帝国の現実
(……なぜこうなった?)
エリオスは騎士団駐屯地の隊長室で、目の前に座る人物を見つめながらそんなことを考えていた。
「ですから彼女を騎士団の指南役として帝国に迎え入れましょう!」
ザールラント帝国第二皇女ディアーナ=ハウゼン=ザールラント。
目の前にいるのはまさしくその人であり、彼女は力強く言葉を発するとその勢いのまま机の上に身を乗り出したのだった。
「……とりあえず落ち着いて話をしましょう殿下。それと顔が近いですよ?」
「……コホン! 興奮のあまりつい…………。失礼しました」
そんな言葉と共に頬を少しだけ赤く染めたディアーナは、軽く咳払いすると椅子に座り直した。
その様子を黙って眺めていたエリオスはこれはちょうど良い機会だと思い、真面目な表情を浮かべると疑問に思っていたことを尋ねた。
「前から気になっておりましたが、なぜ騎士団に入団されたのですか? 帝国が武を誉れとする国であるのは十分に承知していますが、皇女殿下で在らせられるディアーナ様が武を学ぶ必要は無いと思われますが? 騎士になろうと思ったのは母君の影響ですか?」
「…………ローザンヌ連合王国」
しばらく沈黙していたディアーナは、いつもの優しげな雰囲気とは違う皇族らしい気品を見せると十年前に滅んだ国の名を告げた。
そんな彼女の変化に気付いたエリオスは、とりあえず黙って続きを聞くことにした。
「ローザンヌ連合王国は農業が盛んな自然豊かな国であり、平和を愛する国として五大国に名前を連ねておりました。ですがロシュエル公国の侵攻によって国は滅ぼされました」
「……つまり力が無ければ何も守れないと?」
探るような視線を向けるエリオスに、ディアーナはゆっくりと首を横に振ってそれを否定した。
「絶望的な兵力差の中、ローザンヌの女王陛下は最前線で兵たちと共に戦い続け、最後は戦場に散ったと聞いています。私にはこの帝国を治める皇族の一員として責任があります。国と民を守るという責任が」
そこまで語ったディアーナはエリオスから視線を外すと、今度は隊長室に飾られているアグリジェント大陸の地図に視線を向け話を続けた。
「幸いにも我が国は平和ですがそれがこの先も続くとは限りません。いえ、平和は終わると考えた方が宜しいでしょう。この大陸では今も各地で大陸の覇権を争う戦争が続けられているのですから。そして平穏な時代が終わりを告げたその時、私は後悔したくないのです。だからこそ私は騎士団に入団したのです。ローザンヌの女王陛下のように戦うことは出来なくとも、せめて私の目に映る者だけでも守りたい。そう思って」
心の内を明かしたディアーナは、最後にそっと笑顔を浮かべて話を終えた。
これを聞いていたエリオスはディアーナに対する認識を改めていた。今年十七歳となる彼女がそこまで深く物事を考えているとは想像もしていなかったからである。
「あの少女を……エイミーを指南役にというのはこの場の勢いでは無く、帝国の将来を考えてという訳ですね?」
「えぇ。少なくともあの少女は戦場を知っています。帝国は軍事大国として知られていますが実戦は二百年前の継承戦争が最後です。こう考えるのは悲観的かも知れませんが、今の帝国は他国から侵攻を受けた場合、最悪それを阻止出来ないかもしれません。仮に一等級傭兵たちが攻めて来たら? 」
実年齢より大人びた意見を冷静に述べるディアーナに対して、エリオスも頭の中で今の帝国の現状を分析する。
軍事大国ザールラントの常備兵力は五十万。確かに強大な数字に見えるが実際に戦争となった場合、貴族のお嬢ちゃんや坊ちゃんで構成された騎士団が活躍出来るとは思えない。
そもそも騎士団に入団した貴族の大半が自身に箔をつけるといった意味合いで入団しているのだ。殺しあう戦場に耐えられるとは思えない。そしてそれは帝国軍も同じような状況だろう。
(常備戦力五十万…………。だが実際に戦力として数えられるのは十万に届かないかもしれない)
エリオスはそんな結論に辿り着き思わず顔を顰めた。そんな様子を無言で眺めていたディアーナも頭の中で帝国の現状を考えていた。
南にはレアーヌ王国。西には山脈を挟みローランド王国。そして北には多くの蛮族や強大な魔獣が生息する未開の大地が存在する。つまり帝国は三方向を敵で囲まれているのである。
