第百四十三話 さあ物語を書こう! 安定志向!
「かつての仇敵たる巨人たちの目の前でこの無様。なんたる恥辱か」
異様な光景だった。
〈源天の騎士〉が、たった一人の騎士に敗れ、片膝を地面に埋もれさせている。
「見事としか言いようがない。だが、実に充実した戦いだったぞ、盾の騎士よ。我が剣をいなす技の一つ一つに、すばらしい気迫と技巧が秘められていた」
邪悪な魔物とは思えないような清々しい口振りで敗者の弁を述べるフルンティーガを前に、グリフォンリースは依然、構えを一瞬たりとも弛めていない。
「その強さに敬意を表し、あえて言わせてもらおう。まさか、たった一人の人間に、このフルンティーガが敗れることになるとは――と」
魔王の側近をしてここまでの賞賛。場に、少なからず驚きの気配が混じる。
その言葉をもって、戦いの勝敗は完全に決定した。
このフルンティーガという魔物、通常モードの攻撃パターンは非常にいやらしく、それを設定したスタッフの性根も相当ねじ曲がっているのだが、当人は極めて実直な侍のような性格を持っている。
色々企む中ボス勢にあって、唯一、部下や策を用いず単身勝負を挑んでくるのもその表れだ。
「我の技量、いまだ天に至らず。しかし、この戦を糧に我はまた新たな力を得るだろう」
まるで敗北を感謝するように告げるフルンティーガの象徴は、皮肉にも〝不遇〟〝徒労〟〝報われないこと〟である。
〝不和〟や〝裏切り〟といった自分らの象徴となる言葉を、遂行することによって表現する〈暗い火〉ら他の騎士とは異なり、〈実らぬ土〉フルンティーガは、その悲壮さによって自らの言葉を体現する。
彼は清廉でありながらことごとく不遇であり、徒労であり、報われない。
――だから覚醒モードの方が弱い。
という考察がある。
この解釈が一部のプレイヤーに猛烈に刺さった。
『ジャイサガ』を語る某掲示板でも、「今朝、会社行く前に不遇さん参りした」とか「徒労さんが頑張ってるから明日も面接行く」など、疲れ切った大人たちからの悲痛な書き込みが、今ですら散見される。
ガチでやると死ぬほど強いんだけどね、この騎士……。
だがまあ、そこも含めて信奉されているのかもしない。
認めてくれる環境さえあれば、俺だってもっと……。そんな心の叫びなのかもしれない。
「グリフォンリース。よく頑張った。追い打ちはするな」
完全に膝を折った状態のフルンティーガを見据えつつ、俺は指示を飛ばす。
「はいであります。コタロー殿」
ここまで追いつめたのは間違いなく彼女の功績であるのに、俺の言葉を即座に肯定するグリフォンリース。
「……ほう。トドメを刺しに来ぬか」
フルンティーガがじわりと身を起こし、数歩下がる。
あれだけカウンターをブチ当てたんだから、相当こたえてはいるだろうが、だからこそ思わぬ反撃が怖かった。
こいつはゲームのプログラムと違って、石化攻撃などの搦め手をただ温存しているだけの可能性がある。
フルンティーガは実らない。
潔い武士なら、負けを認めてあっさり倒されるのだろうが、彼を支える高潔な精神がまっとうされるとは限らない。むしろ、追いつめられたことであせり、邪道に走る可能性の方が高い。
それが実らないってことだ。
実らないからこそ、危険。
この相手を、俺はそこまで深読みしないといけない。
ここで覚醒モード+通常モードなんて大化けされたら、手の打ちようがなくなる。
「ならばここはおめおめと逃げることにしよう。いずれまた相まみえることを楽しみにしている」
あの空間トンネルへと下がっていくフルンティーガ。俺はひそかに安堵しつつ、ひび割れた鎧が去るのをいっとき呼び止める。
「フルンティーガ。一つ聞きたいことがある」
「何か?」
「おまえは、新生魔王か?」
「否」
「わかった。じゃあな。もっと強くなれるといいな」
「ふん……。さらばだ」
フルンティーガは嬉しそうに小さく笑うと、空間の穴に身を投じた。
俺は大きく息を吐いた。
まあ、あんな剛直かつ自分勝手なヤツが組織の長になるのは無理があるよな。本人の意向にかかわらず、勝手に部下がついてきてしまうクチだとは思うが。
やはり魔王を継いだのは〈閉ざされぬ闇〉あるいは〈古ぼけた風〉――。
何はともあれ、無事撃退成功だ。
しかも予定通り殺していない。ここ重要!
