第百四十九話 刹那の闇に潜むもの! 安定志向!
冷静に考えれば奇妙な展開だった。
俺は敵である〈源天の騎士〉のために、大いなる恐怖に立ち向かおうとしている。
〈落冥〉における本来のイベント運びは、宿屋で見た夢の中で、謎の半透明の人物から、ここにとある武器が眠っていることを知らされることからスタートする。彼ははっきり言ってしまうと地下から抜け出した亡霊で、その後は二度と登場しないエキストラだ。
その後、〈ファイアラグーン〉に渡ると、同じタイミングで訪れていた〈乾きの水〉テュルフィと武器を巡る争奪戦にもつれ込む。
争奪戦とは言っても、お宝が右往左往する波乱のシーソーゲームではなく、テュルフィが足止めに放ってくる魔物と、ダンジョンの各ポイントで戦うだけのシンプルなお仕事だ。
その戦いはたとえ負けてもゲームオーバーにならず、入り口に戻されるだけ。しかも一度戦った相手はいなくなり、どのみち次の敵と戦うことができる。
二勝一敗までが〈落冥〉の成功条件。二敗以上するとテュルフィに武器を取られてしまい、ついに主人公は伝説の後ろ盾を得るすべての機会を失う。
……とまあ、こういう流れになっているのだが、今の俺は開始フラグからしてすでに不成立であり、武器を取り合うどころか、相手に譲渡するためにこうして辺境まで足を運んでいる。
俺がただの〈導きの人〉なら、この物語はもっと簡単に、スマートに終わっていたのだろう。
だけどそうはならなかった。
一歩進むたび、〈グレイブキーパー〉はどんどんでかくなっていった。
遠くからは三メートルくらいに見えたが、近くにいると、宙に浮いていることもあって余計にでかく感じられる。
どのくらいが適正距離なのか。普通に話ができる間合いがどれくらいなのか。まったくわからん。
俺たちが処刑台の階段を上る足で近づく間、〈グレイブキーパー〉はピクリとも動かずに、深淵を抱え込んだ眼窩でこちらを見つめていた。
「止まれ」
〈グレイブキーパー〉が声を放った。
重々しい声が見えない壁を作ったかのように、俺たちは揃って足を止める。
距離は結構ある。これから先のことを考えると、かえって心安まる距離感だ。
よし、いいぞ。
「ここから先は死者のねぐら。現世で穢れた魂が塵芥を落とし、再生へと臨む寝所。命ある者が立ち入る場所ではない。早々に去るがいい」
落ち着いた寂声が、燃える洞窟内にこだまする。将来は是非、こんな声になりたいものだ。……見た目があんなふうになる前にだが、もちろん。
「……あんたに用があって来た!」
俺は意を決して声を張り上げた。
この先は危ないから帰りなさい、とわざわざ忠告してくれた〈グレイブキーパー〉には申し訳ないが、選択肢の都合上、大変シツレイな『ジャイサガ』流でいかせてもらう。
「あんたの後ろには、死者が持ってきた多くの宝があると聞いた。本当か?」
〈グレイブキーパー〉は呆れるでもなく、静かに答える。
「確かに、この壁の奥には、死者たちが死してなお手放せなかった多くの遺品が残っている。その中には生者が宝と呼ぶものがあるかもしれぬ」
「〝ほしい、くれ〟!」
カスみたいな台詞だが、ゲーム通りなので許してください。スタッフが悪いんです。
「ならぬ。遺品はすべてここで朽ちるままにする。誰の手にも渡さぬ。そう説き伏せ、死者たちから取り上げている」
きっと執着がある品を持ったままでは、死後も安らかに眠れないんだろう。感覚的にはすごく納得できる。だからここで墓守が預かる。誰の手にも渡らないならと、死者も諦めて差し出す。死者と墓守の信頼関係がある。
そして俺の反応がこれ。
「〝おまえ、ひとりじめする気だな! たたかってうばいとる!〟」
クッソカッス。
ホント〈導きの人〉とか辞めていいすか?
ホントこいつ、もう世界救っても罪の方が勝るぞマジで。
案の定、その暴言を聞いて〈グレイブキーパー〉の態度が一変する。
「浅ましき欲のために我に挑むか愚か者め! 後悔と共に死者に列するがよい!」
ギイイイイイイイイイイイ!
短い応戦の言葉と共に、〈グレイブキーパー〉の口蓋から異形の咆哮がほとばしり、ローブの裾が悪夢みたいに広がり波打った。
ヒッ、ヒイイ! 怖いマジ怖い!
ああっ、でもこれ、戦闘時のドットだ! か、かっけえええええええええ!
