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缶コーヒーからはじめよう。  作者: 崎ちよ
第2章  酔った勢いで
6/25

第6話 「監視役の一日」

□□□□□□


 陸軍中尉である真田鈴の監視役は続いている。

 あれから彼女は身体を売ってないらしい。そして、俺が彼女の外出に付き合うことは続いている。

 食事をとりながら、コーヒーをのみながら、彼女はどうしてセックスに依存することになったのか、そんな話をふたりでしていた。

 前の部隊でやってしまったこと。

 はじめての男がひどかったこと。そして、そんな男に馬鹿みたいにのめり込んで、支配されて、とてもマニアックな性癖に付き合ったこと。

 ついでに前の部隊でいちばんよかったのは、初めての子を食べちゃう時だったとか、重たいようで軽い、軽いようで重たい話をしている。

 彼女はあっけらかんと話す。

 だから気楽な会話になっていた。

 俺はツッコミ役。

 淫乱でどうしようもないこの女性の常識はずれな言葉を遮り注意する。

 エグい話でもだんだんと笑えてくるから面白い。

 あと、俺も彼女には自分の話もできるようになっていた。

 彼女の監視役をするにあたって俺は自分のことも打ち明けた。

 一方的ではフェアじゃないと思ったからだ。

 あまり人に言えないこと、ミハルさんという年上の既婚者と関係を持っているという話をした。

 ただなりゆきで少しだけ嘘をいった。

 『関係をもっている』と。

 本当は『関係を持っていた』という過去形。

 なぜかはわからない。

 独り身ではないという見栄を張りたかったのかもしれない。

 彼女は年上の女の人と付き合っていることを聞いて、ひとつだけ質問をしてきた。

「与助君って、マザコン?」

 いつもの笑顔で、ひどいことを言う。

「断じて違う」

 と、強く否定した。

 そういう会話を繰り返し、お互いのことを、特に性的な面で知りすぎてしまった状態になっていく俺たち。

 相変わらず週末は待ち合わせ場所で缶コーヒーを飲んで、それから買い物をしたり昼食や夕食をいっしょにとっている。

 そして、どうでもいい話で盛り上がった。

 いつもは定食屋みたいな場所に行くが、今日は居酒屋で夕食会。

 たまには酒を飲んで話してみたいと思ったからだ。

 たぶん、お互いに。

 一杯目から彼女はぐびぐびビールを飲んだ。

 俺もビールをゴクリゴクリと飲んでいた。

「昨日、合コンいった」

 彼女は唐突に話題をふる。

 いつものことだ。

「へー」

 だから、いつものように俺は返事をした。

「反応薄くなーい?」

「あーそう、いい男でしたか?」

「何、その義務的な話し方」

「いい男いましたか? 連絡先教えましたか? 聞きました? さっそくつれこみました?」

 俺は棒読みで言う。

「ゴムつけないっていうから、置いてきちゃった」

 フフフと笑いながら彼女はいつものように赤裸々なことをさらりと言った。

「鈴さん、少しは恥ずかしがってよ」

 へへへーと意地悪く笑う彼女。

「お金払う人はねー、ちゃんと丁寧に扱ってくれるんだけど、お金払わない人はわがままなんだよねー」

「ちったあ、まともな男に声かけたほうがいい」

「与助くんも、人妻とか不倫とか偉そうなこと言えないよ?」

「いいの、そこはお互いに割り切っているから」

 割り切っていないから引きずっている。

 怖い夢を見た時に無意識に俺が求めるのは、未だにミハルさん。

