第19話 「撃てない理由」
残酷な表現が入りますのでご注意ください。
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「あ、副官と各小隊長それから綾部」
ミーティングが終わり席を立とうとしたところ、中隊長が手招きをしながら呼ばれた。
私は「はい」と返事をして中隊長に近寄るが、綾部軍曹は「はーい」と間延びした声とダルそうな動きで反応している。
「花火見物……もとい研修の時間、サーシャお嬢様から目を離すな、わかっていると思うが」
ミーティング中の眠た気な雰囲気から一転して真剣な目つきの中隊長。
「……何か、敵の情報が入ったんですか?」
私がそうたずねると、中隊長は首を振ってその坊主頭のこめかみ部分を右手の人差し指でコツコツ叩きニカっと笑う。
一瞬でもその真剣な顔に騙された。
この笑いをするときのこの人はロクな話をしない。
もう嫌な予感しかしない。
「勘だ勘」
やっぱね、いや、勘っておっさんそんな。
「勘って、そんな」
苦笑しながらアイツも同じことを言った。
「どーせ、気が緩んでいるから喝入れようとかそんなレベルの……」
その瞬間アイツの話が止まった。
一瞬。
その不思議な光景を私は目をパチパチさせてもう一度見た。
二メートルだ。
中隊長はその距離を一瞬にして移動した、そういう風に見えた。
歩いた様には見えない、飛んだようには見えない。
ただ体が上下することなく前に進んだのだ。
仰け反ったままのアイツ。
「元ゲリラ屋の勘だ」
アイツとの距離を詰めた状態で中隊長は低い声で言う。
「……」
「最近は鈍っているが」
ポンとアイツの肩に手を置いた。
「ほかに言い様がない、ゲリラもテロリストも特殊部隊も襲撃のやり方は同じだ、相手が油断しているところにスーッと入ってブスっと刺す」
そのまま肩を二回叩くとくるっと周り、背中を向けた。
「副官」
「はい」
「君はお嬢様にびったりついておけ、綾部は少し離れたところで見張れ、あと各小隊長は学生指導も含めて巡回させろ」
いつになくテキパキした鋭い話し方の中隊長。
何かが違う。
「了解しました」
「あと、ターゲットはできる限りひとりにしないほうがいい、単独行動はさせるな、できれば男子をつけておけ」
私はその言葉に耳を疑った。
「でも、敵の攻撃があった場合は危険に巻き込む可能性が」
中隊長は首だけ後ろに向けて言う。
「危ない? そうか、それは言うとおりだ……だがね、この空間にいるだけでお嬢ちゃんとは運命共同体なんだ、この旅館のどこにいても敵にその気があれば危険は伴う……それに、できる限り敵が襲えない状況を作為した方がいい」
軍刀の柄の部分を中隊長は握る。
「敵の目的は日露の関係悪化だ、だからそのターゲットはロシア帝国のあのお嬢ちゃんなんだ、わが国の過激派の犯行にみせて彼女を傷つければそれで任務達成……同時に日本人を傷つけた場合はお嬢ちゃんを守ろうと努力しましたよっていう我々の免罪符になってしまうから、間違いなく敵はそれを避けるだろう」
学生を盾にするってことを平然といっているのか、この人は。
「学生を盾にって! 馬鹿だ! そんなの!」
私も同様のことを言おうとしたが、またしても先にアイツが大声で中隊長に食ってかかった。
彼が手をその肩に置こうとした時、自然の風に吹かれたようにふわりと避けながら私たちの方をくるりと向いた。
「そうだ」
「いや、そうって……」
「戦は始まっている」
「戦って……」
