第二十五話 ときにはクエストを! 安定志向!
「ご主人様……」
思い詰めた表情でその名を呼ばれたとき、俺はぎょっとして安楽椅子の上から動けなくなった。
扉を背に、手を後ろに回して、いつもにも増して気弱そうな上目遣いを俺に向けてくるのは、三姉妹長女のミグだ。
脳天気な妹二人に比べ慎重で小心、ともすればネガティブ思考気味のミグは、よいまとめ役ではあるが、その分日頃から大きな苦労を背負っているようにも見える。
「どうした?」
「あの……わたし……」
不安げに肩をゆするばかりで、なかなか切り出せないミグに、俺のいやな予感はむくむくと大きくなっていく。何だ? 何を言われるんだ? やめろ、俺の安定感を奪うのは!
「と、とりあえずそこの椅子に座れ。テーブルの上で寝てるパニシードは気にするな」
「は、はい」
ミグはおずおずと部屋に入ってくると、メイド服のスカートを整えてから、行儀良く椅子に座る。
「ローズ茶でも飲むか?」
「と、とんでもないです。お気持ちだけで嬉しいです……」
のわりには、一向に笑顔がないんだが……。
「ご、ごめんなさいっ」
目をぎゅっと閉じて、ミグがいきなり頭を下げた。
「いきなり謝られても、許しようがないぞ」
俺はミグに事情の説明を促した。
「は、はい……。すみませんでした。実は、昨日お仕事に行ったおうちに、シェリルさんという探索者の方がいまして――」
シェリル? 探索者?
「もしかして、魔法剣士のシェリルか?」
「えっ? ご存じだったのですか?」
「面識はないけど、名前くらいはな」
とんでもねえ。本当はよく知ってるよ。何度もパーティーに入れてるからな。
しかし、これは意外な展開だ。
「ミグ、話の先を当ててみようか?」
「え……」
「シェリルの秘密の特訓を、俺に手伝ってほしいって依頼だろ」
「! どっ、どうしてそれを……?」
「くっくっく……それは秘密だ」
目を白黒させるミグが可愛くて、俺はついあくどい笑みを浮かべてしまった。
まあ、『ジャイアント・サーガ』をやったことある人間なら、誰でも知ってることだ。
しかしここで〈魔法剣士シェリルの特訓〉が起こるのか? 本来ならギルドの食堂で彼女と会って、依頼を受けるはずなんだけど。
「で、その約束を勝手にしちゃったから俺に謝ったわけか」
「ち、違います! 勝手に約束なんてしません! 受けてもらえるかどうか聞いてきますと……言ってしまって……」
「へ? なら、どうして謝るんだ? 俺、断ることもできるんだろ?」
「それは……」
ミグはスカートを両手できゅっと握ると、涙目になりながら俺を見上げた。
「わたしなんかがご主人様の大事なご都合を聞くなんて、ゆ、許されないからです。わたしは、ただ、ご主人様に命令されたことをする――いえ、していたい、んです……」
「ミグ」
「は、はいっ……」
びくりと肩を震わせ、叱られるのを怖がるように目を閉じるミグ。
そんな少女の、絹のような金髪の上に俺は手を置いた。
「おまえはいい子だな」
「えっ……?」
「だが固い。固すぎる」
「みにゅ」
俺はミグの両頬を手で挟むと、ぐにぐにこね回した。
「みゅ~みゅ~、みゃむてみゅにゃにゃみ~」
完全に何言ってるかわからんな。
手を離すと、ミグは顔を真っ赤にし、頬をおさえたまま呆然と俺を見た。
「もっと肩の力を抜け。おまえは別に奴隷でも何でもない。そんなに俺に気を遣うな。マグとメグくらいあけすけでも俺は全然困らない。いや、おまえは控えめな性格だから、二人の真似をしてもまだ足りないくらいかな。いっそパニくらい図々しくてもいいぞ」
「ご主人……様」
「はー。深刻な顔をしてるから、てっきり記憶が戻ったからここを出ていきますとか言われるんじゃないかと、俺の心の振り子がマッハだったぞ。まったくも――」
「言いませんっ!」
「もフッ!?」
ミグがらしからぬ大声を上げたので、俺の肺から謎の息がもれた。
心の振り子が再マッハ。
見れば、ミグは綺麗な両目からぼろぼろと涙を流すギャン泣き状態だった。
「わたしは、ひっく、そんなこと絶対言わないんです。ご主人様から離れるなんて、記憶が戻ったって、絶対に言わないんですっ……!」
「そ、そうか。それは悪かった……」
なんで泣き出したのかまるでわからない俺は、ただオロオロするばかり。ミグは何度拭っても枯れない涙を見せながら、震える声でうわごとのように言った。
「おそばに置いてください。ずっとずっと、一緒にいてください……ひっく、えぐ……」
「は、はい……」
当たり前だ、とか、約束するよ、とか優しく言うなんて無理無理無理。ミグの涙を前にこっちの頭は真っ白で、言葉なんか何も浮かばないんだ。
「だ、大丈夫だ。俺だってミグとは一緒にいたいから」
こんな台詞で精一杯だよチクショー。いいよなあイケメンは、きっとこういうときに差が出るんだろうなあ!
