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母影  作者: 結城縁
1/1

追懐

小説を投稿するというのは、これが初めてなります。

この文章の内容は、両親の離婚という自分にとって非常に辛く、今なお思い悩んでいるテーマに基づいています。

どうにかこの経験を文字に起こすことで、トラウマとして抱え込むのではなく、自分なりに昇華させられれば、と思い書き始めました。

拙い文章に加え、良い気分になるものではないかもしれませんが、自分なりに十数年考え続けたものの発露ですので、何かを感じ取っていただけたら幸いです。

1.

唐突に、視界を覆った。

みんなが見ている太陽が、自分には月に見える。

クレープの販売車も、にぎわう広場も、デパートも。

あの時少年は何を思っていたか。

希望に内在する絶望を、どこかでずっと恐れていたのだと、今になって悟ったのである。

そしてその少年の本質は、或いはあの時から変わっていない。

漠然と進んでいると思っていた時計の針は、分針の空回りであった。

あの既視感も、孤独も、変わり映えしない日常は、なるほど本当に変わっていなかったのだ。

時針を進めるにはどうすれば良いか――

わかりきった愚問の解を、いつしか少年は考えなくなった。


2.

叫ぶ。叫び続ける。少年の叫びは、しかし響かない。

けして空気を震わせることのないそれは、むしろ嘆きでさえある。

ことに、嘆こうが、叫ぼうが、事態は変わらない。

救われないのは、少年にできるのはそれぐらいということだろう。


朝陽が射して、新しい一日を知らせれば、世界はまた動き出さねばならない。

それはちっぽけな少年にも同じことであった。

少年は、このときしずかに、それでいて深く、刺されるような驚きを感じた。

自分に何が起ころうと、世界は何も変わらない。

社会を知らぬ子供にも、そのことはよくわかった。

この衝撃を帯びた発見は、少年にとっては半ば真理とも呼ぶべきものであった。


ベッドを降りて、階段を下り、顔を洗って、テレビを見ながらコーン・フレークを胃に流し込む。

階段を上がって、箪笥から服を選び、着替え、またテレビを少し見てから玄関へ向かう。

玄関へ行くのにも、階段を下る。

クツを履いたら、すぐ隣の姿写しで身だしなみを整える。

重々しい黒に、プラチナの取っ手のついたドアを、力を込めて押す。

ガシャンと大きな声をあげてドアが開くと、外の陽が目を覆う。

「やっぱり、足りない。」

家の前のコンクリートに足を置いて、少年は気づいた。

しかしそれは、気づいたと呼ぶにはいささか以上に酷な事実であった。


離婚――文字に起こせばたった二文字のこの現実は、あまりに闇を孕みすぎていた。

幼稚園も年中になろうという折である。

少年は母を愛していた。この歳の男の子であれば、ごく当然のことだろう。

ただ、中でも少年のそれは一際大きなものであった。

広く、深く。どこまでも無限に続き、そしてしっかりと自分を包み込んでくれる。

少年にとっての母とは、まさに海の如き存在であったのだ。

故に、恐ろしい。

ひとたび崩れだした大海は、容赦なく少年を飲み込んでいく。

光を絶つ、果ての見えぬ闇に、僕は、ただ怯えた。


3.

「ママ!ぼくもてつだう!」

くぐもった記憶の海に、淀んだ破片が浮かんでいる。

必死に掻き分け、目を凝らして、そのひとカケラを掴む。

「――」

あのとき、母は何と言っただろうか。

にっこりと、いつもみたいにほほ笑みかけてくれただろうか。

リビングから聞こえるのは、父と、姉と、そしてテレビの明るい笑い声。

どうしてだろう、あの時僕には、それがひどく不気味に聞こえた。

リビングの外には暗闇が広がる。どこか、あの海の闇に似ている。

母はそこに独り立っていた。

寂しいとも、哀しいとも言えぬその背中は、今も眼に焼き付いて離れない。

重そうな洗濯籠を抱えて、ゆっくりと階段を上る。

背後の光と眼前の闇は、互いを恐ろしくもはっきりと際立たせた。

僕は直感的に、何かの使命感のようなものに駆られた。

しかし、母を照らさんとするこの想いは、まだかつて僕には荷が勝ちすぎていたのだ。

回顧のたびに痛切に味わうこの無力さは、じりじりと身を焦がしていく。

「ママ!ぼくもてつだう!」

その声にはまだあどけなさが存分に残っていた。

およそ母の役に立ちたいという想いはあっても、まさか家庭の軋轢をどうにかしようなどと、考えられる筈もない。

「無理だったんだ。僕にはどうしようもなかった。」

言い聞かせるように反芻する。

「あんな子供に、どうしろっていうんだ。」

反芻する。

「僕だって…。」

喉にこみ上げる黒い影に、言葉が詰まる。

「あのときなら、まだ――」

ふっと漏れだしたその影を、掻き消すように叫びをあげる。

暗い、深い、海の中。響くことのない嘆叫を。

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