「ロシアでドンパチはやっていない……でもな、こういった戦はこの帝国のいたるとこころで始まっているんだ」
「だからと言って」
私も我慢できずに口を挟む。
「それが学生を盾にすることになんの……」
「だから、君たちがいるんだ」
中隊長は静かな声で言った。
まずは私、それからアイツ、鈴や他の小隊長の顔を見渡す。
「いいか、気を引き締めろ、敵はどんな奴がどこから来るかわからん、だが敵の弱点もある」
数が限定されること、そしてターゲットが限定され、そして無差別攻撃はできない。
自ずと敵の攻撃手段は限られる。
「一番は敵に襲わせないことだ、次に君たちが守りきること……いいな」
中隊長はそう言っていったん退出しようとしたが扉の前で止まった。
「あーあとひとつ、わかっていると思うが学生の行動を下手に制限するなよ、敵の脅威はこれからずっと続くことだ、それにビビッて学生を外に出さないとか馬鹿げたことをやったら本末転倒だからな」
そしてひらひらと手を振って出て行った。
さっそく中隊長の指示に従って手を打つ。
サーシャは『打ち上げ花火を真近で見たことがない』という話をしていた。また、旅館の仲居さんが外国人の女の子がいることを聞いて花火のよく見える場所を案内するという提案があった。
これを理由に、教官陣の私と学生のサーシャ達を連れて花火研修をする口実を作った。
あと、女子だけだと不公平だからとそういう口実もつけて、アイツに頼んで男子を数人連れてくるように手配した。
サーシャ達女子は男子が行くことに『汚れる』『うるさい』と難色をしめしていたが、結局来たのが例の上田次郎ともう一人の男子だったせいか、あまりぶつぶつ言わなかった。
「ロシアでも打ち上げ花火はあるけど……見に行ったことはない」
と少し寂しげな表情でサーシャは言う。
貴族とかの生活は想像できないけれど、きっと厳しい家柄のせいで娯楽は抑えられているのかもしれない。
「小さいお祭りの花火だからゴージャスではないんですが、生演奏の音楽と一緒に花火を打ち上げるといった変わった演出がある花火なんです」
案内してくれる仲居さんはニコニコ顔でそう言った。
しばらく、車が一台通ることができるぐらいの狭いあぜ道を登る。
女の子たちはよっぽど楽しみにしていたのだろう、興奮気味に盛り上がっている。
「もうすぐです、ちょうど音楽も聞こえて花火もよく見れる……そんなとって置きの場所があるんです、あ、見えました、向こうの広場になっています」
その言葉を聞いて中村風子や三島緑がうれしそうに声を上げて走り出した。
それに対して男子は気まずそうに後ろをついて走っている。
若いっていいなあと思って立ち止まった。
私はああいう青春は送っていなかったから、そのため、一瞬寂しさが胸を覆って足取りを止めてしまった。
時計を見ると時計の針は一九五〇を指していた。
花火の開始まであと一〇分。
ちょうどいい時間。
「仲居さん、ありがとうございます、学生もあんなに喜んでいます」
私がそう言って振り返ったが彼女はそこに居なかった。
確かに人の気配はそっちにあったんだけど。
ぞくっとした。
ただ「あら、髪の毛に」と言う声が右の方から聞こえたと同時に冷たく細くそしてゴツゴツした腕が首に絡まるのを感じる。
しまった。
この人。
と思うと同時に一瞬全身が緊張するような圧迫間を感じた。
いろんなことがどうでもよくなるような心地よさが体全体を襲う。
そして私の世界は真っ暗になった。
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花火打ち上げ開始は二〇〇〇。
