第百五十二話 死者の管理人! 安定志向!
「ここは死者が生前の汚れを落とし、まっさらに戻って生まれ変わる場所。生臭い息を吐くヤツは帰るヂュエ!」
キイキイと甲高い声で鳴くネズミは……何というか、雰囲気ブレイカーだった。
これまでの陰湿な地下墓地の空気を一変させるメルヘン。しゃべるネズミが不気味かどうかの判断はおいとくとして、こうもぷりぷり怒られては、原始的な死への恐怖も吹き飛ぶ。
だからだろう。
「ヂュエッ!?」
キーニちゃんが何の前触れもなくネズミを両手で捕まえた。
「何するヂュ! 離すヂュエ!」
もがくネズミをじっと見つめ、そっと自分の頭の上に置く。
《小動物》《かわいい》《癒し》《巨人の背中以来》
見れば、さっきまでひどくどんよりしていたジト目が、その内側に強い十字の光を宿した、いわゆるシイタケ目に変わっている。
そういえば、グリフォンリースもキーニも、巨人の背中の上で動物たちと楽しそうに戯れてたっけ。やはり小動物には人の心を和ませる力がある。
一方、キーニの頭の上に載せられたネズミは、突然の行為に混乱したように鼻をひくつかせていたが、
「おまえたち何者だヂュ」
と、これといってキーニから離れるような素振りも見せず、怪しむような口調で問いかけてきた。
「俺は一応〈導きの人〉のコタローだ。おまえの下にいるのがキーニで、隣はグリフォンリース。こっちはテュルフィ。みんな俺の仲間だ」
「…………」
ネズミはテュルフィをじっと見つめたと思ったら、突然後ろ足で立ち上がり、声を荒らげた。
「命どころか、死すらない哀れな者が来たヂュ! ここは生と死が繰り返される場所! おまえのような存在が来る場所じゃないヂュエ! 帰れ帰れ!」
声の対象であるテュルフィは押し黙っている。確かに、〝黄金の律〟の傷にすぎない魔王一派は、仕組みであり生命ではない。
生も死もない者に対し、その事実を突きつけることが侮辱になるのかどうかはわからないが、一言も返さないテュルフィは、どこか傷ついているような印象を俺に抱かせた。
「さあ帰れ、すぐ帰――ヂュラッ!?」
踊るようにしながらわめき散らすネズミを、キーニちゃんが再び掴んだ。
《わたしの頭の上で踊ってる》《かわいい》《コタロー》《これつれて帰る》
「いや、勝手につれ帰ったらまずいだろ。クーデリア様んとこに間借りしてるんだし……」
「誘拐は犯罪だヂュエ! ただちに解放しろヂュエ!」
もがくネズミはキーニの手からどうにか抜け出すと、腕を駆け上がって頭の上に戻った。どうしてそこに戻る……。
ともあれ、テュルフィをディスる流れが途切れたのはよかった。聞いていて気持ちよいものではない。
「それで、おまえは何なんだ?」
俺は改めてネズミに聞いてみた。
「ここの管理人ヂュ。新しい死者に、眠る場所とかを教えてやってるヂュ」
「ふうん。名前はあるのか?」
「そんなものいらないヂュ。死者はほとんど寝ぼけてるから、名前なんて覚えたりしないヂュ」
こいつの立場はわかったが……俺はいささか困惑気味だ。
何しろ、こんなNPCは『ジャイサガ』本編には出てこない。せいぜいがクルートたちのような獣人どまりで、しゃべる動物なんてキャラも存在しない。
まあ、ゲームに登場する人物以外は認めない、なんてことはないので、深く考える必要はないのかもしれないが……変なフラグになったりしないだろうな。
《コタロー》《これの名前考えた》《ヂュラにしよう》
俺の懸念をよそに、キーニは勝手に話を進めた。
「わかった。じゃあヂュラって名前な」
「勝手に名前をつけるなヂュ! あと何の用もなしに掴んでくるなヂュエ!」
キーニが伸ばした腕から逃げ出すヂュラ。どうにもいじくり回したいようだ。キーニが魔法使い然とした格好というのもあって、何となくお似合いのコンビのような気もする。
まあ、こんな薄暗い場所の小動物を、華美な帝都につれ帰るのは絶対反対だが。
「俺たちはあるものを探しに来たんだ」
「あるもの? アホらしい。ここには骸以外何もないヂュ。上で墓守が全部取り上げるからヂュエ」
「いや、あるはずだ。剣が。知らないか?」
「剣? そんな大層なもの、それこそ持ち込めるはずがないヂュエ。魂が生前の記憶と感情を洗い落とすためには何も持っていてはいけないヂュ。剣なんて持ってたら、欲が消えずに次の命になれないヂュエ」
「それでもあるんだ。そいつを見つけないといけない」
「変に自信満々なヤツヂュ。そんな異物があったら他の死者たちも穏やかに眠れないヂュ。あるならあるで、さっさと見つけて持ち帰ってほしいヂュエ」
「ああ。そうさせてもらう。おっとっと――」
探索を再開しようとして、第一歩を早速ためらう。
どう足掻いても白骨を踏みつけてしまうから、ここで立ち止まっていたんだった。
「気にするなヂュ。ここの骸たちはもう何万回も生まれ変わった連中ヂュ。同じ魂の骸がいくらでも奥で寝てるから、これは蝉の抜け殻程度と思っていいヂュエ」
「そうか……」
