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アグリジェント戦記  作者: 黒いたぬき
帝国解放編
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閑話・救われる者と救われぬ者

 ホルステン辺境伯領ブリュールの街は、朝から重苦しい空気に包まれていた。帝国の未来を決するバーデン平原での戦い。その勝利の報告は二週間前に届いていた。そして先日、エルヴィラの下に一通の親書が届いたのである。


『…………ついに来ましたか』


 親書を受け取るなり全てを察したエルヴィラは静かにそう呟いた。親書の差出人は連名だった。一人は皇帝ヘルムフリート・ハウゼン。もう一人は騎士団長エイミー・ベンフォード。親書の内容は見なくても想像出来た。そして記されていた内容は想像した通りのものだった。


『フローラル。屋敷の人間を全て集めて頂戴。それと騎士隊長も』


 集まった者たちの前で、エルヴィラは躊躇うことなく事実だけを告げた。


『陛下とそのご家族がこの領を訪問されます。エイミー騎士団長と八万の軍を率いて』


 これを聞いた全員が、ついにその時が来たかと思った。皇帝自らがこの領を訪問する目的など考えるまでも無かった。しかも騎士団長と軍を率いて。


『帝国が決戦に勝利したことは喜ばしいことです。あとは静かに裁きを待ちましょう。無論、あなた達が咎められることは無いでしょう。責任は全て私にあるのですから』


 どこが晴々とした笑顔でそう語ったエルヴィラに多くの者が涙を流した。戦わずに降伏したのは、領民の命を守るためである。無謀な戦いを避けただけであり、決して彼女自身が命を惜しんだわけではないのだ。


『陛下とそのご家族をお迎えするのです。問題が起こらないように住民にも徹底して下さい。この領が素晴らしい地であることをお見せして下さい』


 そして今日、運命の日を迎えたのである。まず七万の軍が街を包囲。続いて七千の騎士が街に入り大通りの警備を開始。そしてその中を騎士団長エイミー・ベンフォードを先頭に、彼女の下で奮戦した隊長格が続き、その後ろを親衛隊が守る馬車が進んだのである。




「陛下はどうするつもりだろな」

「陛下は聡明な方です。無用な混乱を起こす様な決定はなさらないと思うわよ」


 警備のために街を歩くアレクシスの問いに、アンナは考えることもなくそう答えた。帝国は戦争によって大きな傷を負ったが、同時に今後の弊害も暴きだした。それは多くの道楽貴族たちである。彼らは国を守るべき立場にありながら、その役目を放棄したのである。


「きっと陛下は大きな改革に乗り出すでしょう。その時に必要になるわ。信用に足る貴族の方々が」

「ホルステン辺境伯夫人は信用に足ると?」

「当然でしょ? 確かに帝国は武を誉れとする国家であり、戦わずに降伏するのは恥と考えていますが、それは状況によるわ」


 アンナの言葉にアレクシスは当時この領が置かれていた状況を思い出した。この街は王国軍の精鋭に包囲され交戦か降伏かの選択を迫られたのだ。


「まぁ確かに交戦を選ぶ領主が賢明とは思わないな。武を誉れとするのは結構だが、あくまでそれは勝てる時だ。負けが分かって戦うなど阿呆の所業だ」


 大事な戦力を敗戦に投入するなど愚の骨頂である。それが決戦ともなれば話は別だが、ここでの戦闘は帝国から見れば一地方での戦闘でしかない。ならば降伏を選択するのは間違いではないはずだ。


「ホルステン辺境伯フロスト様は帝都防衛戦で負傷なされたと聞いています。そしてその娘であるフィオーナ様はフルダ辺境伯夫人シャスティル様と領民を守り奮戦された。フリーデ様も多くの戦場を巡り負傷した人々の命を大勢救われた。このローゼンバーグ家は帝国に多大な貢献をなされた。それを処罰したら罰が当たるとは思わない?」


 アンナの問いに静かに頷いたアレクシスは、そのまま行き交う領民たちの会話に耳を傾けた。誰もが領主代行であるエルヴィラの話をしており、彼女の無事を祈るような表情を浮かべていた。それを見れば彼女がどれだけ慕われているのかは簡単に想像出来た。


「まぁどんな決定であろうとも俺たちは従うしかないがな」


 所詮は騎士でしかないアレクシスは、思ったことを素直に口にして街の警備を再開した。自分の仕事は街の警備であり、それ以上のことを考える必要はないのだから。





 ホルステン辺境伯領主邸の応接室は重苦しい空気に包まれていた。応接室には領主代行のエルヴィラとヘルムフリートとテレージアの三人が机を挟んで対峙していた。


「全ての責任は私にあります。他の者たちには一切罪はございません。どうか慈悲を」


 王国軍と戦わずして降伏を決めたエルヴィラは、深々と頭を下げてそう告げた。


「……聞いた話によれば、王国軍に随分と協力的だったと。街での行動を許可して、さらには物資の補給まで行ったと。間違いはないか?」


 ヘルムフリートの質問に対して、エルヴィラはすぐに肯定を告げる返事を返した。嘘を告げても調べれば簡単に露見することであり、もとより皇帝に嘘を吐くつもりも無かったのである。