あと十五分ほどあるが、目の前の若い奴らは花火スポットを探してこの広い旅館の敷地内を高台へと向かい歩いている。
俺はこいつらの後を追うように歩いていた。
学生用短パンにTシャツの若い奴ら――サーシャ、中村風子、三島緑それに上田次郎ともうひとりの男子――の足取りは軽い。
今日、遠泳訓練した後だというのに疲れを見せないところがこいつらと俺の年の差を感じてしまう。
俺なんかはボートに揺られてすっごい疲れた気分になったこともあり、早いところ部屋に戻ってビールを飲みたくてしょうがないというのに。
ただ、若いのに混ざって歩く、ジャージ姿の副官を見ているとそうも言ってられない。
いや、あの人けっこう元気だわ。
俺はふわあああと大きなあくびをする。
その時だった。
風が吹いてもいないのに、木がざわめく。
とっさに音の方向に目を向けた。
それと同時にひざの裏を押される感触があり、いわゆる膝カックンの状態で後ろに倒れそうになる。
だが倒れなかった。
誰かに支えられたのだ。
いや、しなやかな細い腕が首に巻きつけられて、膝を折った状態でその小柄な人間に首を絞められそうになっていた。
後頭部にはわずかながら柔らかいものを感じたので、後ろにいるそれは女だと思った。
それなら腕を掴み力ずくで剥がそうと思ったが一瞬で諦めた。
もうあと数ミリ皮膚の合間を詰められると、頚動脈が締まる感覚があったからだ。
たぶん、腕を掴む前に俺は失神させれると思った。
だから、抵抗をやめ左ポケットにある警報装置を掴んで押した。
これで仲間にはこの位置が伝わる。
そう思った瞬間、俺の意識は飛んだ。
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喉の奥が痛むぐらいに咳き込んだところで目覚めた。
いや、目覚めさせられた。
「軍人さん、早く目覚めないとサーシャちゃんがやられるわよ」
俺の上半身は後ろから抱きかかえるようにしている女性がそう言った。
この場に似つかわしくない妖艶な声、そして背中に感じる胸の膨らみから女性だと思った。
ちなみに、さっきの人とはぜんぜん違う。
あっちはぺったんこ。
こっちはぼふんという感じだ。
それにしてもいまいち今の状況がつかめない。
「ごめんね、うちのバカ娘が暴走しちゃって、まあ、でもお陰で本命を見つけることができたから」
「……な、なんの話だ」
俺はまだ意識がぼーっとする中、時計を見る。
二〇〇〇ちょうど。
時計を見てから五分ほど経っていたと考えても十分以上は寝ていたっていうのか。
そしてもし敵が居たとしたらと考えてぞっとする。
やつらを襲うのに一〇分は余裕ある時間じゃないか。
「あ、あんたは」
立ち上がった黒いパンツスーツに身を包んだ女性は微笑む。
年は三十台ぐらいだろうか、自分よりも年上というのはわかった。
「仕事を放棄した娘を追っかけてきた、ただの雇われボディーガード」
俺は意味が掴めないまま、ゆっくりと立ち上がった。そして胸にしまってある拳銃を確かめる。
「さ、考えるよりもまずは行動、あの丘にいるから」
彼女はそう言うとびっくりするぐらいの早さで駆け上って行く。
恐ろしいことに俺の息が激しくなっているにも関わらず、どんどん距離が広くなっていた。
両方が林に囲まれ意外と真っ暗なこの道は、真っ黒に見える車輪の轍の間の草が白く見えたので、それだけを頼りに走って行く。そして、花火が打ちあがる轟音があたり一面に響く度に両際の林の奥にある開けた丘が輝いて見えた。
