最終話 ただいま 安定志向!
まず戸惑いがあった。
俺はフリーズバグを確実に実行した。
ゲームは続行不能。それはつまり、世界の時間は完全に止まることを意味している。
俺が以前やった、イベントが一切起こらなくなるバグなんてレベルじゃない。
そしてその効果範囲は主人公も例外ではない。
……はずだった。
なのに、目が動く。口が動く。手が動いて、世界を知覚する感覚が正常に働いている。
失敗?――理性がそう判断するよりも早く、キスしそうなくらい近くにある幼女の顔が、俺の冷静な分析を霧散させ、戸惑いだけを助長した。
「目覚めましたかコタロー?」
幼女は――いや、女神は笑っていた。
顔中に怒りマークを張りつけながら。
「ぴきっ……!? め、女神様ぁ……!?」
俺の襟元からパニシードの悲鳴があがった。
パニも動けるのか?
咄嗟に走らせようとした目線を、追尾するように動いた女神の顔が塞ぐ。
「こっちを見なさい」
「め、女神様……。な、何でしょう……?」
懸命に浮かべようとする自分の笑顔が、かつてないほど引きつっているのがわかる。
懸念は二つ。どちらに転んでも、俺に悪い方にしかならない。
「いやあ、本当にあなたは何を考えているのかわかりません。まさか、こんな。いや、本当に驚きですよ」
「そ、そうですか? い、いやあ、そこまで言われるとちょっと誇らしいかもしれませんね……」
「うふふふふふ」
「あはは、はは……」
「ひ、ひいいいっ……」
不気味な笑みを浮かべたまま、女神は言った。
「時間はたっぷりありますから、少しお話しましょうか?」
「はい……」
断ったら俺は投獄どころでは済まなかった。天の裁きによって、世界が終わるまで永遠にボコボコにされる刑に処されていただろう。
ただ、この段階でもっとも最悪な状況が回避されていることは、一応何となく理解できた。
女神の「たっぷり時間はある」という台詞。これは、不条理世界が迫っているなら決して使えない言葉だ。
心の安定性回復と、確認をかねてチラリと周囲を見回す。
場所は変わらず、半壊した玉座の間。すぐ近くに戸惑い顔の仲間たちがいて、腕の中にはマユラがいた。
しかし、みんな止まっている。
城の崩落した一部から見える空はまるで一幅の絵画のように、風一つ、雲の動き一つない。
すべてが静止した世界。
フリーズバグは成功していたのだ。
俺の知っている限り、この中で動ける者は、バグの影響を受けない女神のみ。の、はずなんだが、どうして俺とパニは平気なのだろうか。
疑問もそこそこに、俺はニコニコと不気味に笑っている女神に卑屈な笑みを返しながら、我知らず、ジャパニーズ反省スタイルの正座を選択していた。パニシードも俺の膝の上でちんまりと正座している。
「はじめから不条理世界に陥ることは想定済みだったわけですね?」
頭上から降ってくる女神の声に、恐々とうなずく。
「はじめ、俺は不条理世界になる直前で魔王を倒すつもりでした。でも、巨人たちから、魔王を倒しても〝黄金の律〟へのダメージはすぐには消えないことを教えられたんです」
「ほー。それで?」
ほぼノータイムで、ゴールには怒りしか残らない続きを促してくる女神。これはつらい。俺はただ正直にすべてを白状するしかない。
「俺はそのタイムラグを埋める方法を探していたんですが、ふとしたきっかけで、逆に考えればいいんだと思いまして」
「不条理世界になっちゃってもいいさ、と思ったのですか?」
女神の大きな瞳に、ぬらりと冷たい光が走る。
「ぴいい……」
一度も顔を上げていないパニシードが、気配だけでそれを察知し、羽をふるふる震わせて鳴いた。俺も泣きたいよ。
「はい。世界が時間経過で不条理世界から立ち直ることとを考えたら、つまり、あの、ああいったことを思いつきまして……」