 もちろん、そこにあるのは毛布だけなんだけど。

「年上ってそんなにいいものかな」

「なんで?」

(あきら)はおやじフェチだもん」

 日之出晶ひのであきら

 中尉。

 中隊付副官……中隊の先任将校という位置づけ。

 職場で俺が苦手とする女。

 ちなみに中隊本部の人事係をしている俺にとって彼女は直属の上司にあたる。

「あの副官が普段はキリッとしているのに、彼氏の前では『ぱぱー』なのか、想像できない」

「あー、晶はフリー」

 そう言った時、真田中尉の表情に一瞬だけ陰りがさしたような気がした。

「美人なんだけど、男っ気ないんだよなあ……士官候補生学校の頃からあんまりそういう話は聞かない」

「鉄の女だな、やっぱ副官は」

 ジト目で彼女は俺を睨む。

「よし、チーくろ……今の言葉お持ち帰りしーよお……うひひ、きっといじめられちゃうよ、与助君、仕事倍増仕事三倍増し増しで」

 彼女はそう言ってビールに口をつけた。

 でもあまり口には含まず、すぐに唇をグラスから外し、そして小さくため息をついた。

「晶って、本当は結構かわいいところあるんだよ」

 俺から目をそらして言う。

「ぜひお仕事で、そのかわいいところを見てみたい」

「ダメ、与助君って見るからにMだから」

「あいつは女王様か」

「天然ドS」

「たち悪!」

「小学生の男子みたいな性格かな」

「更にダメ」

「たぶん、与助君だからかも」

「俺がダメ人間ですからね」

 少し口を尖らせて言うと、彼女はなんとなく遠い目をしたまま軽ーく笑った。

 それから、副官がどれだけお堅いとか、酒乱だとか、ついでに中隊長の佐古少佐に一度だけゴロゴロにゃんにゃんして粗相したことがあるとか、そういう話をした。

 そんなどうでもいい世間話。

 いつものように。

 でも、こういうのも悪くない。

 俺と彼女は似たもの同士なのかもしれない。

 ふらふらしてて、不安定で。

 ふたりで世間にはおおっぴらにできない秘密を共有している。

 気楽。

 いい話友達なのかもしれない。

 それにしても……。

 なぜだろう、彼女の呑むペースがいつもより早い気がしていた。

 ふだんは夕食の時、停職屋でビールを一杯頼んでちびちび飲むことぐらいしかしたこないから……比較はできないが。

 それに中隊の宴会とかそういう場で見た時とは全然違うペース。

「ぐひー、もう一杯!」

 酔っ払いがそこにいた。

 淫乱でよっぱらいおやじ。

 ……性質(たち)が悪すぎないか、おい。

「飲みすぎじゃね?」

「んにゃ? 飲まねば」

「鈴さーん、目が据わってますよー」

 何杯飲むんだこのひとは。

「だってー、わたしが飲みすぎても、ちゃんとおうちに送ってくれるひとがいるもん」

「あのなあ、宿舎の前まで俺がいったら次の日から仕事しにくくなるって」

「だーれも見てないよー」

「鈴さん、軍人宿舎の恐ろしい話を知らねえ?」

「なーにそれ」

「春先に女つれこもうとした某少尉、玄関前で無理やりちゅーしたとか、そのあとぶたれて逃げられたとか……その時の平手打ちは左手だったとか、しかもその子は旅団通信隊の某伍長だとか……某伍長の服装は云々かんぬん、そんなのが次の日には井戸端会議のお題になるらしい、そして夕方には旦那の耳に入る……つまり、あそこは奥様方の二十四時間監視網に晒されている場所なんだ、軍人宿舎の主婦なめんな、主婦恐るべし……そんな彼女達のすさまじい情報収集能力は、陸軍中央情報本部の能力を超えているとかいないとか……わかるでしょ、そんなところに俺が鈴さん送った日には」