くそ。
上田、プロ相手にどれだけもつかわからん。
俺が丘の上にたどり着いて目にした光景は信じられないものだった。
仲居が竹箒の柄で上田を突きこんでいたのだ。
「上田!」
俺はそう叫ぶと同時に石を投げた。
仲居が無言のまま竹箒の柄を振ると、俺の投げた石を簡単に払う。
奴は無表情なまま俺をじっと見た。
上田は倒れている。
副官、サーシャは? 他の学生達は? どこだ。
「うりゃあああ!」
気合の声とともに、短パン姿のサーシャが仲居に素手で飛び込んで行く。
おいおい、目標のお前が飛び込んでどうするんだよ。
仲居が竹箒を振り回し応戦する。
彼女は上段、下段、そして袈裟からの打ち込みをアクロバットのようなステップで避け、仲居が追い詰めるように繰り出す連続の突きを皮一枚のところで避ける。
すごい。
護衛なんていらないと言い張るだけのことはある。
そして彼女がその突きの隙を上手く看破したんだと思う。
下段の突きを綺麗に踏み込み地面に突き刺させたのだ。そして別の足で竹箒を折ろうと蹴りを入れた。
竹がパリパリと裂ける音が聞こえた。
仲居は体全部を使うようにして後ろに飛んで下がる。そしてその手に持つものは黒光りしながらしなる金属の棒だった。
「箒の中に鉄を仕込むなんて本格的ねえ」
そうのんびり言って来たのはさっきの女性だ。
――あら、結局甘々なことしかできないのねうちの娘は。
上田の方に目をやって彼女は呟いていた。
「あれがうちのバカ娘、あなたの首を絞めた」
倒れた上田に寄り添うように近寄るすこしダボッとしたズボンとパーカーを着た子供が目に入った。
「さっき、娘が暴走って」
「そう、ボディーガードのくせして、サーシャちゃんのお命頂戴ってしようとしたみたいだけど、本命で命狙っていたのがいたから、やめちゃったのかしら?」
「え? サーシャの? いや、やめた……じゃあ目の前の仲居って、え?」
彼女は視線を移し倒れて起き上がろうとする上田を見た。
その横にはその娘がいる。
「ああ納得、もうけっきょく父親よりも目の前の男をとるとか……誰に似たのかしら」
意味不明なことを呟きながら彼女は悠々とどこから取り出したかわからないが棒手裏剣を握っている。
「それじゃ、お片づけしましょうか」
そう言うと続けて五本を仲居に投げつけた。それを奴は竹箒の中身だった鋼材の棒で弾き飛ばすが、そのうち二本がその右手に突き刺さり得物を落とす。
しかし、その後の行動が早すぎた。
「しまった」
そう自称ボディーガードの女性が呟いた時には動き終わっていた。
奴は躊躇することなく左手でナイフのようなものを取り出し、飛びつくようにしてサーシャに詰め寄った。
まるで痛がるような仕草もなく、顔は無表情なままで。
俺も反射的に拳銃を抜き、構える。そして、さすがのサーシャは間合いを切ろうと横にずれた。
それに対し奴が一瞬だけブレーキを踏むようにして横にステップせざるおえない。
俺はそうする瞬間を狙った。
止まったのが目に入った刹那、俺は躊躇することなく引き金を引いた。
――ヘッドショット。
――頭狙わんと、奴らは痛覚を無くしているから止まらん。
中隊長の言った言葉が呪文の繰り返していた。
頭を狙え。
頭を。
躊躇はしなかった。
でもどうして頭を撃てなかったかはわからない。
俺は敵の足を撃っていた。
殺すことに躊躇したのだろうか。
学生を目の前にして残酷な死を見せることをためらったからだろうか。
怖かっただけなのだろうか。
止まれ!