確かに、倫理観に囚われていつまでもこうしているわけにはいかない。俺は思い切って第一歩を踏み出した。
骨は脆く、ものによってはつま先がふれただけで砂みたいに砕けた。
「管理人すら知らないものを、君が知っているというのは不思議な話だな?」
白骨を踏みしめながら進んでいると、並んで歩くテュルフィが話しかけてきた。
「そうだな。だが、ここは広大な場所だ。ヂュラが管理しきれないこともある」
「今さら君を疑うのも何だけど、別の場所と勘違いしているなんてことは?」
「こんなユニークな場所を、よそと間違えることはないよ」
「おかしな連中ヂュ」
俺たちの雑談に、ヂュラが割り込んできた。
「〈導きの人〉と〈源天の騎士〉。生死ある者と生死すらない者。どこまでも違う者同士が、並んで普通に話をしてるヂュエ」
「俺に言わせりゃ、おまえがしゃべってる方がずっとおかしいんだが」
「ほっとけヂュ。……だからいきなり掴むな小娘ヂュエ!」
キーニちゃん、ヂュラが頭の上で動くのが気になるなら、最初から手の上にでも乗せておこう。
パキパキと、聞きようによっては小気味よい音を響かせつつ、俺たちはカタコンベの奥へ奥へと向かう。
ヂュラが言ったとおり、通路には骨しかなかった。
わずかなスペースに丸まるようにして眠る遺体、大の字になった遺体。意味ありげに手を重ねているものや、大小がセットで横たわる者もいる。何となく生前の性格や関係性が忍ばれる光景だった。
「災害や事故で縁のある人物が一緒に死ぬと、こういう形で眠ることが多いヂュ」
暇になったのか、ヂュラが解説を始めた。
「切ないでありますが、死後も一緒にいられるのは、少しほっとする光景でありますね」
グリフォンリースがつぶやくと、ヂュラは憤慨した様子で、
「バカ言えヂュ。関係者で寄り集まると、生前の執着が残って魂の洗浄が遅れるヂュ。好きとか嫌いとかは生きてる間にめいいっぱいやって、死んだらさっさと次に進んでほしいヂュエ」
言い方はぞんざいだが、輪廻転生の地に住む者の言葉には説得力があった。
生きてる間にめいいっぱいやれ。死んで花実が咲くものか。ほんとそれだよなあ。
「生まれ変わりが本当にあるということは、自分の前世もここで眠っているのでありましょうか?」
「いきなりとんでもないことを言い出すなあ、グリフォンリースは……」
「いやあ、何となく気になったであります」
グリフォンリースの疑問を、ヂュラが解決する。
「どっかで眠ってるのは間違いないヂュ。もっとも、骨だから見分けはつかないし、どんな生き方をしたかも、今のおまえには関係ないヂュ」
「そういうものでありますか」
「そうヂュ。そもそも、生まれ変わった人物に会っても誰も気づかないヂュエ。それくらい、何もかもをここで落としていくんだヂュ」
…………。
これ、ファンタジーだから何となく受け入れちゃってるけど、実はけっこー核爆弾的な死生観の話だよな。少なくとも、地球で〈冥道〉が発見されたら、宗教的に大変なことになることは間違いない。
グリフォンリースたちが「非科学的だ!」なんて騒がないのは、こうしたスピリチュアルな考えが、この世界ではいたって普通だからなんだろう。魔法があるくらいだしな。
「なあヂュラ。死者の魂って、どれくらいの間隔で生まれ変わってるんだ?」
俺はちょっとした好奇心でたずねた。
「英雄と呼ばれるような者は時間がかかるヂュ。それだけ多くのものが、魂にくっついてるからヂュ。しかし、どんな偉業も、どんな人生も、ここでは魂についた単なる塵芥ヂュ。それが理解できずに、生前の栄光にすがりつく死者は至極迷惑ヂュエ。百年とか、下手したらもっとかかるヂュ。人はもっとあっさり死ぬがいいヂュ」
諸行無常。
「逆に、早いヤツだと、死んで三秒くらいで生まれ変わるヂュ」
「は!? マジに早えな!?」
まだ医者の死亡確認すら終わってないぞ!?
「生前に為したことが少ない者ほど、さっさと浄化が終わるヂュラ」
うっ……。では、俺のようなヒキコモリやニートは……。
「赤ん坊は早いヂュ。特に死産だった場合は一瞬ヂュ」
重い話だった。ヒキニートの自虐なんてお呼びではなかった。
だけど……。
死んでしまった大切な人が、世界のどこかですぐに産声を上げてくれるというのは、考えようによっては優しいことなのかもしれない。
遠くでもその人が生きていてくれるのなら、悲しくないのだから。
そんな、神妙な思いを抱きつつ進み――
いつからか、自分の靴音が元に戻っていることに気づいた。
「通路が歩きやすくなったな」
理由は簡単で、これまで完全に通路を埋め尽くしていた死体がなくなったのだ。
「おかしいヂュ。ここらはこんな空きスペースがあるような年代の場所じゃないヂュエ」
ヂュラが訝しげに言う。
彼が言うその異様さは、俺たちにはいまいちピンと来なかったが、進んだ先に見たモノは、完全にこちらの足をすくませた。
「何でありますか、これ……」
グリフォンリースのつぶやきが薄闇にこぼれ、俺の心を冷たく撫でた。
小動物はかわいいなあ
我が家の屋根裏に住み着いたネズミは即刻去れ(豹変)