第21話 「キャンセル」
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「あんま、記念日とかそういうのを特別にしたくないというか……」
俺は鈴にそう言った。
白いふわふわしたコートを羽織った彼女は少し考える顔をする。
世間様はもう数週間前からクリスマスというものに浮かれている。ここ数年そういうものに縁がなかったとが原因かもしれないが、いっしょになって浮かれるというのはどうも恥ずかしい。
「いいよ。与助くんらしいし」
彼女はそう言いながら腕にぶら下がるようにして体を密着させる。俺はいつものようにごそごそと手を動かし彼女の手をぎゅっと握る。
「臆病者」
端から見れば唐突なもの言いかもしれないが、これもいつものこと。そう彼女が口を尖らせながら言ってしまうのは俺の態度が原因だ。
北陸の冬ということもあり、日が暮れるのは早いし、空は曇っているため、月明かりも無くあたり一面は暗い。でも街灯といった町の明かりで誰かに見られてもおかしくない状況ではある。だから、彼女がそうやって何かアクションをする度に、俺は慌てて周囲を見渡す癖がついているのだ。
職場内恋愛のさだめ。
二人でイチャイチャしている姿を職場の人だけには見られたくない。もし見られたなら、若い奴なら記憶を無くすまでペチっとしちゃうし、上司なら民間で言う出社拒否をしてしまうことだろう。
「ね、二十四日は夜にケーキ食べよう。もちろん与助くんが買ってきて」
腕にしがみついたままはしゃぐように言う鈴。
「だから、あんまりそういうことはしたくないって」
「別にケーキ食べることは特別なことじゃないよー。ケーキは与助くんのセンスに任せるから」
彼女はそう言ってぶら下がったまま歩いていく。
「きまりーきまりーケーキできまりー」
変なリズムで歌うようにそれを繰り返す。
「でも、与助くん、センスないしなー」
「やっぱり私買ってこようかな」
「いや、それじゃ負けだよね、なんかいろんなことに妥協しているよね鈴さん」
「そんなことないよー、ケーキが食べたいだけなんだから。あーあんまりべったり甘くないやつ。チョコレートべったりのってたりすると嫌かも。あーそれから普通のイチゴが乗っサンタクロースの砂糖菓子が乗っているのとかもなしで」
何がセンスに任せるだ。
鈴は俺の返答を期待していないというのはわかる。さっきから言っている内容を俺に聞かせたいのか、それとも気にせずただ天然なのか。
変な『きまりー』歌の合間にぶつぶつ言っていた。
そういうことで、十二月二十四日。
世間様で言うクリスマスイブは二人でケーキを食べることに決まった。
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一貫の癖に生意気な。
私は携帯のメールに書かれている文章を読み返し何度もそう呟いた。
『二十四日、もしお暇でしたら美味しいケーキ屋知っているので食べにいきませんか? ケーキ屋とか男一人で行くにはちょっと辛いので。時間は仕事が半日なので、できれば夕方ぐらいに』
どんだけこの優しい晶おねえちゃんを恐れているというのだ。いつも、こんな敬語のメールが来る。
最初は『拝啓』や『敬具』が入っていたから、さすがに引いたが、今はそれでもまともになったと言える。
それにしても内容も内容だ。
――いや、別に意識はしていません、ケーキが食べたいけど男女じゃないと入れないから、ちょうど便利で知り合いの晶さんどうですか?
