黄昏のメルヘン・ドリーマーズ
「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」
「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」
「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」
子どもたちの唱和を聞きながら、公園の草地に寝転がり、うとうととまどろんでいた昼下がり。
ふと、感じた肌寒さに、重たいまぶたを上げると、そこは。
「はい……?」
はてしなく広がる草原と、そこにそびえ立つ大きなお城。メルヘン。なにこのメルヘン。羊がふよふよ空を飛んできそうな。白馬に乗った王子様が、ぱっかぱっかとやってきそうな。メルヘンワールド。
うそだろう。こんなメルヘンドリームを見るような年齢ではないはずだ。
おそるおそる持ちあげた右手で、自分のほほを引っぱってみる。
伸びる。
じん、と痛む感触。
それでもまだ信じがたくて、思いっきり爪も立ててみた。
痛い。
「めるふぇんの……ふせひ……」
メルヘンならメルヘンらしく、痛みなんてどっかに投げちまえよ。と、たいへん身勝手な悪態をつきつつ、もういちど、草地に寝転がる。
真っ青な空にうかぶ、雲はピンク色。となりは黄色。水色。緑色。ならぶパステルカラーは、着色された綿菓子のよう。
メルヘンだ。
華村瞳。19歳。ティーン最後の24時間にして、メルフェンワァルドに飛ばされた模様です。
……うそだろ?
* * *
そうして、たいへんメルヘンな世界で、メルヘンがゲシュタルト崩壊しそうになりながら、私は目覚めたわけだ。
だがまあ、こういうのは子どもの特権ときまっている。
20歳を迎えてしまえば目覚められるだろうと、根拠もない確信をいだいて、私はふたたび目を閉じた。
……つぎは、叶うことなら、メルヘンじゃない現実に目覚めたい。
来週提出予定のレポートが、まだ仕上がっていないのだ。資料をあさりにいった図書館からの帰りに、こんな厄介ごとにまきこまれようとは。
よほどつかれていたのだろうか、と、メルヘンさのカケラもないことを考えながら、やっぱりうとうととまどろむ。
しかし、このメルヘンワールド、とても寝心地がいい。ふんわりとした草地は自然のベッドのようだし、ときたま吹きぬける涼やかな風がまた心地よい。
とろけるような陽射しは、午後のまどろみに最高といえる。
母から聞いた、私の誕生時間は20時だ。20時に成人して、魔法が解けるまでのあいだ、このぬかるみに沈んでいるのもいいかもしれない、――と、思っていたのもつかの間。
とつぜん顔にかかった影に、目を開けると、まず飛びこんでくる円筒形のまあるい帽子。頭より大きいんじゃないかってサイズ感の真っ赤な帽子を、目のすぐ上でかぶり――ずり落ちてこないように片手で支えながら――子どもがひとり、立っていた。
オモチャの兵隊のようだ。くりっとした瞳をまたたかせて、子どもが首をかしげる。帽子とおんなじ色の、詰め襟の隊服が可愛らしい。
身体半分起こした、中途半端な姿勢で、私も首をかしげる。
すると、草むらのかげから、ぞろぞろと色とりどりの帽子をかぶった子どもの兵隊が出てきて、私をとり囲む。そして、いっせいに首をかしげた。……なんだこれメルヘン。
「えっと、……なにか?」
兵隊たちは答えない。
「私、ここにいちゃだめだった? そりゃね、もう19だしね、こんなメルヘンワールドが似合う年齢でもないし悪いとは――」
かちゃっと、金具の音を鳴らして、先頭に立つ赤色帽子の兵隊が、軍靴のかかとを打ちつける。あいかわらず、片手は帽子を支えたままだ。いや、もしかして、これ、敬礼なの?
