百五話 戦後処理色々! 安定志向!
ブロッケン現象など、山に住む帝国の人々にとってはごくありふれた自然現象だ。
だから、あの場で谷の巨影に腰を抜かしていたのは、平地出身の俺たちだけだった。
山の頂を掴むほどの巨大な魔物――というのはいささか誇張された表現ではあったものの、そのせいで危うくヤマツカミという呼称になりかけた〈朽ちた厄災〉が、そうした自然現象によって自爆したという話は、しかし、帝都の人々に大きな波紋を広げることになった。なぜなら――
「〝御山映し〟と呼ばれている」
と、ザンデリア皇帝は静かに俺に語った。
「山に映ったのは、自分の影ではなく、我らに対する山からの慈しみと恩恵の大きさを表しているという伝説がある。御山映しで現れる大きな影は、我々がいかに自分の体よりも大きな命の糧を山からいただいているかを示している、というわけだ」
「でも、あれは……」
「わかっておる。平地に住むおまえたちには、いささか幻想的すぎる考えであろうとな」
皇帝はまるで動じず、薄く笑って言った。
「だが、霧や雲が、なぜ影をあのように我らに見せるのか。現象の奥の理由について考えたことはあるか? なぜそのような現象がこの世界にあるのか? 仮にその現象がなかったとしてどうなる? 誰が困る? 誰も困らない。では、なぜあるのだ?」
「さ、さあ……」
返事に窮すると、皇帝は笑みを崩さないまま、優しく続けた。
「観測して原因を知ることだけが、真実との向き合い方ではない。それでは、その奥にある、すべての源の存在を知ることはできない。ではどうするか? 感じることだ。その土地に根付き、その土地の鼓動を受け取ることだ。そうしてようやく、現象の奥をうっすらと感じ取るができる。おまえもこの帝都に住むか? クーデリアの婿になりたいというのなら、考えてやってもよいぞ?」
「め、め、めっそうもない!」
俺がばたばたと手を振り回すと、皇帝はさらに「何だ。あの娘が不満か?」と言い重ねて、いじめっ子の顔ををするのだった。
〈朽ちた厄災〉との戦いの後、皇帝に呼び出された俺が、この謁見の間であの戦いの結末についてわざわざ彼女の見解に口答えしたのは、「神話? 科学的じゃないっすねえ」なんて地球の風を吹かせて解説しようとしたからじゃない。
俺の立場が危うくなってきたからだ。
「クーデリアが言うには、おまえはあの巨大な魔物に対し、まるで物怖じせず、すでに勝ちを確信した様子で討伐に出発したそうだな。そしてその通りの結果になった。〝御山映し〟は山の神々の意思。おまえはそれを呼び寄せ、勝利した。いかに強力な魔導士であろうと、そのような神通力を持つ者はいなかった。人の身で神に通じる、歴代最強の〈導きの人〉と見て、相違なかろう」
これが、俺に対する皇帝の――つまりは、帝国の見解になろうとしていた。
英雄なんか目じゃない。
現人神に祭り上げられつつあるのだ。
すでにオブルニアの神殿の中では、俺の死後、遺骨をどの山に埋めるかで一大論争が巻き起こっているという。
まず殺すことから始めてんじゃねえよ神官!
いや、それよりも!
