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第百六十四話 君がいたから 安定志向!

「…………!」


 目を開けると、暗い天井が歪んで見えた。

 冴えるような空気が肌に冷たく食い込み、頭に張っていた薄膜を瞬時に取り払う。


「この、ドジヤローがっ……!」


 俺は目の中に残っていた涙を荒っぽくぬぐい去ると、周囲を見回す。

 魔王城の廊下だ。

 入ってきた裏庭への扉が、開けっ放しのまますぐ近くにある。

 帰ってきた。俺の現実に。


 首から提げていた〈奥の瞳のペンダント〉を服の下から取り出し、嘆息とともに見つめる。


 このアイテムの効果は、持ち主にかけられた邪悪な魔法を打ち破るというもの。


 さっきまで俺が見ていた世界は、すべて〈古ぼけた風〉が作ったまやかしだ。


 ゲームにおいては、主人公は魔王城に入った途端、グランゼニス城下町の夢を見せられる。世界は平和で、誰もが優しく、苦しいことや悲しいことは一つもない、楽園のような町並みが、主人公を温かく迎える。


〈古ぼけた風〉の見せる夢は、人の原点、つまり故郷に深く関係している。


 主人公がグランゼニスの幻を見たのは、彼がそこの出身だったのかもしれないし、あるいは、故郷を捨てた旅人が第二の故郷としたからなのかもしれないが、ともあれ、俺の場合はあの地球の姿になるわけだ。


 クッソ恥ずかしいわ。どんだけ舞い上がってるんだ、俺は。

 こうなることを知っておきながら、一時でも、あの世界が居心地がいいと思ってしまった自分が情けない。


 言い訳をさせてもらえるなら、主人公が記憶を無くしているというのは盲点だった。


 確かに、魔王城に乗り込んだはずがいきなりグランゼニスに戻っていたら、主人公が世界有数のマヌケだったとしても怪しいと気づく。それでは罠にもならない。


 このとき、〈古ぼけた風〉はこちらの記憶を制限し、違和感を持たせないようにしていたのだ。


 迂闊にこの城に進攻した者は、痛みも恐怖も味わうことなく、優しい夢の中に溺れ死んでいく。これまで多くの冒険を越えてきた勇者にとっては、残酷で哀れな結末だ。


 俺は、すぐ近くでうつぶせに倒れているグリフォンリースを見やった。

 すやすやと、ヨダレまで垂らして気持ちよさそうに寝ている。


 そのマヌケ面に、一瞬、感情が爆発しそうになった。

 グリフォンリースがいる。キーニもいる。パニシードがいる。この世界にはみんながいる。

 よかった。今度は幻じゃない。


 あの数センチのドット絵で描かれ、短い台詞だけで表現された、素っ気ないデータ体じゃない。

 生きて、ここにいる。

 それを思い出せたことが、泣けるほどに嬉しい。


「グリフォンリース。起きろ、グリフォンリース」


〈奥の瞳のペンダント〉をかざしながら、彼女を揺り動かす。


「うー。うーん。もう食べられないでありますう……」


 レトロな夢見させてんなあ〈古ぼけた風〉のヤツ。懐古主義者め……。


「はっ、コ、コタロー殿!? ここは!?」


 目覚めたグリフォンリースは、慌てて口元のヨダレを拭う。


「変わらず、魔王城の中だ。俺たちは魔法で夢を見させられていたんだ」

「夢、でありますか……。なるほど。確かに、故郷の兄弟たちと、毎日おなかいっぱいごはんが食べられる幸せな夢を見てたであります。今思えば、そんなことは一度もなかったでありますから、変だと気づくべきでありました。面目ないであります」


 グリフォンリースは申し訳なさそうに頭を掻いた。


「いや、いいんだ。俺も記憶を封じられてたから、ちょっと手間取った」

「でも、自力で切り抜けるとはさすがコタロー殿であります!」

「いや、それはこの〈奥の瞳のペンダント〉の効果さ。それと……」


 俺はグリフォンリースを見つめ、ぽつりと言った。


「夢の中には、おまえがいなかったから」

「えっ」

「おまえがいない世界なんて幸せでも何でもないから、戻ってこれた」


「…………へひゃ」

「待てグリフォンリース、気絶するな! まだ話は終わってない! おまえもだけど、他のみんなもいなくて寂しかったからだからな! アヘ顔でもちゃんと聞こえてるよな!? な!?」


