第百五十三話 塞がれた壁の奥から……! 安定志向!
俺たちの前にあるもの。それは、うずたかく積み上げられた死体の山だった。
それは通路の天井までを完全に埋め尽くし、壁と見まごうほどになっている。
「この通路の先は、天井までみっちり死体が詰まってるってことか? いくら何でも過密すぎるだろ」
異様な空気に呑まれないよう、俺はわざと冗談めかして言ったつもりだったが、声はあまり出ていなかった。
俺の心の防御力に対し、この光景は攻撃力が高すぎる。
ここで虐殺があったわけでもないのに、足がすくんだ。
「アホか。そんな眠りにくい場所に死者たちが集まるはずないヂュ。さっきの死体のない通路といい、この山といい、何かおかしいヂュエ。その死体を掻き出して奥へ進めヂュラ」
だが誰も動かなかった。
ヂュラの指示に従うと言うことは、この死体の山を登り、天井付近の部分を直に手で掘り返すということになる。靴底を通してすらふれるのをためらっていた俺たちにできることではない。
「僕がやろう」
固まる俺たちの前にテュルフィがすっと出て、死体の山を登り始めた。
《源天の騎士》が穴掘りしている場面など早々見られるものではないが、愉快さはまるでない。天井付近にたどり着いたテュルフィが、無言のまま無数の人骨を掻き出すのを、ただ黙って見つめるしかなかった。
「奥に空間があるね……。どうやらこれは、死体が詰まっているのではなく、壁になっていただけのようだよ」
そう言い残すと、テュルフィはさっさと向こう側へと入ってしまった。
進まないわけにもいくまい。
俺たちは暗い顔でうなずき合い、誰が最初に行くかの数秒の沈黙を経て……俺を先頭に押し出す形で白骨の山を登った。やめろ。
鎧の下にパンツ一丁で魔界に乗り込むヒゲの騎士も、毎回こんな気分を味わっているのだろうか。せめてこの先にいるのが、助けを待つお姫様とかだったら、ある程度の行為も我慢がきくのだが。
テュルフィが掻き出した穴から抜け、向こう側へと下りる。
「大丈夫かい」
死者の斜面をよろよろと下りてきた俺に、テュルフィが手を差し出す。
礼を言って、遠慮なくその手を掴んだ。
こいつ、上では単なる利害関係だとかドライなこと言っておきながら、細かいところで親密さを醸し出してくる。果たして中身は女の子か、男の娘か……。俺、気になりますよ。
「ここは何だ?」
そこはちょっとした広さの部屋になっていた。
奇妙なのは、入り口を完全に塞ぐほどだった死体は、部屋の中央部分にはほとんどなく、ほぼすべてが壁際に寄っている状態ということ。
まるで何かに吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられたようでもある。
「やっぱりおかしいヂュ。死者たちは均一に横になるヂュ。空いてる場所があるのにわざわざ折り重なることなんてないし、ましてや山を作るなんてあり得ないヂュラ」
続いて部屋に入ってきたキーニの頭の上から、ヂュラが不機嫌そうに言った。
「それに、途中の道に死体がなかったのも変ヂュ。この通路はだいぶ古いものヂュ。もっと死者たちでいっぱいになってないとおかしいヂュエ」
「死者には二種類いたんじゃないかな。この場所を避ける死者と、この場所に集まろうとする死者」
テュルフィが意見を述べると、ヂュラは不機嫌そうに一旦黙り、
「生死すらない者にしては、いい勘ヂュ。〈導きの人〉、そこらの死体を見てみるヂュエ」
言われたとおり目を向けるが、干からびて原型をとどめないほど朽ちた白骨ばかりで、めぼしい何かが見つかるわけでもなかった。
「ぼろすぎて何もわからん」
「そのぼろすぎるのが問題ヂュ。長い時間が経過しても、ここまで死体はぼろぼろにはならんヂュ。明らかに攻撃された跡があるヂュエ」
「…………」
「〝誰に?〟とは聞かないのかい。コタロー」
テュルフィが横から口を挟んできた。その声に、どこかおかしさが混じっていることから、こいつもすでに結論に達しているんだろうと確信する。
「どうやら、俺たちの探し物と関係あるらしい」
「おまえの言う剣ヂュ? 確かにそんなものがあったら、物欲が強く残っている死者はほしがるかもしれないヂュ」
自分は入り口のところで何もかも没収されたのに、一人だけ違うヤツがいたら、そりゃ気になる。そして、はじめは別にほしくなくとも、見ているうちに手に入れたくなってしまう。無人島の漂流者たちが、がらくたを巡って争うみたいに。
それが集まっていた死者。
逆に、近づかなかった死者たちは、賢明だったか、それとも剣の存在に恐怖を感じたのだろう。
「で、物欲の強い連中は剣の持ち主に返り討ちにされたわけだ。それを繰り返しているうちに、通路が死者たちでふさがっちまったんだな」
《でもコタロー》《この部屋には何もなさそう》
キーニが思うとおり、部屋には死体以外何も見当たらない。
