第七十五話 〈人類大陸戦争〉! 安定志向!
それからほどなくして、オブルニアの軍勢は帝都を発った。
指揮を預かるのは、帝国にこの人有りといわれるロードハイブ将軍。
そこに人間、獣人、という異形の軍勢が加われば、その強さ、士気の高さは大陸でも類を見ない。
帝国軍とは言うが、実際には隣接する小国からも人が出ている。
実質的な戦力割合は、オブルニアが八、その他が二くらいらしい。
二国間の戦いではない。大陸を巻き込んでいる。これが〈人類大陸戦争〉と呼ばれるゆえん。
そこに、戦場と金のニオイをかぎつけた傭兵部隊も加わる。
総兵数、およそ千。
王都のスラムで会って以来の傭兵ジェスクをその中に見つけ、俺は懐かしさと同時に、のどからこみ上げる緊張感に顔をしかめた。
今回、グリフォンリースとキーニは俺と行動を共にしておらず、仲間は最初期のメンバー、パニシードだけだ。
キーニはともかく、ナイツガーデンの騎士であるグリフォンリースが俺のそばにいたら絶対にマズい。
というわけで、彼女たちはすでにナイツガーデンに戻ってもらっている。
コウモリ野郎の俺は、第一の牙隊から選抜された奇襲部隊を率いて、途中まで帝国軍に同道。
戦場近くまで来たら先行し、森に潜む作戦だ。
「今わたしがすべてをバラしたら、大変なことになりますよね……」
「おまえそれ絶対やめろよ」
「もちろんです。し、しかし、言ってはいけないと思うと、き、緊張で、口から勝手に言葉が……。わたし、ウソはつけない体質なんです」
「しれっとウソをつくのもやめろ。そういうときは誰とも口をきくな。俺ともだ。何もしゃべらなければ、何も伝わらない。それで解決だ」
俺もパニシードも緊張の極致にある。
王都の動きは、ゲームでこの戦争を予習済みの俺にはわかっている。
将軍は、王都でも随一の名将といわれるダンデマルロー将軍。
負けられない戦いだ。当然こちらもヘボはよこさない。
今はどうでもいい話だが、このダンデマルロー将軍は、うまくすると仲間に加えることのできるキャラクターだ。徹底して王都側につくロールプレイを楽しみたければ、彼を仲間に加えておくとドラマが増して非常によい。
ただし、グランゼニス側が負けると、戦死したり投獄されたりするから注意な。
こちらの軍勢も、グランゼニスの他にいくつかの小国が交じっている。
総兵数は、帝国と同じく千。
これは事前の取り決めによって定められた兵士数だそうだが、両国ともちゃんと守っているかは謎だ。どっちも千五百くらいいるかもしれない。
かつて地球にお住まいだった武田信玄によると、兵士の数ってものは、一、十、百、超たくさん、みたいな感じに、一定のラインを超えると正確にかぞえられなくなり、実数以上の大群に見えてしまうものらしい。
だから千と千五百の違いを見破るのは、現地にいる兵士たちにはまず無理だろう。
分析するに、地の利は王都、兵の質は帝国、といったところか。
この条件差により、互いの総戦力は完全な拮抗状態に引きずり込まれている。勝敗の決定権はここにはない余剰戦力、つまり奇襲部隊を率いる俺に委ねられることになる。
いよいよこのチャートの正念場だ。
運命のその日――。
まるで未来を見据える者すべてをあざ笑うかのように、ダンダマリアの平原には深い霧がかかっていた。
「なあんにも見えませんねえ」
懐のパニシードが顔をのぞかせてぼやく。
戦場では常に正確な情報把握と伝達が困難で、何が起こってるのかさっぱりわからなくなることを〝戦場の霧〟という単語で表すのだそうだが、今日は物理的によく見えない。
こういう戦場はやばいらしい。
互いに、相手がいると気づかずに前進し、気づいたときには全部隊が敵の目の前で、作戦もへったくれもない、正面からの全面戦闘に陥ってしまうそうだ。
どうせ戦うんだからそれでいいんじゃないとか思ってはいけない。
戦いには作戦というものがあり、これがうまく機能しないと、味方に余計な損害を出してしまう。
しかし遭遇戦から全部隊が乱戦に陥ったら、作戦もへったくれもない。
最悪、どちらかが壊滅するまで将軍も優劣がわからないという、とんでもない泥仕合になり、その場合の死者の数は、普通の戦闘よりもはるかに多くなるのだ。
それはつまり、魔王に対し、人類側が果てしなく大きなダメージを受けるということ。
だからこの霧は危険だ。帝国、王都、どちらにとっても。
そんな中、これは果たして幸運というべきなのか――。
霧は戦場のど真ん中に居座り、森に潜む俺ら奇襲部隊からは、味方本陣がしっかり見えていた。当然、むこうからもこちらの位置は確認できているはず。
ここや、帝国側の本陣からは見えていないが、この時にすでに、霧の奥には王都の軍勢が布陣している。ゲームではそうだったから、間違いない。
王都の奇襲部隊は、俺たちのいるちょうど反対側。
二つの軍勢、二つの奇襲部隊は、霧を間にそれぞれ向かい合っている形になるのだ。
王都も奇襲部隊の位置をしっかり確認しているだろう。
どちらも、俺が手渡した切り札をしっかり握れている。
後は、霧の切れ目に敵軍の姿が見えた直後に、突き進むだけだ。
そうなれば、兵士の犠牲は避けられない。
だから、今ここで仕掛ける。
いくぞ、中盤チャート最後の大バグ!