腰には、オモチャのような剣をさげているけれど、いまのところ構えるつもりはなさそう。
一拍おくれて、ほかの兵隊たちも、かちゃっと音をたててポーズをきめる。くりっとしたまなざしが、いくつも重なって、突き刺さる。
「えぇ……っと?」
うん、どうしたらいいんだろうか。とりあえず、もう一回、惰眠のなかにもどりたいなぁと思っているんだけど、実行してもいいかな。
そーっと、身体を寝転がらせようとしたとき、だった。
「おなまえを」
真っ赤な帽子の子ども兵隊が言う。
「え、私?」
「おなまえを」
「名前って……華村瞳、ですけど……」
「ハナムラヒトミさま?」
やっぱり帽子を支えながら、きょとんと首をかしげる兵隊。
「ごめん。ひとくくりじゃなくて、華村、瞳」
「ハナムラ・ヒトミさま」
「病院の待合室みたいで居心地わるいから、どっちかでいいよ……」
「ビョーイン?」
「ああ、そこ通じないのね……さすがメルヘン」
病気なんざそんざいしないってか。夢のくせに作りこまれてるじゃないの。
やれやれ、とため息をついて、私はもういちど口を開いた。
「ハナでいいよ」
あやしい発音でヒトミと呼ばれるより、よっぽど落ちつきそうだ。
「ハナさま?」
「そうそう。それでいいよ」
兵隊は、なんどかコクコクとうなずいて、一歩近寄る。歩き方からして、オモチャみたい。ピシーッと伸ばした四肢が、なんともいえずに可愛らしい。
すこし目をつぶって、だまりこんでいたかと思うと、またすぐに目を開ける。
「うけたまわりました。ハナさま。『宣誓名』による『住民登録』がすみましたので、どうぞ、城のほうへとおこしください」
……おいまて、どういうことだ。
* * *
城にきていただけなければこまるんです、とでも言いたげに、ひたすらにおんなじセリフをくりかえす、メルヘン子ども兵。
「どうぞ、城のほうへとおこしください」
赤い帽子の隊長くん――真実がどうかはしらないが、勝手にそう呼ぶことにする――が口火を切ると、あきもせずに私を取り囲む隊員くん――おなじく勝手にそう呼んでやる――たちが唱和する。
「どうぞ、城のほうへとおこしください」
「どうぞ、城のほうへとおこしください」
「どうぞ、城のほうへとおこしください」
ひとりひとり、微妙にタイミングがずれるものだから、まるで輪唱だ。
むじゃきに小指をあわせて、公園であそんでいた子どもたちのようだなぁと、そんなことを思う。
可愛い。いや、可愛いよ? 平均的な女子大生にもれなく子ども嫌いではないし、平日に公園でまどろもうとするくらいには、癒しをおぼえる。けど、ね?
「うるさい……!」
やっぱり人間だもの、いくら可愛くたって、やかましいものはやかましいよ。
延々とつづく唱和に、ただでさえ睡魔と戦っていた私の堪忍袋の緒は、そりゃあもう簡単に切れた。ぷっつん、と。負荷に耐えかねた、なんてもんじゃない。ハサミをとりだしてジョキジョキ切り刻んだレベルで、切れた。
「わかった! わかったから! 後で行くから! 寝かせろぉぉお!」
声のかぎりに叫んだ。
メルヘンワールドの草原に響きわたる、全身全霊の怒声。ああ、なんて似合わない。だからどうせなら、もっと可憐な12歳の乙女とか連れてこいっての。ふりっふりのゴスロリ少女とか連れてこればいいじゃない。
隊員くんたちは、互いに目を合わせて、あたふたと。
そして隊長くんはといえば、くりっとした眼を、いっそうくりっとまぁるくして、その上にずり落ちかけた帽子を、クィ、と置きなおす。
「……では、指きりを」
帽子を支える手を左に持ちかえて、隊長くんが言う。
「指きり?」
「のちほど、城へいらっしゃるという、『宣誓』を」
「ああ、約束ね、約束。……はいはい、約束」
おざなりな返事をして、隊長くんの右手をとる。
ちっちゃいなぁ。5歳くらいの子どもの手だ。やわらかくて、ふわっふわ。見かけはオモチャみたいだけど、この子生きてるんだなぁと、なんだかほっこりする。
私よりも、ずっとみじかい小指をすくって、絡めて、縦にゆらす。
「ゆびきりげんまん、うそついたら針千本のーます。……これでいい?」
「『宣誓』していただけますね、『ハナさん』」
「はいはい」
生返事をして、草の上に寝転がる。ううーん、やっぱり気持ちいい。自然のベッドを満喫できるってことに関しては、メルヘンワールドも悪くないね。
「それでは、また、お会いしましょう。――華村瞳さま」
ぼんやりとした意識のなかで、満面の笑みを咲かせた隊長くんを見たような……あれ、きみ、笑えたの?
* * *
「うう……ん……」
ぐい、っとなにかに引きずられる感覚。ほわほわした夢見心地のまま、目覚めた世界は黄金色。
夕暮れに照らされた、ススキ野が一面に広がる。草花にとまる蝶の代わりに、飛びまわるのは無数のトンボ。空をおおって、夕陽に影を落としている。
パステルカラーの羊雲はどこへやら。
がらりと雰囲気を変えたその場所に、ぽつりとたたずむ、白亜のお城。
黄金色の世界のなかで、たったひとつ、真っ白な壁面をさらして。
「お城……そうだ、お城にいかなきゃ」
約束したんだった。赤い帽子の隊長くんと。小指をからめて、ナマエをからめて、ヤクソクした。
――だから、お城に、いかなくちゃ。
ぐっと身体を起こして、服についたカスを、てきとうに払い落とす。まあいいか、どうせ、向こうの衣服なんて、汚れててもわかんない。
靴のかかとをサッと整えて、ススキのあいだを駆けていく。
あれ、向こうってなんだ?
