第四十二話 俺んちの地下に! 安定志向!
ナイツガーデンに来て以来、ずいぶん忙しない日々が続いた気がする。
特に武術大会からこっち、せっかく屋敷を手に入れたのに、家でゴロゴロなんて決してできない状況にあった。
悪いのはツヴァイニッヒだ。だいたいあいつ、仲間にするのに何の条件もなかったはずなのに、どうしてあんな物々しいことになったんだ? チンピラめ! 悪いヤツじゃないけど!
「ご主人様~。早く起きて~早く起きて~」
夢の世界に片腕でぶら下がっていた俺を揺り起こしたのは、三姉妹の末娘メグだった。
ナイツガーデンに来てから彼女たちの髪形は固定され、メグは前からよくやっていたツーサイドアップ。マグはショートの予備段階としてポニーテールにしていた。ミグはやはりストレートのままだが、こちらもこだわりがあってよろしい。
「起きてないのご主人様だけだよ。起きてよ~」
「ああ、もう起きたよ。いつもありがとなメグ」
「えへ~。褒められた~」
頭を撫でてやると、メグは嬉しそうに笑って部屋を出ていった。
騎士院騎士には負けるとはいえ、ブラニーさんの屋敷は部屋の数が二十個以上ある、まさに豪邸だった。
俺たちは七人しかいない上、三姉妹は基本的に同じ部屋で生活するので、ほとんどが空き部屋。家は使わないと傷んでしまうので、この利用法もいずれ考えたい。
それにしても、この屋敷は俺にとって不思議な存在だった。
ゲームでは、武術大会の商品は騎士の称号だけだ。
グランゼニスのアパートと違い、ナイツガーデンでは仲間を置いておく拠点はない。
一体どこから湧いて出たものなのか……。
「あなた様がテーブルについてくれないと、パニシードもごはんが食べられないんですが」
ベッド脇に置かれたナイトテーブルの引き出しから、パニシードが不満顔を向けてくる。
最近、引き出しハウスに凝っているそうだ。シルバニアファミリ○かおまえは。人間には真似できない住まいであり、若干憧れなくもない。
俺はさっさと着替えて、一階の食堂へと向かった。
十人以上腰掛けられる長テーブルの上には、すでに朝食が並べられている。
グランゼニスの食事風景と違うのは、ここが自宅だということと、給仕がミグたちだということだ。もちろん、食べるときは彼女たちも一緒。
グリフォンリースとマユラは姿勢良く、キーニは動物みたいに背を丸めて、料理に顔を近づけて食べている。三姉妹は仲良く揃って……あれ?
ミグたちが何か小声で囁き合っては、俺をちらちら見ている。
「どうした? 俺の顔に目玉焼きが張りついている場合はすみやかに教えてくれ」
「ご、ごめんなさいご主人様。何でもないんです」
ミグはそう言って頭を下げてきたが、
「何でもなくないよ。ちゃんと言った方がいいって」
マグがそれをたしなめ、メグも笑顔でうんうんうなずいている。
「ミグ。言ってくれ。俺とおまえたちの間に変な隠しごとはなしだ」
俺が言うと、ミグは少し嬉しそうに微笑み、それからまたすぐに顔を強ばらせた。
「実は、御屋敷の一階で、変な物音が聞こえる部屋があるんです」
「変な音?」
「はい。うなり声のような……。夜は恐ろしくて近づけないのですが、多分、一日中……」
「どこの部屋でありますか?」
話を聞いていたグリフォンリースが口を挟んだ。
「はい。東側の一番奥の部屋です」
「確か、小さな棚くらいしか置かれていなかったはずだ」
マユラも話に入ってくる。
《なにそれ》《怖い》《きっと空耳》《もしくは地下にネズミが住んでるだけ》《関わりたくないな》《勝手におさまってくれないかな》
みんなにそれなりに気にしているようだ。
これは後で調べた方がいいな。
……っていうか、知ってるわ、俺それ。
ミグに言われてはっとなった。
地下から聞こえる不気味なうめき声の正体。
そして、さっきまで疑問だったこの屋敷の正体にも、同時に気づいてしまった。
なるほどな。ここは、あそこだったのか。
「グリフォンリース、キーニ。食事が終わったら俺と来てくれ。あとキーニだけは探索装備で」
そう宣言し、俺は朝食を続けた。
なんたることか、と嘆いておくべきだろうか。それとも、やーい俺んち、おっばけやーしきとでも叫んでおくべきか。