「それにしても、すごかったぞグリフォ――」
振り向いた俺は唖然とした。グリフォンリースが盾を落として、ぐったりと座り込んでいる。
「グリフォンリース!? 大丈夫か、どこかケガしてたのか?」
慌てて駆け寄り、〈力の石〉を振り回す。
「だ、大丈夫であります。疲れただけであります」
そう言って兜を脱ごうとしたグリフォンリースの指は、細かく震えていた。俺は彼女に代わり、慎重に兜を脱がせてやる。
「ありがとうございます。コタロー殿」
大きく息を吐き、気持ちよさげに外気に肌を晒したグリフォンリースは、髪の毛の先まで汗でびしょ濡れだった。
「すまん。無理させた」
「とんでもないであります。コタロー殿の考えはわかっていたであります。確かに、一対一の方が与しやすい相手でありました」
俺やキーニではフルンティーガの攻撃に対処できない。
楽したいからグリフォンリースに押しつけたわけじゃない。唯一戦えるのが彼女だったのだ。
パニシードにタオルを出してもらい、俺はグリフォンリースの顔を丁寧に拭いてやった。
グリフォンリースは目を閉じて、されるがままになっている。
汗が止まらない。顔も真っ赤だ。それほどキツい戦いだったんだ。
グリフォンリースTUEEEEEとか俺がバカみたいに考えてる間、彼女はずっと呼吸の仕方さえも間違えられない、張りつめた死闘の中にいた。
そしてそれが終わった後は、こんなにもいつも通りの彼女でいる。
俺ならテンションおかしくなって、「コターッ!」とか「コヌーッ!」とか叫んでそう。
すげえな、ホント……この騎士様は。
「でも、逃がしてしまってよかったんですか、あなた様? ああいうのって、真面目そうな態度を見せといて、執着してきますよきっと」
パニが心配そうに聞いてくる。
「微妙な判断だ」
頭上から大音声を落としてきたのは、黙して戦いを見守っていたティタロだった。
「あの魔物にはまだ余力があるようにも見えた。追いつめるべきだったかもしれないし、様子を見て正解だったかもしれない。だが、結果としてみなが無事である以上、今は正しい選択をしたと思うのがよかろう」
心の安定技法ひとつ。後悔するより選択した自分を褒めろ!
まさかティタロさんも心の安定講座を受けていたとはな。フフ……。
「激しい戦いでさぞ疲れただろう。今日はここで休んでいけ。人間用に作った宿泊所もある」
「ありがとう。そうさせてもらう」
ダメージとは無関係にグリフォンリースは疲れている。休ませてあげたい。
「ときに、わたしは世界にあった大きなできごとを記録している。おまえたちは実に興味深い。単なる記録ではなく、その生涯を勇壮な物語として後世に語り継ぎたいと、今、初めて思った。今夜、おまえたちがこれまで辿ってきた道のりを聞かせてもらえるか?」
「それくらいならお安いご用だ」
そっか。〈導きの人〉はこれまで単なる記録にすぎず、物語じゃなかったんだ。
俺たちに興味を持ったティタロが、初めて物語仕立てにして残してくれたものが、『ジャイアント・サーガ』になるんだな。
ああ、ついに始まる。
俺を恋焦がした最高のゲーム『ジャイアント・サーガ』。
何だか、すごく遠いところまで来た気がする。距離だけじゃなく、なんて言うんだろう、一人の人間として。
コタローって人間は、最初の場所から、ずっと遠いところに来たよ。
「主人公の名前はグリフォンリースでよいか?」
「じゃそれで」
「ちょっ……ちょっと待つでありますう!?」
大人しく座っていたグリフォンリースが突然飛び跳ねた。
「何だ、もう回復したのか?」
「そんなことどうでもいいであります! じっ、自分が主人公!? そ、そんなのおかしいであります!」
表情はないが、ティタロはきょとんとしたようだった。
「なぜだ? 先ほどの戦い、この男は想像以上に何もしていなかったが」
「そうだぞ」
「なぜコタロー殿がそちら側に!?」
グリフォンリースは疲れ切ったはずの腕をぶんぶん振りながら、
「違うのであります! 自分は一人の力で戦っていたのではないであります!」
俺はちらりとキーニを見やった。
《わたしは》《何もしてません》
だよなあ。パニもそうだろうし。
俺が首を傾げていると、グリフォンリースは首元まで顔を赤くしながら言った。
「コッ、コタロー殿の気持ちが、一緒に戦ってくれたでありますっ……」
「確かに、応援はすげえしたけど……」
「それだけじゃないであります。戦う前に言ってくれたであります。この先もずっと守ってもらうって……」
「あ、うん……」
あらためて言われると、何だかちょっと恥ずかしくなる。
「コタロー殿は、自分がここで負けることを少しも考えていなかったであります。だったら自分は本当に負けないのであります。負けるはずがないのであります。そう考えたら、心が落ち着いて……。いつもよりずっと体がうまく動いたのであります!」
「でも、それは天魔との戦いで何かを掴んだんだろ?」
「天魔とかどうでもいいの! コタロー殿がすごいの! すごいのッ!!」
なんか普通の女の子になった!? カワイイ!?