言い換えればそんな内容じゃないか。
ふざけんなっ。
それに二十四日の緊要な時期に、この私が暇なはずないでしょう。だってその日は知り合いとの飲み会――所謂合コン――が入っているのだ。
合コン。
残念なことではあるが、私には彼氏もその予備軍も存在しない。
言っててむなしくなる。
『晶ちゃん、人数あわせでもいいからよろしくー』と普段お世話になっている女性からそう頼まれたものだから断れないのだ。
彼女は私がシングルということをよく知っている。
はあ。
結局メールには『友達と予定が入っているからダメ、クリスマスにデートしましょうぐらいの誘いだったら、キャンセルして受けたのに。もう少し女性の扱いを勉強しなさい』と送った。
送った後に、ベットでのたうちまくるぐらいに後悔した。
――デートの誘いだったら受けたのに。
もうそう宣言したのといっしょじゃない。
くうううう。
女性の扱いを勉強しなさいとか言う前に、お前が男の扱いかた覚えろってね、もう、ああ自分が嫌だ。
はああ。
携帯を持ったまま固まる。
でも、これで『デートの申し込みです。本気です』なんて帰ってきたらどうしよう。
一貫。
確かに目が離せない。いい男にもなってきた。
伊藤さんの『男の道』教育がうまくいっているのかもしれない。
あー。
いや、一貫はない。
あの子は友達の弟。
五歳も年下。
晶姉ちゃんと一貫の仲なのだ。
その日、結局メールは返ってこなかった。
別に期待して待っていた訳ではないが、なかなか寝つきが悪い夜になってしまった。
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俺の同期に猪元平と言う男がいる。
親は東の共和国から逃げてきた、いわゆる脱共家族。帝国国民として認めてもらうため、自動的に兵隊になるしかない立場だった。
いかにも兵隊というごつい顔。ただ面白いことに姫路に住んでいる彼の母親や妹さんとは顔が一八〇度作りが違う。最初にあったころは妹さんを紹介してくれと、俺も含め仲間で言い寄ったのでよく覚えている。
その度にそのごつい顔を真っ赤にして『妹を汚すな!』と叫んでいたのを覚えている。
徴兵されて最初の教育隊で同期、次に俺は東の共和国との最前線になる富山の歩兵二連隊へ、奴は福井の歩兵三十六連隊だったのであまり関わりはなかった。だが、その後、遊撃課程でばったり出会うことになった。
あだ名はイノヘー。
そのラグビーで鍛えた一八九㎝、一〇〇㎏を超す体が運動不足でポヨポヨになった残念な感じのせいでついたあだ名だった。
何事にも一生懸命、空回り、鼻息荒く、要点がずれていて、負けず嫌い、そして意地っ張り。我々同期間での『いじられキャラ』だった。しかも『いじられる』ことが嫌いなため不幸であり、性質が悪かった。
彼は教育隊ではその恵まれたガタイの割りに不器用なため、常にまわりに迷惑をかけいた。そのため我々はいつも連帯責任を取らされて筋肉が溶けるぐらいに腕立て伏せを強要された。
いっしょに腕立てをした仲間と言えば聞こえがいいが『またイノヘーのせいで』とみんなぶちぶち文句を言ったものだ。
金沢歩兵七連隊で第五十九期遊撃課程――俺とイノヘーがばったりあったものであり、あの白山での事故があった遊撃課程――でも常にまわりに迷惑をかけ、連帯責任の元凶になった。同期からも厳しい目で見られ、教官にも同期にもボコボコにされていた。無駄にプライドは高いので追い詰められて「腹を切る」とナイフで腹を刺すのを慌ててみんなで止めたこともあった。
卒業後数年経ってたまたま会った頃には、卒業後のリバウンドが酷く、アゴが見えなくなるぐらいに太って残念な体系になっていた。
とにかく残念な人間なのだ。
彼は、様々な場所で様々な『伝説』を残し、いろいろなところでいろんな人に残念がられていた。
でも、不思議と同期同士で飲むと、イノヘーを中心に話が盛り上がっていた。
不思議な奴だった。
あの第五十九期を卒業したメンバーなのだ。
あの白山を超えた仲間なのだ。そして失った仲間を抱えたままの絆。
去年の冬、富山の居酒屋でイノヘーと飲んだ。
ガンと聞いた。
手術は上手くいったと傷口を見せて彼は笑っていた。
俺も笑った。
十二月二十三日午前四時三十分。
イノヘーは死んだ。
午前五時三十分に五十九期の同期ネットワーク――ただのメール――で知った。
『突然の訃報で驚いています。悔しいです。通夜、告別式の日時は情報が入り次第流します。五十九期学生長』
顔を洗いに行ったら唇から血が滲み、目に酷いクマができていた。
ひげをそり、歯を磨きそして二十三日午前六時ちょうど、鈴宛にメールを打った。
『ごめん、同期が死んだ。二十四日はキャンセル』
と。
■■
その日の朝は与助くんからメールの着信音で目覚めた。
『ごめん、同期が死んだ。二十四日はキャンセル』
んーと。
彼は強い。
私は強い彼しか知らない。
悩んでも自分でなんとかする彼。