「知っての通り、帝国は武を誉れとする国だ。戦わずして降伏することは、それに反する行為となる。それも理解しているな?」

「はい。全てを理解した上で降伏を選択しました。責任を逃れようとは思いません。ですから――――」


 ヘルムフリートの言葉に言い訳一つ返さないエルヴィラは、正面を見据えて縋るような瞳を向けてから再度頭を下げた。


「どうかその罪は私一人のものに。どうか……お願いしますっ……」


 懇願するエルヴィラを見て、ヘルムフリートは隣に座るテレージアに視線を向けた。


「………顔を上げなさい。ホルステン辺境伯夫人エルヴィラ」


 普段は見せない厳しい表情で言葉を発したテレージア。それを聞いたエルヴィラは、静かに顔を上げてテレージアに視線を送った。


「この戦争によって多くの命が散った。その中には大切な者を守るために戦い、命を散らした騎士も大勢いる。騎士の本分は領民を守ることです。戦わずに降伏するなど絶対にあり得ない。いや、あってはなりません。それは騎士としての職務を放棄することなのですから」


 その言葉を聞いてエルヴィラは何も言い返さなかった。皇妃であるテレージアが決戦に騎士として参加したことはすでに知っているからであり、何よりも彼女の本質が武人そのものであるのを理解しているからである。だからこそ、彼女が放つその言葉は重いのだ。


「…………ではホルステン辺境伯夫人エルヴィラよ。お前に裁定を言い渡す」


 話を長引かせる必要はないだろうと判断したヘルムフリートは、そう告げて目の前のエルヴィラを真剣な表情で見据えた。彼女はその時が来たことを察して、目を閉じてその言葉を聞いたのだった。






◆リヒテン侯爵領  グライン◆



 人口三万人の街グラインは今まさに騒然とした。近衛騎士隊が一人の薄汚れた外套を着た男性を大通りで囲んでおり、まさに一触即発といった雰囲気を醸し出していたからである。


「リヒテン侯爵ダリウス。ようやく見つけたぞ」


 包囲網から一歩前へ足を踏み出したリヒャルダは、五大貴族の一人ダリウス・カルヴァートを睨みながら言葉を発すると、ダリウスは狂気に満ちた顔つきで彼女に視線を向けた。その血走った目を見れば、彼が正気で無いことはすぐに理解出来た。


「全容解明のために生かして捕えろとの命令だが、同時にこうも言われた。不可能ならばその場で殺して構わないと。ベンフォード騎士団長からな」


 その名前に反応するであろうと考えたリヒャルダだったがその効果は抜群だった。


「あの男のせいで……私は騎士団長の座を逃したのだっ! そして皇帝も私を評価しなかった! 優秀な私が評価されないこの国など滅べば良いっ!」

「あなたが優秀など聞いて呆れる。どこが団長より優れている? あなたは団長の足元にも及ばない。あなたがしてきたことが何よりの証拠だ」


 どこまでも傲慢な物言いのダリウスにリヒャルダは、何とも言い難い感情を抑え込みながら事実を口にした。団長の座を逃したのは単純にエリオスの方が優れていたからで、皇帝が評価しなかったのは彼の本質を見抜いていたからだ。

 実際、彼はこうして嫉妬に駆られた行動を起こして帝国を混乱に陥れた。これがエリオスだったなら、自分の未熟さを認めてさらに精進したはずだ。それが出来ない時点で彼は愚か者なのだ。


「たかが騎士如きが五大貴族の私に楯突くつもりかっ!」

「たかが騎士ではない。近衛騎士総長だ。それに貴様はここで終わりだ。その五大貴族という肩書と一緒にな。ダリウス・カルヴァート・リヒテン侯爵。皇帝陛下及び騎士団長の命により貴様を拘束する。抵抗は無駄だと知れ」


 ゆっくりと剣を抜いたリヒャルダは、その剣先をエリオスに向けたのだった。



(……こんな奴の為に)


 剣を交えるリヒャルダの胸中は複雑だった。この男の嫉妬と欲望によって多くの人間が死んだのだ。考えるだけで怒りが込み上げてくるのは当然だったが、同時に失望も感じていた。

 五大貴族の一翼を担うダリウス・カルヴァートは、かつてはエリオスと騎士団長の座を争ったのだ。それだけの実力は確かに持っていたはずなのだ。


(……ふざけるなっ!)