「わかった。戦いというものは肉体だけで行うものではない。心と体のトータル・ウォーだ。この男への信頼がいつも以上におまえを強くしたというのなら、物語の主人公は特に何もしていない〈導きの人〉にしてよかろう」
「マジかよ」
グリフォンリース・サーガなら、もう一人の〈源天の騎士〉との戦いも大いに盛り上がれるはずなのに。
あのとき俺は……ああ、「隠れる」コマンドずっとやってたっけな。
今と変わんねー……。
「巨人が残す物語の主人公なんて重いぞ……」
後世の人々が「これダレ(苛立ち)」「タタローでしょ(嘲笑)」「なんかよく出てくるよね(無関心)」「オレでもできそう(侮蔑)」と感想をもらす姿が浮かんでくる……。
ああ俺は死後もずっと笑いものにされていくのか……。揺れる。心が不安定に揺れる……。
「お、重いのなら……!」
ぐらぐら揺れている俺に対し、グリフォンリースが叩きつけるように声を上げた。
「自分が半分持つであります! あなたの隣で、ず、ずっと……!」
「えっ? お、おう……頼む……?」
意図が把握しきれず、曖昧に答える俺。
いきなり横から体当たりされた。キーニちゃんに。
《わたしも》《持つ》《ずっと持つ》《離さない》
「う、うん? うん……」
キーニも持つのか? 主人公三人? 群像劇的な?
「わたしも、端っこくらいは持ちましょう」
肩に這い出たパニシードがやれやれと笑いながら言ってくる。
「なるほど。よい主人公になりそうだ」
なにやら唐突に仲間たちに包囲された俺に向かい、ティタロが声に微笑を交ぜた。
ええと、大丈夫か? 主人公四人構成とか、まともな長さの物語じゃ描ききれないぞ。
しかも集団行動してるんだから場面の多様性もない。視点がほぼ同じで主人公多いって、かなり頑張らないと読む方はすごく退屈になるぞ。
「ティタロ。オレの武器は、こんなに鈍いヤツに使われて大丈夫か?」
鍛冶屋が不安げに口を挟んできた。
……え? 鈍いって? え、俺?
「機を見るには敏だが、人間は常に聡いわけではない。そこがよいと思わないか」
「オレは……やきもきするのが嫌いだ」
「大丈夫だ。きっと楽しい物語になる」
待て。主人公の重責の話をしてるんだろ?
魅力ないヤツが主人公になると、物語が陳腐化しちゃうってそういう話を!
なのに何で俺が難聴系主人公みたいな非難浴びてるんだよ!
俺は誰よりも会話の趣旨を理解してるぞ!
俺の生涯を物語にするにあたって、四人の主人公が……。
おのおのの視点からストーリーを構成するのは大変だと、そう言って……。
ん? 生涯?
生涯の重荷を、分け合う?
俺の人生を、分かち合う?
ずっと?
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な、なんだ、今と変わんねえな!(震え系)
不遇さんにとって、この世はすでに不条理世界