追懐
小説を投稿するというのは、これが初めてなります。
この文章の内容は、両親の離婚という自分にとって非常に辛く、今なお思い悩んでいるテーマに基づいています。
どうにかこの経験を文字に起こすことで、トラウマとして抱え込むのではなく、自分なりに昇華させられれば、と思い書き始めました。
拙い文章に加え、良い気分になるものではないかもしれませんが、自分なりに十数年考え続けたものの発露ですので、何かを感じ取っていただけたら幸いです。
1.
唐突に、視界を覆った。
みんなが見ている太陽が、自分には月に見える。
クレープの販売車も、にぎわう広場も、デパートも。
あの時少年は何を思っていたか。
希望に内在する絶望を、どこかでずっと恐れていたのだと、今になって悟ったのである。
そしてその少年の本質は、或いはあの時から変わっていない。
漠然と進んでいると思っていた時計の針は、分針の空回りであった。
あの既視感も、孤独も、変わり映えしない日常は、なるほど本当に変わっていなかったのだ。
時針を進めるにはどうすれば良いか――
わかりきった愚問の解を、いつしか少年は考えなくなった。
2.
叫ぶ。叫び続ける。少年の叫びは、しかし響かない。
けして空気を震わせることのないそれは、むしろ嘆きでさえある。
ことに、嘆こうが、叫ぼうが、事態は変わらない。
救われないのは、少年にできるのはそれぐらいということだろう。
朝陽が射して、新しい一日を知らせれば、世界はまた動き出さねばならない。
それはちっぽけな少年にも同じことであった。
少年は、このときしずかに、それでいて深く、刺されるような驚きを感じた。
自分に何が起ころうと、世界は何も変わらない。
社会を知らぬ子供にも、そのことはよくわかった。
この衝撃を帯びた発見は、少年にとっては半ば真理とも呼ぶべきものであった。
ベッドを降りて、階段を下り、顔を洗って、テレビを見ながらコーン・フレークを胃に流し込む。
階段を上がって、箪笥から服を選び、着替え、またテレビを少し見てから玄関へ向かう。
玄関へ行くのにも、階段を下る。
クツを履いたら、すぐ隣の姿写しで身だしなみを整える。
重々しい黒に、プラチナの取っ手のついたドアを、力を込めて押す。
ガシャンと大きな声をあげてドアが開くと、外の陽が目を覆う。
「やっぱり、足りない。」
家の前のコンクリートに足を置いて、少年は気づいた。
しかしそれは、気づいたと呼ぶにはいささか以上に酷な事実であった。
離婚――文字に起こせばたった二文字のこの現実は、あまりに闇を孕みすぎていた。
幼稚園も年中になろうという折である。
少年は母を愛していた。この歳の男の子であれば、ごく当然のことだろう。
ただ、中でも少年のそれは一際大きなものであった。
広く、深く。どこまでも無限に続き、そしてしっかりと自分を包み込んでくれる。
少年にとっての母とは、まさに海の如き存在であったのだ。
故に、恐ろしい。
ひとたび崩れだした大海は、容赦なく少年を飲み込んでいく。
光を絶つ、果ての見えぬ闇に、僕は、ただ怯えた。
3.
「ママ!ぼくもてつだう!」
くぐもった記憶の海に、淀んだ破片が浮かんでいる。
必死に掻き分け、目を凝らして、そのひとカケラを掴む。
「――」
あのとき、母は何と言っただろうか。
にっこりと、いつもみたいにほほ笑みかけてくれただろうか。
リビングから聞こえるのは、父と、姉と、そしてテレビの明るい笑い声。
どうしてだろう、あの時僕には、それがひどく不気味に聞こえた。
リビングの外には暗闇が広がる。どこか、あの海の闇に似ている。
母はそこに独り立っていた。
寂しいとも、哀しいとも言えぬその背中は、今も眼に焼き付いて離れない。
重そうな洗濯籠を抱えて、ゆっくりと階段を上る。
背後の光と眼前の闇は、互いを恐ろしくもはっきりと際立たせた。
僕は直感的に、何かの使命感のようなものに駆られた。
しかし、母を照らさんとするこの想いは、まだかつて僕には荷が勝ちすぎていたのだ。
回顧のたびに痛切に味わうこの無力さは、じりじりと身を焦がしていく。
「ママ!ぼくもてつだう!」
その声にはまだあどけなさが存分に残っていた。
およそ母の役に立ちたいという想いはあっても、まさか家庭の軋轢をどうにかしようなどと、考えられる筈もない。
「無理だったんだ。僕にはどうしようもなかった。」
言い聞かせるように反芻する。
「あんな子供に、どうしろっていうんだ。」
反芻する。
「僕だって…。」
喉にこみ上げる黒い影に、言葉が詰まる。
「あのときなら、まだ――」
ふっと漏れだしたその影を、掻き消すように叫びをあげる。
暗い、深い、海の中。響くことのない嘆叫を。