自らの罪を蕩々と述懐する俺もつらいが、聞いている女神もつらかったのだろう。……怒りを我慢するのが。
だから、もう俺から聞く言葉はあと一つだけでいいと言うように、自ら口を開き、一気にまくし立ててきた。
「時間を止めれば、不条理世界からの攻撃を受ける者はいなくなると? そしてその間に〝黄金の律〟の修復を待って、不条理世界をやりすごそうと? その作業は、あなたの不条理操作を受け付けないわたし一人にすべて押しつけ、自分はのうのうと停止していようと? 時間が動き出す頃にはすべて元通りだと? ワーイヤッター女神様アリガトウ! と、つまりそう考えたわけですか?」
ご明察すぎる。あとは義務として残された言葉を一つ吐き出すだけで十分だった。
「……はい……」
これが俺の、チャート最後の攻略法。すべて神様にぶん投げる法、だった。
誰もが黙り込む中、いきなり膝の上から裏切り者が出た。
「……なんてことをっ……! あなた様という人はっ……無責任ですよっ」
「なっ……。パニてめえ……! 言っておくが、俺の闇であるおまえも同罪だからな。さっきは協力してくれたもんな」
「何をわけのわからないことを……! わたしはちょっと飛行訓練をしていたら女神様にぶつかってしまっただけですよっ。あなた様の悪巧みとは何の関係もありません……」
「黙りなさい」
その言葉に殴られるように、醜い言い合いをする俺たちは仲良く口を閉ざされた。
女神は、はあっ、と深いため息をついた。
どうでもいいが、彼女はずっと白スク水なので、威厳とかそういう観点からすると、まったくない。今の状況も、特殊な趣味をお持ちの方には、ご褒美のように思えなくもない。
そんな彼女は、呆れたように俺から目線を切ると、ぽつりと言った。
「理解不能なほどデタラメな発想ですが、確かにぐうの音も出ないほど有効なやり方でした」
「え……」
「〝黄金の律〟の修復作用についてはあなたがにらんだ通り。激しい壊れ方をすればするだけ、より強固な形で再構築されます。今回の急激な負荷を考えれば、もはや、一体だけの魔王と〈アークエネミー〉程度では、かすり傷もつけられないほど強固なものとなって復活するでしょう」
「それじゃ……」
「ええ」
女神はほんの少しだけ笑ったように見えた。
「これからのこの世界に、もう魔王と呼べるものはいません」
「イエスッ!」
俺は中腰のままガッツポーズを取った。膝からパニが転げ落ちる。
こんな学級会つるし上げの雰囲気でなければ、もっとおおっぴらに、玉座の間をのたうち回りながら絶叫するくらい嬉しいことだった。
これでマユラが救われる。オマケで世界も救われた。
この喜びを仲間たちと分かち合えないのが本当に惜しい。
「ただし! それはあくまで、〝黄金の律〟がきちんと回復したらです」
浮かれる俺の頭を押さえつけるような声で女神は言った。
「今回は〈ガラスの民〉の時代とは比較できないほど盛大な壊れ方をしています。もし再生途中で間違いがあれば、あなたの目論見も半端なもので終わるでしょう」
「それは……その、〝黄金の律〟と女神様に頑張ってもらうしか……」
「は?」
『ひいっ』
あまりにも威圧的な「は?」に、俺とパニシードは揃って縮こまった。
女神は頬をひくつかせた半笑いで、俺たちを見下ろす。
「あなたたちは、こんなわかりきったことを聞くためだけに、わたしがあなたたちを時の停止から復帰させたと思っているんですか?」
「えっ」
「手伝いなさい」
「えっ」
「〝黄金の律〟を直す作業に、付き合ってもらうんですよ」
驚いて顔を見合わせる俺とパニに、女神が顔をグイイッ! と寄せてくる。
「まさか、何か不服でも?」
