第四十九話 処刑塔攻略戦! 安定志向!
〈ヴァンパイア襲来〉は、騎士になって以降発生するイベント群の中では、いわゆる〝詰みポイント〟に入る。
何が詰むかというと、勧善懲悪の勇者ロールプレイが詰む。
ヴァンパイアの戦闘能力は高く、処刑塔に出現するモンスターも強い。一番やばいのは湖の魔物。こいつとのエンカウントはランダムだが、遭遇したらまず助からない。以上のことから、やりすぎなくらいレベルを上げていないと強行突破は不可能な難易度なのだ。
よってこのゲームは、三つの解決策をプレイヤーに提示する。
完全な詰みがないのもフリーシナリオRPGの妙味だ。
その三つとは、強行突破、取引に応じる、そして無視だ。
強行突破できるならそれでよし。
戦って勝てないのなら話し合いもありだ。取引に応じた場合、人質は帰ってくるが、ヴァンパイアは武器を手に去ってしまい、無敵の王道である勇者ロールプレイはそこで終わる。魔物に屈したことになるからだ。
そして三つ目。所詮は他人と知らんぷりする。人質を放置して数日がたつと、イベントは自動的に消滅する。その後のNPCの会話状況からいって、人質が助かったという情報はない。つまり、そういうこと。
スタッフちょっとあまりにも残酷すぎるでしょう?
このゲーム、プレイヤーに苦渋の選択用意しすぎなんだよ!
汚く生きろ、というスタッフからのメッセージは、このとき俺に根付いた気がするよ。
ナイツガーデンから歩いて半日ほど。
なんとか夕方前に、目的地に着くことができた。
今、俺たちの前には静かな湖が横たわり、その中央の小島には、殺風景な塔が突き立っていた。
「ところで、何でクリムまでついてきたんだ?」
俺は背後を振り返り、緊張した面持ちの女騎士に問いかけた。
「だ、だって、ミグちゃんたちがピンチなんでしょ? 放っておけないよ……」
答えに力はなく、表情には緊張よりも不安が色濃い。
そういえばこのイベント、強行突破を選んだときにパーティーの枠が空いてると、一時的に【ガーデンナイト】が補充されるんだよな。ランダムで。
そこでツヴァイニッヒの強さに気づいて使い始めるプレイヤーもいる。クリムはまあ、当たりでもはずれでもない感じ。
「くっ……くくっ。心配はいらない! 湖にいるバケモノにわたしは殺せない! 日の当たらない塔の中ではヴァンパイアも活動できるだろうが、そいつだってわたしを殺せるはずがない! ははははっ! 殺せ! わたしを殺してみせろお!」
「ヤケクソになるくらいなら大人しく留守番してていいから……」
これがなきゃ、クリムは性格のいい普通の女の子ではあるんだが……。
「ここは俺に任せて、おまえはバックアップに回っとけ。グリフォンリース、持ってきたリアカーを桟橋の先端に」
このリアカーはシスターたちが使っているものを借りてきた。
《リアカーなんて》《何に使うの?》《わからない》《全然》《湖には魔物がいるのに》《まさかあれで渡るつもりじゃないよね?》《絶対変》《結婚する》
しねえよ! 誤解だったっつってるだろ!
キーニは最近語尾に《結婚する》がつく変なキャラになりつつあるんだよな……。誤解は解けてるはずなんだが。
「よし、じゃ、やるか」
今回使用するのは〈ずらし乗りバグ・危険度:低〉だ。
これは乗り物を利用したバグで、今回のイベントを攻略するのに最適なチョイスだ。
何が起こるかは後ほど一見にて示そう。百聞しても、は? ってなるから。
やり方だが、これは簡単。
後ろを向いたままリアカーに飛び乗る。それだけ。
このゲームは、なぜかキャラの向きを変えないままカニ歩きができる操作があるのだが、その状態で乗り物に乗ろうとするとこのバグが発生するのだ。
今回は……荷台じゃなくて、操縦位置に飛び込めばいいのかな?
