第二十話 男のハートは苦い味! 安定志向!
苦い思い出ほどよく残る
次はしくじらないために
悲鳴が聞こえた方へ俺たちが向かおうとすると、反対方向に逃げていく人々とすれ違う。
「マルボットだ。マルボットが来やがった! 子供らを家から出すな!」
「あいつら、俺たちを何だと思ってるんだ。同じ人間なのに……貴族ってヤツはよ!」
貴族のマルボット?
聞いたことがあるような……あっ、ヤバイ!
思い出したときには遅かった。
レベル23の俺の脚力は、思ったよりもずっと早く俺の体を騒動の渦中へと到達させてしまっていたのだ。
「オラァ貧乏人ども! マルボット様が珍しいペットを見せに来てやったんだ。泣いて喜べ!」
声音からして腐っているのがわかる男が、数人の取り巻きと共に〈貧民街〉の土道を占拠していた。
彼らへ敵意ある視線を送っている住人たちはごく少数。それ以外はみんな逃げてしまったらしい。
俺たちも必要以上には近づかず、遠巻きに様子を見る。
こいつは偶発イベントの〈貴族マルボットの暴虐〉だ。
〈貧民街〉を訪れたときに七十パーセントくらいの確率で発生する。
マルボットは小太りのそばかす持ちで、ワガママ放題に育てられたのがあらゆる角度から見てわかる。その取り巻きも似たような境遇のカスどもだ。
こいつが〈貧民街〉の住人にいやがらせをするのを阻止して、人々に感謝される。これがこのイベントの概要だ。
問題は、俺が徹底して関与を避けていた、世界情勢を進行させるイベントの一つだということだった。
「おいどうだ貧乏人。俺様のペットは可愛いだろお?」
「ぐわああああっ」
マルボットが手にしたリードの先には、トカゲに似た大きな爬虫類の姿がある。ファンキーなピンクのカラーリングだが、今、その巨体の下には気弱そうな青年が組み敷かれていた。
「そら、ピンキー。おまえの得意技を見せてやれ!」
ピンクのトカゲが「ピギー」と鳴くと、ボフンと豪快な音がして猛烈な悪臭が土煙と共に周囲に広がった。
「ぐえええええ……がはっ」
アワレ。その悪臭の爆心地にいた青年は、白目を剥いて気絶してしまった。
「ダワハハハハハ! 貧乏人にはお似合いの香水ではないか。ピンキー、この町はおまえのトイレだ。どこでフンをしてもいいからな」
直前にガスマスクらしきものをつけたマルボットと取り巻きは、ゲラゲラ笑いながら歩き出す。
「あんなのに歩き回られたら、この町中が臭くなってしまうであります。あの貴族は何を考えているのでありますか」
鼻をつまんだグリフォンリースが、涙目で言った。
あのトカゲは〈スカンクリザード〉と呼ばれる魔物で、育て方によっては人に懐く。派手な色合いが特徴的だが、一番はやはりオナラのにおいだ。圧倒的に臭い。以上。
「迷惑な人ですねえ。あなた様、関わり合いになるのはよしましょう」
パニシードの意見に賛成だ。本来は「弱い者いじめはやめろ、しね!(非殺傷)」と襲いかかるところなのだが、せっかく序盤で停滞している世界情勢を動かしたくはない。
俺が「戻ろう」とグリフォンリースに声をかけようとしたときだった。
家の陰から、〈スカンクリザード〉の前に、小さい影がぱっと飛び出した。
猫だ。
「ちゃと、待ってぇ」
さらにそれを追って、幼女が道の真ん中に出てくる。マルボット一行のまさに眼前だ。
「捕まえたあ」
幼女は猫を抱き上げ、そしてようやく、目の前にピンク色の巨大なトカゲがいることに気づく。
「あっ……」
猫を抱えたまま、ぺたんと尻餅をつく幼女。マルボットの顔が嗜虐的に歪み、手にしたリードを弛めるのが見えた。
〈スカンクリザード〉はそう仕込まれでもしたのか、平べったい胴体で、幼女を押し潰そうとした――
「マールッ!」
その直前、俊敏な動きで、幼女を引っさらった影がある。
ケトだ。
「なあんだ? おまえ」
幼女と猫を背に守りつつ、目の輝きをすべて怒りに変えたケトに対し、マルボットは露骨に不機嫌そうな声をかける。
