決戦の日
「あと三時間程で王国軍が視界に入ります」
前方に配置していた騎士の報告に慌てるものは誰一人としていなかった。すでに迎え撃つ準備は出来ており、帝国は万全の態勢でこの時を待っていたのである。
「レアーヌ王国…………」
誰もが決戦に向けて気持ちを昂らせる中、風の大精霊である風神フレイヤは困惑した顔で決戦の地を見据えていた。蛮族討伐では多大な功績を上げた彼女であったが、対王国戦においては殆ど功績を上げていなかった。
それは彼女が前線に出ることが無く、後方で待機していたのが理由であった。ただエイミーも彼女を戦力として使う気はないようで、消極的な彼女に何も言うことは無かった。
「…………」
フレイヤにとってレアーヌ王国は思い出深い国である。創世戦争によって荒廃した大陸。その復興の希望として生まれた国家であり、何よりエミリアの盟友であるアリスが建国した国なのである。
『……あぁ…………今なら……エミの気持ちが……理解出来る……』
フレイヤは今でもアリスの最後を忘れたことは無かった。悪霊残党による突然の攻撃に女神側は苦戦を強いられた。圧倒的なカリスマと絶対的な力で皆を纏めたエミリアは亡くなっており、五大精霊も最後の決戦で殆どが地上から姿を消していた。残っていたのは五大精霊の加護を受ける五人の聖騎士と、風神であるフレイヤだけだった。
「私は…………」
あの時、確かにフレイヤは死に際の願いを聞いて頷いた。だが三千年の時を越えて今ではそれが彼女の行動を縛る結果になっていた。現継承者エイミーの願いは王国軍を打ち破ること。そしてアリスの願いはレアーヌを守ることなのだ。
「私には……」
託された願いをフレイヤが叶えることは無かった。アリスの死後、急速に分裂を始めた者たちに嫌気が差したこともあるが、女神の代理人エミリアとアリスを始めとする五人の聖騎士が地上から消えたことにより、負の魔力が大陸に増大してしまったのである。そんな悪霊の置き土産によって、フレイヤも地上に留まることが出来なくなっていたのである。
「悩んでいるところ悪いけど、あなたにはこの戦いから外れてもらうわよフレイ」
「……お姉様」
遥かな昔の約束で悩んでいたフレイヤは、敬愛するエイミーの声に肩を震わせた。
「どうして…………ですか?」
敬愛するエイミーに嫌われたくない。役立たずと思われたくない。様々な想いが心の中に渦巻きながらフレイヤは恐る恐るその意図を尋ねた。
「この戦いで敵を壊滅させる気はないわ。王国に崩壊してもらっては困るのよ。それに誰にだって戦いたくない相手はいるものよ? 無理してあなたが出る必要はない。ここにいる帝国騎士たちだけで間に合っているわ」
そこにいるのはいつもと変わらない笑顔でフレイヤを見つめるエイミーだった。彼女はフレイヤの肩を軽く叩くと、最後にこう告げた。
「あなたが背負いきれないことは私が背負う。私たちはそういう関係なのよ」
そんな言葉を告げて天幕へと向かって行ったエイミーの背中を、フレイヤは頭を下げて見送った。自分の気持ちを汲んでくれる彼女は、やはり仕えるべき人間なのだと実感しながら。
「いよいよ決戦が始まります。分かっているとは思いますが、この決戦の勝敗は王国軍の主力である装甲騎士団に突撃を行わせそれを粉砕することです。つまり装甲騎士団を撃破すればこの戦いは終わります。そして戦争も」
真剣な口調で真面目な話をするエイミーだが、集まった指揮官たちはその言葉よりも天幕内にいる意外な人物に興味津々だった。
(…………彼女の話を聞けよ)
そこにいたのは皇帝一家の警護を任務とするフランツ・クリューガー・シュランベルグ親衛隊騎士隊長であった。凝視する視線に耐えられなくなった彼は、大きく咳払いするとエイミーを見据えて口を開いた。
「申し訳ないが、私の用件から話しても構いませんか?」
「そうですね。それが良いでしょう」
フランツの言葉にエイミーは苦笑を洩らしながら答えた。指揮官たちはバツが悪そうな表情を浮かべていたが、実はエイミーも彼が来た用件を知らなかった。彼は外で待機していた親衛隊騎士に声を掛けるとある物を持って来させた。
「まずはこれを。エイミー様が所望していた剣です」
まずフランツが手渡したのはエイミーが帝都の武器屋に頼んでいた剣であった。それを受け取った彼女はすぐに鞘から剣を抜いた。それはかつての愛剣と同じ形をしていたが、酷使してきたあの剣とは全く違うものだった。
「この剣……随分と費用が掛かったのでは?」
「費用は陛下がお支払いになりました。フロストでの褒美とのことです」
「そう。あのおじさんもいい仕事するわね。まさしくこれは――――」
剣を軽く振ったエイミーは、剣先をじっと見据えながら低い声で言った。
「人を斬り殺すための剣ね」
冷酷な一面を見せたエイミーの言葉に、誰もが無言でその剣を見つめた。新品で真新しいその剣は彼女の言うとおり、人を斬り殺すことに特化した剣であり、大陸主流の剣とは根本的に違う作りをしていた。
「それとこれはエリノア夫人から届きました」
物騒な一面を覗かせるエイミーの雰囲気に呑まれることなく、フランツはもう一つの品を取りだした。それはエリノアが作らせていたエイミー用の鎧一式だった。