「あのう、皇帝陛下。こ、今回のことは本当に偶然なんです。俺には確かに計画があったんですけど、それがはずれちゃって、ヤケクソで色々やってみただけで……」
俺の情けない反論にも、皇帝は相好を崩したままで、
「そうか。ではそのヤケクソを見かねて、山の神々が力を貸してくれたのだろう。その情けを受けられるだけでも、おまえは端倪すべからぬ傑物ということだ。自らを誇らしく思ってよいぞ。コタロー」
まるで考えを改めてくれる様子はなかった。案外、末娘がつれてきた客人を、とことんまで担ぎ上げてみようという茶目っ気すら感じられる。
神だなんて冗談じゃない。
そいつなら俺の隣の部屋で寝てますよ。全裸で。
英雄って肩書きだけでもすでに邪魔なのに、この上、さらに余計なプレッシャーを背負わないといけないなんて……うっ、安定感が。
※
人がほしくもない名誉を授けられる一方で、何だかよくわからない立ち位置に収まった人間もいる。
「ねえ。わたしだけどうしてこんな扱いなの?」
格子つきの窓から、不満げなクリムが顔をのぞかせた。
ここは〈魔王征伐団〉詰め所の懲罰房だ。
帝国民との軋轢というより、団員同士でケンカ沙汰になった者たちをぶち込んでクールダウンさせるための場所だという。
鍵つきの扉をはさんで向かい合う俺たちに対し、クリムは唇を尖らせて言った。
「わたしはコタローに言われてやっただけでしょ? 確かに、部隊の作戦の邪魔になったかもしれないけど、どうしてわたしだけここに閉じこめられて、コタローは通路でわたしを見てるわけ?」
「だから、何度も言ってるだろ。クリム隊長さんよ」
彼女の言葉を押し返したのは、ここの見張りを任されている若い団員だ。
「これは別にあんたへの罰じゃないんだ。ただ、戦場でよくわからんことをして、その結果もよくわからなかったから、とりあえず落ち着かせとけって処置なだけだ」
「わたしは落ち着いてるわよっ。コタロー、何とか言いなさいよ。何か考えがあってわたしにあんなことさせたんでしょ? みんなにちゃんと説明して!」
「本当に申し訳ない」
「ちょっ……何謝ってんのよバカぁ! だって……結果としてあの魔物は死んだじゃない! 全部あんたの作戦通りだったんでしょ?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるんだ。俺は不必要にウソはつきたくない」
「わたしを助けるのが不必要だっていうの!?」
「ウソをつかずに素直に謝るよ。ごめん」
「素直にされても嬉しくないわよ! 今必要なのはわたしに優しいウソなの!」
「いや、だから隊長さんよ。別に罰を受けてるわけじゃないんだって。他に静かな場所がないから、そこに入れただけで……。騒いでるとずっと外に出せないぞ」
こんな扱いである。
クリムの奇抜な行動に関しては、あの決死の先陣を敷いた部隊の中でも意見が分かれていた。
クリムの煙幕によって、部隊の姿がいっとき隠れたというのは事実だ。目くらましという意味そのものはわかる。それによって〈朽ちた厄災〉が立ち上がり、自分の影を谷に映すことになったのも確かだ。四つん這いのままでは、谷にまともな影は投影されなかっただろうから。
だが、その一連の流れが意図的か? と言われれば、大半の者は首をかしげるだろう。
何しろ苦笑いするほどのご都合主義的バグの世界である。彼女はただ錯乱しただけと唱える者もいて、クリムは最終的に何をしたかったのか不明な女なのだ。
俺が「すべて俺の目論見通り」とでも言えば、少しは収拾するのかもしれないが……勘弁してくれ。
帝都中がそういう方向で話を持っていこうとしているのを、俺一人がどうにか、奇跡だった、で済まそうと抵抗している最中なのだ。
もし認めてしまったら、俺はまさしく神様に祭り上げられて、今後、あらゆる奇跡を強要されることになる。
見える、見えるぞ……はっきりとした地獄が!
よって、俺からのフォローは不可能だった。
クリムがもっと深刻な状況に陥るのなら、そこは身を張って弁護するところだが、帝国側も何か処罰を考えているわけではなさそうだし、ここは流れに任せてもいいと思う。
それに言っちゃ悪いが、俺はクリムに用があって懲罰房に来たわけではないのだ。
「ちょっとー。見張りの兵士さーん。お腹空いたわー。ごはんまーだー?」
クリムの部屋の隣で、やはり格子付き窓から顔をのぞかせている女性がいる。
「ナッハー。わたしったら、人より頭の巡りがいいもんだから、お腹空くのも早いのよねえ」
「さっき俺のおやつ分けてやったばっかりだぞ。夕方まで我慢しろ」
「うええ? 一日四食なんてダイエットよ、したことないけど。わたしのロマンフルな頭脳には一日五食が必要なのよー。ロマンと栄養が途切れると、この大冒険家のラナリオさんは死んでしまうのよおー。それって世界の損失なんじゃないかしら。ねえアルフレドも何とか言ってー?」
「やめてくださいよ姉さん。ただでさえ怪しい人格なんだから……。おとなしくして、信じてもらえるのを待ちましょう。ね?」
「大丈夫。諦めなければ道は開けるわアルフレド!」
「諦めてなかったら、姉さんと行動してないんだよなあ……」
「うん? どういうこと? よくわかんないけど、それってロマンがないことよね? だったら気にしなーい。考えなーい。ナッハー!」
このふなっしー並にうるっさいお姉さんと、ダウナー系の青年は、今回廃坑に入って〈朽ちた厄災〉の第一発見者になった冒険家ラナリオと、弟にして助手のアルフレドだ。
〈古ぼけた悪夢〉のイベントに参加し、勝利で終えると、彼女たちを救助したことになる。スルーした場合は二人ともあの世行きだ。
で、彼女たちには今、〈朽ちた厄災〉を目覚めさせた疑いがかけられている。
ゲームでは放っておいてもそのうち釈放されるのだが、このタイミングで懲罰房を訪れると、彼女たちを仲間にする機会が得られる。
「一緒に世界のロマンを探さない!?」
と浮かれたラナリオのお誘いに対し、プレイヤーに与えられる選択肢は二つ。
・いいねえ、いっしょに行こう!