「よ、よし! 怒らせたぞ。退却! 退却だ!」
「合点であります!」
《逃げる》《逃げる!》《逃げる!!》《逃げる!!!》《逃げる!!!!》
〈グレイブキーパー〉を怒らせてこちらに引きつけ、その隙にテュルフィが奥へとこっそり侵入する。
これが俺の作戦である。
もちろん、概要については仲間に説明済み。そうでなければ、さっきの問答の途中でぶん殴られてごめんなさいさせられているだろう。
俺たちは元来た道を全力疾走する。
途中、テュルフィが潜む岩陰の前を通ったが、ヤツならばきっとうまくやってくれるだろう。
「ヒッ! し、しつこく追ってくるでありますう!」
グリフォンリースが悲鳴を上げる。背後をちらりと見ると、大鎌を水平に構えた〈グレイブキーパー〉が音もなく追跡してきていた。
死が迫ってくる。
死ぬほど怖い。
心が不安で死んでしまう。
……本来なら。
今の俺には、わずかながら心の余裕がある。拠り所がある。絶対に逃げ切れるという自信がある。
「心配はいらない。あいつはそのうち消える!」
「消える……? わ、わかったであります!」
多くをたずねる余裕もなく、グリフォンリースはうなずく。
それは『ジャイサガ』において基本バグとされるものの一つ、〈ボス消失バグ・危険度:低〉だ。
その内容は、マップ画面でグラフィックを持つ特殊な敵キャラに話しかけ、その後戦闘から逃げると、マップ画面に戻ったときにその敵が一時的に消失してしまうというシンプルなもの。
マップでのグラフィックを持つ敵キャラは大抵ボスか何かなので、逃げるコマンドがそもそも出現していないことが多いのだが、それが可能な一部イベントボスに対して有効なバグだ。
特に、今回の〈グレイブキーパー〉のように、背後に何かを隠しているようなボスに対しては非常に有効に機能する。
ただ、マップを切り替えると復活してしまうので、倒したことにはならない。よって、倒すことが目的の相手にはあまり意味がない。
これが俺の今回の攻略法。矛を交える必要もなし。ただ逃げればいいのだ。
簡単でしょ?
……しかし、逃げたら消失するってどういう理屈なんだろう。
いや、待てよ。
そうか。わかったぞ。こいつは墓守だから、初期位置からあまり遠くにいってはいけないのだ。遠くに行きすぎると体を維持できないとかそういう契約で、違反すると消えてしまうのだろう。
なるほど、そういう理屈ですね〝黄金の律〟さん! 裸族の女神様もそういう線でヨロシク!
しかし――。
「はあ、はあ、コタロー殿、あ、あの、本当にあれは消えるでありますか?」
「……………………」
あ、あれ。おかしいな。
もうけっこう走ってるよな。
後ろを見るが、〈グレイブキーパー〉は変わらずに追いかけてきている。それほどスピードがないのが救いだが、あちらは空を飛んでいるため、地形を大幅に無視できる。少しでも気を緩めれば、あっという間に距離を詰められるのは明白だ。
だから、必死に走り続けているわけだが。
あれ? あれ? 消えない。何で?
思い通りのバグが発生せず、俺は焦り始めた。
違った? 何か別の条件があったか?
いやいや。戦闘から逃げる。ただそれだけで起こるバグのはずだ。例外はない。
じゃあ、なぜだ?
何でこいつは消えない? なぜバグが起こらない?
俺たちは逃げてる。紛れもなく逃げてる。条件は成立しているはずだ。
逃げてるよな? 今以上に逃げてることなんて、人生でもそうないよな?
何かを見逃してるのか?
そもそも逃げるコマンドってちょっと謎だ。
だって、逃走成功後に、主人公たちは戦闘開始前と同じ位置にいる。
そんなのは不自然だ。逃げるってのは、もっと激しいムーブのはずだ。
今まで俺がはっきりと逃げたのは……ええと、魔王城の〈ガルム〉戦とか、ナイツガーデンでの〈アイシクルロングヘッド〉戦とか……。
あのときは、逃げて、逃げて……マップ中を駆け回ってたよなあ? 逃げ切ったときには、魔物なんて影も形も見えない位置にいた。戦闘開始前と同じ位置なんてウソだ!?
どういうことだ……!?
はっ!?
……もしかして、省かれてる?
主人公たちは一旦その場から全力逃走して、敵をすっかりまいてから、また同じ場所に戻ってきてる?
そんな描写はないが、しかし、戦闘終了後には短いロード画面の闇がある。その間に、描かれない戦いがあったとしても不思議はない。
森に逃げ込んだり、岩陰に隠れたり、段ボールの下に入ったり、それだけの逃走劇が、あのコーヒーを一口飲むだけの短い時間に隠されていた?
確かに、創作物だと「そして十年後……」とかあっさりやってくれるけども……。
じゃあ、便利な便利な〈ボス消失バグ〉も、あれは消失してるんじゃなく、どこか遠い場所までボスを引き離した後で、元の位置に戻ってるってことなの?
それ普通じゃね? バグじゃなくね? すごい努力の結晶じゃね?
えっ、えっ?
じゃあ俺たち……アレから自力で逃げ切らないといけないわけ?
えっ……。
えっ……。
テュルフィ「ボスが消えたよ」