関係ないが、『ジャイアント・サーガ』はなぜリアカーを馬車とかと同じ乗り物として採用しているんだろうか……? 引っ張ってるのはきっと主人公なんだろうが。
まあいい。とにかくやろう。
後ろ向きだから、少し勇気がいるけど。
「よっ」
普通の人間では、リアカーの荷台部分を飛び越えるなんてなかなか大変だが、今の俺はレベル20を超える筋力がある。
見事、荷台を引っ張る手すり部分にすっぽりとはまり、その勢いでリアカーが前に進んで、俺ごと桟橋から落下した。
「コ、コタロー殿!」
「コタロー、何やってんの――って、えええええええ?」
心配したグリフォンリースたちが桟橋から俺を見下ろし、クリムが悲鳴を上げた。
おかしかったのだろう。
俺とリアカーが湖に落ちていながら――水面に立っていることが。
「なっ……何で? 何でえっ?」
目を白黒させながら叫んでいるクリム。バグには慣れているはずのグリフォンリースやキーニも、このショッキングな風景に同じような顔だ。
彼女たちに何を言っても通じないだろうが、一応の説明をしておこう。
この〈ずらし乗り〉というバグを使って乗り物に乗り込むと、本来画面中央に表示されている主人公の位置が強制的に一歩ずれる。押し出されると表現した方がいいか。
その際に、陸地から水場に押し出されると、普段は水エリアを渡れない乗り物でも、条件を無視して水中、というか水上を進めるようになるのだ。
意味不明なバグの理屈はともかく、結果だけを端的に述べると、俺とリアカーは、湖面を陸地と認識して移動できるようになってしまったのである。
そして、この状態では、湖の魔物とエンカウントしない。
船に乗っているときにだけ現れる魔物だからだ。
リアカーに乗っているときに襲われるはずがないのである!
「ほら、全員乗れ。行くぞ」
俺が何の気負いもなく言うので、三人の女の子は恐る恐る桟橋から足を伸ばし、荷台に乗り込んだ。
水の上を歩くというのは変な感じだ。
足の裏全体に奇妙な反発を感じる。靴の裏に浮き輪でもあるような感覚。しかし、不安定さはない。
「ゆ、夢でも見てるのでありましょうか……」
「こんなの信じられないよ……」
《ありえない》《結婚》《ありえる》
これがカボチャの馬車なら少しは幻想的だったんだろうが、俺が引いてるリアカーだし、そんなロマンはカケラも見つからない。
三人分の体重と困惑を乗せたまま、小島に到着。
少女たちはリアカーを降りるなり、疲れ切ったように座り込んで、現実と地面の感触を確かめている。
「さて、まずはミグたちがいるか確かめないとな」
俺は屹立する処刑塔の裏側――日陰になっている方へと歩き出す。
「コタロー、ミグたちがいるのは上でしょ? どこに行って――」
ヤケクソになってないクリムはなんつうか、すごく普通なことを言う。
ある意味癒しだな。普通な癒し。
ツヴァイニッヒはチンピラだし、クレセドさんは怒ると怖いとわかってるし、カカリナはバカで変人だったから、ナイツガーデンで一番疲れない仲間キャラかもしれない。
「あっ、ご主人様!」
「来てくれたんだ!」
「わーい」
「ええっ、えええええっ!?」
塔の裏手から姿を現したミグたちに、やはり普通の驚きを見せてくれるクリム。
グリフォンリースとキーニは、すでにこの状況を理解している。
処刑塔が脱出不可能? 垂直だから降りられない? は? 何のこったよ。
それは罪人があくまで人間だからだ。
ミグたちは人間とはいえ、元はケモノ。
人間には垂直にしか見えない壁でも、ごくわずかな引っかかりを利用して簡単に降りてこられるのだ。そういう光景を、俺たちは掃除の時間に何度も見せられて知っている。
だから問題は、湖をどう渡るかのみだった。
彼女たちも本能か何かで、この湖はやばいと直感していたのだろう。
ひとまず日陰に退避して、水分の揮発を抑えていたというわけだ。
うーむ。我が家のメイドたちのサバイバル能力は相当なものらしい。
「大丈夫だったか? 怖くなかったか? 変なことされなかったか?」
「大丈夫です」
「何もされなかったよ」
「空を飛ぶのはちょっと怖かったけど~」
彼女たちをさらった魔物は、それなりに紳士だったようだ。心身共に健康そうで安心する。
――だが殺す。
勘違いでうちの子をさらった罰は、命で償ってもらう。
さらった魔物は登場しないから、ヴァンパイアの方にな!
「よし、キーニとクリムは、ミグたちとここで待っててくれ。グリフォンリースと俺で塔の中のヴァンパイアを退治してくる」
本当はグリフォンリースだけで十分なんだけど。
「ふ、二人で? そんなの無茶だよ!」
クリムが血相を変えて言ってくる。
《無理》《外で待つなんて無理》《ここにいる人たちと》《何を話せばいいの》《死んじゃう》《無理》《待って》《つれてって》《おいてかないで》
クリムはともかくキーニが必死すぎる。ミグたちともまだ慣れてないのか、こいつは。
「仕方ない。じゃあ、全員で行くか。どうせ中はヤツしかいない」
「えっ? そうなの? だって、ミグちゃんたちをさらった魔物とかいるんじゃないの?」
「いや、いない」
俺は断言する。
船に乗らずにここに来たことの弊害なのか、塔の中で本来エンカウントするはずの魔物たちは一切出現しない。
一気に最上階まで進み、ヴァンパイアと直接対決できるようになっている。
その点においても、ここでの〈ずらし乗り〉バグの選択はベストなのだ。
というわけで、俺たちは塔の内部に侵入。
処刑塔はまさにそれだけのために作られたものなので、途中に一つ看守部屋があるだけで、後は階段というシンプルな構造になっている。
上へ上へと進み、鍵のかかっていない鉄格子を押し開けると、屋上へと通じる最後の部屋にたどり着いた。
ここがボスの住処だ。
ミグたちには下の部屋で待っててもらっている。
さあ、心おきなく虐殺してやろう!