覚悟を決めた俺は恐る恐る、泣きじゃくるミグを抱きしめた。
ミグはビクリと体を震わせたけど、それは拒絶を示すものじゃなかったらしく、すぐに俺にしがみついてきた。
背中を撫でたり、優しく叩いたりしながら、俺は彼女が落ち着くのを待った。
この手の話は、三姉妹にはタブーにした方がよさそうだな……。
※
んでだ。
ミグ経由でシェリルからの依頼を受けた俺は、グランゼニス近くの森まで来ている。
待ち合わせ場所に現れたのは、大きな眼鏡と、どことなくブレザーの制服を思わせる格好の女の子。
「依頼を受けてくれてありがとう。あなたの噂は聞いてます。迷い猫バスターズのコタローさんと、グリフォンリースさんですよね」
「どーも」
「初めましてであります」
「こちらこそ初めまして。わたしがシェリル・ジェロパです。今日はよろしくお願いします」
顔立ちは柔和で、物腰もどこかおっとりしている。
凛とした――というより、ほわんとした感じの魔法剣士だ。
つうか、実はまだ魔法剣士じゃないんだよな――。
俺は久しぶりに相手のステータスを観察する。
力:10 体力:13 技量:11 敏捷:12 魔力:19 精神:15
初期レベル2だということを加味しても、高い数値とはいえない。魔力と精神は高いけど現段階では無意味。何しろ彼女、まだ魔法スキルを一つも覚えてないのだ。
じゃあただの剣士なんじゃないのって、うん、そうだよ。ただの剣士。
フィジカル面が抑えられてる分、むしろ貧弱剣士。
下手したらグリフォンリースちゃんより役に立たないんじゃないかな。
まあ、序盤のうちだけね。後でバリバリ強くなるから。
「手伝ってもらいたいのは、ギルドにあった〈タイニーイノシシ〉五匹の討伐です。この任務を一人でこなし、師匠を見返してやりたいんです」
「? 一人でこなすのか?」
「…………」
問われたシェリルは、いきなり情けない顔になって頭を下げた。
「手伝ってください。一人では死んでしまいます」
命を大事にするのは結構だが、それじゃ師匠を見返せないんじゃ……。
「お願いします! 師匠ったら、わたしの剣技が半人前の半分くらいだからとか言って、全然魔法を教えてくれないんです! 半端に魔法を教えたら、剣技の訓練がおろそかになるなんて、師匠の思い過ごしです! わたしはどっちもちゃんとできます!」
ぺこぺことヘッドバンキングする機械みたいに何度も頭を下げながら、シェリルは釈明する。
ここでズルしようとしてるあたり、師匠の目は確かなんだよなあ。
つーかシェリルって、こんな甘ったれな性格してたのか……?
台詞も少ないしほぼ脳内補完なんだけど、ドットの雰囲気では、可憐で凛然としたメインヒロイン級の魔法剣士だったのに……。
「ミグちゃんたちのご主人様なら、きっとわたしを助けてくれると思って……」
ううう、と涙で見上げてくる顔は、まあ、その、凛々しいとは言い難いけど、別種の可愛らしさはある。
これもいわゆるひとつのギャップ萌えになるんだろうか……。俺は結構ときめいてしまった。
「わかった。ミグたちのお客さんでもあるし、手伝うよ」
「ありがとうございます!」
本音を言うとだ。
俺はちょっとだけ、ミグたちにいいカッコがしたかったのだ。
さらに掘り下げると……ミグたちにいいところを見せられる俺を、俺自身に確認させたかった。
だって、ミグたちが俺にお金をくれるたびに、変な罪悪感が募るんだもん! ヒモ以下のクズな気がしてくるんだもん! ここらで俺に対する俺の価値を上げとかないと、なんか気分が滅入ってくるぜよ!
ちなみに、このイベントは、シェリルをフリー仲間枠として参加させる最低条件なのだが、厄介なことに世界情勢を動かすフラグを持ったイベントの一つでもある。
本来ならあまり手を出したくないんだけど、今回くらいは大目に見ろ、俺!
さて当のクエスト。もちろん俺とグリフォンリースが無双すれば一瞬で終わる。
しかし、あのシェリルがこんな性格だとわかった以上、甘やかすのは彼女の今後が心配だ。
そこで、俺は秘策を授けることにした。
その名も〈防御キャンセルバグ・危険度:無〉!
これはバグというより小技として認識されていることが多い。
内容としては、コマンド選択で一旦防御を選んだ後、それをキャンセルして攻撃を選ぶと、防御の効果を得つつ相手を攻撃できるという、プレイヤーとって非常に嬉しいものになっている。
「コタロー殿、早速〈タイニーイノシシ〉が!」
グリフォンリースが茂みを指さす。
でかっ……!
