第14話 「向き合わないと……」
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海軍金沢基地。
今日は外回り。
忙しい晶の代わりにプール使用申請の手続き。
いい加減我が社もこういう手続きをシステム化してもらいたいものだ。
残念ながら陸と海では隔たりがある。
クローズネットワークなものだから、例えばメールのやり取りさえもできない有様。
世界が統合が重要だって叫びだしてから半世紀以上経つというのに、未だ統帥権のいざこざでも引きずっているのか、って晶が嘆いていた。
ちなみに私は、ただ単に予算が無いだけじゃないかなって思っている。
「小隊長ー、暑くないですか?」
気をつかってくれるのは私の部下――騎兵小隊隊員――でこの車の操縦手である小谷伍長だ。
二十三歳、下士官に成り立ての子。
「うーん、暑い」
騎兵小隊長車であるバギー型の四輪軽装甲車、いわゆる軽装は暑い。
そりゃ戦車とかでっかい装甲車に比べれば暑くはないんだけど、一応鉄の塊。
直射日光に当たって表面はジリジリと焼けている。
それに、無駄に大きなエンジンが唸って熱を発しているから更に暑い。
騎兵小隊長。
外の人にこれを説明するのが面倒くさい、「え、馬じゃないの? 馬に乗ってないの」なんてよく言われる。
戦車に比べたら火力が少なく、歩兵に比べれば火力が多い。そして、戦車は装軌車――キャタピラ――だから路外は強いけど、路上は遅い。
それに対して騎兵小隊の装輪歩兵戦闘車は装輪車――タイヤ――だから路外は弱いが、路上は速い。
騎兵の歴史的には本当の馬に乗っていた騎兵が戦車兵と偵察兵になって、そのうち戦車兵が戦車兵と騎兵に別れた。
戦車は対戦車戦闘が主で、騎兵は歩兵の火力支援的なものになった。
と、一般の人には説明する。
……うちの母親なんかにそういう話をしても『へー』って返事でまったくわかってもらえない。
面倒くさいから最近は『馬みたいなものに乗ってます』って言っている。それで、このバギー型の軽装甲車が私のお馬さん。
この車の写真をほいっと渡せばそれで終わり。
「後ろは暑くない?」
私はそう声をかけた。
狭い後部座席に長身を折りたたむようにして乗っているのは伊原少尉。
「大丈夫です」
お隣の二中隊もプールで水泳訓練をするというので、伊原少尉が手続きで来ていた。
本来なら中隊付副官――二中隊は欠員なので副中隊長――が来るはずなのだが。
二中隊の副中隊長は窓際ダメおっさんで有名な野中大尉だ。
きっと面倒くさいから彼女に仕事をふったんだろう。
「また、仕事ぶん投げられたのー?」
「いいえ」
そう言って、彼女は笑った。
「副長に外回りさせると、寄り道しまくってサボりますので」
「あーなるほどね」
彼女は将校の期別で言うと、三期ほど後輩。
去年ここに来たばかりの頃はすごく男勝りな感じが強かったそうだ。
メイクとかまったく気にしない子だった。
でも最近はつんつん跳ねそうなくらい短かった髪の毛も伸びて、少しだけメイクもするようになった。
なぜそんなことを知っているかというと、私が六月ぐらいからお化粧の仕方とか教えているからだ。
最近は私服のコーディネートを手伝ったりしている。
――真田中尉みたいに、女の子な感じになりたいんです。
そう告白されたとき、正直戸惑った。
まず、二十七歳にもなって『女の子』と言われたこと。そして、三つ下の……まだアラサーになっていない伊原少尉にそう言われてしまったこと。
……もう少し、大人な女性の気持ちだったんですけどねっ。
かわいい後輩の頼み。
好きな男の人でもいるのかと聞くと顔を真っ赤にして顔を横に振る。いや、もうそういう態度がかわいいったらありゃしない。
「エアコンめいっぱいなんですが、やっぱり軽装は軽装ですね……」
ハンドルを握って、小さい窓を一生懸命見ながら運転している狐目の小谷伍長が大声で言う。
無駄に大きいエンジンが無駄にうるさいから、走行中はこんな会話になる。
「ほーんと、暑いのやーねー」
いくら夏用の制服でも、直射日光で焼けた鉄板に囲まれている車の中にいると、汗がじんわり滲む。
なるべく制服に汗がつかない様にシートにも寄りかかることなく、背筋を伸ばして座っている。
一番上のシャツが濡れてしまうと、薄茶の半そでシャツが透けてしまうのだ。そうすると下着のラインが見えてしまうことになる。