 ふーん。

 と彼女は言った後、上目遣いで俺を見て言った。

「ダメ?」

「ダメとかそういうのじゃない」

 彼女はうーんと首をかしげて考える。

 まさか身に覚えあるとか……。

「この前、男の人と入ったところ見られたかな?」

 彼女は眉間に皺を寄せ考え込んだ。

「な、この前って、あれの前? 後? そりゃまずいって、宿舎の奥様連中に見られてんじゃないの」

「……かな?」

「……ま、まあ今のところそんな噂聞いていないから大丈夫だと思うけど」

「ふふふー、心配してくれるんだね、与助君はいい奴だ、うん」

「心配してねえよ」

「水道の調子が悪いから管理人のおじさんに入ってもらっただけなんだけど」

 にやにやする彼女。

 なんだかからかわれたようだ。

 ちくせう。

 ちょっと反撃したい気分なので、とりあえず俺は大げさに慌てた顔をして話を続ける。

「とうとう我慢できず、管理人のじいさんまで手を出したか」

 ぶっ。

 彼女はビールを少し噴出す。

 汚いよ。

 おい。

 でも、まあ反撃成功。

 ふん。

「さすがに、そんなことは、よぼよぼおじいちゃんにはしないって! どんな女って思ってるのー」

「うーんと、清楚で淫乱」

 即答する俺。

「ばか」

 少しうれしそうに彼女は言った。

 彼女は左手で肘をついて、その上に小さな顎をのせた。

「なんか悪くないな……清楚で淫乱」

 彼女はそうつぶやく。

 そしてふたりで笑った。


 居酒屋を出る。

 帰り道は途中まで同じなので、夜風を浴びて酔いを醒ましながらゆっくり歩いて帰ることにした。

 夜の繁華街を歩くというのはメイン道路を埋め尽くすタクシーになんとなく非難されている気分になる。

 そうしているうちに、彼女が「近道しよう」と言って裏路地をくねくねとすり抜けていった。

 俺はその後をしょうがなく付いていく。

 あまり通らない道、こんな裏路地があったんだと関心しながら、彼女がぐいぐい進む後ろ姿を追いながら夜の街を抜けていった。

 しばらく行くと彼女は立ち止まる。

 振り向いた顔は情けない顔をしていた。

「迷った」

 いやいやいや、だって、迷わないだろう。

 金沢の繁華街ってそんなに広くないし、犀川沿いにいけばいいから目印はしっかりあるし。

 っつうか、あんた曲がりなりにも騎兵部隊の小隊長だろ。

「おい」

 もう、いろいろつっこもうと思ったけど、言葉にならなかった。

「まあ、酔ってるから仕方がねえな、とりあえず明るいところにでるか」

 自分で言うのはなんだがとても優しい男だと思う、俺。

 今度は俺が彼女を引っ張るようにして、路地を抜けていった。そして、少し明るい場所……いや、明るすぎるテカテカ原色ネオンが光る場所に入る。

 そこはホテル街だった。

 いかんいかん……今この場所でうちの若いのやおっさんたちに見られたら……それを考えただけで、血の気が引く。

 偉いこっちゃ。

 どうしよう。

 そうだ、若いのはその場でシメて脅しちゃえばなんとかなる。

 うん、記憶をなくしたことにしてもらえる。

 よし見つかったらぶん殴ろう。

 そうは言っても俺は平和主義者。

 できれば殴りたくない。

 だから極力早歩きでそこを抜けようとした。

 回れ右してこの場から立ち去るにしても、どうしてか彼女を意識しているようで不本意なことになってしまうので、何食わぬ顔をしてそこを抜けることにした。

 遊撃(レンジャー)は大胆かつ冷静な覚悟が必要である。

 俺は、独特の怪しい光に包まれた通りを無心で突き進むことにした。

 しかし、彼女は歩調を変えずゆらゆらと歩いていた。

 早歩きで置いて行きそうになったので俺は彼女の腕を握り――手ではない!――ひっぱっていく。

「痛い……!」

 少しムキになってしまったのかもしれない。何度か言っていたのを聞き逃したようだ。

 やや強い抗議の声が聞こえて、慌てて手を離した。

 すでに彼女は涙目になっていた。

「悪かった」

 俺はとっさに謝る。

 歩みを完全に止めた俺と彼女。

 派手な色の明かりに照らされた彼女の顔をまじまじと見てしまった。

 お酒で上気した顔で俺を見上げる。

 彼女の口が小さく動く。

 ……よく声が聞こえない。

 俺が首を傾けると、彼女はもう一度やや大きめの声ではっきりと言った。

「ねえ、してみる?」

 ねえ、してみる。

 俺は何を言われたのか、それがどういう意味なのか一瞬理解できなかった。

 いろいろとシチュエーションから結びつく答えがその後出てきて、ますますパニックになった。

 そのことに関してまずは何か言おうと思った。

 が、しかし実際の俺は口を開けてパクパクしているだけだった。

 人間驚くと声がでないというのは本当のことらしい。

 しょうがない。

 だって、してみるだぞ。

 してみるって、なあ、おい!

