血戦・前編
ザールラント帝国とレアーヌ王国。その戦争の行方を見守っていたのは当事者たちだけでは無かった。レアーヌ王国に友好的な国々はもちろん、レアーヌを敵視していた国もそれは同じであった。
「なぁどっちが勝つと思う?」
「お前はどっちだと思ってるんだ?」
この都市の酒場で繰り広げられている会話は今まさに旬の話であった。
ミッテラン自由都市――――都市国家同盟の一角を担うこの都市は、レアーヌの脅威に晒されながらも生き抜いて来た城塞都市である。人口僅か二十万のこの都市が生き残って来たのは、多数の城塞都市と相互に協力してきたことと、国家に縛られない冒険者や傭兵の拠点であったことが挙げられる。
「俺としてはあの忌々しいレアーヌが負けてくれた方がありがたいな」
「確かにレアーヌは嫌いだが、帝国がこっちに来る可能性もあるぞ」
「帝国より公国だろう。あそこはヤバいぞ」
男たちが酒を飲みながら遠くの地の出来事を語り合っていた頃、帝国のバーデン平原では両国の軍が睨み合っていた。
「これは驚きだな。獅子に番犬に百合と薔薇まで。いや圧巻だな」
単眼鏡を覗いたアルフォンスは前方に掲げられている軍旗の紋章を確認すると、笑顔を浮かべながら楽しげな口調でそんな台詞を発した。だが隣で聞いていたクラリスは、そんな彼の様子に右手で眉間を抑えた。楽しんでいる場合では無いのだ。
「団長……その軍旗は五大貴族のベンフォード家、オルブライト家、ローレンス家に皇帝家です。敵はここで完全に決着を付けるつもりです。楽しんでいる場合ではないかと」
「こうなったら仕方無いと思うが? そもそもこの戦争は勝利目前だったはずだ。それが今やこのザマで、我々まで出張る始末だ。笑うしかないだろう」
アルフォンスの言う通りこの戦争は王国の勝利で間違い無しのはずだった。開戦当初から破竹の勢いで帝国領内に進攻した王国軍は、帝国軍を次々と打ち破り帝都へと向かっていた。
そして開戦から三ヶ月後、当初の計画とは違い多くの地域を占領した王国軍は、帝都近郊のフロスト平原まで兵を進めたのである。王国軍五万五千に対して、フロスト平原に集結した帝国軍は一万五千程度であり、王国は勝利を疑っていなかった。だがその後、王都へやって来た伝令は衝撃の事実を口にした。
【帝都攻略軍フロスト平原にて壊滅。指揮官であるライナス王太子殿下も戦死】
そしてこのフロスト平原での戦いが、この戦争の戦況を一変させた。勢いを失った王国軍は、反撃に出た帝国軍の攻勢の前に敗走を重ねた。それから三カ月、今や帝国軍は王国領内に侵攻しようとしている。この決戦に負ければそれは現実のものとなるのだ。
「しかしここまで来るとあれだな。我々王国軍が不甲斐ないのか、帝国軍を立て直した噂の騎士とやらが凄いのか。判断に迷うところだな」
噂の騎士――――その言葉を聞いた瞬間、クラリスの表情は一変して不機嫌なものになった。王国軍を追い込んだ張本人であり、フロストの戦い以降その名を聞かない日はない。各地の戦場に現れては、王国軍を蹂躙していく。王国軍にとっては悪魔と言ってもいい存在なのだ。もっとも、彼女が不機嫌になる理由はそれだけではない。
「その噂の騎士。目撃した兵士によれば十代後半の美しい少女だったとか」
「…………言葉に棘があるのは気のせいか?」
「当然では?」
十代の少女が戦況を変えた。それだけでも腹立たしいことであるが、クラリスにとって重要なのはそこでは無い。その少女が今やこの帝国の騎士全てを束ねる存在ということである。騎士でも選ばれた者のみが到達出来る境地。それが騎士団長という存在だ。それなのに――――。
「…………まぁ理由はそれだけではないだろうがな」
クラリスが何を望んでいるのかを知っているアルフォンスは、彼女の怒りには触れずに話を進めた。戦場において一人の騎士の力が勝利に大きく貢献することなど、正直言えば殆どない。数千から数万単位で動く戦場においては、個人の力などたいしたものではないのだ。
「我々王国軍は初期の成果に浮かれ過ぎた。多くの地域を占領した結果だけに喜び、その後に必要なことを忘れていた」
「治安維持や補給に関する問題ですね」
クラリスは調査隊の報告を聞いた時、あまりの惨状に言葉を失った程であった。アルフォンスが重用する諜報要員のあの軽薄騎士でさえ、眉を顰めるほどだったのだから当然である。
戦争が綺麗事で済まないのは百も承知であったが、それでも限度というものは存在する。それを超えれば敵は死に物狂いで抵抗するのだ。
「そうだ。そもそも我々王国軍があれほどの地域を占領出来たのは、帝国の主戦力が北方蛮族討伐に動いていたからだ。それにあれだけ広大な地域を、長期間占領出来るほどの力は我々にはない。最初から帝都制圧だけに動いていれば良かったのだ」
「新興貴族が欲を出した結果ですね。彼らは病魔と同じです。食い荒らして、国家を腐らせる」
この戦争に一番積極的だったのは新興貴族といわれる勢力だった。彼らのほとんどは商家出身であり、金で地位を得た者たちが大半であった。彼らは快進撃に酔いしれ、非道の限りを尽くして戦争を拡大していったのである。それが自分たちの力の結果だと慢心して。
「病魔か……。確かにその通りだな。だが今は目の前の敵に集中しろ」