たぶん、後ろの伊原ちゃんも同じようにしていると思う。
女の子は面倒くさいのだ。
わからないだろうなー、小谷伍長には。
そう思うと、さらに後ろの伊原少尉に親近感を覚えてしまう。
「WFVよりはマシだと思いますがね、ちゃんと効くエアコンさえ取り付けてくれれば、もうちょっと熱中症騎兵を少なくできるんですが」
よく、夏の演習等は熱中症で患者が発生する。
炎天下にこのバギーやWFVに乗ってしまうとそれだけで体力が消耗してしまう。
「冬も嫌よねー」
冬は冬で氷点下の鉄板に囲まれることになる。
剥き出しの鉄板は容赦なく室内の熱を奪う。
「底冷えってのも、がまんの限界が早くなりますね……とりあえず、今は暑さなんですが」
「女の子はねー、冷え性もひどいのよ」
「そーなんですか、女性の方がお肉があるから、冷え性とかあんまなさそ……」
私が彼の顔をニコニコしながら見ていることに気づいて、話を止める。
なめんなよ女子を。
彼は額からボタボタ汗を垂らし――あくまで暑いから――ペットボトルの水を時折補給しながら運転をする。
飲んだものがそのまま皮膚から滲み出てるような感覚。
小谷伍長はそもそも汗かきなようで、それが激しい。
私達はそんな感じでとりとめもない会話をしつつ金沢の中心街を抜けて、港のほうへ向かっていった。
一時間ほど街中を走り抜け、如何にも港町の風景に変わってくると、そこに金沢海軍基地がある。
そしてその門を通過して目当ての建物――屋内プール場――へと向かう。
駐車場で車を止めると同時に私は扉を開けた。
さすがに、サウナも限界だ。
バギーの重たい扉を開けると、涼しいがベトっとした空気を感じる。
この独特の風、空気……夏のベッとりした潮風の感触はあまり好きではない。
それにしても伊原ちゃんは体力がある。
あれだけ暑かったのに平気な顔をしている……けど、女の子的に肝心なところを……。
小谷伍長が伊原少尉の姿を見る前になんとかしなければならない。
「伊原ちゃん、背中、背中」
と言ってもどうしようもない、一応汗を拭いてとハンカチを渡そうとするが、彼女は目をぱちぱちとする。
「どうしました? 真田中尉」
小谷伍長に聞こえないように私は「下着、透けてる」と耳打ちした。
「あー、大丈夫です! 夏服が透けるってのはわかってるんで、スポーツブラ付けてきましたから!」
……いや、そういう問題じゃない。
「誰も気にしませんよ、こんなの」
「う、うん、でも」
「小谷伍長お疲れ様、それじゃ、行きましょうか」
ずかずかと建物に向かって歩き出す彼女。
ま、いいか。
本人が気にしないっていうなら。
プールの借用は一応年度で大きく予約を入れて、それから月々で細かく日程を組む。
今回は急遽プールを使うようになったため、強引に割り込まなくてはならない。
だから電話ではなく直接担当者にお願いするのだ。
うちの駐屯地にはプールがないため、学生の遠泳、中隊の訓練含めてプールを借用しなければならない。
海軍の中で陸の制服を着ていると嫌でも目立つので、道端ですれ違う人がちらっと私や伊原少尉、そして小谷伍長を見る。
海軍さんはなんというか、ガン見。
もうちょっと遠慮がちに見て欲しいものだが……伊原ちゃんの背中に浮きでた線が見られないかはらはらしてしまう。
一通り、管理部とか現場の管理人さんなんかに挨拶を済ませて、プールに向かった。
海が近くなんだからそこで泳げばいいのに……と思う。
港は衛生上問題あるし、砂浜は海の家を借りなきゃいけないからお金がかかるし……けっきょく、このお金がかからない海軍基地のプールを借りることになっていた。
「いい設備ですねー、海軍さんはお金があっていいなあ」
「小谷伍長は春にうちに来たばかりだし、ここ初めて?」
「この前のお祭りは行けなかったから、新鮮です」
なんだ彼は楽しそうだった。
もし尻尾と耳が生えていれば、耳はせわしなく動いて、尻尾は興奮してピーンとたっているんだろうと思う。
いいなあ若い子は……と、つぶやきそうになって慌てて口を押さえる。
四、五歳年下に『若い子は』なんていうと、女子力が落ちる気がした。
ダメ絶対。
「ちょっと、うろうろしてきてもいいですか?」
「そうね、三十分くらいしたら戻ってきてね」
彼は桟橋の方へ歩いていく。
艦船を見にいくつもりだろう。
プールの中央ホールのような場所、そこで私はしばらく休憩することにした。