 この娘は平気な顔したまま、唐突にそんなことを言って……驚かせて楽しんでいるんじゃないだろうか。

 おちょくられているだけだ。

 おちょくられているだけだ……。

 百回ほどその言葉を繰り返しそして、平常心に戻ってきた。

 平常心をしっかり元に戻すため。

 わざとらしく咳払いをして、彼女の腕をひっぱった。

「あのな……帰るぞ酔っ払い」

 はーい。

 といつものように言うかと思ったが、いたずら小僧的な笑顔の彼女は、いつもと違う反応をしていた。

「かわいい、赤くなって」

「違うわ! 酔っ払ってるだけだ」

「えっちー、わざとホテルの前を通ったくせに」

「たまたまだ、たまたま! だいたい道を間違えたの鈴さんでしょ」

 俺はため息をついて、少しだけからかわれた腹いせを言葉に出す。

「この前の、あのなんだっけ、名前忘れたけど、前々回の男としたばかりだからまだ大丈夫だろ?」

「ふふふ、私の性欲を甘く見ないで」

 目が据わっているよ、このひと。

「今、甘く見ていた自分を責めてる」

「与助君は人妻やりまくりだからいいかもしれないけど」

「人妻ってなあ、おい……あのね、うちの若いのが見てるエロ雑誌的な表現はしないの」

「だって、ミハルさんて人妻でしょ?」

「年上で既婚者」

「人妻と不倫」

「わかった。人妻と不倫、そう……そうなんだけど、違うんだよ『やりまくり』ではなくて、年上の包容力ってのが魅力なの」

「マザコン」

「あーどうとでも言ってください、俺たちはお母さんから生まれてきたんだから、しょうがない衝動なの」

「なんか、変態」

 俺はいつも彼女への衝動を馬鹿な話をして紛らわす。

 彼女は俺の衝動をたまにくすぐってうさ晴らしをしている。

 そういう駆け引きをしながら、無事(?)ホテル街を抜け明るい道に出た。

 この街は少し繁華街から離れると、人工的な光がすぐになくなり星の光が増す。

 中途半端な都会。

 彼女はその薄暗い世界の中で、立ち止まって、空を見上げた。

「あのね、晶の先輩の……海軍の人」

 副官の先輩で海軍の人。

 先輩というぐらいだから統合士官学校時代の先輩だろう……階級は大尉以上だろうか。

「この前会ってお茶した」

 俺は「そうかー」と間延びした相槌。

「メルアド交換した」

 たまに車道を通る車の音がひどく大きく聞えるぐらい、静かな街だった。

「すごくいいひと」

「そりゃ、副官が紹介するぐらいだから」

「無骨で素朴で」

「そりゃ、あのお堅い副官の先輩だろ」

 俺は振り返ることなく歩く。

 そういえばホテル街から腕をつかみっぱなしだったことを思い出し、ぱっと離した。

 彼女は俺の一メートル後ろを歩く。

 ちょっと速く歩きすぎたと思ったので歩調を落とした。

 そのうち横に並ぶ。

 静かな夜。

 彼女の息遣いが聞える。

 明らかに飛ばしすぎの車が静かな夜を吹き飛ばすような――まさに公害と言ってもいい――エンジン音を立てながら俺たちの横を通っていった。

 遠くでブロロロと無駄な排気音が響いていった。

 そしてまた、俺たちの間には静けさが戻った。

 大きめに息を吸う音が聞えた。

「今度、会う約束していい?」

「そりゃ、もちろん」

 他に答えようがない質問。

 即答した。

 その副官が紹介した男、いい奴だと評判の男。

 いいじゃないか彼女があれを抜け出すきっかけになれば。

 ああ、いい話だ。


 俺は真田鈴と途中で分かれてアパートへ戻る。

 上着を脱ぎ捨て、畳の部屋に敷かれた座布団にドカッと座った。

 一服しようとマッチを取り出そうとしたが、途中でやめた。

 携帯がなったからだ。

 普段からバイブレーションにしている。

 だから正確には電話が振動し机の上で踊っていた。

 ああ、なんで休みの日に。

 着信名を見て酔いが半分ぐらい醒める。

『着信 副官(怖い方)』

 (怖い方)というのは、副官の前任者――癒し系で五十手前のおとーちゃんだった――と区分するために入れていた。

「もしもーし」

『綾部軍曹?』

「ええ」

『鈴の相手は終わった』

「ええ、まあ」

『変なことしてない?』

「してません、ちなみにこれからもその可能性はゼロです」

『ほんと? 大丈夫? もし鈴からそんなことされたって聞いたらぶっ殺すから』

「だっから、ありませんって」

『信用できない』

 このクソアマ……むかつくなあ。

 だが、俺は冷静だ。

 そんな気持ちを感じさせない丁寧な態度。

「だいたい、海軍のなんとかとかいうひととうまくいっているのに、邪魔するわけないじゃないですか」

『あなたは、そういうの略奪したりして楽しみそう……あ、今付き合っている彼女って不倫でしょう?』

 くっそ、階級なければこの女ヒイヒイ言わせてやるのに!