 エリオスの洗練された剣技は圧倒的だっだ。リヒャルダ自身、エリオスに模擬戦で一度も勝ったことが無い。当然、ダリウスもエリオスと同等の技量を持っていたからこそ団長の座を争えたのだ。だが今は見る影もない。多くの騎士が憧れを抱いた存在はもはや消滅してしまっていたのだ。


「あなたの剣は――――」


 剣を受け止めたリヒャルダは、その言葉をダリウスにぶつけた。


「軽すぎる」


 大柄なダリウスから放たれる一撃は確かに重い。でもそれはあくまでも物理的な意味でしかない。


「その剣は本来、領民を守るために存在したはずだ。でもお前は…………それを放棄した」

「黙れぇえぇえっ!」


 力で押したダリウスはリヒャルダの剣を弾くと、再度その剣を力に任せて振り下ろした。だがその剣は彼女の顔に届く寸前で左手のガンレットによって阻まれた。


「あなたには理想も信念も……守るべき者も無い。そんな奴に、私は負けない。負けられないんだっ!」


 強烈な一撃を受け止めた左手に走る痛みに耐えながら、彼女は剣を握る右手に力を込めた。


「お前の妄執もこれで終わりだ」


 一時はエリオスと同じように憧れを抱いた帝国軍を束ねた将軍に対して、彼女は剣を突き出した。決別の意志を込めて。


「私は……あなたが背負えなかった者たちを守ってみせる。だから今ここで、私はあなたを越える」


 正面からダリウスの顔を見据えて告げたリヒャルダに、ダリウスは何かを思い出して声を発した。その声はあまりに小さすぎて、周囲に展開していた近衛騎士たちには届かなかった。だがその言葉は確かに彼女の耳に届いた。


「…………さようなら」


 胸に突き刺した剣を引き抜いたリヒャルダは、地面に倒れたダリウスに別れの言葉を告げた。その光景に誰もがその場で立ち尽くしていたが、やがて一人の近衛騎士が彼女に近寄った。


「総長殿……血が出ています」

「あぁ…………大した傷では無い」


 剣を鞘に納めたリヒャルダは、右手で血が滲む左腕を抑えた。ダリウスは最後の瞬間、正気に戻った様に見えた。何故なら彼が最後に突き出した一撃を、リヒャルダは目で追えなかったからである。


『……リヒャルダだったか…………済まなかった……』


 かつて騎士としての基礎を叩き込んでくれたダリウスは確かにそう言い残した。それは聞き間違いなどでは無かった。


「どうして…………こんなことになったのだ……っ……」


 空を見上げたリヒャルダは、心の底から絞り出す様にして想いを口にした。敬愛するエリオスは戦死して、その原因の一つであったダリウスに彼女は怒りを向けた。そして恩師であった彼を殺した今、その胸に残ったのは虚しさだけであった。






◆ホルステン辺境伯領 ブリュール◆


「今……何と?」


 ヘルムフリートの裁定に、エルヴィラは驚きのあまり目を大きく見開きながら尋ね返していた。自分は幻聴を聞いているのではと思ったのである。


「聞こえなったのか? ホルステン辺境伯は返上。その上で帝国大使としてレアーヌ王国に派遣する。爵位は侯爵としてな。取り潰される予定のカルヴァート家の代わりだな。まぁ王国が受け入れればだが」

「…………それはつまり……五大貴族の一角を担うと……」


 断罪されるとばかり考えていたエルヴィラは、言葉が上手く続けられずテレージアに視線を送ると、彼女は先程までとは違い柔らかな表情を浮かべていた。


「騎士と領主の本文は違うものです。ローゼンバーグ家はこの戦争において多大な功績を収めた。そして貴女も大きな功績を上げた。それは王国との関係を築いたということです。それは今はまだ細くて頼りない関係ですが、それを発展させていくことはとても重要です。戦後を見据えた判断。私も見習いたいと感じました」 


 最後は静かに微笑んだテレージアは、机に置かれていたティーカップを手に取ると上品な仕草でそれを口元に運んだ。

 その様子をしばらく眺めていたエルヴィラは、目の前の二人が何を言っているのかを理解すると涙を流しながら静かに頭を下げた。自分が行った降伏という許されざる選択を、二人は最大限に生かした外交を行うつもりだと理解したからである。


(エイミー様には感謝しきれませんね)


 目の前で頭を下げ続けるエルヴィラに穏やかな表情を向けながら、テレージアはそんなことを考えていた。妙案が浮かばなかった所に助け舟を出したのは、実はエイミーだったのである。







次回はまったりした話の予定

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