まあいいか、とにかくお城にいかなくちゃ……。
* * *
これだけ大きなお城なら、門番くらいいてもいいのに。だあれもたっていやしない。頭上二メートルはある、黄色い大きな門扉が、でーんと構えているだけ。
近づいてみると、ひとりでに閂が抜けて、じりじり開門しだした。
こまかいことは気にしないことにして、ずんずん進む。
中庭はまるでイングリッシュガーデン。左右対称な庭園のなかを、まっすぐ抜けていく。
もうひとつ大きな扉があって、だけどやっぱり、だれもいない。近づいたら開くのは、もはや仕様。これじゃまるで自動ドアだ。……あれ、自動ドアなんて、どこで見たんだっけ。
「いらっしゃい。ハナさん」
ビロードに覆われた大階段の上。にこやかに笑って出迎えるのは、真っ赤な詰め襟の軍服を着た青年。
「遅れずにきてくれて、うれしいよ。さあ、こちらへ。『白昼夢』の時間に、すっかり準備は整えておいたから」
青年に手招かれるまま、階段をのぼっていく。
さらりと頬にかかる髪は、暗い暗い、墨の色。きめ細やかな肌は白くて、くりっとした瞳は淡墨色。王子様みたいだな、と思う。
王冠の代わりにかぶっているのは、彼の頭にはすこしちいさそうな円筒形の赤い帽子。
そこでやっと、思いだす。
「隊長くん……?」
手を重ねながら、ぽつりとつぶやいて。
――とたんに全部、思いだした。
「あれ、なんで私」
豪華なエントランスホールを肩ごしに見下ろして、思わず息をのむ。このなかを歩いてきたの? どうして? そんなつもりなかったのに。
「そうですよ。あれは、俺。『白昼夢』のなかの俺。いつも隊長ってわけじゃないけれど、ここの人間はみんなそうなんです」
隊長くんがなにか言っているけれど、まるで耳に入らない。
どういうことなの。20時になれば覚める夢じゃなかったの?
だまりこんでいると、隊長くんに、ぐっと固く手を握られた。骨を圧迫するような痛みに、我に返る。
「俺を無視しないでくださいね、ハナさん」
にっこりと微笑んでいるのに、淡墨色の目だけがまったく笑っていない。
「まって、……なに、これ。隊長くん、どういう」
「だから、俺は隊長だけど隊長じゃないんです。つぎの『白昼夢』に、俺以外を呼ぶあなたなんて見たくないので、どうか俺のことは、紅刃とお呼びください」
「隊長く――!」
じっ、と見つめる鋭い目に、とちゅうで言葉を飲みこむ。
「くれ、は」
「よくできました」
にっこりと、また、隊長――クレハが笑う。
「ぎりぎりで、あなたをお招きできてよかった。ずっと機会をうかがっていたんですが、まにあってなによりです」
「私を……知ってたの……?」
「ええ、もちろん。この日のために、どれだけ準備を重ねたか」
「準備って」
「あなたが知る必要はないことですよ」
クレハの手が伸びて、私の首もとに添えられる。
「まっていました。華村瞳さま」
「まって、ぜんぜんわかんない……どういうこと? ぎりぎりって? 私、帰れるんじゃ」
「どこから情報を仕入れたかしりませんが、そうですね。20を数えたら、この世界から弾きだされる。事実です」
さらりと告げるクレハは、そのまま、私の首に爪を立てる。
「――でもね」
ピリリとした痛み。あふれた血が伝っていく不快感。
「ここは時忘れの城。『白昼夢』の世界とちがって、明日はこない。ただくりかえし、黄昏のまどろみのなかで、『白昼夢』に興じるんですよ」
うっそりとつぶやいて、クレハは、その血を舐めあげた。こそばゆい感覚に驚いて、なにを告げられたかも、ろくに考えられない。
「俺といっしょに眠ってください。この城で、ずっと――ね? 『宣誓』ですよ、『ハナさん』」
甘く囁くクレハに、思わずコクリと頷いたとたん。かすかに残っていた違和感が、どこかへ溶けて消えてしまった。
私、いつからここに、いるんだっけ?
どうしてここに、いるんだっけ?
……まあ、いいか。
夢から覚めた夢の先。とらわれ堕ちる、黄昏の城。