 ダメだ……。コーコツとした表情のまま、別の幻を見ている。こっちはペンダントを使っても回復しそうにない。


 彼女の方は自然回復に期待するとして、俺はキーニとパニシードを先に起こした。


「楽園は確かにあったんですよ! 世界のすべてがわたしに優しい楽園が! どうして起こしたんです!? 夢だって目覚めなければ現実と変わらなかったのに! あなた様のばかぁ!」


 これはひどい。真面目系クズではなく単なるクズになっている。


《故郷で両親と仲良く暮らす夢見てた》《申し分のない一家団欒だった》《親がちゃんと親してた》《今思うと吐き気がする》《死ねクソ親》《コタロー》《起こしてくれてありがと》《ある種盛大な悪夢だった》《でも》《めちゃくちゃ明るい人格だったわたしはちょっと捨てがたかった》《あんなふうになってみたいかも》《無理だけど》


 キーニちゃんは混乱させるととっても明るくなりますよ。


「はっ!? 自分は何を!?」


 二人を復活させたところで、グリフォンリースも回復する。


「二度寝したんだよ。もう大丈夫か?」

「さっきのは夢、でありますか……。そうでありますか……」


 うっ……。すっごいしょんぼりしてる。これを見過ごすのはちょっと可哀想。


「ゆ、夢かもしれないけど、案外現実に近い夢かもしれないぞ。ほら、正夢ってあるだろ。どんな夢見たのか知らないけど、そう落ち込むなって」

「だとしたら……ん? あれ?」

「どうした?」


 グリフォンリースが焦った様子で周囲を見回し始めた。


「マユラはどこでありますか?」

「えっ」


 冷たい血が、さあっと体中を巡った。

 そうだ、今回はマユラがいたんだ! 何か忘れてると思ったら……しまった!

 慌ててあたりを確認するが、彼女の姿はない。絶望が胸の芯を重くする。


「心配はいらないよコタロー」


 飄然とした声が響いたのはそのときだった。

 通路の曲がり角から人影が現れる。

 面相はさっぱりわからないが、その声とシルエットには覚えがあった。


「テュルフィ! ……に、マユラ!」


〈乾いた水〉テュルフィについて現れたのはマユラ本人だった。


「コタロー、よくぞ〈古ぼけた風〉の妖夢を切り抜けた!」


 マユラは駆け寄ってくるなり、俺の手を握りしめる。

 事情を聞くと、どうやら〈古ぼけた風〉が攻撃を仕掛けたのは俺たちだけで、マユラは除外されたらしい。仮にも魔王の外殻である少女。ダインスレーニャが許さなかったそうだ。


「ダインスレーニャは?」


 俺が聞くと、テュルフィが答えた。


「彼女もそばにいる。ただ、姿を見せると周囲が真っ暗になって、君らには何も見えなくなるだろう? だから自重しているんだよ。さて――」


 そこまで言って、テュルフィは顔と声を何もない方向へと向けた。


「〈古ぼけた風〉。勝負はコタローの勝ちだ。彼は帰ってきた」


 すると、壁の一部がぐにゃりと歪み、そこから暗緑色の騎士が現れる。もう誰何もいらないだろう。こいつが〈古ぼけた風〉カラドバだ。


「なぜ戻ってきた」


 カラドバの若々しくも理知的な声は、腑に落ちない彼の憤懣を如実に表していた。


「人は過去を美化する。つらい過去を持つ者は、なればこそ美しい過去を夢想する。おまえには心地よい世界だったはずだ」

「俺は不安定な人間なんでな。うまくいきすぎても結局不安になるのさ。それに、俺があんな主人公主人公してたら、さすがに変だって気づく。設定を盛りすぎたな」

「…………」


 押し黙るカラドバに、テュルフィが追うように声をかけた。


「君がコタローに使った技は、他二人とは比較にならない高度なものだった。〈古ぼけた風〉の本領だったはずだ。これでもまだ彼を認められないというのは、ちょっと大人げないよ」


 ん……。何だろ、テュルフィのこの台詞。

 俺は、グリフォンリースたちとは違う魔法をかけられていた?