・げんじつをみろよ
相変わらず拒否の選択肢の冷め具合がやばい。これファンタジー世界で言うことか?
しかもラナリオなんか仲間にしても大した戦力にならないため、うっかり話しかけると大抵この否定の選択肢を選ぶハメになるのだ。
ゲームしてる時にこんな説教したくない。
だが、今後ちょっと付き合いのできる彼女と、今日はどうしても面通ししておかなければならなかった。用事も含めて。
「ラナリオ。ちょっといいか」
「おや、どうしたい少年! お姉さんに何か用かな」
ラナリオは二十代半ば。ショートの金髪に、サファリジャケットとハーフパンツという、探検家以外の何者でもない格好をしている。
【冒険家】は、ゲーム中彼女のみの【クラス】であり、戦闘後に勝手にアイテムを発見してきたり、敵とのエンカウントを強制的に解除したりと、独特な性能を持っている。
が、弱いし、ストーリー後半にきてほとんどのプレイヤーのパーティーメンバーが固定されていることもあって、本当に好きな人でもない限り、メインとしてはほぼ使われない。せめて序盤から仲間にできれば、多少は人気もあったかもしれないが……。
ちなみに彼女、やたらバイタリティはあるが、非常にか弱き存在でもある。
〈古ぼけた悪夢〉含め、三つのイベントに渡って主人公と関わってくるのだが、放置するとすべてで死ぬ。こんだけイベント死が多いキャラは他にはいない。
『ジャイサガ』儚いものランキングをやると、いつもだいたい二位にいる。
一位は、HP2のザコ〈ハムシ〉。それくらい弱い。そしてやっぱり、死んでも誰からも気にされない。本当に儚い、カゲロウのようなお姉さんなのだ。
「ところでお姉さんは少年のことを知らないんだけど、どうして名前を知ってるのかな? ひょっとして、わたしのファンだったりするのかな?」
「ああ、まあ、そんなところだ」
この姉さんは非常にアホだが、確かに名は知られている。まあ、そういう設定なだけで、ゲーム中での恩恵は何もないが。
「そうなのかい。いやあ、参ったねえ。有名なのも。人を集めるときには便利だけど、今回、みんなそろってどっかに逃げちゃってさ。帝都にあの魔物のことを報告しに戻ったの、わたしたちだけだよ? やっぱり、名前だけ聞いて群がってくる探索者なんて信用しちゃダメだねえ」
「そのあたりの事情は、ここの兵士たちにもう話したのか?」
「話したよ。でも信じてもらえないんだよねえ。わたしたちはさあ――」
「廃坑奥で、別の洞窟を発見した。その奥に、埋もれている例のバケモノを見つけた。誰かが近づくよりも早く、いきなり動き出した――んだよな?」
「ん……? あれれ? 少年、もしかしてわたしの探検隊にいた?」
「いない。が、わかるよ」
埋もれた〈朽ちた厄災〉は、ダンジョンの背景の一部として描かれており、薄暗い洞窟にぼうっと浮かび上がる様子は、かなり不気味かつショッキングな絵面だ。
『ジャイサガ』はキャラドットよりも、こういう演出的な部分や、敵キャラへのドットに偏愛性が見られるため、これを見たいがためにラナリオルートで〈古ぼけた悪夢〉を始めるプレイヤーは少なくなかったりする。
「俺は帝国に知り合いが多いから、みんなを説得してもいい。そうすれば、すぐにそこから出られて、次の冒険に出られるよ」
「おおっ、ありがとう少年! 君とわたしの人生にロマンあれ!」
「ただし条件がある。洞窟で黒っぽい、輝く石を拾ったはずだ。あれをくれたら、助けてやる」
俺の即物的な交換条件に、ラナリオはきょとんとした。
別に放っておいても助かるのだから、我ながら恩着せがましい話だとは思う。
だが、これでも『ジャイサガ』プレイヤーとしてはマシな方なと思っていただきたい……。
「ええ……。あれは今回の冒険で唯一の収穫だったんだけどなあ……。でも、ま、いっか! 人を寄せつけない廃坑、そしてその奥に眠っていた悪魔の巨人! ロマンは十分味わえたよね! ね、アルフレド!」