「約束のものは持ってきていないようだな――」
壁に銃眼すら穿たれない、完全に闇を閉じこめた暗室で、その目が赤く輝いた。
ヴァンパイア。
作品によってはダークヒーロー的な素質もある種族だが、『ジャイアント・サーガ』はそのへん素朴なRPGなので、気取った要素も裏設定もない単なるボスキャラだ。
ニンニクが嫌いとか、流れ水に弱いとか、招かれない家には入れないとか、詳細な設定もオミットされ、残ったのは日光に弱いという設定のみ。
それを差し引いても――なかなかの鋭気!
部屋に入った瞬間、肌が冷たく圧迫されるのがわかった。
このレベル帯でも手強い相手。ましてや、パーティー人数もフルではない、四人では。
「残念だ。血を見ずに終わらせてやろうと慈悲をかけてやったのに」
暗闇の中で、一層深い闇の部分。それがヴァンパイアだろう。
生まれたばかりの赤ん坊が布でくるまれるように、そいつは漆黒の産着を体に巻きつけ、光の世界が終わるのをじっと待っていた。
「後悔と恐怖にのたうち回れ。わたしは、血を見ると魔獣の眷属になり果ててしまうのだからな!」
何度も聞いた戦闘前口上だ。昔は〝けんぞく〟の意味わかんなかったな。
ゲームは子供の語彙力を鍛えるよ、マジで。
それでは戦闘開始!
「グリフォンリース!」
「了解であります!」
すでに作戦は伝達済みだ。
グリフォンリースの返事とほぼ同瞬に、ヴァンパイアが躍りかかる!
その速度は、一人だけ別の時の流れにいるのではと思うほどで、こいつと尋常に戦うことがどれほど危険かを一目で理解させた。
「火の粉と共に舞えよ血しぶき!〈トライゴーストエッジ〉!」
出たTGE! いきなりヴァンパイア最強技!
標的を火炎の剣で三回攻撃する魔法で、今のグリフォンリースの能力を持ってしても直撃は命取り。しかし――
「カウンター! カウンター! カウンター! カウンター! カウンター! カウンターであります!」
「ほぎっ!?」
マシンガンの射撃音にも似た六つの打撃音の境目を、ちゃんと聞き取れた人はいるだろうか。
水っぽいものが壁に叩きつけられる音がした後、塔の最上階に残ったのは、グリフォンリースの静かな呼吸音だけだった。
鎧の上で波打つ炎が消える頃、彼女はゆっくりと盾を下ろした。
これが〈カウンターツバメヒート〉の暴虐的破壊力。一回の攻撃につき二回の火属性攻撃をカウンターで繰り出す。三回攻撃されたから、六回攻撃を返したのだ。
本来、TGEは魔法扱いだから〈カウンターバッシュ〉では取れない。だが、〈オーバーヒート〉の性質が上乗せされたため、カウンター技が反応した。〈ツバメ落とし〉の速度補正プラスでカウンターのダメージも上昇しているので、これをヴァンパイアが耐えられる道理はない。
「悪いな。うちの騎士の方が獰猛だった」
夜の眷属は呆気なく墜ちた。
俺たちの完全勝利だ。
グリフォンリースちゃん、すっげー強いじゃん! と言いたいところだが、〈技合成バグ〉を使えばこのくらいの威力は当たり前。【ナイト】系のクラスなら誰でもできる。
さすがは、〝バグを使えばここから新たに三つのゲームが生み出せる〟とまで言われた『ジャイアント・サーガ』といったところか。
ヴァンパイアを撃破した俺たちは、リアカーを使って再び湖を渡った。
西の空が赤らんでいる。帰りは途中で夜になりそうだ。まあ、もうヴァンパイアもいないので、心配はないが。
そう思ったときだった。
「あれ……? ご主人様、あれ何?」
マグが、リアカーを押す俺の背中に声をかける。
「何だ?」
俺はマグが指さす空を振り仰いだ。
火の塊が浮いていた。何かめらめらと燃える者が、処刑塔から町の方へ――いや、俺たちの方へ向かって飛んできている。
「何かの魔法か?」
いや――!
違う!