「おまえなんかに名乗る名前はねえっ! この町からとっとといなくなれ、腐れカネモチ野郎!」
年上に対してすごい啖呵だ。根性あるぜあいつは。
「あっ、あー。今、俺様すごいムカついちゃったわ。おいおまえら、この汚いクソガキを逃がすなよ。俺のピンキーちゃんでお仕置きしてやる」
マルボットの手仕草一つで取り巻きたちが動き、ケトの逃げ道をふさぐ。
威勢がいいといってもケトはまだ十歳くらい。マルボットたちは五つは上だろう。このままではいいようにされてしまう。
「コ、コタロー! ケトを助けよう!」
「こんな非道なこと、見過ごせないであります!」
マユラとグリフォンリースが両サイドから俺を引っ張ってくる。
仕方ない。
ここでイベント一つ消化したくらいじゃ、世界情勢は変化しないしな。
〈スカンクリザード〉がのっしのっしと歩いて、ケトの足に噛みつこうとあごを開いた。
マールを守るケトは、何度も蹴りを突き出して追い払おうとしたが、バランスを崩してその場に尻餅をついてしまう。
開いたままのワニのあごが、意外なほど俊敏にそれに近づいて――
「よいしょ」
その上あごを、俺は思いきり踏みつけた。
「ピギイ!?」
誰一人、突然割り込んできた俺の動きを目で追えていなかった。
いきなりの不意打ちに〈スカンクリザード〉は混乱し、四つ足をばたつかせてその場から逃げ出そうとする。
そうすると当然、リードを握ったままのマルボットもそれに引っ張られ、数メートルを引きずられることになる。
擦り傷だらけになったワガママ貴族サマの反応は、
「な、なんだ、この野郎。探索者か? やれ、やっちまえ!」
で決まりだ。
俺の見た目が貧弱一般人そのものだからか、数で勝る取り巻きたちは臆せず向かってきた。
まあ、でも、無理だろこれ……。
殴りかかってくる一人目をするりとかわし、二人目の頬にビンタする。盛大な音と共に吹っ飛んだ相手のことはすぐに忘れ、三人目にもビンタ。唖然とする四人目にもビンタし、最後に背後に置いてきた最初の一人に裏ビンタを食らわし終了。
さすがに弱い者イジメがすぎた。
全部ビンタで済ませたのに、誰一人立ち上がってこない。
まあグーで殴ったわけでもないから、大丈夫だろ。
「ううっ……」
一人残ってうめくのはマルボットだ。
ただ、イベントの成り行き上、こいつが俺にボコられることはない。
次が本命だ。
「こ、これで勝ったと思うなよ。俺様にはまだ強い味方がいるんだ」
知ってる。
俺はマルボットがそれ以上口にする前に、木陰にひっそりと佇む人影へと目をやった。
傭兵ジェスク。年齢は十六。男性。
こいつが……ジェスクなのか。
「俺に気づいていたのか。あんた」
ジェスクは、マルボットの焦りに満ちた視線をまるで意に介さない様子で、ゆったりと歩み出てきた。
雑に巻かれたバンダナに、豊かな黒髪。
顔立ちは野性味に溢れ、目つきも鋭いが、どこかネコ科動物の愛嬌があって悪い人相ではない。
「アリンコしかいじめたことのねえお坊ちゃん相手とはいえ、いい動きだったぜ。雇い主の手前こう言っちゃなんだが、スカッとした」
「おいジェスク、口の利き方に気をつけろ! 高い金払ってるんだぞ!」
「へっ。お口の代金までは請求してねえよ」
スポンサーに冷笑を返すと、ジェスクは俺へふらりと歩み寄った。
「金さえもらえりゃ、相応のサービスはしなきゃならんのが傭兵のつらいところだが、貧乏人がいじめられるところを見るのにも飽きた。そろそろ雇い主を替えるつもりでいたところに、あんたが来たのは、ちょうどいい節目なのかもしれねえ」
「……そうか」
俺の胸の中に、苦い感情が浮いて、沈む。
「傭兵は金になるからやってる。探索者よりもな。だが一番の理由は、俺が戦うのが好きだからだ。特に強いヤツを見ると、放っておけねえ」
ジェスクは拳を構えた。
子供の頃は何の違和感もなかったけど、今改めて会うと、享楽的で刹那的な性格してる。おまえは「いのちをだいじに」って名台詞を知らないのかよ。
