第十七話 なまえをにゅうりょくしてください。安定志向!
こいつは〈魔王が仲間入りバグ・危険度:低〉だ。
『ジャイアント・サーガ』では、意図的に起こすのが難しいレアなバグ。
〈グラフィックチェンジバグ・危険度:中〉を魔王に仕掛けると、四〇九六分の一で発生する。狙ってどうこうできるものじゃない。
なのに……。
何でそんな奇跡がよりによって今起きるんだよ!
実際プレイしたときでも、一度もなったことねえぞ!?
俺はタオルで髪を拭いている魔王を見ながら、壮絶に顔をしかめていた。
ディゼス・アトラぞョ7くsいしfじこ
レベル9け5
性別: 女
クラス: ぉ女
HP: 11/4
MP: 5れ/77
予想通りステータスはバグっている。『ジャイアント・サーガ』でもこうなるらしい。
力:2 体力:1 技量:3 敏捷:3 魔力:1 精神:2
弱え……。完全に女子小学生並の戦闘能力だ。
確かに、他の魔物に見つかっていたら捕食されてたかもな。
愛想:18 献身:15 義理:10 野望:1
依存:11 嫉妬:10 行動:2 反省:18
内面的にも問題なさそうだな。異常性はない。
「お、おい……」
「え」
「あんまりじろじろ見るな。恥ずかしいだろう……」
魔王はタオルを抱くようにして、透けたブラウスの奥のぺたんこな胸を隠した。色の白い頬が赤く染まっており、目は気まずげだ。
「……おまえな。魔王だろ。なに人間の真似なんかしてるんだ。だいたいおまえ、メスなのか?」
「我は、魔界の五つの〈源天〉、〈暗い火〉〈乾きの水〉〈古ぼけた風〉〈実らぬ土〉と〈閉ざされぬ闇〉でできている。オスメスの区別などない」
「だろうな。知ってるよ」
「だが……だがな。この体になってから、我はおかしいのだ。怖いものが増えたし、味わったこともない感覚を知るようになった。今の格好をじろじろ見られると、顔と胸が熱くて苦しくなるのだ。これが羞恥というものだと、我はなぜ知っているのだろう……?」
「…………」
何だろう。姿を似せられた女の子と、性格や感覚が近くなっているってことだろうか。
参ったな。だったら、こいつを見捨てた場合、俺の心の中によくないしこりを残す可能性がある。心の平穏を保つには、後ろめたいことをできるだけ減らすのが第一なのだ……。
「んー。あなた様ー? お客さんですかー?」
パニシードが目を擦りながらふらふらと飛んできた。おいおい、シルクローズの花粉まみれになってんぞ。
「あっ。妖精ではないか」
魔王はパニシードをぱっと捕まえると両手でぐにぐにといじり始めた。
「ぎゃっ、ギャーッ! あなた様、何なんですかこの子供! あっ、ちょっと、変なとこさわらないで……チョワーッ!」
「可愛いなこいつ! おまえのペットか!?」
「ジャッ!」
一瞬の隙をついて魔王の手から逃げ出したパニシードが、すばやく俺の肩の後ろへと退避する。
「はーっ、はーっ! あなた様お気をつけください! この女児、非常にセクシャルハラスメンターです!」
髪もくしゃくしゃ、服は乱れ、マフラーもほどけかけた姿で、魔王に指を突きつけるパニシード。相手が魔界のボスだと知ったら、「魔物に汚された! もうしぬ!」とか悲観に暮れそうだから、黙っておこう。
「それで、誰なんですこの子供」
「あー、こいつはな……」
「今日からこの家で厄介になるぞ。よろしくな妖精」
「げえっ!? どういう意味です、あなた様!? いくら積まれたというのですか!」
人聞きの悪いことを言うんじゃない。それに、まだそうと決めたわけじゃない。
「こいつは、昔俺が世話になった人の娘でな――」
言いながら適当な設定を考える。
「で、その人はあれな感じにすごい理由ですごーく忙しくて、親戚もあれな感じでそれだから、俺にこの子の面倒を頼んできたというわけだ」
「若いうちからあれとかそれとか言ってるとバカになりますよ。あなた様」
そうだよな。
「んで、名前が、その――」
「うむ。我はディゼス――」
「え」
俺は無言で魔王の口を塞いだ。
「あなた様、今、魔王らしき名前を聞いた気がするのですが」
「聞き違いだ」
「しかし確かに、世にも恐ろしきものを示すディという頭文字が」