タイニーとか付いてるのに、バランスボールくらいのでかさはある。
『ジャイアント・サーガ』におけるイノシシとは、馬並みの体高を持つ四つ足のバケモノを指すから、しょうがないね。
「さ、さあっ、頑張りましょう!」
シェリルがへっぴり腰で剣を構える。
この時点でもう不安だ。
一方、グリフォンリースは懐かしの〈魔導騎士の盾〉を持ち、〈カウンターバッシュ〉戦法の準備を見せた。序盤とは思えないレベルの彼女に一切の隙はない。
さすがは俺のグリフォンリースちゃんだ。
そんな二人に俺は声をかけた。
「二人とも、今日はとっておきの技を教える。俺の指示をよく聞いて、すぐに反応するんだ。いいな?」
「はいであります!」
「わっ、わかりました!」
――ゴフゴフゴオオオオッ!
ぶーぶー鳴く豚が聖歌隊に聞こえるほどの恐ろしい叫びを上げ、〈タイニーイノシシ〉が突っ込んでくる。
「全員、防御の構え!」
俺の号令に合わせて防御態勢を取る二人。
〈タイニーイノシシ〉が最初に狙ったのはシェリルだった。
「――と見せかけて攻撃しろ!」
「やあっ!」
シェリルは、〈タイニーイノシシ〉の攻撃をうまくいなしつつ、駆け抜ける獣の側面を切り払った。
当たり所が良かったらしく、走った数歩先でどうと倒れる〈タイニーイノシシ〉。
「い、一撃で魔物を!? これはどういう技なんですか!?」
自分の動きが信じられない様子でシェリルが聞いてくる。
え、えーと、クリティカルヒットになったのは単に運が良かっただけなんだけど。
「なるほど、相手の心理を巧みに利用した必殺の一撃か」
その声は、木の裏から突然聞こえた。
あっ、もう出てきちゃった。
「あっ……し、師匠!?」
現れた人物を見るなり、シェリルの表情が凍結する。
へえ、これがアンジェラ師匠の真の姿か。
『ジャイアント・サーガ』では珍しく、名前があって戦えるのに仲間にならないキャラだ。シェリルがレベル99になっても余裕で師匠をやっているので、作中最強説もたびたび浮上するお人。
その外見は、まさに凛々しい魔法剣士そのものだった。
年齢は二十歳半ばくらいだろうか。髪は短くスマートなズボン姿で、中性的な出で立ちがよく似合う。
「師匠、いつから、そこに……」
シェリルがあわあわしながら問いかけると、アンジェラ師匠は薄く微笑み、
「ずぼらなおまえが自分の部屋の掃除を他人にやらせているときからだ」
「そ、それって、昨日のことなんですけど……」
「うむ。四六時中おまえを見張っている。おまえがズルしないようにな。したがな」
「ヒ、ヒイッ」
うわあ。ちょっと危ない発言だけど、シェリルの現状を考えれば、それくらいの監視が必要だと理解してくれているいい師匠なのかもしれない。
「コタロー君といったか。シェリルと同じくらいの歳だろうに、戦いの着想も、落ち着き方も歴戦の勇者並みだ。この町にこんな強力な新芽が育っているとは思わなかったぞ」
「えっ、はっ、はい。どうも……」
いきなり美人のお姉さんに褒められて、俺は恐縮してしまう。
「防御に徹すると見せかけて相手の行動を意図的に単調化させ、ぎりぎりのところで攻撃に転じる。咄嗟の動きについてこられなかった相手は攻撃力の大半を失い、こちらの攻撃を無防備に受けることになる、という理屈か。自分と同等、あるいはそれ以上の相手とダメージ覚悟の削り合いをするときに有用そうな戦法だ」
そ、そういうことになるのか? ただバグですって言っちゃいけない雰囲気だ。
「礼を言うよ。わたしも参考にさせてもらおう。さて、シェリル」
「ひゃっ、ひゃい」
捕食者の目で見つめられたシェリルの顔色は、すでに今日の空よりも青い。
「コタロー君がせっかくの秘策を授けてくれたんだ。ここからは一人でやれるな?〈タイニーイノシシ〉あと九匹だ」
「へっ……? し、師匠、あの、ギルドの依頼ではあと四匹……」
「なに? 十四匹? そうか、それはうっかりだった」
「ひぎい!? 九匹! あと九匹ですうううう……」
泣き崩れるシェリルに、ご満悦の表情でほくそ笑むアンジェラ師匠。
ああ、この人絶対Sだわ。
こんな鍛えられ方してるから、シェリルは後半クッソ成長するわけか。
何はともあれ、シェリルの依頼はこれにて終了。
俺もアンジェラ師匠にほめられて、少し自尊心がアップ!
自尊心:めったに上がらないステータス。マイナスになることも。