同期が死んでも淡々としている姿しか思い浮かばない。
悲しくて泣いているなんてことはないだろう。
心配はない。
ベットからもそもそっと出て、立ち上がる。
「あーあ、ケーキ楽しみにしていたのに……」
私は独り言を言ってみた。部屋の壁はその声を響かせることもなく消した。
「あーあ、与助くんがどんなケーキを買うか楽しみにしていたのに……」
もう一度言ってみた。
これで少しはすっきりしたと思う。
仕事に行く準備をしないといけない。寒くて億劫になる気持ちを吹き飛ばすように勢いよくパンツ一枚になって、背伸びをする。
寒い。
めっちゃ寒い。
鳥肌が全身で立っている。
まずは、制服に着替えることにした。そうしないといつまでもだらだらこの部屋に居てしまう。
今日は仕事を休みたいと心から思っているから。
職場に行くとやっぱり面倒臭いことになっていた。
「真田中尉。綾部の野郎の同期が死んだみたいで、今日は休みとって姫路で通夜、明日葬儀だと」
朝廊下ですれ違った先任上級曹長が敬礼より早く、心配そうな声で言ってきた。心配そうな声でも顔は悪役山賊的なおっちゃんそのものだから、端からすれば何か脅しているように見えるのかもしれない。
金沢から姫路か……遠いなあ。
「おー、真田。綾部がな二十四日は姫路で葬式にいくことになったらしいな、いや、俺よりも君の方が事情は知ってるはずだよな。はは。で、大丈夫か?」
朝礼の前に坊主頭の中隊長が、ぽりぽりとその短い髪の毛をつまみながら言ってきた。
余計なお世話だ。
わざわざ「君の方が事情は知っているはず」とか「大丈夫?」とか、いちいち癪な言い方をする。本人に悪気がないというのが更に性質が悪い。
お返しに笑顔で「そーなんですかー」と返答した。
そして、次は驚いた。
「綾部軍曹……同期に不幸があって、二十四日はいないそうですね……」
中隊将校室で机が隣ではあるが、無口なためにほとんど会話のない林少尉――ちなみに世間話するのは数ヶ月ぶり――が話しかけてきたからだ。
そんなに人のクリスマス事情が気になるのかって。
……散々思ってきたが、職場公認の彼氏彼女というのは非常に面倒だ。
うざすぎる。
無駄に心配される。
私は「そうらしいですねー、ふふふー」と笑顔で流す。
まあ、これくらいなら心配『八』の好奇心『二』ぐらいの割合。
すべて好意として受けとっておこう。
机に向かっているところ、背中から肩にかけてずっしりとしたものが乗ってきた感覚。
「鈴の彼氏、なんか彼女よりも同期を選んでいったらしい」
座っている私の首に後ろから両手をまわしてきたのは、晶。
そういうことを平気で言うから『鉄女』とか言われるんだって。
男女隔てなく鉄のように冷たいし怖いって言われているし、確かに職場での表情は常に冷たい感じがする。
男の人は億劫になるかもしれない。
でも、彼女のおっぱいは鉄どころか、私の二倍はあってふわふわの風船みたいなものなんだけど。ちょうど今それが肩に乗っている。
彼女のおっぱいは羨ましいというか、なんか重そうで大変ねというか。
やっぱり見た目はいいにしても、なにせ性格が怖い。与助くんなんて仕事で厳しく叱られるもんだから、努めて目を合わない努力をしているらしい。
そんな彼女も年末のイベントは暇なようだ。今朝からの私と同じで。きっと二十四日も二十五日もフリーに違いない。
少しだけ仕返しをしたくなった。
「ねー、晶。明日暇?」
さっきの攻撃に対する後の先。
「……暇じゃないけど、何?」
「明日温泉行こう」
「は?」
「クリスマスイブに温泉とか普通しないでしょ」
「変人以外は行かないと思う」
「だから休日でも空き空きだし……行こうよ、お肌ツルツルしちゃおうよ」
彼女は後ろから両手をまわしたまま考えているようだ。
「……ま、それも悪くないか」
私から体を離し、代わりに肩に手を置いて返答をする。私は少し後ろのめりになりながら顎を上げ彼女を逆様に見てから口を開いた。
「ついでにケーキも食べよう」
「え、それは時期的にやめよう、ちょっと寂しすぎる」
「そこがいいのにー」
「いや、それは」
彼女は本当に嫌なようで、林少尉に自分の意見の同意を促そうとする。
「林少尉、女二人で今日それって、変よね」
が、彼は首を横に振って否定した。
「ほら、林少尉もそう言っているし、いこうよ二人で」
卑怯かもしれないが、すっぽかされた寂しさを晶で紛らわす。いつものこと。そして、晶はなんだかんだ言ってつきあってくれる。
「しょうがない、いくかー」
士官候補生学校時代から変わらない関係。
変わらない私の甘え。
「ケーキ屋で食べるからね。セットメニューとかそういうのはなしで、バーンと高そうなやつ、豪華に」
私が注文をつけると彼女もうなずく。
「じゃあ、香林坊にいい店知ってるから」
「よし、決まり」
甘えに応えてくれる。
晶。
ごめんね。
でも、ありがとう。
ほんとうにありがとう。