「ち、違う。こいつの名前は……」
魔王、まお、まおたん。違うな。近すぎる。ディゼ……いやディって発音がまずダメなのか。アトラ……もやばそうだな。肉のサナギ。サナギ……ってのはちょっとな。サナギじゃなくて、えーと、マユ……マユラ。お、結構離れたぞ。
「こいつの名前はマユラだ。そうだな?」
俺は手を離し、かわりに魔王の肩をきゅっとつまんだ。
いいか、そうだと言えよ。頼むから空気読んで合わせてくれよ。
俺の願いは、
「うむ。我の名前はマユラだ! いい名前だろう!」
意外にも完全な形で成就されることになった。
「は、はあ。そうですか。わたしはパニシードです……」
歓迎ムードなしで苦り切った返事をするパニシード。こいつ、猫を飼うのも反対したし、自分を追い回すものは基本的に苦手なんだ。
「じゃ、じゃあ、わたしは奥で寝てますので、また後で」
爛々と輝くマユラの目に、再びいじり回されるのを危惧したのか、パニシードは窓際にあるシルクローズのプランターへと飛んでいった。
「マユラ♪ マユラ♪」
「……ずいぶんお気に入りだな?」
俺は声量を落とし、訝りの目を向けつつたずねる。
「当然だ。これはおまえが我のために付けてくれた名だろう」
「そりゃ、そうだけども……」
そんなに喜ぶものか? すでにディゼス・アトラっていかつい名前があるのに。
「ディゼス・アトラとは名前ではない。記号なのだ」
ふっと目を伏せてマユラは言った。口元には少女の外見に似つかわしくない、老成した寂しげな笑みがある。
「世にも恐ろしき古のものよ、去れ。それがディゼス・アトラの示すものだ。名前ではなく、敵意であり、烙印なのだ。我に消えろという願いの言葉なのだ」
「……そうだったのか」
「だが、マユラという名前は違うな? これはおまえが我を我として認めてくれた、本当の意味での名前だな?」
「ああ、そうだ」
そこまで深く考えてなかったけど。
「だったら我は嬉しい。これは我の命を認めてくれる言葉だ。感謝するぞ、おまえ」
にこっと笑うマユラ。あっ……ちょっとその笑顔は反則ですよ魔王さん。
俺は頭をガリガリと掻いた。
はあ……。今さら面倒見ないって選択肢はないか。しょうがないよな。さすがに見捨てられないよ、もう。
「とりあえず、アパートに空き部屋がまだ三つあるから、好きなのを選んで使ってくれ。腹が減ったり、わからないことがあったりしたら俺のところに来い。ちなみに今は腹減ってないか?」
「うむ、助かる! 我はハンバーグ食べたいぞ!」
意外と少年っぽい好みのお嬢様っすな……。
「ただ、一つだけ聞かせてもらおう」
「ん、何だ?」
俺はマユラのツリ目を正面から見据える。
「声に従って俺のとこまで来たと言ったな。相手が誰なのかわかるか?」
「いや、わからん。聞いたこともない声だった。よくよく考えれば、声だったかどうかも怪しい」
「そうか。わかった。ならいい」
俺は膝に頬杖をついて考えた。
やっぱ、おかしい。
〈アパート買ったら世界滅亡〉に続いて〈魔王が仲間入りバグ〉まで発生するなんて、もうこれは確率の問題じゃない。
恐らく、起こる可能性は最初から一〇〇パーセントだった。
この世界での誘発系バグは確実に起こるのか?
それとも、意図的に起こされた?
誰に? 何のために?
……わからん!
俺以外の地球人が、〈導きの人〉としてこの世界にやって来ている可能性は否定できない。だが、そいつが俺より『ジャイアント・サーガ』のバグに精通している可能性はどんだけだ? まずあり得ないだろ。
目的だって不明だ。
わざわざ世界を危機に陥れるようなレアバグを引き起こす理由は何だ?
やっぱり世界を滅ぼしたいのか?
しかし世界滅亡の急先鋒は、今、俺のアパートで濡れた髪を一生懸命乾かしている。
クソッタレ。これじゃ俺がもがき苦しむこと以外、何の得もないぞ。
……まあいいや。
わからないことを考えすぎても心の安定感が失われる一方だ。
今は魔王ディゼス・アトラ……じゃなくて、マユラの生活をどうするか考えよう。
雨の日に傘も差さず魔王がやってきてもいい
自由とはそういうものだ