「天国も見えかけましたけど」
「いいなあ! わたしも一度は見てみたいよ天国! でもそのためにもまずは自由を得ないとね! どーせよくわかんない石っころだし、気にしない気にしない!」
その石ころは〈隕鉄〉というアイテムで、よくわからない石ころどころか、鍛冶屋に持っていくと〈スターバスター〉という、かなり凶悪な剣を作ってもらえる。
ゲーム中準最強装備の位置づけで、正直これだけでもラスボスを倒すには十分だ。
それをあっさり拾ってくるあたり、彼女の冒険者としての目はかなりいい。
……ラナリオはこれのせいで、よく追い剥ぎに遭う。
追い剥ぎプレイについては、今は懐かしいグリフォンリースちゃんとの初対面時に説明したかと思う。
仲間に加える→装備を剥がす→仲間からはずす→装備を売る
この流れるような腐った金策行為の総称だ。
『ジャイサガ』には、装備品だけでなく、アイテムを持って行動している仲間キャラというのがいる。
ラナリオもそのうちの一人で、イベントの進行具合によって持ち物が異なるという、ちょっと異例のキャラになっている。
今回の〈古ぼけた悪夢〉の後には〈隕鉄〉、他二つのイベントの後では〈水銀〉と〈星砂〉を持っている。
これらはラナリオルートでないと拾えないレアアイテムで、いずれも強力な武具の材料となる。
また、彼女のルートを辿らなかった、かつ、死亡を回避した場合、イベント直後に仲間にすることで、それらを回収することも可能だ。
つまり。
イベント後にラナリオを仲間にする→レアアイテムを没収する→ラナリオを追い出す→ラナリオは冒険に出る→レアアイテムを拾う→プレイヤーはまたそれを没収する……これを計三回繰り返せば、面倒な探索なしに強力な武器が手にはいるという寸法なのだ。
プレイヤーの人格が根腐れを起こしそうなほどの外道プレイである。
これを〝ラナリオの鵜飼い〟と言い、『ジャイサガ』無形文化財鬼畜部門にしっかり登録されている。
なんか、スタッフもプレイヤーも当時の俺も、ラナリオお姉さんに冷たすぎるのではなかろうか。
一人の人間として相対すれば、平気な顔してそんな鬼畜が働けるわけもなく、だが〈隕鉄〉はほしいし……でもラナリオを仲間にする気もないし……で、考えた末に、彼女の釈放を手伝うという口実に落ち着いた。
彼女も物より思い出を大事にする性格のようなので、これなら俺の良心も痛まないというものだ。
ラナリオは無邪気で気のいいお姉さんって感じだし、グリフォンリースちゃんは健気すぎる女神だったし、やっぱり追い剥ぎプレイはクソだな。禁止だ禁止。今後一切禁止。ちゃんと公平に取引しよう!
ちなみに『ジャイサガ』三大追い剥ぎは、
ベリンソンが亡き妻との約束を守るため、二十年かけてようやく見つけた〈夢の石〉、
放浪の記憶喪失少女クレコが、王族の生き残りであることを証明する唯一の手がかり〈滴の指輪〉、
故郷を魔物に襲われ、一人生き残ったダディラの、親友の形見にして心の拠り所であるアクセサリー〈ジルコンの馬〉、
であり、これらはすべてはした金になるか、あるいは主人公の装備品なって、その後、元の持ち主に返されることはない。
悲劇量産機である。
そう考えると、ひょっとして〈導きの人〉は、世界を救わないと、ちょっと帳尻の合わない、ひどく罪深き生物なんじゃないだろうか……。
「じゃあ少年、よろしく頼むよ!」
鉄格子越しに笑顔を向けてくるラナリオに手で応答したものの、突然足下に巻きついた罪の重さから、俺はのろのろとした足取りで懲罰房を後にすることになった。
「ちょっとコタロー! わたしの分も! わたしの分も釈明してきてよね!?」
クリムの声はちょっと聞こえなかった。
追い剥ぎプレイをするときは、テレビから離れて、人の心からも離れて楽しみましょう