ちょっと仕切りのあるベンチを見つけたので自販機で缶コーヒー買う。
遠慮する伊原ちゃんに無理やり同じ缶コーヒーを奢ってふたりでベンチに座った。
缶を開けてそれを口に付けた時だった。
ジャージに白いTシャツ、日に焼けた筋肉質――アンバランスに片方の腕だけ細い――の男。
いわゆる細マッチョな姿をしている男と目があった。
私は背筋がもぞもぞと痒くなった。
悪寒。
嫌悪感。
いろいろ混ざったものが溢れ出す。
私は勢いで男を睨んだ。
男も目を合わせてすぐに別の方向を向く。
大川一貫。
あのクソヤロウがこんなところにいた。
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不意の遭遇。
顔も見たくない間柄なのはお互い様のようだ。
春、うちの学生とゴタゴタを起こして、その腹いせに部下達と現れて私を強姦しようとした男。
その後、海軍の伊藤大尉と与助君たちに散々痛めつけられ、伊藤さんが後は処置すると言って抱えて持って帰った。
この間は晶に首根っこ押さえ込まれて、無理やり謝りに来てたっけ。
目の前の彼はあのとき付けていたギブスはない。
そういえば晶にいじめられていたときも付けていなかったと思い出す。
さすがに数ヶ月が経って怪我も治ったらしい。
もったいない……二度と回復しなければいいのに。
「ど、独歩の、晶姉ちゃんのとこの……」
最初に口を開いたのはその男の方だった。
強姦しようとした女も所詮は独立歩兵第九大隊の中尉という程度なんだろう。
それにしても晶姉ちゃんって……他人を前に姉ちゃんとかないだろう。
このシスコン変態。
「大川少尉」
私は彼の名前を呼んでみた。
伊原少尉が訝しげな目で彼を見る。
彼は一瞬、怯えた顔をして目を逸らし、ハッとして見下すように表情を変える。
ああ、威厳を保とうと必死なのは解るが、ドスの効かない顔を見ているとギャグとしか思えない。
「か、海軍になんの用……ですか」
低い声にしようとして失敗している。
「大川少尉が強姦未遂しましたって、海軍の憲兵に言おうと思って」
私は笑顔を作ってみた。
伊原ちゃんがガタっと音を立てて立ち上がる。そしてすごい形相で彼を睨みつけた。
「そ、そんなこと……」
彼の唇がぴくぴく痙攣するのがわかる。
前は暗がりだったのであまり顔を見れなかったが、よく見ると幼い顔つきだ。
まあ、二十三、四の子だから、当たり前と言えば当たり前。
「だ、大体、誘ったのはあんたの方……あ、いや、すみません」
急に大人しくなる。
「すみませんでした」
深々と頭を下げる。
「ふうん」
ああ、早くこの場からいなくなればいいのに。
同じ空気を吸っているということを考えるだけで気持ち悪くなる。
「ただ、俺は、伊藤大尉をボコろうとしただけで……この間晶さんに連れられたときに話た通りで……いや、あの人がいちいち関節極めてきたから、痛くてしゃべれなかったと言うか……とにかく、あんた……あなたをどうかしようとか思ってなか……」
私は立ち上がり、その仕切りの外へ出ようとする。
晶との関係は良く知らない。
ずいぶんと怒られたから、だいぶいい子ぶっているというのは分かるが、何にしても虫唾が走る声だ。
「待て、いや待ってください……中尉さん、話を……」
大川の前に伊原少尉が立ちはだかる。
彼女は彼よりも背が少し高く、そして威圧的に睨みつける。
「真田中尉が嫌がっている」
低い声で彼女は言った。
大川は一瞬彼女を見上げて、そしてすぐに目を逸らし「すみません」と言った。
そうしているうちに、男達の声が……下品な声が男性更衣室の出入り口から聞こえてくる。
「少尉ー、ナンパっすか?」
背中越しに聞える、あの男達の声。
「もう少しで上手くいきそうなんだから黙って出て行ってくれ!」
彼は目を合わせることなく「頼むからそのまま振り向かないで欲しい」と小声で言ってきた。
「俺たちも混ぜてくださいよー」
「悪ぃ、嘘……俺がナンパ成功するわけないだろう」
「へいへい、そうっすね、さすがダメ小隊長、お先っすー」
男達がホールからずらずらと出て行く。
「あんたに失礼しようとした奴らも反省している」
「……」
「俺と同じで馬鹿なんだが、本当はいい奴なんだ……ただ、あんたみたいに可愛い女に誘われたら、欲望が溢れ出すというか、馬鹿になると言うか……」
「……それで?」