陰を含んだ笑顔には、ふれれば爆ぜるような紫電がうねって見えた。
『とんでもない! 喜んで!! 誠心誠意やらせていただきます!!!』
俺たちの声は、卒業式のかけ声のように綺麗に重なった。
こうして、俺とパニシードの、罪滅ぼしのような世界再生作業は始まった。
なんだよこの新展開。
最終話って書いてあんの見えないのかよ……。
※
「ZZZZZZZZ……」
「なに寝てるんですかコタロー? 休憩している時間なんてないんですよ。今すぐ起きないと時の凍った氷を首にはめて、永遠に凍えさしますよ?」
「冗談じゃないですよあなた様! わたしなんかただのとばっちりなのにこんなに真面目にやってるというのに!」
※
「ZZZZZZZZ……」
「なに寝てるんですかパニシード? 自分が何をしたかわかっていないなら、今すぐ魔界の樹の精に転職させますよ? あの土地の植物はどれも触手が凶暴だそうですね。色々弄ばれてみたらどうですか?」
「起きろや妖精! おまえ、俺が三日徹夜したときもこっそり頭の上で寝てただろ! なにが高い位置から見張りをした方がいいだボケ! あのときは睡眠不足で気づけなかったが、ちゃんと知ってんだかんな!」
※
「ZZZZZZZZ……」
「ZZZZZZZZ……」
「ZZZZZZZZ……」
※
「どうして起こしてくれなかったんですかアホロー! ああもうこんなに時間がすぎているではないですか! まだあの作業が途中だというのに……!」
「最初に寝たヤツが何を言ってるんですかねえ!! こんなブラック作業を休みなしで続ける方がどうかしてんだよ! あとアホローは微妙にギリシャの神様っぽい名前になるからやめろ!」
「起きてすぐに怒鳴り合いなんて、二人とも元気よすぎ……。はっ、この状況を放置しておけば、わたしはもう少し寝ていられる……!?」
※
そして五年の月日が流れた……。
「ウソですよ。一年くらいでしょう、あなた様」
「まあな。でも密度を考えれば、普段の五倍は動いた気分だ」
「日頃、どれだけ怠けているかが自覚できたじゃないですか」
俺とパニシードと女神は、再びここを訪れていた。
魔王城、玉座の間。
俺の旅の終点。
そして世界が動き出す始まりの場所として、ここほどふさわしいものはない。
久しぶりという気はあまりしなかった。
〝黄金の律〟の再生作業のキツさに心が折れそうになったとき、ここを訪れては、仲間たちの顔を見て、気力を回復させていた。
不安げな顔のグリフォンリースたち。
その隣に座って、いつも考えた。
早くこの顔を笑顔にしてやりたい。
もう大丈夫って伝えたい。
そうだ。
再び、みんなで笑いあうために――。
「俺は今日までブラック上司の下で頑張ってきたのだ!」
「わたしはむしろ被害者なんですが、そこのところよくわかっていないようですね」
「年間の一日平均睡眠時間が三時間って、純粋な殺人法だぞ」
「死にそうになったら強制全快させるつもりでしたので。それに――」
女神はわざとらしいくらい素っ気ない顔で、俺の心を言い当てた。
「一日でも早くみなに会いたかったでしょう?」
俺は憎まれ口に窮する。こんな人の心など少しも考慮してくれない鬼女神が、読むことだけはしっかりしている。
けれど俺の頬は苦笑に歪まず、素直な笑みになった。
「……まあな。一年でも長すぎたくらいだ」
「髪も伸びましたねえ。今のうちに切っておいた方がいいんじゃないですか? 似合わないって笑われますよ」
パニシードがケラケラ笑いながら、雑に結んだ俺の髪を引っ張ってくる。
「後でいいんだ。切ってもらいたい人がいるんでな」
俺が言うと、女神もパニシードも優しく笑った。
「もうじきですね」
女神は虚空を見上げながら言うと、そっときびすを返した。
