第十五話 英雄なんかにならないさ 安定志向!
「えぐ……ひっぐ。めそ……めそ……」
誰だよめそめそ泣いてるのは。うるせーな。
体より一足先に覚醒した意識が、まず最初にそんな感想を述べた。
目を開けつつ身じろぎしようとして、体ががっちり拘束されている事に気づく。
ホッ……ホアアアッツ!? な、何だ、何が……!?
「コ、コタローどぼおっ……」
「ふフォッ……!」
なんだグリフォンリースじゃねえか! おどかすな!
俺はようやく現状を把握する。
ここは城の地下倉庫だ。現在俺は、壁にもたれかかった姿勢のまま、グリフォンリースに絶賛抱きつかれ中で、ほぼ身動きが取れない状態にある。
シャイボーイの俺がこの体勢に臆しないのは、彼女が全身鎧のままで、少しもぬくもりが感じられないからだろう。むしろ硬くて、痛い……。
しかもグリフォンリースは、泣き顔の女の子が垂らしちゃいけない液を惜しげもなく放出中。でもまあ、これはこれで、ちょっとアホ可愛いのかもしれない。
俺はそこで、グリフォンリースが、HPを回復してくれる〈力の石〉を握りしめていることに気づいた。
「ひょっとして、おまえが俺をここまで運んできてくれたのか?」
グリフォンリースはまともな声も出せないのか、こくこくうなずく。
逃げろと言っておいたのに、バカだな。でもお礼は言うべきだろうな。
「そうか。おかげで助かったよ」
ダメージを受けてたわけじゃないけど死ぬほど疲れてたし、そもそも気を失ったわけだから、他の魔物に見つかったら確実にただのしかばねコースだった。
「あっ! あなた様、お目覚めになられましたか!」
外へと通じる扉から、パニシードが飛んできた。
「ああ。心配かけたな」
「ええ、心配しましたとも! 魔王城の廊下の隅っこで、白目を剥いて倒れているのを見たときは、危うくわたしも冥府送りになるところでした。この罪は果てしなく重いです!」
「まあ許せ」
すると妖精は後ろを向き、こんなことを言った。
「ええ、許しますよ。あなた様が無事に戻ってきたんだから、何だって許しますよ……」
ずずっ、と鼻水をすする音が聞こえる。小さな肩が震えていた。
おいおい、こいつまでこんな態度を……やばい、特に意味もなく目頭が熱くなってきやがった!
「そ、そうだ。外の様子を見てきたのか?」
「ああっ、そうでした! あなた様、空が元に戻ったんですよ! あれは間違いなく魔界からの侵攻でした。それが消え去ったんです!」
「ホントか! よおおおおおし!」
俺は思わずガッツポーズを取った。
「何をしたのかはわかりませんが、あなた様が、阻止されたんですよね……?」
パニシードが恐る恐るたずねてくる。
「まあ、そうだ。何をしたかの説明は……疲れたからまた今度な」
「あなた様こそ真の英雄です。でも、世界中の人々はきっとそれを理解しない。わたしは、それがとても悔しいです」
何だ、真面目モードか? 俺の心の闇のくせに。
「いいさ、別に。英雄になんてなるつもりはないよ。俺の平穏のために、ちょっと世界に平和になってもらえれば、それでいいんだ」
「じゅ、じゅぶんはあっ! ぢっ……ぢっでるでありまずううう!」
「わたしもです。あなた様は、名もなき英雄として、人々ではなく、世界の記憶に刻まれることでしょう。決して風化することなく。永遠に」
「……そっか」
俺が、名もなき英雄か。
名前が売れたもの勝ちなのはきっとどこの世界でも同じだろうけど、だからこそ隠れた偉人というのはカッコいいんだろうな。へへっ。
…………。いやちょっと待て。
元はと言えば俺のせいじゃねえか、あのバグ!?
世界を救った英雄なんかに祭り上げられたら、いつこの秘密がバレるかとビクビクしながら一生すごさなきゃいけないじゃねーか! 危ねえっ! 秘密! 今回のことは墓まで持っていって、絶対誰にも話さない! 心の安定! 人生の安定志向!
この二人にもしっかり口止めしておかないと!
世界の方も、すぐに忘れちゃってくれていいからね!
俺たちはいまだ警戒態勢にあるグランゼニスの城を抜け、アパートへと帰還する。
道中、不穏な気配の残り香に翻弄される人々が、まだ不安そうに空を見上げる光景がたびたび見られたが、その瞳に赤黒い亀裂が映ることはもうなかった。
明日にはきっとすべてが元通りになるだろう。
探索者が冒険し、商人がものを売り、王様がそれらを治める。
被害者も、英雄もいない、昨日までと同じ日々に。
俺は、その日々のサイクルの端っこに、ちょっと置かせてもらればそれでいいんだ。
ただ静かで、平穏で、優しい日々に。
今度こそこれでめでたし、めでたし。
さ、盛大なメインテーマと共に、スタッフロールどうぞ!
そしてザ・エンド!
……ただちょっと引っかかることがある。
魔王に仕掛けた〈キャラチェンジバグ〉には、ある別のバグを誘発する性質があるのだ。
ただその確率は、解析によると四〇九六分の一。
こいつを一発で引くのはもはや、その翌日、除雪車に轢かれてももんくはいえないほどの運の一極集中。
さすがにもう、俺の人生には起こりえない。
誰かがチートでも使わない限りは……。
っておい、自分で言ってて、これフラグじゃないよな?
フ ラ グ