「これはベンフォード家の家紋ですね」
ブレストプレートの胸元に刻まれた獅子の紋章を見て最初に声を上げたのはディアーナだった。彼女のブレストプレートにももちろん家紋が刻まれている。棘のある薔薇である。
「ベンフォード家の一員である以上、敗北は許さないとのことです」
「ではこの獅子に恥じないよう勇敢に戦うとします」
決戦前に望んだ物が全て手に入ったエイミーは思わず表情を崩して笑顔を見せていた。全てが順調であり、間に合わないと思っていた物までも届いた。これで負ければ、帝国中の笑い物になることは間違いなかった。
「…………これが王国との最後の戦いです」
表情を引き締めたエイミーは、全員を見回してから静かな口調で告げた。誰もがいつもと同じような顔で頷いたのを見て、彼女はもはや何もいうことは無いと感じてこう締め括った。
「ザールラント帝国に勝利を!」
◆リヒテン侯爵領 フリッツ◆
「絶対に見つけ出せっ! 奴はこの街にいるはずだ!」
リヒャルダ率いる近衛騎士隊の突然の襲来に街は騒然とした。彼女たちは領主邸へと一直線に向かうと何も告げずに屋敷へと突入した。
「一体何事ですか? 説明を」
「ここはダリウス様のお屋敷ですよ? この件を陛下はご存じなのですか?」
帝国五大貴族の一人であるダリウスの屋敷に勝手に突入するなど許されることではない。突然の出来事に恐怖で震えるメイドたちとは対照的に、それを統率する執事とメイド長は怒り狂ったような表情で指揮官であるリヒャルダを問い詰めた。
だが彼女はそれで止まるような人間では無い。しかも今は絶対的な力を行使出来る立場にあった。
「ダリウス・カルヴァート・リヒテン侯爵。彼には反逆罪の容疑が掛かっている。これはヘルムフリート皇帝陛下の承認を得て、エイミー騎士団長が正式に命じた捜索だ。邪魔をすれば貴様たちも反逆罪に問われるぞ!」
「だ、旦那様が反逆……」
「そんな……」
反逆罪――――それは帝国においてもっとも重い罪である。唯一絶対の支配者である皇帝に対して反逆を起こせば、待っているのは一族全てが処刑されるという現実である。だがこの二百年間、反逆を起こして反逆罪に問われた者は一人もいない。あまりにも処罰が重いため、その罪に問うことを回避してきたのである。
「探せっ! 帝国を窮地に追い込んだ裏切り者を探し出せっ!」
リヒャルダの号令によって、屋敷内を徹底的に調べて行く近衛騎士たち。そのあまりに真剣な様子を見れば、誰にでもこれが嘘や冗談でないことが理解出来た。
「屋敷を壊しても構わん。どうせ取り潰す屋敷だ。徹底的に探せっ!」
徹底的な捜索を指示するリヒャルダの言葉を聞いて、メイド長が我に返り思わず彼女に尋ねた。取り潰されたら職を失い、そうなれば生きて行くのに困ることになる。もっともそんな心配は杞憂だった。何故なら彼女たちにはもっと悲惨な現実が待っているのだから。
「仕える主人が反逆を起こした。お前たちは全員監獄行きに決まっているだろう。徹底的に調べてやるから覚悟しろ。私は裏切り者を絶対に許さない」
リヒャルダの言葉に誰もが震えた。中には泣きだす者や恐怖で失禁する者もいたが、彼女は意に返さず冷酷な瞳で見据えるだけだった。リヒャルダ・ブリュックナーは近衛騎士総長という身分ではあるが、実はもう一つの顔を持つ人物でもあった。
それは尋問官としての顔である。しかも尋問官仲間から『拷問官』と恐れらる程の尋問官なのである。彼女の尋問は恐ろしく、帝国の敵には一切容赦しないことで有名である。身体的な苦痛から精神的な苦痛は当たり前。同じ女性であろうとも辱めることを躊躇うことはない。彼女の拷問によって廃人送りになった人間は数知れないのである。
(……少し脅し過ぎたわね)
冷徹な表情を崩すことの無いリヒャルダだったが、内心ではそんなことを考えていた。彼女は決して異常者ではない。確たる証拠があって初めて拷問という尋問を行うのだ。しかも今回はエイミーからも強く要請されている。拷問は避けるべきだと。
(エイミーの言うとおり屋敷の人間は無実でしょうね。それにどうやら奴はここにもいない)
捜索を続ける近衛騎士たちであるが未だに発見の報告は無い。やはり捜索されそうな場所に逃げるほど愚かな人間では無かったようだ。
「捜索を続行しろ。何としても奴の行き先を特定しろ」
儀式の結果かどうかは分からないが、帝都は悪霊の攻撃を受け北部のエミンゲルも壊滅的な被害を受けた。そしてエイミーの話によれば、あの儀式に必要な生贄は五十六人とのことであった。
(帝国を裏切り人まで殺した狂信者め。絶対に見つけ出して断罪してやる)
ダリウスを必ず見つけ出す。それを心に誓うリヒャルダだったが、結局行き先については何一つ分からなかった。
「そう言えばリヒャルダ総長。捜索に忙しくて忘れていましたが、そろそろ決戦が始まるのでは?」
「え? そういえば忘れていたわね」
部下の言葉で決戦のことを思い出したリヒャルダだったが、その顔を見れば興味が無いことは一目瞭然であった。それを見て怪訝な表情を浮かべる部下に、彼女は簡潔に理由を説明したのだった。
「気にしたところで結果が変わるわけでは無いもの」
感想などお待ちしております。次から戦闘です。