この屋敷の地下にいるのは〈ゴースト〉という魔物だ。
そしてこの屋敷は通称〈ゴースト屋敷〉だった。
通称というのは『ジャイサガ』プレイヤーたちに勝手につけられたからで、公式な名前ではない。一応〈ゴースト屋敷の探険〉というイベント名から取ってはいるが。
ブラニーさんちは、そういうことになっていたわけか。
だとすると、一家がナイツガーデンを出ていったのは、単に騎士たちのせいだけではないのかもしれない。
まあいい。
俺は東側の一番奥の部屋で二人を待った。
「お待たせであります」
グリフォンリースは素直に部屋に入ってきたが、もう一人が来ない。
戸口のところで半身だけ乗りだし、俺に不安な目線を向けてきている。
《どうしてわたしだけ準備させるの?》《なんで?》《怖い》《この部屋が何なの?》《何をさせるつもりなの?》《やめよう》《ねっ》《やめよう》
ステータス表から訴えかけてくるが、前向きに善処せず、すでに柔軟的かつ総合的にも判断済みなので却下だ。
「二人とも、これを見てくれ」
彼女たちが来る前に位置は確認してあった。
俺は足下の絨毯に手を伸ばすと、それをべろりとはがした。
絨毯はそこだけ四角く切り取られている。これは俺がやったわけではない。前からそうだったのだ。
「あっ……地下への扉でありますか?」
グリフォンリースの言うとおり。絨毯の下には、地下へと通じる扉があった。
この先はちゃんとしたダンジョンであり、魔物も登場する。魔法戦がメインなので、まともに攻略しようとすると今の戦力では少し心許ない。
しかし、対策はすでに完成している。
「んじゃ、行くか。キーニ、いつまでそこにいるんだ。早く来い」
彼女がいないと、ここのダンジョン攻略は始まらない。
地下は、掘った土を木枠で補強した、ちゃんと人の手によって作られたトンネルだ。
この先には、装備者のHPを自動回復してくれる〈優しい指輪〉が置かれている。
回復量も微弱で、まあ微妙っちゃ微妙。
売って金に換えるのがまっとうな運用だけど、今はそれほど金に困ってないので、ひ弱なキーニにでもやろうと思う。
何しろ今回一番活躍するのは彼女なのだから。
《どうして》《やだ》《やめて》《いや》《そんなの困る》《お願い》《許して》《何でもするから》《助けて》《助けて》《いじわるしないで》《言うこと聞くから》《こんなのやめて》
ステータス表の文字列がすさまじい勢いで流れていく。
しかし俺はそれをほとんど読み飛ばし、彼女の両肩をがっしと捕まえたまま、ずいずいと前に押し出していく。
「コタロー殿、これは一体……?」
ジト目のまま涙ぐんでいるキーニを心配して、さすがにグリフォンリースが声をかけてくるが、
「問題ないグリフォンリース。こうしていればキーニも俺たちも安全だ。何が現れても、絶対にこっちからは手を出すな。むこうからは何もできない」
《えっ》《何か出るの?》《やだ》《やだ》《出さないで》《怖い》《ひどい》《助けて》
ダメだ。頼んでも無駄だ。
おおおおう、おおおおおおおおう……。
手を乗せていたキーニの肩が、ビクンと震えた。
おおおう、おおおおおおおおおお……。
「何で……ありますか……?」
グリフォンリースも聞こえたのだろう。
〈ゴースト〉たちのうめき声だ。
いわゆる浮かばれない霊魂ってやつで、それだけなら俺だってチビるほど怖いし、嫌いだ。ただ、倒せる敵として存在しているならその恐怖は半減する。
そして、安全な攻略法が確立している今この瞬間、絶無になる。
紹介しよう。
はっきり言って、ここでしか役に立たない小ネタ。
〈キーニ盾ちゃん〉だ。
キーニを前衛に出すとか、気でも狂ったかと思われそうだが、これはかなりの可能性を秘めた戦法でもある。
キーニはバグなのか特性なのかわからないが、〈古代暗黒魔法〉に関するダメージを一切受けない。そして〈ゴースト〉タイプの魔物は、先頭にいる仲間に対しほぼ固定で〈古代暗黒魔法〉を使ってくるよう設定されている。
よって、キーニを盾に使えば、ここでのダメージはゼロということだ。
