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アグリジェント戦記  作者: 黒いたぬき
帝国解放編
88/173

槍舞の華

 表面上は変化の無いエイミーだったが、内心ではかなり苛立っていた。現在の戦況は王国軍有利に展開している。投入した第二陣は王国軍の攻勢を何とか防いではいるが、期待した程の戦果は上がっていなかったからだ。

 五大貴族であるアウレールとウォルター。エイミーの目から見ても二人の技量は高く指揮能力にも問題はない。問題があるとすればやはり騎士の質であった。

 多くの戦争で経験を積んだ王国騎士と僅かな戦闘経験しか持たない帝国騎士。それがこのように正面から激突すれば圧倒的な経験を持つ王国騎士に有利なのは当然のことであった。

 しかも相手は私利私欲で戦い私腹を肥やしていた新興貴族ではない。王国という国を今日まで支えてきた伝統貴族と装甲騎士団である。


(何をしているっ! 早く勝負を決めに来い!)


 まだ動きを見せない王国軍の主力――――装甲騎士団に歯軋りするエイミー。作戦続行を指示した彼女ではあるが、最前線で戦う二人のことを決して見捨てたわけではない。

 彼女たちが何故その場所で戦っているのかは本陣にいる者なら誰もが理解していた。本陣からは戦場の全てが見渡せており、だからこそ目印が消えていることにも気付いていた。


「…………母上」


 隣で戦況を見守るディアーナは気丈に振る舞ってはいるが、その肩は微かに震えており何よりその口から漏れた言葉が全てを物語っていた。


(早く動け)


 未だに動きを見せない王国軍の本陣に、エイミーは苛立ちを募らせながらそれでも耐え続けた。ここで動いてしまえば最前線で戦い続ける二人の行為が無駄になってしまうからである。 




「ば……化け物…………がっ……」


 地面に崩れ落ちる王国騎士が死に際にそんな言葉を発するが、テレージアはその騎士に興味を示すことなく次の敵に視線を向けた。倒しても倒しても敵は次々と現れる。最前線なのだからそれは当然なのであるが、今の彼女は違うことを考えていた。


(この臭い……)


 脳裏に浮かぶのは血の匂いが充満し、死体の山が築かれた戦場だった。今と違うのは目の前の死体が人間では無く魔獣であるということであり、同じなのは一瞬でも気を抜けば死ぬということである。


(こんな戦場を忘れていたなんて……私も随分と歳を取ったものね。若さが羨ましいわ。あの当時の私なら――――)


 思わずそんな考えが頭に浮かび、テレージアは唇の端を持ち上げて笑っていた。

 

 もっと多くの敵を殺せるのに――――。

 

 その笑みは敵対する王国騎士を恐怖のどん底に突き落とした。皇族を名乗る女性が最前線の戦場で槍を振るうだけでも異常なのに、その女性は人を殺して妖艶な笑みを浮かべているのだ。恐怖を覚えない方がどうかしていた。

 それでも王国の騎士たちは勇気を振り絞ってテレージアに立ち向かった。誰かが彼女を討ち取れると信じて。







◆帝国東部ロルシュ伯爵領 マインツ村◆



 ロルシュ伯爵領はワインの生産地として有名で、その地で生産されるワインは歴代の皇帝たちも愛した程である。そんな領に存在するマインツは材料となるブドウの生産で生計を立てる素朴な村であり、事件とは全く無縁の村であった。

 しかし最近になって近くの森で行方不明者が相次ぐ事件が起き、ロルシュ伯爵は魔獣の仕業だと断定して領主軍を動かしたのだが、多くの犠牲を出して失敗に終わった。そこで彼は魔獣討伐を専門とするヘスティア騎士隊に救援を要請したのである。

 そして村にヘスティア騎士隊が到着してから三日後、かつてこの騎士隊に在籍していたテレージアは視察を兼ねてこの村を訪れた。だが本当の理由はストレスである。男爵家の小娘で騎士として自由気ままに生きて来たはずが、気付けばヘルムフリート皇太子と結婚。その僅か数ヵ月後に彼の父親である皇帝が死去してしまったため、気持ちも整わぬまま皇妃となり、最近では子供まで出産した。

 もちろん恋愛結婚であるため夫に不満は無い。皇妃という立場も自覚してはいる。生まれた娘も本当に可愛く幸せではある。

 だがやはり騎士として生きて来たためか、自由に動けないのはどうにも我慢ならなかった。表情一つ変えない護衛の親衛隊騎士に囲まれ、何をするにもメイドが付いて来る。それまで全てを一人でこなしてきた彼女にとっては、まさに苦痛以外の何ものでもなかったのである。


『外に出たいです! 出してくれないのならば離縁させていただきますわ』


 限界を超えたテレージアは、仕事をこなす夫に詰め寄り笑顔でそう告げた。もちろん最後の言葉は冗談であり夫にもそれは分かっていた。だが彼女の気持ちを少なからず理解していた夫はそれを承諾した。