いや、知らないんだよな。
「やろうぜ。見たところ丸腰だから、俺も拳で相手してやる」
「わかった。そっちから来い」
俺は見よう見まねでファイティングポーズを取った。
いつもならこんな申し出、絶対に受けない。でも、こいつだけは別だ。
こいつだけは……特別なんだ。
「じゃあ、行くぜえっ!」
鋭い踏み込みだった。防御よりも攻撃を優先した完全な前傾姿勢。
ガツンと鈍い音がして、頭の奥が一瞬白い光に押し潰される。
マユラの悲鳴が離れたところから聞こえた気がした。
「……? 何だよ?」
戸惑いの声を上げたのは、殴った方のジェスクだ。
俺が何もせず、あえて頬に一撃を受けたことを訝っている。
いてえな。
でもこれでいい。
あいこだ。
本当は……きっと、全然たりないんだけど。
「いや、ぼーっとしてただけだ。次から本気でいく」
俺は頬をさすりながら告げる。
俺はこいつを……ジェスクを殺したことがある。もちろんゲームの中でだ。
初プレイのときだった。ジェスクは俺のパーティーのレギュラーメンバーだったけど、ちょっとした理由で一時期外していた。
そのときちょうどイベントで戦争が始まっちまって、ジェスクは敵国についてしまった。
傭兵だもんな。
それに、初見プレイはグランゼニスびいきになるだろ、常識的に考えて。
で、戦場でぶつかって……どうしようもなくて倒してしまった。
ジェスクは死んでしまった。
俺に倒されて、満足げに死んでしまったんだ。
最高のお気に入りだったのに。
数日間、本気でへこんだよ。小学生がだぞ。たかがゲームのキャラなのに。
あとで友達に聞いたら、ジェスクとの戦闘には逃げ道があった。そのまんま、【逃げる】ってコマンドが通用したんだ。そうすりゃジェスクは死なずに済んだ。
『ジャイアント・サーガ』では、逃走不可戦闘時に【逃げる】コマンドが表示されない。だから注意深くコマンド表を見れば、回避法がわかったはずだった。
俺の不注意だったんだ。
以後、ジェスクと戦闘になると胸の奥にあの頃の感情が蘇るんだ。
必ず【逃げる】を選んでるけど、初見プレイの絶望と後悔が忘れられない。
だからこれは、そんな過去の俺に対する自罰だ。
意味なんて、ないけどな。
「じゃあ、いくぞ」
俺はジェスクをぶん殴った。
今の俺のスピードは、初期レベルのジェスクが対応できるものじゃない。
レベル23のパンチは、レベル4のジェスクを茂みの向こうにまで吹っ飛ばした。
一発KO。
これでこの世界でも縁ができちまった。また会おうぜ。親友。
偶発イベント〈貴族マルボットの暴虐〉はつつがなく終了した。
手駒をすべて失ったマルボットは、風に飛ばされたワラクズのように転げ逃げていった。
ゲームでなら、軽い手合わせの後、お互いを認め合うはずのジェスクも茂みの奥で伸びている。
「すごいな! 強かったな、おまえ!」
俺の傍らでマユラが嬉しそうに跳ねている。
俺はなんとも言えない気持ち。忌避してた世界進行イベントをこなしてしまった。
でも、過去のトラウマの清算ができたという点では悪くなかったかもな。
「なあ」
「?」
俺の袖が引っ張られた。
ケトだ。
ケガはなかったはずだが、何やら神妙な面持ちで俺を見上げてくる。
「あんた、名前なんつうんだ?」
「ああ、俺はコタロー」
「コタローか。いつか……追いついてみせるから。それまでどっかで野垂れ死なないでくれよ」
「わかった、待ってるよ」
ケトはうなずくと、一言も添えずにマユラに迷い猫を押しつけた。
「あ、ありがとう」
というマユラからの礼にも、照れ隠しに鼻の頭にしわを寄せただけで、彼はマールの手を引いて行ってしまった。
ちょっと寂しそうなマユラの頭に手を載せて、俺は言ってやる。
「また遊びに来ような」
「……うん!」
苦い感情がちょっぴり少年を男に成長させた、そんな日だった……んじゃないのかな? よくわかんないけど。
ちなみに、この日の収穫は猫一匹。
明日は、俺も手伝おう。