そう願ったか声に出したかはわからない。
奴は中隊長が言っていた通り、撃たれた足を庇うそぶりも見せず止まらなかった。
くそがっ。
俺は引き金をもう一度引いたが、動く相手に当てる技量もないのでそれはそれた。そして、学生たちが射線に入ることになったので拳銃をしまって走り出した。
二〇メートル。
馬鹿野郎。
間に合わない。
サーシャが一手、二手は裁いたが、腕を切り付けられ、Tシャツの袖口が裂け一瞬にして赤いものが滲み出てきた。そして、彼女はその痛みのためか、バランスを崩して動きが止まった。
三島や中村が悲鳴を上げる。
その時だった。
奴が前のめりに転がったのだ。
上田だった。
上田が倒れたまま滑り込むようにして奴の足元に飛び込み、足を器用に挟みこみ体を回転させながら関節技をかけるようにしながら弱いほうへと倒したのだ。
だが、もみ合う奴の手にはナイフしっかり持たれたままだった。
あの女性が棒手裏剣を投げ背中に突き刺さるが、まったく感じている風にも見えない。
俺はもう一度拳銃を取り出した。
五メートル。
この至近距離なら。
頭をかち割ることができる。
手が震えた。
躊躇。
だが、その視界に入ったのは覆面をしたあの女性の言う『娘』の手と花火の光に照らされた鋭利な刃物の怪しい光。そして、奴の左手から離れるナイフが落ちていく光景だった。
「次郎は死なせない」
例の娘はそう言って容赦なく奴の左手の指を切り落としたのだ。
指があったばしょからボタボタと血が出てくるが、奴はまったく表情を変えず上田の顔面を右手で押さえながら足を解く。
「止まれ」
俺は一メートルほどの間合いで銃を突きつけた。
今度は確実に頭に照準を合わせた。奴の動きが止まる。
例の娘が上田を引っ張り出すようにして拘束を解いた。
「次は確実に殺す」
俺は声を低くうなるように言った。
無表情のままの奴は手や肩からドクドク流れる血を気にすることなく俺を見上げた。
その生気のない中性的な顔が花火が上がる度に青白く照らされ、すごく不気味に感じた。
ああ、そうか。
また、できなかった。
引き金を引けなかった。
俺は人を助けるためでも人を殺すことができなかった。
興奮も手伝ってしまったのか安堵するような情けないような気分が襲ってきた。
また花火が上がり轟音が響く。そして、さっきまで聞こえなかった花が開いた時に聞こえるパチパチという音まで聞こえるようになった。
静寂が一気に呼び戻された空気。
そして一応の安堵。しかし、それが一瞬にして凍りついてしまった。
――ゲリラや特殊部隊は単独行動をしない。
中隊長の言葉を思いだしたときは遅かった。
「全員動くな、そいつを解放しろ」
旅館の法被を着た背の高い男。
左腕でジャージ姿の女――たぶん副官――を抱え、右手でその頭に拳銃を突きつけている。
「お前はどけ」
男は仲居と同様に無表情で、そして抑揚のない声でしゃべった。
力なく抱えられている彼女の状態はわからない。
花火の光を頼りに観察するが、特に外傷――血の跡――はない。
「どけ」
男はもう一度言った。
容赦はしないだろう。
あの男は本当にやる覚悟がある。
位置が悪い。
ちょうど中村や三島がいる付近から出てきたのだ。たぶん副官を殺したとしても、すぐ代わりの人質をとるつもりだ。
俺は男の腕の中でうなだれている彼女の姿をじっと見た後、銃口を仲居からはずす。
「銃を渡せ」
仲居は棒手裏剣が刺さっていた右手は動かせる状態だった。
俺に向けその手を銃を渡せと言わんばかりに差し出した。
渡せばサーシャが撃たれるだろう。
いや、俺が撃たれるかもしれない。そして、渡さなければ副官が殺され、学生が人質になる。
任務はサーシャを守ることだが……。
動けない副官よりも、まだ生き残る可能性がある。
俺はそう決断し、銃を差し出した。
その時だった。
乾いた拳銃の音が二発響いた。そして、ボトッという鈍い音が二つ聞こえた。
一瞬。
背の高い男が頭から血を噴出している後ろのに人が見える。それが中隊長と認識して振り返った時には、手元の銃は仲居にとられていた。