 ……ヒイヒイってなあ、おい。

 どんだけチンピラなんだよ俺。

「だいたい俺だって週末はいつも暇というわけじゃないですし」

『……なに、その、やらされている感」

「やらされているんじゃ……」

『自主的にしてる』

「自主的にしてます」

『ならいい』

「ありがとうございます、感謝してます、すっげー楽しいです、いやー楽しい」

『うーん、軽いな、なんか軽いな』

「軽くてけっこうです、副官が選んだんでしょう、俺を」

『しょうがなく』

「しょうがなく……」

『ああ、もう、でもしょうがないから、とりあえず今日は何もなかったってことを信用する』

「で、それだけですか?」

 副官の声を聞いただけで、せっかくの休日気分が吹き飛んでしまった。

 お願いです。

 一刻も早く電話を切ってください。

『聞いた?』

 なんで、こう、うちの女どもは唐突な聞き方、主語をぶっとばして話をするんだろう。

 高校は出席して卒業した俺でもわかる話だ。

『明日、鈴がデートすること』

「あー、なんか言ってましたね」

『ちょっと、あなた保護者なんだから、そんな無責任な言い方しない』

 いつのまにか、監視役から保護者に昇格していた。

 ありがたやありがたや。

 ありがた迷惑や。

「はあ」

『明日、監視するから』

「そうですか、ほどほどにしてください」

『軍曹も』

 俺は携帯の画面をみてため息をつく。

『ため息聞こえてる』

「聞こえるようにしました」

『……』

「なーんで、俺がせっかくの休日で、しかも明日は予定が入っているのに……しかも、人のデートを監視するとか、そんな悪趣味なことをしなきゃいけないんですか」

 酔った勢いでもないと、こんなことを副官には言えなが、ここははっきり言わないといけないと思った。

 電話の奥でクヒッという声が聞こえた。

 そういえば、時々グビグビ何か飲んでいる音がしていたような……。

『綾部軍曹……言うこと聞かないと殺す』

「殺せるもんなら殺してみてください」

『……うう、もう書類のハンコ押さない』

「職権乱用、パワハラで公益通報します」

 この電話自体がパワハラなんだが。

 グビグビ。

 そんな音が聞こえたが、無言のまま時間が過ぎる。

『ねえ』

 気持ち悪い猫なで声。

『お・ね・が・い』

 甘ったるいハスキーボイス。

 俺は盛大に吹いてしまった。

 いや吹いたというよりも咳き込んで悶絶。

 おいおいおい。

 このねーちゃんも酒飲んでるぞ、絶対。

 行間からハートマークこぼれているよ。

 なんなんだ鉄の女。

『お願い! 軍曹! 鈴のことで頼れるのは軍曹だけだから』

「副官が紹介した先輩なんでしょ」

『そりゃ、あの先輩はぜったいに大丈夫なぐらい無骨な人なんだけど』

「副官の太鼓判あるんでしょ、じゃあ、なんもしなくてよろしいってことでしょう?」

 副官がまた黙った。

 沈黙。

 電話料金は俺もちじゃないので、まったく構わないが。

『……わたし、男の人を見る目に自信がないの』

「ちょ、ま、紹介したのあんたでしょう」

 あんた呼ばわりしてしまった。

 しょうがない、この酔っ払いにはちょうどいい。

 見る目がないのに男紹介するなよー! バカじゃないか、このアマ!

「もう切ります」

『お願い、ちょっと聞いてよ、ばか』

 バカにばかって言われたので俺はプツンと切った。

 ため息をついて、マッチに火を着ける。

 が、すぐに携帯は振動し始めた。

 しょうがないので、マッチに息を吹きかけて火を消し携帯を取った。

『ほんとに切った!』

「そりゃ、酔っ払い相手ですから」

『いいから明日、わたしといっしょに鈴を尾行して』

 直球だ。

『うーん、明日来てくれたらなんでもいうこと聞く」

 はいはい。

 じゃあ、こんどハンコ借りて書類押しまくろう。

 って、ぜったいねえよ、この口約束。

「そんなに心配なら、なんで紹介したんですか」

『……責任』

 副官もこんな声を出すのかなというぐらい切実な声だった。

「話、よくわかんないんですけど、そういうことなら自分で責任取って下さい」

 副官にそこまでする義理もない。

 俺は電話を切った。

 一服してシャワーを浴びてきて、パンツいっちょで冷蔵庫に向かう。

 冷えた牛乳を取り出して、パックのまま飲み干した。

 テーブルの携帯を拾う。

 『着信あり』が二回、メール一通。

 いつもサラリとしている副官にしては粘着していた。

 メールをしかたなく確認すると、待ち合わせ場所と注意事項が書いてある。『明日はばれない様に変装するので、綾部軍曹らしくないスーツ系でお願いします。待ち合わせ場所は一○○○香林坊バス停前』

 そしてピロリンとメールがもう一通届いた。

『追伸:変な電話してすみませんでした』

「だりぃー」

 俺はうなって布団に突っ伏した。

 頼むから俺の休みを返せ……返してくれ。

 とりあえず、シャワーでも浴びて、むしゃくしゃを洗い流そう。

 はあ。


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