一応、仲間全体に影響がある魔法もあるんだけど、それは〈リベンジストブレイズ〉みたいな反撃技だけなので、こっちが手を出さなければダメージはない。
これでこのダンジョンの危険はすべて排除されたわけだ。
この、キーニが〈古代暗黒魔法〉のダメージを受けないことに関して、面白い考察がある。
そのうちの一つが、キーニ魔物説。
〈古代暗黒魔法〉は反撃に使われる――つまり、敵、とされるものに使われる魔法なのではないか、という考察が根底にあり、〈ゴースト〉たちはキーニを敵と見なしているけど、魔法自体がキーニを敵と見なしていないという説である。
その場合、キーニの魔法も魔物には効果がないはずなのだが、彼女の場合は〈ネメシスの魔書〉という人が残した書物のアレンジが入っているため、普通の魔物にも通用するんだとか。
《やっ》《やだあ》《許して》《助けて》《何でもする》《ホントに何でもするから》《部屋に帰して》《もうやだ》
まあ、このメッセージを読む限り、キーニが魔物たちと同質とは到底思えない。
面白い説ではあったのだが、やはり事実無根だったか。
ちなみに〈キーニ盾ちゃん〉は可能性はあれど、使い道はここしかない。
〈ゴースト〉オンリーのダンジョンなんてここにしかないからだ。よそでやったら、キーニちゃんが速攻で他の魔物に殴られて落とされて終わるだけですよ。
俺たちはキーニを盾にしつつ前進した。
キーニの腰に引っかけたランタンが〈ゴースト〉たちの霧のような姿を時折光の内側に映し出す。
霧は恐ろしい顔のようにも見え、背筋がぞっとするような叫び声を上げるが、それが〈古代暗黒魔法〉なのだろう。何の効果も表れなかった。
キーニは、ちゃんと状況を説明したおかげか、途中から抵抗がまったくなくなったものの、
《もう》《いい》《もうどうなってもいい》《もう戻れない》《諦める》《もう……》《あはは》《あははは》
……これ、大丈夫だよな? 後でうんと甘やかしてやればフォロー可能だよな?
そして、それほど長くはない地下道の終点に到着。
奥にあった台座の上の指輪を取ると、周囲からうめき声が一切消滅した。
理屈はわからないが、ゲームでも帰り道は安全なのだ。
きっとこの指輪の優しさに引かれて、甘えに来ていたのだろう。
「キーニ、よく頑張ったな」
《……え》《なに?》《ここどこ?》《なんで暗いの?》《コタロー》《何してるの?》
意識どころか記憶まで失ってた模様。
まあ、その方が良かったかも。
「これは頑張ったおまえのものだ。受け取れ」
指輪を持った手を差し出したものの、いつぞやのように、キーニは俺を見つめるばかりで何の反応も示さない。ステータス表には混乱を示す彼女のメッセージがだだ漏れになっているから、状況は理解できるけど。
仕方ない。
「ほら、手を出せ」
俺はキーニの手を取って、指輪をはめてやった。
おお、サイズもピッタリじゃないか。
《…………》《…………》《……え?》
まだわかってないのか、こいつ。
とりあえず、地上に戻ってから説明を――
《結婚》《するの?》
…………。
ん?
《わたしでいいの?》
ん……? ん……!?
《嬉しいな……》
キーニは、ほんのかすかな微笑を浮かべ、自分の手を見つめる。
左手薬指にはまった、小さな宝石のついた指輪――
ああああっ!? 何で俺、薬指に指輪はめてるんだよ!?
指輪なんてつけたことないから、そこくらいしか場所知らなくて……。
ヤ、ヤバイっ!
ガシイ!
俺の危機感の一瞬後、肩に何かとてつもなく力の強い蜘蛛が飛び降りてきた。
違う。蜘蛛じゃないことはわかってる。これは手だ。
「コタロー殿……?」
目から光をなくした、グリフォンリースちゃんの手だ。
「こんなコタロー殿は……偽物であります。本物のコタロー殿はどこでありますか……。いますぐ答えないと、許さないであります。絶対に許さない……絶対に……っ」
「ちっ、違う! これはその……違あああああああう!」
久しぶりのヤンデレグリちゃん登場に、俺の絶叫がこだました。
誰だよ帰り道は安全って言ったヤツ……。
帰るまでが遠足だって、小学生でも知ってるだろうが……。
自宅地下のダンジョンにはロマンがあります(この話にはセコイのしかないけど)