「大陸最強の軍事大国か……はっ」
エリオスは自分で呟いた言葉を聞いて鼻で笑った。冷静に考えれば帝国がこの十年、薄氷の上を歩いていたことが良く理解出来たからである。
それは何かの拍子で簡単に割れほど脆い物であり割れたら最後、帝国は大きな被害を確実に被ることになるのである。
「帝国内で全てを賄える我が国は、外の世界の情報が完全に不足しています。逆に帝国を脅威に感じている周囲の国々は、逐一情報を仕入れているはずです」
「それも含めて彼女は適任ですが…………」
確かに傭兵として戦場を渡り歩いて来たエイミーなら適任だとエリオスも感じていた。外の世界の情勢に詳しく、しかも実力も申し分ないのだから。
ただし問題が無いわけでは無い。何せ彼女は大陸最強を誇る傭兵団の一員なのである。
(そんな傭兵がなぜ帝国にやって来たのか……それを知らない限りは、とてもではないが指南役など任せることは出来ない)
情報収集かあるいは何かの工作活動か。何の目的も無くやって来たとは思えないエリオスは考え巡らせながら唸り続ける。
そんな彼の様子をジッと見つめていたディアーナはこのままでは埒が明かないと感じ、一計を案じることを考え始めていたのだった。
「…………我を忘れてやりすぎたなぁ。でもこれは無いよ」
今さらながらそんな感想を呟くエイミーは、自分の置かれた状況に小さくため息を吐いた。
彼女がいるのは牢屋の中。問題なのは多くの犯罪者が一緒ということである。戦場でもはや慣れているとはいえ、それでも舐めまわす様に見つめてくるその視線は不愉快だ。
(適当な場所に放り込んでくれて。顔は覚えているから覚悟してなさいよ)
ここまで連行してきた騎士は明らかに怯えていた。その結果、連行して来た騎士は場所を確認することなくエイミーをここに放り込んだのである。
まさに女は彼女一人であり、自分では無かったら間違いなくあの騎士の首は飛ぶことになるだろうと彼女は心の中で考えていた。
「おい嬢ちゃん。一体なにして騎士を怒らせたんだい?」
「話しかけないで」
完全に不機嫌なエイミーが発したその言葉は、彼らを怒らせるのには十分だった。一気に殺気立った男たちが口々に汚い言葉を浴びせかけた。
「痛い目に合わせてやらないとなぁ」
「その服ひん剥くぞ!」
「その身体に色々と刻み込んで欲しいみたいだなぁ」
「おい! 大人しくこっちに来いや!」
言葉を尽く無視していたエイミーだったが、一人の男が手を掴んだことによって彼女の我慢は限界に達した。
〈出でよ不死鳥〉
その瞬間、男は掴んでいた手を離して大声を上げた。
「熱っ! 手が熱っ!」
突如現れた人間サイズの紅蓮の鳥に、男たちは唖然としていたがそれが精霊と分かった途端、土下座して命乞いを始めた。
そんな泣き喚き許しを乞う男たちにエイミーは――――。
「うるさい。しゃべるな。いいから黙ってろ!」
一喝して全員を黙らせたのである。
「……ありがとう。もういいわ」
静かになった男たちをしばらく眺めていたエイミーは、精霊にお礼を告げて帰らせると空いていた粗末なベッドに横になった。
「何かあったら起して。それ以外では触らないで」
そんな言葉を残して、エイミーは瞬く間に寝息を立て始めた。
「……おい……本当に寝てやがるぞ」
「な、なら今のうちに――――」
「馬鹿野郎! あんな精霊を召喚する女だぞ? 次は本当に灰にされるぞ!」
「関わらない方がいい。やめとけ」
力の差を認識した男たちは、寝ているエイミーを化け物を見るような目で眺めていた。だがしばらくすると誰かが言った。
「……でも寝顔は可愛いな」
「そうだな。見ているだけで癒される気がする」
「触るなとは言ってたが、見るなとは言って無いしな」
そんな解釈に至った男たちは、無言のままエイミーを眺めて過ごしたのだった。
約三時間後、騎士に呼ばれ牢屋を出ることになったエイミーはなぜか男たちにお礼を言われた。
「その……一体なにをしたのですか?」
「さぁ? 寝ていただけですので、感謝されることは何も……」
騎士の問いに思い当たることの無いエイミーは、う言って首を傾げるしかなかったが、隣を歩く騎士だけはその言葉で何となく理由を察した。
ただ彼女が精霊を使って脅したことまでは知らない彼は、あの野蛮な男たちが寝顔を眺めるだけで満足したことに疑問を覚えたのだった。