奴が飛ぶようにして俺との間合いを切った。
その時道の方から甲高いそしてゴムをこする様なエンジン音が響くと同時に、その車のハイビームで視界が奪われる。
眩しい光を目を細めながら見ると、それは白い軽トラだった。
速度を上げてそれがこちらに突っ込んでくる。
くそったれが。
俺たちを轢き殺す気なのかと思い、慌てて上田とサーシャを引っ張るようにして広場の柵の方へ逃げた。
だが、仲居の動きも止まった。
照らされる仲居。
甲高い音とともにエンジンが回転する。
アクセルがベタ踏みされているのだろう。
打ち上げられる花火に照らされる運転手の顔が見える。
よく知っている顔が浮かび出た。
鈴だ。
「鈴! 無茶だ!」
俺はそう叫んだ。
だめだ突っ込む気だ。
「お仲間さん?」
これだけの事が起こっても一切顔色もしゃべりかたも変わらないボディーガードの彼女が聞いてきた。
「仲間だ」
そう言っただけで理解したようだ。
それも一瞬のことだった。
彼女と俺がそう会話していた時には終わっていた。
軽トラは仲居の前でスピンをするようにして回転し、まるで左フックの様に仲居をはじきとばしていたのだ。
だが、仲居はやはり本物だった。
弾き飛ばされる直前に慌てることなく最善のことをやっていた。
サーシャに向けて銃を撃っていた。だが、奴がすぐに飛びのく必要があったこと、暴走する車を避けようと下がった俺たちの距離は五十メートルはあったこと、右手を彼女の棒手裏剣で負傷していたこと、片手で撃ってきたこと……さすがにそれだけの悪条件下ではプロでも照準を上手くできなかったのかもしれない。
弾はサーシャのそのおかっぱの金色の髪を揺らしただけだった。
中隊長が拳銃を構えたまま仲居の近くにいく。そして、容赦なくその腹に蹴りを入れた。
気を失っているか、もう死んでいるのかもしれない。
びくりとも動かなかった。そして中隊長は無言で俺に拳銃を渡し、指でちょんちょんっと仲居を指す。
変なことをしたら撃ち殺せということなんだろう。
中隊長は慣れた手つきで仲居の上半身に被服をはぎ取り、隠し武器が無いかを点検した。
着物の肩口を広げそのまま下にずらすようにした時、女装だったことがわかった。完全に男の上半身だったのだ。
その時だった。
カッと目を見開いた仲居が拳銃を構えている俺の腕を掴む。
「撃つな!」
中隊長が叱責のような声を出して叫んだ。
俺は反射的に引き金から指を外す。
中隊長が軍刀の鉄鞘でその腕を叩くが、まったく外そうとしない。そしてもう一度鉄鞘で打ったとき、俺は奴と目が合った。
無表情な顔が崩れて確かに笑ったのだ。
口の端がわずかに動くぐらいに。
引き金を引いていない拳銃が乾いた音と共に煙と薬きょうを排出した。
奴は即死だった。
額に銃痕が出来ていた。そして、奴の親指はしっかりと引き金の部分に置かれていた。
「これでどこのどいつだかはわからなくなった」
中隊長が頭を振ってぼやく。
――おいおい、いきなり自害とかないだろう。
と。
俺はその姿勢のまま、動くことができなかった。
奴の見開いたままの空虚な目から視線を外すことができない。
「まあ、よくやった」
中隊長が肩を叩く。
興奮しているのだろうか、たぶん人にはわからない程度に足が震えだした。
「与助……くん」
鈴の声が後ろから聞こえる。
「大丈夫……それよりも副官の方を」
一刻も早く、副官の、彼女の無事を確かめたかったが、俺はじっと奴の目を見たまま動くことができなかった。
花火はフィナーレを迎えたのだろうか。
連続して轟音が響き渡り、そして俺の体で半分だけ陰になった奴を照らしていた。
「晶、よかった……息がある」
そう今にも泣き出しそうな鈴の声が聞こえる。
安堵。
不思議だった。
まったく重要事項でもない、どうでもいいことが頭をよぎった。
奴の後頭部付近をじっと見つめる。
ああ、そうか。
地面が芝生だから、血が広がらないんだ。
額に開いてある空虚な穴を見つめながら、俺はそんなどうでもいいことを思ってしまった。