 彼女がストレスを爆発させれば宮殿内は大惨事である。それだけの実力が彼女にはあり、それを止めるには親衛隊の総力が必要になる。


『なら視察にでも行くか? ヘスティア騎士隊がマインツに向かったぞ?』


 夫の言葉に喜びを爆発させたテレージアは、最低限の準備を整えて出発した。久しぶりの外出に興奮していた彼女。

 だからこそ村に到着してその惨状を見たときは驚きを隠せなかった。


「これは……どういうこと?」


 素朴な村であるはずのマインツは、ロルシュ伯爵領に駐屯していた騎士や領主軍の兵で溢れ返っておりその多くが負傷していた。それは戦場の最前線といって間違いでは無かった。


「一体なにが……この惨状は何が起きたのでしょか?」


 テレージアの世話をするメイドのフィーナが、見たことも無い惨状に恐怖を感じて震えた声で尋ねるが、到着したばかりのテレージアが分かるはずもない。

 ただ推測することは出来た。あくまで想像だが、魔獣の大量発生ではないかと。


「テレージア様。何かあったら危険です。すぐに馬車に戻って帝都に――――」


 親衛隊騎士が視察を止めて引き返すことを進言しようとしたその時だった。村の反対側――――森に近い方から大きな悲鳴が響いてきたのである。

 それを聞いたテレージアは反射的に走り出していた。それはもはや騎士としての本能であり、未だに皇妃という立場に慣れていない証拠でもあった。


「悪いけど借りるわよ!」


 現場に向かう途中でテレージアは負傷した領主軍の兵が持っていた槍を借り、さらに負傷していた女性騎士からベルトと剣を奪って彼女は懸命に走り続けた。


「これは……ヘスティア騎士隊は何をしているの?」


 現場に到着したテレージアの目に飛び込んできたのは、村の外で奮戦する騎士と逃げ惑う村人たち。そして魔獣の群れであった。


「何が起きているの? それにヘスティア騎士隊はどこへ行ったの?」


 入り口近くで傷を押さえていた騎士に問いかけたテレージアは、すぐにその答えを知ることになった。話によればヘスティア騎士隊は森の中であり、彼らは翼竜の討伐を行っているとのことだった。だがその隙を突いて黒狼の大軍が森の違う場所から姿を現したのである。

 黒狼はその獰猛な性格から戦狼とも呼ばれる魔獣であり、賢狼とも呼ばれる白狼とは対照的な存在である。白狼は主に家畜を襲い滅多に人間を襲うことは無いが、黒狼は見境なく襲い掛かる魔獣だ。帝国における魔獣被害の大半がこの黒狼なのである。


(このままでは総崩れで全滅。皆が死んでしまうわ)


 騎士はよく奮戦しているが、それでも守れない者は確実に出ていた。今も騎士の攻撃を回避した黒狼が農園から逃げて来た村人を襲い、一瞬にしてそのその喉を食い千切った。騎士も数に対応出来ず背後から襲われ数を減らしていく。


「……っ…………止めてぇぇぇぇっ!」

「テレージア様! お戻りください!」


 必死に走っていた子供が恐怖で転んだ。そんな子供に狙いを定めた黒狼が駆け出したのを見て、テレージアは叫び親衛隊騎士の制止を振り切り走り出していた。



「もうこれ以上は無理よ! 退かないと全滅するわ!」

「ダメだっ! まだ農園には村人が残っている! 我々が後退したらそれこそ村人は皆殺しだ!」


 必死に剣を振るう男性騎士は女性騎士の言葉に反射的にそう答えたが、確かに状況は最悪だった。そして今まさに悲劇が起ころうとしていた。


「子供が!」

「急がないと……くっ、これでは」


 転んだ子供を囲む五匹の黒狼。それを発見した二人が助け出そうと走り出すが、すぐに別の黒狼が立ちはだかった。子供の親である女性が叫びながら駆けだそうとするが、別の騎士が腕を掴んでそれを阻止する。もはや手遅れだと瞬時に悟ったからである。

 その場にいた誰もが諦め、ついに黒狼が子供に向かって大きく口を開いたまさにその時だった。突風にも近い風が巻き起こり、次の瞬間にはその黒狼が真っ二つになったのである。そして――――。


「良かった。間に合ったわ」


 その言葉と同時に現れた女性に騎士たちは驚きを隠せなかった。誰が見ても分かる高級な白を基調としたドレスを着る女性が、腰にはベルトを付けて剣を吊るしており、手には槍を持って堂々と黒狼の大軍を見据えているのだから当然のことであった。 


