第七十八話 止まった時の世界で 安定志向!
こうして〈人類大陸戦争〉は、一人の戦死者も出さずに終結した。
グランゼニスとオブルニアは、ナイツガーデンに仲介人になってもらい、正式に和議を結んだ。
一人迷惑を被ったナイツガーデンは両国に大きな貸しを作ることになり、今後の取り決めに置いても、他二国の仲を取り持ち、リードしていく立場となった。
これについて、俺はツヴァイニッヒに、
「シュタイン家はこれを狙っていたのか?」
とたずねたが、
「あり得る……と言いたいところだが、いくら何でもさすがにそこまではやれねえよ」
と笑って返された。加えて、
「確かに主導権は握ったかもしれねえが、ある意味で、ワガママな大国二つの尻ぬぐい役に回っちまったとも言える。これからは、最終的にナイツガーデンが調整してくれると見越して、両国が好き勝手言い出すこともあるわけだ。そのとき、全責任を負うのはこっちだ。前も言ったように、最初のコネがいいふうに作用するとは限らねえ、さ」
なるほど。穿った見方だが、そう考えないと足をすくわれるのが、国際関係というやつなのだろう。
会議の結果、〈魔王征伐団〉は現在もっとも襲撃回数の多いオブルニア山岳帝都に、その本隊が置かれることになった。
よってグリフォンリースは単身赴任……なんてさせるわけもなく、俺らは揃って帝都にお引っ越しだ。
つまり、ナイツガーデンともお別れということになる。
ほんの二ヶ月程度。
でも、退屈する暇なんていない、まるで数年分にも匹敵する、すさまじい日々だったような気がする。
クレセドさんたちは、修道院の補修が終わるまで屋敷に住んでくれるそうだけど、その後はまた騎士院の管理下に置かれる。
リリィ姫とアンドレアは、寂しいけれど、帝都までは一緒に行けない。二人ともシュタイン家に戻ることになりそうだ。
ツヴァイニッヒはもちろんこの国に残る。
クリムが一緒に来てくれるのが、何となくほっとできる話の一つだった。
みんなのことも重要だが、俺にはもう一つ、スルーできない話題がある。
この、すべてのイベントフラグが凍結された、止まった世界のことだ。
グランゼニスでやった、世界進行イベントを一切こなさない、という生ぬるい〝目標〟じゃない。これからは俺がどんなに頑張っても、世界は進まなくなる。
レベル99になった俺たちは、この世界で確実に平穏に生きていける。
だが……。
そうはいかないと、思うんだ。
※
ナイツガーデンの自室で、俺はソファーに寝転び、ぼんやりと天井を見上げていた。
グリフォンリースは残された時間を惜しむように、リリィ姫と町へ遊びに行ってる。
マユラと三姉妹は、お得意さんへの挨拶回りに余念がない。
キーニは自室でヒキコモリ。
シスターたちもお勤めで不在。
何でもない一日。別れが近い今となっては、贅沢なほどに。
「パニシード」
「あい。何ですか、あなた様」
ソファー横のテーブルの上で、カップに身を沈めていたパニシードが、のんびりと顔を上げる。
「今からちょっと変なこと言うけど、驚くなよ」
「あなた様が変なことをするのはしょっちゅうですから。今さら驚きませんよ」
「なら、遠慮なく」
俺は天井を――というより、その奥の奥の、空の彼方を見つめるつもりで言った。
「なあ、見てるんだろう? どうするつもりだ? 世界は止まっちまったぞ。このままじゃ、永遠に今のままだ。なあ、どうするんだ? 困るんだろう? だから、俺のチャートの邪魔をしてたんだよな。謎の野郎――いや、失礼」
わざとらしく一拍おいて。
「女神様」
かちゃん! と音がして、テーブルの上に目をやると、カップの中に敷き詰めていたバラの花弁をまき散らしながらひっくり返るパニシードの姿があった。
「なっ……なな、何を言うんですかあなた様! いきなり女神様に語りかけるなんて。そもそも、女神様がわたしたちを見ているはずが――」
ジッ。
最初は、耳が拾えないほど、小さな音。
ジッ、ジジッ、ジジジッ。
しかしそれは次第に大きくなり、小言を言いかけたパニシードの口を、開いたままで固定させる。
ジッ、ジイイイイイイイイッ……。
まるで放電するようなノイズ音を立て、世界がゆっくりと変わり始める。
窓の外。
さっきまで見えていたナイツガーデンの蒼い町並みが消え、雲の中のように白一色に染まる。
窓を軋ませる風が、わずかな隙間をこじ開けて部屋の中に入ってきた、と思った直後。
色を伴い、部屋の一角で激しく渦を巻いた。
そして、ひとつの人影を形作る――。
「パ~ニ~シ~~ド~……」
「うんぴゃああああああああああ!」
パニシードが聞いたこともない声を上げ、俺の肩の後ろに隠れた。
「よ~くも、裏切ってくれましたねえええ~……」
「ぴきゃあああああ! ぱにきゃああああああ!」
――女神!
これが――こいつが――!
