきの仮眠が、三ヶ月ぶりの睡眠です。わたしとしては、瞬き一回分としか思えませんでしたが」


 うわあ。一週間の合計睡眠時間が、十時間切ってる人みたいな症状だ。


「やっぱり女神様が……」

「ええ」

「あの抱腹絶倒なローラさんのアマゾネス設定とか考えてたんですね」

「抱腹絶倒とは何ですか! わりとお気に入りなんですよ!」

「す、すいません……」


 女神様はちょっと顔を赤くして言った。


「だ、だいたい、わたしは条理に空いた穴を塞いでいるだけ。その結果、どのような状態で世界が復元されるかは知ったことではありません。つまり、ローラという人物がアマゾネスになったのは、もとよりそうなる可能性が十分にあったからです。先の戦争を止めたのも、そうしたいと願う人間たちの気持ちが、もっとも本来の世界に近かったから。わたしが穴を塞いだときに選ばれるのは、〝もっともあり得た〟という事象ですからね」

「つまり女神様が、設定だとか、人の心を操っているわけではないと?」

「設定? ……何のことかわかりませんが、そういうことです。不条理修復後は、まったく別の世界がやって来るわけではない。二番目に起こり得た世界がやって来るだけです」


 その返事に――俺はきっと心から安堵していた。


 だってそうだろ。

 もし女神様がその人の設定だとか心を操れる存在だとするのなら。

 この世界は壮大な彼女の人形劇ということになる。

 戦争をやめさせようとした、あの陽気な老将軍たちの善意だって、作り物になってしまう。


 それだけじゃない。

 グリフォンリースちゃんの健気さや勇敢さ、キーニのコミュ障や一途さ、マユラのたくましい商魂と律儀な性根、ミグの真面目さ、マグの快活さ、メグの大らかなところ、それらすべてが、女神の意思でいくらでも改編される、あるいはもうどこかで改編されている、薄っぺらいものになってしまう。


 そんなのはいやだった。

 だがそれは杞憂。


 復元は女神様の力だが、そのときの人々の心は、その人たち本来のものだ。

 この世界にみんなは確かにいて、自分の意思で行動し、そして俺と一緒にいてくれる。

 これは人形劇じゃない。それぞれが意志を持ち、それぞれが見つめる世界だ。


 思わず胸に手を当てていた俺に、女神様は少し目元を弛めて言った。


「あなたは条理にぽこぽこ穴を開けますが、その結果表れた世界は、悲劇を生むわけではなく、どちらかといえば無害で、人間を救う方向に動いている。それに関しては、結果論かもしれませんが、あなたに一定の理解と評価をしないわけではないです。こんな戦い方をする〈導きの人〉はこれまでいなかった」

「あ、どうも……」


 ちょっと褒められた、のか?

 そういえば、これはどうなんだろ。この際だから聞いておくか。


「ところで、この世界が『ジャイアント・サーガ』そっくりなのは、女神様がそうしたからなんですか?」

「……?『ジャイアント・サーガ』? いえ、違います」


 違うのか……。そっちの謎には踏み込めそうもないな。今さらだし、知ったところでどうなるわけでもないけど。


「今、この女神あんまりもの知らねえな、ただのメスロリかよと思いましたか?」

「そんな果てしなく失礼なこと絶対に思ってないです」


 即応で否定する。

 女神様は、寝不足の不機嫌そうな目で俺をにらんでいたが、そのうち口元を少し弛め、


「話を戻しましょう。わたしは今、あなたが引き起こした特大の不条理操作を解決すべく、世界の様々な部分を正しき条理に直している最中です。呼ばれた程度で出てきたのは、正体を看破されて観念したわけではなく、寝不足で倒れる前に、あなたにおなかパンチの一発くらい入れてやろうと決めたからです」


おなかパンチというあざと可愛いネーミングよ。


「だが、女神様。今、世界は平和だぞ」


 俺は姿勢を正し、真っ向から対立する覚悟で告げた。口調も、自然とそういう形になる。


「魔王の軍勢は動かない。人間側の勝利はないが、滅亡もあり得ない。世界の時間は止まっている。これはこれで、一つの安定した形だと思わないか?」

「あなたは何もわかっていない」


 返ってくる反応の中で、一番予測された一言だった。一番理解に遠く、反論を許さない返答。心の平穏にはもっとも悪い強烈な否定だ。


「理由はどうあれ、パニシードが選んだあなたは〈導きの人〉。あなたの使命は、今はあのマユラという少女の中に眠る魔王を倒すこと。それが為されなければ、世界に安定など訪れない」

「何もわかってないからこそ、それに従う意味も見出せない。俺は今の世界の状態がベストだと思っている」


 俺はあくまで愚かかつ反抗的な態度を取った。

 それに対し、女神はすうと目を細め、温度の低い声で告げた。


「魔王こそが、不条理の塊だと知ってもですか?」

「…………。……!!」


 彼女の言葉を理解をするのに一瞬を要する。

 魔王が、不条理?


 あっ……。そうだ、さっき連想したのはそれだ!

 正確には魔王じゃなく、その下にいる〈源天の騎士〉!


 あり得ないはずの者たち。

〈暗い火〉〈乾きの水〉〈古ぼけた風〉〈実らぬ土〉〈閉ざされぬ闇〉。いずれも矛盾した名前を持つ存在だ。

 そして魔王はその集合体である。だから矛盾、不条理の塊、というわけか……!