「別の場所に移動してしまったのでありましょうか?」
「いや、入り口は完全にふさがっていた。誰かが外へ出た形跡はない。つまり、剣はまだここにある」
何となく探偵風に言ってみたものの、これは洞察力によって導かれた完璧な推理ではなく、答えを知っていることによるヒキョウな結論だ。
そうと自覚していても小さな満足を得てしまう俺の心は、汚いなさすが汚い。
部屋の奥へと進むと、突き当たりのすぐ手前に、意味ありげな死体がぽつんとある。
他は吹っ飛ばされてもみくちゃにされているのに、それだけが綺麗な骨格を保っていた。
歩み寄ると、冷たいものが頬を撫でる。
ゲームでも、
「つめたいものがほおをなでる……」
というメッセージが表示され、プレイヤーの不安をあおるのだが、これは「どこからか風が吹いています」という親切な説明文を悪意ある形に手直したものであり、断じてオバケが原因ではない。小学生の俺をおねしょの危機にさらしたスタッフは許されない。
孤独な死体の脇を通り過ぎ、壁に近づく。
実はここに隠し通路があるのだ。薄暗いので、少しわかりづらいが……。
「げっ……」
ここで俺は、秘密の通路を隠している石の壁に、人骨が混じっていることに気づいてしまった。しかも、よりによって頭蓋骨。
しかし、いちいちテュルフィに頼るのも情けない。
石壁を突き崩そうと、手を伸ばした。
そのときだった。
「お……ああ……おおあ…………」
頭蓋骨から苦しげなうめき声がもれた。
「ぬほっこああああああああああああ!?」
俺は弾け飛ぶように仲間の元へ後退していた。
「変わった鳴き声だね」
「繁殖期にメスにアピールしてるヂュラ?」
「違うであります! これは悲鳴であります!」
《コタローは驚くと変な声で鳴く》《これ豆知識》
「冷静に分析してんな! いっ、今、頭蓋骨がしゃべったんだよ!」
激しく脈打つ心臓に痛みすら感じながら、俺は仲間に必死で訴えた。
「しゃべった? あり得ないヂュ。この通路にいる死者たちは、とっくに魂の浄化を終えて生まれ変わってる世代ヂュ」
「聞き間違いじゃなかった! 確かにしゃべった!」
「確かめてみよう」
百聞は一見にしかず。テュルフィが先頭に立って壁へと向かう。
ぼくは怖いので、ヂュラを頭に載せたキーニちゃんを盾にして様子をうかがいます。
「ああ……あうあああ……」
うめく骸骨を見て、ヂュラの態度が急変する。
「これは……。この死者はまだ魂が残ってるヂュラ! そんなバカな!」
「だろ!? しゃべってるだろ!?」
俺の正しさは証明されたが、嬉しくはなかった。
「そんなに古い亡骸なのでありますか?」
グリフォンリースがたずねる。
「何万年前かわからんヂュ。地上では〈ガラスの民〉が栄えた時代の死者ヂュラ」
「〈ガラスの民〉!?」
俺は思わず声を上げていた。まさか、この〈冥道〉でその名前を聞くことになるとは!?
こんな情報、ゲームにはなかった。管理人であるヂュラがいなかったからか。
「どうして転生してないんだ?」
「魂の浄化が終わってないからヂュ。この死者は、いまだに何かを求める欲が残ってるヂュエ」
何万年も、同じ欲を抱えたまま、こんな寂しいところで……。
実感の伴わない説明不能な寒気に襲われ、俺はぶるりと肩を震わせた。
「この奥に、死者が欲を抱き続けるものがあるヂュ。さっさとそれを運び出すヂュエ!」
テュルフィが容赦なく壁を突き崩し、頭蓋骨も地面に転がすと、俺たちは奥へと進んだ。
そこから先が悲惨だった。
ぽつりぽつりと横たわる死者たちが、いずれも苦しげなうめき声を上げ続け、通路を苦痛で満たしているのだ。
「バカなヤツらヂュ。人としての欲を捨てきれないから、転生できず、結局自分たちを苦しめてるヂュエ」
ヂュラは突き放すように言ったが、声からにじみ出る怒気は、強欲な死者の愚かさよりも奥の部屋にそれを持ち込んだ者へと向けられているようだった。
確かに、素直に墓守に剣を渡していれば、それでことは済んだのだ。ここにいる死者たちも自業地獄……じゃなくて自業自得な面はあるにしても、こんなに苦しまずにさっさと転生できた。
しかし、死者たちのうめきには苦痛の中にも奇妙な高揚が読みとれる。
「うああ、うつくしい……」
「ほしい……ほしい、あああ……」
何万年の長きに渡って彼らを虜にした魔性へ、いまだに絶えることのない憧憬。
あるいは、執着する時間の長さこそが、魔性の魅力を磨いたのか。
俺たちはその元凶へと到達した。
「……綺麗であります……」
グリフォンリースが息を呑んだ。
俺もまったく同じ感想だった。
古ぼけた死体と棺桶しかないこの沈んだ世界において、それはあまりにも峻烈で美しかった。
森のように瑞々しく、海のように澄んで、月のようにおぼろげに輝く。
地面に突き立てられたそれは、〈ヒスイの魔剣〉と呼ばれていた。
手に入らないとわかると、それまで以上にほしくなる迷惑な機能