「挨拶くらいしていかないのか?」
俺は呼び止めようとしたけれど、小さな背中は止まらずに、
「わたしは神です。見えようが見えまいが、いつもすぐ近くにいますよ」
「そうか」
「ああ、そういえば、一つだけ聞いておきたいことが」
彼女は足を止めて、ほんの少しだけ振り向いた。
「コタロー。結局、あなた一体、何なんですか?」
その曖昧で、けれど珍しく本当に知りたそうな女神の問いに、俺はなぜだかすんなりと答えを見出していた。
「この世界を、誰より愛する者さ」
答えになっていない答えに、女神は呆れたように笑った。それから、
「あなたとすごした一年はなかなか楽しかったですよ。また会いましょう、コタロー」
「ああ。またな」
女神の後ろ姿はゆっくりと消えていった。
…………。
なんかちょっぴり切ない別れみたいになってるけど、あんたオブルニアの隣の部屋にいるんだよな。もはや「先に帰ってます」レベルのノリだよな。
「さて、と」
この一年、〝黄金の律〟の復旧作業にいそしんでいた俺にもわかる。
あと数秒で世界の摂理は自己修復を終え、通常の活動を開始する。
まだまだ不備がないわけじゃないが、それでも、些細なミスでは動じないくらい、強い子になった。もう魔王でも悪魔でも、わけ隔てなく存在を認めてくれる。
俺はみんなの前に座って、その顔をじっくりと見つめた。
グリフォンリース。
異世界で最初にできた仲間。彼女の盾に何度も助けられた。彼女の笑顔には何度も支えられた。
キーニ。
色々特殊で厄介な性格だが、最後まで俺についてきてくれた。彼女の必殺技なしには勝ち得なかった戦いがいくつもある。俺との日々を通じて、彼女の人生に実りの一つでも生まれてくれてたら嬉しい。
マユラ。
俺のバグに翻弄されながらも、一番たくましく育った。しかし、もっと驚かされるのは、きっとこれからなんだろう。彼女はそれを、もう誰からも邪魔されない。
そして、ここにはいない他の家族たち。
とても語り尽くせないくらいの思い出が、一人一人とある。
それが、今日からまた増えていく。
「まず最初に何と声をかけるんです? きっとみんな、何が起こったかわからずにびっくりしますよ」
「うん。まあ、決めてある。何が起きたかの説明は、おいおいな」
俺はこの異世界に来て、これまでの人生では想像もできないほど多くの、大きなものを手に入れた。
一つ失っただけで自分が壊れてしまうような、かけがえのないものばかりだ。
それらすべてを背負っていくことは、きっとできないのだろう。
安定を求める俺には、それが不安で、恐ろしい。
だけど、背負わなくていいのだ。
彼女たちはそこにいる。
俺は、その隣にいつもいる。
それでいいんだ。
それだけで、どんな困難とも戦える。
彼女たちこそが、俺の安定そのものなんだ。
さあ時間だ。
「わあっ」
何の予兆もなく、みんなが突然動き出す。
俺がいた場所が空白になっているので、バランスを崩して倒れ込む。
その声が、動きが、匂いが、一斉に俺の心を満たしていく。
「あ、あれっ? コタロー殿、どうしてそこに?」
きょとんとするグリフォンリース。
《おかしい》《コタローが瞬間移動した》《それに》《あれ……?》《なんかちょっと大人っぽくなった?》《髪も伸びてる……》
ジト目をパチクリさせているキーニ。
「コタロー……?」
必死に状況を理解しようとしているマユラ。
会いたかった。
ずっと会いたかった。
心が定まるのがわかる。揺れ動いても、支えてくれる人がいるのがわかる。
また会えた大切な彼女たちに向かって、今、万感の思いを込めて言う。
すべてを始める最初の言葉。
「みんな、ただいま」
最終回と言ったな
エンディングは別だ