楽観的な口調から一転して厳しいものに変わったるフォンスの声を聞いて、クラリスは怪訝な表情を浮かべたが次の言葉で何が起こったかを察した。
「噂の騎士が出てきたぞ。敵が動く」
平原の丘に陣取る帝国軍主力一万五千。そしてその背後に八万五千。これがこの会戦に動員された戦力である。
「そろそろ行く?」
「そうね。敵も早く戦いたいでしょうから」
天幕の中で精神を集中させていたエイミーとディアーナは、互いに顔を見合わせると握手を交わして立ち上がった。この動きに合わせて、地面に伏せていた白狼も素早く立ち上がり体を震わせた。
「我らが勝利の女神だ!」
「この会戦、勝利は間違いなしだ!」
天幕から出てきたエイミーとディアーナを確認した騎士たちは、大きな歓声をもって彼女たちを迎え道を開けた。騎士たちの歓声を浴びながら堂々と歩く二人は、やがて敵を観察するアウレールとウォルターの側にやって来た。
「皇女殿下に騎士団長殿。お二人とも相変わらずの人気ですな」
目の前までやって来た二人に、冷やかしの言葉を投げかけたウォルター。これにエイミーは苦笑いを浮かべながら答えた。
「勝っているからこその人気です。負ければ一瞬で地に落ちる」
エイミーは自分の評価をしっかりと把握していた。味方もいるがその数だけ敵もいることを彼女は知っていたのだ。そんな冷静な自己分析に思わず言葉を失ったアウレールとウォルター。その様子にディアーナは呆れた表情を浮かべて、仕方なく助け舟を出すことにした。
「殿方の冗談にまじめに答えてどうするのよ。そこは『殿方を惑わす魔性の女ですから』とか答えないとダメよ」
「確かに皇女殿下は『魔性の女』よね。昨日も一般騎士とお楽しみだったから」
エイミーの言葉にディアーナは肩を竦めた。昨日も結局は朝から剣の稽古を行い、最終的にはフランツにまで指導してもらったのである。だがこの言葉をアウレールとウォルターは別の意味で捉えていた。
「皇女様とあろう者が、一般騎士とお楽しみとは何事ですか!」
「それで子供でも出来たらどうするおつもりか! その騎士を今すぐここへ!」
これに驚いたのはもちろんディアーナである。最初はなぜ怒られているのか分からず首を傾げていたが、やがてその理由が分かると途端に顔を真っ赤にした。
「ちょ……私は――――」
「黙りなさい! 言い訳無用です!」
「確かに興味がある年頃かも知れませんが、そのように奔放では困りますぞ!」
「ですから――――」
「さぁ相手を答えなさい! 今すぐその兵士の首を――――」
「剣の稽古ですよ」
ヒートアップしていた騒ぎは、エイミーが放った一言で一気に沈静化した。
「……剣の……稽古?」
「皇女殿下のお楽しみ。剣の稽古です」
「…………我々の勘違い……」
間違いに気付いたアウレールとウオルターは、恐る恐るディアーナに視線を向けた。見れば彼女は羞恥心で顔を真っ赤にしながら睨んでいた。その目は『私がそんな女に見えるのか』と訴えていた。
一方きっかけを作った張本人――――エイミーはその様子を楽しげに眺めていたが、やがて一回咳払いすると、今までとは百八十度雰囲気を変えてこう切り出した。
「楽しい話はもういいでしょう。会戦を始めましょう」
一瞬にして纏う気配を変えたエイミーに圧倒された三人は、前方に展開する王国軍に視線を移した。
「そうね。先延ばしは出来ないものね」
「…………そうですな」
「では全軍に開戦の合図をお願います。騎士団長殿」
「了解した」
エイミーは一歩前へ出ると、少女とは思えない凛とした声で全軍に告げた。
「栄えある帝国騎士たちよ。これより最後の戦いを始める。この戦いを以って、王国軍を帝国領内から一人残らず叩き出す。敵も必死だ。厳しい戦いになるだろう。だが勝利を掴むのは我々だ。逆境からここまで来た我々にもはや恐れるものは何も無い!」
一時は敗戦瀬戸際まで追い詰められた帝国。だがそんな状況を打破してここまで来たのだ。エイミーの言葉通り恐れるものなど何もない。だから騎士たちは前方を見据えてその言葉を待った。
腰の剣を抜いたエイミーは、一度天へと掲げてから王国軍に向けその刃を振り下ろした。
「攻撃開始! 敵を殲滅せよ!」
号令と同時にフロストとバイロイトで猛威を振るったカタパルトが動き出し、弓隊が一斉に火矢を放った。そんな頭上を飛び越え王国軍に向かって行く火矢と可燃性の樽を見たテレージアは、息を吸うと叫ぶように声を上げて命じたのだった。
「ヘスティア騎士隊前進! 栄えある先陣である。迷うことなく突き進め!」
命令と同時に重装甲の鎧に身を包み大型の盾を持つヘスティア騎士隊が前進を開始した。その先頭を進むのはいつもの格好に大きめの盾を持つテレージアであった。そんな皇妃に率いられたヘスティア騎士隊の前進に合わせ、右翼と左翼も前進を開始する。
「新生カッセル騎士隊前進せよ! 敵を最初に屠るのは我々だっ!」
「では新生メッセル騎士隊も前進だ! 敵は大勢いる。慌てる必要はない。確実に進め!」
再編成されたカッセル騎士隊率いるロイドとメッセル騎士隊率いるアレクシスは対照的な言動ながらも、焦ることなく前進を始めたのだった。
かつて血に染まったバーデン平原はこの日、再び多くの血に塗れることとなり、こうして決戦の幕が上がったのであった。