えーと……。
この……小さな、この子が。
その……女神ちゃんですか?
俺はその少女――少女と幼女の中間くらいの相手を見つめた。
華奢な体に、シャギーの入った銀色のショートカット。
肌は白く、ただ、今はとある事情から美しさより病弱さを連想させる。
格好は、手首くらいしか肌を見せない、裾の長い純白と黄金色のローブ。それと大きいヘアバンド。どちらにも、天界の意匠なのか、翼と花をモチーフにしたような飾りがいくつもあり、それが荘厳さを上乗せする――はずなんだろうけど、とある事情から、その効果は半減。
とある事情とある事情って何だよ、とお叱りを受けそうなので、さっさと言ってしまうと、だ。
「パ~ニ~。隠れてないで出てきなさ~い」
「ねにゃろおおおおおおおおおう! おぬえええええええええええん!」
この女神様、めっちゃ目の下にクマできてるんです。
多分、本来は少しツリ目くらいの、大きくて可愛らしい形をしてると思うんだけど、今は完全に据わって、なんというか、完全にヤル目をしている。
その女神様は、腕をゾンビゲームのパッケージ絵のように伸ばし、ゆらゆらと揺らしながら、俺に近づいてくる。
「ぷにゅうあああああああああ!」
「待~てええええ~」
俺の肩から逃げたパニシードを追って、水の中を歩くような緩慢さで、部屋を歩き回る。
「ず~っと見てましたからねえ~。全~部知っ~てますからねええええ。あなたが~わざと見過ごしてきたものすべてええええ」
「ぴりゃあああああああ、ぴにゃりゃああああああ!」
パニシードはもはや半狂乱だ。
これが、人前でだけいいかっこしてた真面目系クズの、もっとも悲惨な結末。
信頼がすべて反対のものへと化け、元々の評価の高さゆえに落下速度と墜落の衝撃は単なるクズより激しいという、若干理不尽に思わないでもない罪咎。
これが我が身に降りかかると思うとぞっとする。やはりクズは装うべきではなく、小出しにして常に周囲の評価を調整する必要がある。
それはともかく、さすがにこれ以上やられたら彼女が壊れてしまうので、俺は女神様の追及を阻むことにした。
「あの、女神様。それくらいにしてやってくれませんかね。悪いのは俺なんで……。それに、そいつがいくら止めても、俺はバグを使うのをやめなかったと思うよ」
ぎろり、と据わった目が俺に向き直り、何度かしばたいた。
何というか……しかめた顔が、徹夜の眠気を必死にこらえてる人そのものって感じ。
うん……これが初対面とか、申し訳ないけど、俺は今後、この女の子をとても神様とは見られないんじゃないかなと思う。これじゃあ、オブルニアの皇帝の方がよっぽど神っぽいよ。
「あ~……。あなたは~……」
何とか腕を持ち上げ、俺を指さそうとする女神。
「あう……あなたは……あな……くかー」
あっ。寝ちゃった。
またも水の中にいるみたいに、ゆっくりと前のめりに倒れていく少女を、俺はそっと受け止める。軽石みたいに軽い。
「くかー、くかー」
「起きんな、これは」
あの目の下のクマは、そういうことなのだろう。
俺は彼女をお姫様抱っこしたままベッドまで運び、そっと横たえた。
「くかー。ふふふ……」
なんか笑い出した。本来なら天使の微笑みなんだろうけど、クマで台無し。
俺ので悪いが、シーツもかけてやる。すると、土に潜る幼虫みたいにもぞもぞと中に入っていき、再び笑い始めた。
「全部終わった。やっと休める……やっと……」
何だろう。この悲しげな安息。
多分、それ終わってないよな。何かは知らないけど。
いや……俺はきっと、その何かを知ってる。
恐らくだが、その何かってのは、俺が原因の、バグだ。
俺が引き起こしてきた数々のバグ。
それらは当然、現実的には、なぜそうなるのか解釈不能なものばかりだった。
だが、そんなメチャクチャな現象でも、中には一応の理屈があったり、不可解とはいえそれを裏付けする人の心の動きがあったりするのもあった。〈防御キャンセルバグ〉の原理とか、〈人類大陸戦争〉の神がかったシンクロとか。
それらをこじつけていたのは、この女神様だったんじゃないだろうか。
つまりバグの尻ぬぐいだ。
俺と彼女の関わりはそれだけじゃない。
一番最初にそれが顕著化したのは、恐らく、グランゼニスの川で、泥の中から金貨をあさったとき。バグが現実の事象とリンクして、俺は金貨を没収された。あれには楽をさせまいという何者かの意思を感じた。
ごく低確率で起こる弊害バグを100%に書き換え、必然にした。
回避していた世界進行イベントを、向こうから近づけた。
マユラに関すること。彼女を導いた謎の声の正体も。
すべては魔王の打倒のために。
俺に〈導きの人〉の使命を果たさせるために。
世界のできごとを、彼女はたびたびコントロールしていた。
間違いない。
こいつが。
この女神が、この世界の機械仕掛けの神。
デウス・エクス・マキナだ。