「……誰あれ? あ、危ない!」


 飛び掛かった黒狼を見て声を上げた女性騎士だったが、現れた女性は慌てることなく槍の石突きを繰り出して黒狼の口に叩き込んだ。


「しぶとい魔獣ね」


 地面に倒れた黒狼に、女性は腰から剣を抜くとその頭部を躊躇うことなく突き刺して止めを入れた。

 そして誰もがその女性を見守る中、剣を引き抜いた彼女は惜しむことなくドレスに深い切れ込みを入れて槍を構えた。


「魔獣共が……生きて帰れると思わないことね」


 女性はすぐさま地面を蹴ると瞬く間に間合いを詰めその槍を振った。


「魔獣の群れに飛び込むなんて正気なの? すぐに助けないと!」


 目の前の光景に我に返った女性騎士はすぐに加勢しようとしたが、そばにいた男性騎士がその腕を掴み引き留めた。

 彼の視線は村の入り口で民を誘導する別の騎士たちに向けられていた。


「あれは……嘘? 親衛騎士隊じゃない」


 そこにいた黒で統一された騎士たちを見て、彼女は目を丸くしながら魔獣と戦う女性に再び目を向けた。

 親衛隊は皇族警護を任務にするエリート集団。つまりあの女性が皇族ということになる。そして今の皇族にあの若さの人間は一人しかいない。


「ではあれが元ヘスティア騎士隊副隊長のテレージア・ベルネット・シュパイア」


 憧れに近い瞳で名前を呟いた女性騎士。若いながらも魔獣の大規模討伐で功績を上げ、皇太子が幾度となく口説いたという人物。

 今の女性騎士でその名を知らない者などいない。彼女は女性騎士の全てが抱く夢物語をまさに実現してみせたのだから。


(絶対に許さない)


 槍を巧みに操り黒狼を確実に葬るテレージアは心の中で何度もそう呟いていた。彼女は大規模討伐によって名を上げて有名になったが、その大規模討伐は苦い思い出なのである。

 確かに任務は完了したが、彼女たちは近くの村を完全に守ることが出来なかったのである。多くの村人が犠牲となり、そして幼い子供たちまでも食い殺されたのである。


『何が……英雄よ』


 賛辞の言葉を掛けられる度に心が痛んだ。もっと力があれば、もっと上手く討伐出来ていれば悲劇は避けられたはずなのだ。

 そして今、その惨劇は繰り返されようとしている。ならば絶対に阻止しなければならない。あの日の犠牲を無駄にしないためにも。


「〈愛する風よ 立ち塞がる全てを斬り裂き薙ぎ払え〉」


 テレージアはその言葉と同時に槍を大きく水平に振り抜いた。発生した風の刃は前方か向かってきた黒狼の群れを一瞬にして屍に変えた。


「逃がしはしない。この場で全て狩り尽くす」


 二度と悲劇は繰り返さない。その想いを胸に槍を振り続けるテレージアを、誰もが驚きの目で見つめていた。

 ドレスを着たテレージアが魔獣を次々と葬っていくその様は、まるで優雅に踊っているように見えたからである。時にはゆっくりと、また時には激しく情熱的に。

 そして全てが終わった時、その場所にはおびただしい黒狼の屍が築かれ、白いドレスを赤く染めた皇妃が無言で立っていたのである。


(絶対に怒られるわね。頭が痛いわ)


 嫁ぐ際に両親が大金を工面して持たせてくれたドレス。それを思い出したテレージアは討伐成功の喜びよりも、確実に待っている説教が怖くて大きくため息を吐きだしたのだった。




 


「あの当時は……魔獣の相手だけで良かったのに。嫌な時代ね」


 あの時から時代は流れた。十年前に始まった大陸動乱はついに平穏を謳歌していた帝国にまで押し寄せて来たのだ。

 だがそれも自分が外交に力を入れなかった責任であるとテレージアは痛感する。もっと上手く立ち回れたはずなのだ。何せこの国の皇妃なのだ。夫に進言するだけの力が自分にはあったはずなのだ。


「…………あなた家族は?」


 色々なことを考えていたその時、テレージアは王国軍の本陣が動いていることに気付いた。

 だからこそ彼女は槍を向けていた王国騎士にそんな質問を投げかけた。


「……妻がいる。それと息子と娘も」


 警戒感を滲ませながらそれに答えた王国騎士。それを聞いてテレージアは周囲に転がる王国騎士や兵に視線を向けた。彼らにも家族はいるのだろう。きっと戦死の報を聞けば嘆き悲しむ。そして帝国への憎悪を滾らせるのだ。そうやって負の連鎖は途切れることなく続いて行くのだ。


「そう。では互いに生き延びられることを祈りましょうか」


 その言葉と同時に先程まで激しい抵抗を見せていたテレージアは槍を下ろした。その行動に王国騎士たちは怪訝な表情を浮かべたが、彼女は優しく微笑んで告げた。


「祈った方が賢明ですよ? 激しい嵐が起こりますから」


 諭す様に言葉を投げかけたテレージアは、目の前にまで迫って来た王国軍の主力である装甲騎士団を眺めてから静かにその目を閉じた。

 そしてそれが合図だったかのように、バーデン平原に凄まじい轟音が鳴り響いたのであった。






 


主人公であるエイミーが活躍していないことに今さら気付きました(笑)

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