「つまり魔王とは、〝黄金の律〟の綻びから生まれたものが凝縮し、形となったもの。ディゼス・アトラ。消え去るべき、世にも恐ろしき古からの因果の歪み。これらが存在する限り、いずれこの世界の因果律はすべて崩壊し、生きとし生けるものは、生存を許されぬ不条理に呑み込まれるでしょう。たとえば水を飲めば焼け死に、果物を食べようとして逆に食い殺されるような」


 それが魔王の正体……。マユラの中に眠っているモノの本質か。


『ジャイサガ』では、そんなややこしい設定は語られなかった。

 邪悪な魔王を倒せ。理由は、邪悪だから。そんなシンプルなものだ。そして俺たちにはそれで十分だった。

 女神の語ったことが裏設定としてあったのか、それともこれが現実だから生じた理屈なのか、そんなことは今さらどうでもいい。

 見るべきなのは、考えるべきなのは、その不条理の世界が、心底シャレにならないものだってこと。


「俺がしてきたことも、そうなる原因を作ってるのか?」


 俺は恐る恐る聞いた。心が不安定に傾き始める。針山の上に渡された鉄骨を目隠しで歩いていたと、今気づいたように。


「そうですと言って戒めてあげたいところですが、あなたの突発的な不条理操作は、魔王がいることの被害とは比べものにならないほど小さく限定的なものです。水を一口飲むのと、川で溺れることの違いと思えばいいでしょう。だからこそ、わたしでも塞ぐことができる。小さなものであれば――さっきの水しぶきもそうですが――わたしが手を出さずとも勝手に修復されます。あなたの不条理操作はわたしには甚だ迷惑ですが、それほど深刻なものではありません。甚だ迷惑ですが」


 大事なことらしく二回言ってきた。


「しかし魔王はそうではない。世界そのものに害を為し、また、〝黄金の律〟を破壊する力も継続的で大きい。だから他の者の力を必要とするのです。それが〈導きの人〉ですよ。コタロー」


 最後に少し優しく笑ってくれた――が、寝不足の不機嫌さが顔に張りついているせいで、ニヤリ……って感じになった。


 だが……これは俺にとって何の救いにもならない。

 世界の時間を止めることは、俺にとっては一時しのぎにはなるかもしれない。

 しかし、根本的なところで状況は悪化し続ける。

 それが千年後とかなら、最悪後の時代の人々に丸投げしてもいいが、数年後、数十年後では直接身に降りかかる災厄だ。


 俺は戻らなければならない。〈導きの人〉に。


 それは……百歩譲って、まあいい。

 正直なところ、この時間停止への期待は、七三くらいだった。

 中途半端な永遠が訪れるが、三。

 失敗するが、七だ。


 謎の野郎――今となってはそんな失礼な呼び方はできず、女神様だが――の横槍が入るのは半ば予測済み。

 その正体を見極めることこそ、この〈停戦バグ〉――いや、中盤制圧チャートの本義だった。

 結果現れたデウス・エクス・マキナ。それがパニシードの上司である女神だったってことは、大して驚きもしない。神様級の誰かだとは思ってたから。


 だが、犯人はオマエだと、はしゃいでる場合じゃなくなった。

 魔王が、放置しているだけで世界を壊していく存在だと知ってしまった。

 真の課題はこれから。本当の戦いはこれから。俺がするべきことは何だ。


 魔王を倒さなきゃ世界は救われない。逆に魔王を倒せればすべてOK。

 そんなご都合主義。

 そしてそのご都合主義からは、誰も逃げられない。俺も、人も。

 魔王ですら。


 俺は意を決して言う。


「女神様。この〈停戦バグ〉、俺が解いてもいい」

「できるのですか?」

「方法はある。女神様に、以前やったような、猛烈に確率が低いバグを起こしてもらうことになるけど」


 女神は荒んだ目――睡眠不足者特有の――から少し力を抜いた。


「いいでしょう。あなたはなぜか、不条理の操作にかけては女神であるわたしよりも長けています。不条理の王と評してもいいほどです」


 不条理の王と、ご都合主義の神か。

 なんか相性悪そうでヤだな……。


「ただそれとは別に、一つ頼んでいいかな。これは今後の俺のモチベーションにも深く関わってくる大切なことなんだが」


 俺はそれを女神に伝えた。


「ええ。わかりました」


 快諾。ほっと一息つく。


 こうして世界は再び動き出すことになった。

 中盤チャートはある意味で徒労、ある意味で最大の成果を見せて終わった。

 最大の成果それは、俺に次の目標ができたこと。

 次のステージ、つまり、『ジャイアント・サーガ』終盤における最後のチャート、その中核となるべき目標が、敵が、見えた。


 マユラの中の魔王を倒す……のではない。もちろん。

 彼女は家族だ。魔王を孵化なんてさせない。

 魔王を倒せばすべてOKなんて、そんなご都合主義には従えない。それで救われる人じゃなく、それで苦しむ人がすぐそばにいるから。


 だったら、俺が打倒すべきなのは。

 敵対すべきなのは。

 デウス・エクス・マキナ――女神が守る、


〝黄金の律〟おまえだ。


というわけで、終盤の始まりです

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宇宙の法則が乱れる
[一言] 停戦バグを動かす(魔王を倒すとは言ってない)
[一言] まさかのそっちか
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