 どういう意味だ? 俺の見せられた夢は特別製だったのか?


「……いいだろう。認めてやる」


 カラドバはそう言うと、きびすを返して奥へと歩いていってしまった。


「コタロー、玉座の間だ。他の〈源天の騎士〉もそこに集まっている。お望み通り、〈アークエネミー〉になって君に協力してあげる」

「ああ。わかった」


 これで、俺のチャートも最終段階に入る。

 この期に及んで、何かミスはないだろうな……。

 俺は無意識的にズボンのポケットをまさぐる。


「…………?」


 何か小さくて硬いものにふれる。

 指先で形を探ると、俺は次第に意識を鈍らせていった。

 それはごくありふれた普通のものであり、同時に、ここには決してないものだった。


 つまんで、取り出した。


 自転車の、キー。


 通学用に使っていた、

 大山たちと会い、智樹とゲームをして、

 葉山さんと並んで帰った、

 自転車の、キー。


「…………………………………………」


 何でそれがここに?

 あれは、夢じゃ、ない………………………?


 俺は止まりかけている思考を必死に巡らせる。

〈古ぼけた風〉カラドバの象徴は〝懐古〟〝過去への執着〟〝停滞〟。

 夢や幻なんて言葉はどこにもない。


 まさか。


 夢や幻を見せるのは一つの方法にすぎなくて、その気になればもっと別のことができるのか?

 人の想う〝過去〟にまつわる攻撃こそが本義で、そのためなら、さらに強力な魔法の行使が可能なのか?

 たとえば、相手の記憶をたどって、その場所に相手を押し戻すことも?


 それじゃあ。だとしたら……。


「テュルフィ」


 俺はうわごとのようにつぶやいた。


「俺は、ずっとここに寝てたよな……?」


 すべてを見ていたはずのテュルフィは、


「君は帰ってきた。僕にとってはそれがすべてだ」 


 ほしい答えをくれなかった。いや、ほしくない答えかもしれないが。

 あれらがすべて現実なら。本当のことなら……。

 …………。


「パニ、こいつをバックヤードにしまってくれ」


 俺はパニシードに自転車の鍵を渡す。


「あい。何です、これ?」

「…………。忘れた。多分、今は用のないものだ。そのうち思い出すかもな」

「ええ? そんなもの持たせないでくださいよ、管理だって面倒くさいのに……」

「さあ、行くぞ。みんな! 玉座が俺たちを待っている!」

「ちょっとお! 聞いてくださいよあなた様!」


 …………ハッ! 

 ハハハッ!


 今の俺が地球に戻ったらあんな如才ない無敵キャラになってる?

 イヤなヤツはサラッとかわして、登校初日に友達ができて、なおかつ引きこもり少年を立ち直らせて、そんで、学年一の美少女さんと仲良しになって、今後の学校生活順風満帆ってかあ!?


 ファーファ!


 なってねーよ間違いなく!

 俺は今も昔もただのコタローだ。

 こっちの世界でだって毎日ヒーヒー言ってる。

 だから、今だって一つのことをこなすのに精一杯なんだ。


 俺は〈古ぼけた風〉に勝って、悪夢の世界から戻ってきた。

 できることは全部やってきた。もうあそこに俺がいる必要なんてない。夢でも現実でもどっちだっていい!


 俺のゴールは目の前にある。

 今は、釣られたクマみたいに前を見ろ。

 それが、俺の求めた現実だ!


これ系統で一番心にキたやつは「夢を見る島」の漫画版です・・・

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― 新着の感想 ―
[一言] 現実世界ではこの世界こそがゲームで作られた幻想で、 でも実際はゲームの世界こそが現実で…… しかしながら実はその両方が現実……!
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