あの伊藤さんを襲った奴らが、私が嫌だというのに無理やりしようとした男がいい奴……そりゃ、最初に『誘う』ようなことを口走ったけど……。
伊藤さんを助けるために、そう言った……いや、正直、確かに誘ったことは、誘ったんだよなあ。
あの時発情しちゃったことは確かだし。
なんだか、自分が悪い気がしてきたが、その感情はすぐに打ち消す。
だって、それでも後から「嫌だ」というのにやめない男は悪い。
去勢するまで許さない。
虫唾が走るとはこういう感覚なのだろう。
だんだん、言い訳臭い彼を蹴り飛ばしたくなってきた。
「……俺だって責任とって辞めてしまいたい、でも辞めることはできない」
何を言いたいんだこいつは。
もう一言出たら鼻で哂ってやろう。
「大川少尉……これ、飲みたいからどっか行って欲しいんだけど」
私は機械的な笑顔で彼に言った。
彼は私の顔をじっと見て、それから目を伏せて、頭をかく。そして回れ右をして私たちから離れて行った。
なんとなく、背中を見て許してやろうかと頭をよぎったが、すぐに「絶対に許さない」と脳内で処理をする。
あんな童貞男に同情の余地なんてない。
――ドーテー、ほんと、あの歳でドーテーなのよあの子。
と、晶が酔っ払って言っていたのを思い出す。
まあ、私の悪態レベルも低すぎるなあと、ちょっと反省。
そんなことを考えているとホールの出口の自動ドアが開いた。
小谷伍長がそろそろ帰ってきてもいい時間だと思い、私はそこに視線を移した。
そして後悔する。
血の気が引いた。
きっと唇は一瞬で紫色になったんじゃないかと思う。
この前の電話の時より酷い。
血の気が引くというよりも、体中の血液の循環が悪くなった感覚。
心臓だけは、外にも聞えるぐらいにドクンドクンと鳴っている。
心臓の鼓動を上半身全部で感じる。
ドクン。
ドクンと聞こえるその感覚は、痛みを伴っていた。
自動ドアが開いた時に現れたのは、私が知っている男だった。
山岡恵助。
またフラッシュバック。
一瞬彼と目が合った。
でも、何も無かったように目を逸らす。
その後、男たちが出てきた更衣室に入っていったんだと思う。
私は硬直して目で追えなかったから、行き先は見ていない。
落ち着け、落ち着け。
私は必死に視界が狭くなる感覚を戻そうとする。
ちょっとしたショック状態。
血流が悪くなっている……大丈夫、なにもないから大丈夫。
頭ではわかっているが、体がついてこない。
私はとうとう、その場に膝を付いた。
「真田中尉」
伊原ちゃんが私を背中から抱えようとする。
「小隊長っ」
小谷伍長が戻ってきたようだ。
さすがに彼女とは違い、直接私の体を支えようとはしない……そりゃ、遠慮するよね。
律儀な子だもの。
頭は冷静に、そんなことまで考えているが……体が痺れて動かない。
バクバクなっている心臓。
息が荒くなっているのはわかる。
頭の端っこは冷静なのに、コントロールできていない。
「ちょっと、貧血、起こしちゃった」
小谷伍長の複雑な顔を見ると、どうやら生理とでも勘違いしているんじゃないかと疑ってしまう。
ばつが悪そうに一定の距離を置いて、心配そうな顔で見ているからだ。
「あの海軍の少尉が原因なんですか? そんなに酷いことされたんですか……」
伊原ちゃんは返答によっては今にも彼を追いかけてぶん殴るんじゃないかという勢い。
「違う、あいつは関係ない……ただ、ちょっと貧血を、起こした、だけ」
「そ、そうですか」
彼女は私をベンチに座らせて、手持ちのクリアファイルで扇いでくれる。
「車、ホールの入り口に回しますので、落ち着いたら行きましょう」
私は「ありがとう」と頷き、小谷伍長は速足で自動ドアを抜けていった。
とうとう会ってしまった。
山岡恵助。
私が初めて付き合った人。
初めての人。
心を全部捧げてしまった人。
快楽を与えてくれた人。
そして、二度と会いたくない人。
「ごめんね、伊原少尉……迷惑かけて……」
心配そうな、少し泣き出しそうな顔で見下ろす彼女に対して、すごく申し訳なく思った。
今ここで、心底思ってしまったのだ。
彼女ではなく、与助君に抱かれていたいと。
こんなにも情けない私を与助君は抱きしめてくれるはずだから。
……でも、これじゃだめだ。
立ち上がって。
そして、しっかりと向き合わないといけない。
与助君がしてくれたように。
私はそう思いながら、しばらく彼女に体を預けるようにして目を閉じていた。