「このまま逃がしてなるものか……! 新生魔王様に面目が立たん!」
「ヴァ、ヴァンパイアでありますっ!!」
グリフォンリースが叫んだ。
あの野郎、生きてやがったのか!
なんてヤツ! 太陽の光で体が焼けるのもかまわず、火だるまになりながら俺たちを追跡してきたのか!
「せめて一太刀、我が憎悪と怒り受け取れえッ!」
はるか上空からの斬撃。その直後、ヴァンパイアは空中で黒炭となって爆ぜた。
その執念が天すら味方につけたか、夕焼けに溶けた一撃は、俺たちの目には捉えられない!
クソッ、何をしたんだヤツは!?
「ご主人様、危ない!」
マグが俺に覆い被さるように飛びついてきた。
直後――
マグの小さい体が揺れ、鋭い何かが、俺の体のすぐ横を通り抜けていく感覚があった。
「マグ――!」
俺の絶叫はひび割れるようだった。
「ご主人様……大丈夫……?」
俺の上に倒れ込んだマグが、うっすらと目を開ける。
ヴァンパイアの最期の攻撃が奪い去ったもの。それは。
「マグ……。そ、そんな……」
「あれ、どしたのみんな? そんな顔して……」
きょとんとする彼女の、長い髪だった。
※
「ねーねー、ご主人様。これどう? どう?」
夜も深くなった頃、屋敷に帰って俺たちが最初にしたことは、騎士院やフランクさんへの連絡ではなく、マグの髪を整えることだった。
シスターたちの散髪はクレセドさんの仕事らしく、夜遅くにもかかわらず、彼女はマグの不均衡な髪を自然な形にカットしてくれた。
念願のショートヘアを手に入れたマグは、紙一重ならぬ髪一重で自分の身が危なかったことなど気にもしてないようで、俺やシスターたちに散々髪を見せびらかした。
彼女の快活さは少しも傷ついていない。誰もがそう安心し、その日は遅い眠りについた。
月明かりがいやにまぶしく、俺の寝床を照らしていた。
マグが助けてくれなかったら、俺は結構なダメージを受けていただろう。
そのことについてはたくさん礼を言った。
もうこれ以上言い続けるのは過剰だと思いつつも、十分ではない何かが、俺の心をわずかに左右に振り動かしていた。
「ご主人様……」
扉の細い隙間から、俺を呼ぶ声があった。
マグだ。
「おいで」
俺が呼びかけると、マグは熟睡中であろうパニシードに気を遣うように、そろそろと部屋に入ってくる。
「えへへ……。あのさ、今日だけでいいから……一緒に寝ていい?」
「いいぞ。俺のベッドは広いからな。二人なんて余裕だ」
「やった」
マグはそそくさとベッドに上がると、俺にぴったりと体を寄せた。
「今日は疲れたな」
「うん」
「ちゃんと塔から脱出できたのはさすがだ」
「うん」
「少しの間、仕事休むか? 久しぶりにどこか出かけるか? 俺もまだあんまりこの町のことわからないしな。一緒に探険しようぜ」
「あはは。ご主人様、子供みたい。わたしなら大丈夫だよ。大丈夫、大丈……ぶ……」
笑っていたマグの声が不意に歪んだ。
仰向けに天井を見つめる俺の視界に、目に涙をためたマグが映り込む。
「うっ。うう……。ご主人様。わたし、大丈夫かな。わたし、まだ可愛いかな……?」
嗚咽混じりに言うそばから、涙がいくつも俺の顔に落ちてきた。
傷ついてないわけない。
女の子がいきなり大切な髪を切られたんだ。
前から切る予定だったから大丈夫とか、そんなんじゃない。そんな理屈はない。
これは少女にとってとても重大なことなのだ。
俺はマグの頬を、両手でそっと包んだ。
「俺はショートヘアにはとてもうるさい男だ。本当に美人かどうかは短い髪のときにわかるというしな。よし、よく見せてくれ」
マグの顔の向きを変えながら、じっくりと見つめる。
マグは目を閉じたまま、俺にされるがままになっている。
「うん。もういいぞ。十分に見させてもらった。よく聞けマグ。ショートヘア愛好家の俺が思うに――」
にっこり笑って言う。
「おまえは俺が今まで会った女の子の中で一番可愛い。マグは世界で一番ショートが似合う女の子だ」
「ご主人様……」
「何も心配はいらない。大丈夫だ。おまえは可愛い。世界中のショートカット好きに、自信をもって世界一だと自慢できるくらいに。だから大丈夫。安心していい。おまえは、本当に、可愛いよ」
「……ありがとう……。ご主人様、大好き」
笑った拍子に、また大粒の涙が俺の頬に落ちた。
さっきより、ずっと熱かった。
このあと、めちゃくちゃ熟睡した