「みんな、よく聞いてくれ」
奇襲部隊と木々の中に身を潜めつつ、俺は声をかける。
全員の視線が集中する。
平時と変わらないような顔つきながら、その眼光は、これから始まる戦闘に一切臆さない、戦士もの。
それを揺らがせる命令を、俺は告げる。
「〝退くぞ〟」
……………………。
長い沈黙が、
…………!?
無言の戸惑いに変化する。
「それは、どういう……」
獣人の一人が出しかけた言葉に、俺は声を覆い被せた。
「撤退だ。退く。これは命令だ。絶対に従ってもらう」
口早に、これからのことを話す。
「俺はこれから単独行動を取る。みんなは戦場と無関係な距離まで、うんと下がってくれ。何があっても絶対に戻らないこと。絶対にだ」
「……しかし……」
別の一人がまた反論を口にする。
「クーデリア皇女は、あなたたちは俺の命令に絶対に従うと言った。それを違えることは何があってもできないはずだ。そうだろ?」
「…………」
ぎりり……という奥歯を噛みしめる音が聞こえてくるようだった。
選抜メンバーのリーダー格だった騎士は、数秒の沈黙の後、俺を冷たく見据えて言った。
「わかりました。我が隊、これより戦場から離脱します」
「頼む」
最後の一言は、彼らの前を素通りしたようだった。
一瞥すらよこさずに背中を向けた彼らが森の奥へと下がっていくのを見て、俺は高速メトロノームと化した心を、どうにかして落ち着かせる。
「あなた様……」
服の中でもぞりと動いた妖精が、胸からはみ出た自分の心臓に思えて、俺は大きく深呼吸する。
落ち着け……落ち着け……。
まだ半分。もう半分……。
俺は地を蹴った。
帝国本隊から見えないよう、王都側から森を抜けて、戦場の霧の中に飛び込む。
ひどい濃度だ。
腕を伸ばせば、その中で泳げそうですらある。
この中で戦うなんてまず不可能だろう。
でも兵士たちは命令されれば戦うしかない。敵味方の区別すらつかない、この悪夢のような戦場で。
全力で駆け抜ける。
レベル99の脚力は、ダンダマリアの中央をあっという間に横断させてくれた。
そして、そこに待ちかまえるのは……。
「ドラゴンスレイヤー! お待ちしていました!」
グランゼニス王が用意してくれた、王都の奇襲部隊!
俺は彼らに叫んでいた。
「〝退くぞ〟! ついてこい!」
「えっ……!」
「早くしろ! 手遅れになるぞ!」
メチャクチャな命令だっただろう。
だが、あのドラゴンスレイヤーが作戦直前に血相を変えて霧の中から突っ込んできて、そう叫んだのだ。
動揺もあるだろうが、そもそも彼らは命令を受ける立場であり、それぞれが勝手な行動を取ることは、部隊の役割を放棄することになると心得ている。
結果、兵士たちは、森の奥へと駆け込む俺に一も二もなく従った。
奇襲部隊の同時撤退。
これがこのバグ〈停戦バグ・危険度:大〉の発生条件だ。
〈人類大陸戦争〉には勝利方法の他に、敗北方法も用意されている。
昔言ったことを覚えているだろうか。
この戦いで王都側につくと、オブルニア側についた傭兵ジェスクを戦闘中に殺してしまう。
その回避方法は、イベント開始前までにジェスクをパーティーに加えておくか、戦場で退却するかだ、と説明した。
この退却という選択肢が、自軍が負けるための方法でもある。
フラグの立て方を誤って、本来つくべきでない陣営についてしまった場合の救済措置なのだが、ここにある凶悪なバグが仕込まれている。
俺がやらかした通り、〈人類大陸戦争〉には両方の陣営に参加できるバグがある。
すると戦闘開始直後に、それぞれの部隊を率いた主人公が、突撃か退却かを選ぶシーンが、オブルニア→グランゼニスの順番で流れるようになる。
ここでどちらも退却を選ぶ。
すると。
両方の軍勢に敗北のフラグが立ち、
このゲームに、致命的なバグが発生する。
詰む。
続行不可能になる。
ダンダマリアのフィールドは無人の野原となり、戦争は跡形もなくなる。
NPCたちの会話は、イベント中の特殊なものから汎用的なものへと変化し、まるで何事もなかったかのように日常が再開する。
そして、以降一切のイベントが起こらなくなる。
それが永遠に続く。
ゲームはクリアできなくなる。
完全なる詰み。
そのかわり、もうこの世界に変化は起こらない。
俺が二つの国を裏切ったこの日、世界は止まる。
これが俺の中盤チャートの完成型だ。
ここから祟郎の悲劇的な逃亡生活が始まるわけがない(即否定)
あ、主人公のこのフザケタ名前はちゃんと直りますので、もうちょっとお待ち下さい