それぞれの日・後編
「母上にお願いがございます」
ヘスティア騎士隊の仲間たちと優雅に談笑していたテレージアの下を訪れたディアーナは、真面目な顔つきでそう言葉を発した。その場にいた騎士たちが皇女の来訪で背筋を伸ばす中、テレージアは微笑みながら用件を尋ねた。
「手合わせをお願いしたいのです」
「え? ウソでしょう?」
「いくら皇女様でも『槍舞の華』に挑むのは…………失礼ですが無謀だと思われます」
ヘスティア騎士隊の面々は苦笑いを浮かべながら次々に言葉を口にした。『槍舞の華』は魔獣討伐で多大な功績を上げた彼女に贈られた異名である。四方を大軍に囲まれた状況から生還した騎士。それが皇妃テレージアが『槍舞の華』と呼ばれる由縁なのである。
「ふふふ。少し見ないうちに大人になって。構わないわよ。あなたの今の実力を見せてもらいましょうか」
「テレージア様? 本気ですか?」
「この時期に怪我でもしたら問題になります」
「せめてエイミー様に許可をもらった方が……」
誰もが止めようとする中、テレージアは視線をある方向に向けながら言葉を紡いだ。
「あの天使の寝顔を見なさい? 私には邪魔するなんて無理だわ」
テレージアが視線を向けた先には、白狼を抱きしめながら眠るエイミーの姿があった。その寝顔はまさに彼女が表現した通り天使そのものであり、とても邪魔出来る雰囲気ではなかった。
「手合わせくらいなら構わないでしょう。殺し合いをするわけではないのですから」
微笑みながら物騒な言葉を吐き出したテレージアは、槍を手にすると笑顔で娘のディアーナを見据えた。目の前にいる娘はもはや自分が知っている娘とは違う。幾多の戦場を駆け抜けてきた娘は、何も知らない子供では無いのだ。
(子供の成長は早いと言いうけど本当ね。でも悲しいわ。この様な成長は望んでいなかった。もっと穏やかな生活……そう平和な世界で過ごしてもらいたかったのに)
母親としては複雑な心境だが時間を戻すことは出来ない。ならば確かめるしかない。娘が決戦を生き残れるのかを。
「……覚悟は出来たわね」
一見すると機敏な動きが取れなさそうなドレス風の騎士服を着るテレージアであるが、それは夜会や式典用のドレスとは違い大きなスリットが入っているため大きく足を踏み出すことが可能である。
彼女は多くの男性騎士が見ていることも気にせず左足を前方に踏み出した。間もなく四十歳になる彼女であるがその美しさは健在であり、スリットから覗いた左足は男女問わず多くの者の視線をくぎ付けにしたのであった。
「帝国騎士テレージア・ハウゼン・ザールラント。いざ尋常に勝負」
一方、対峙するディアーナはその光景よりも雰囲気に恐怖を覚えた。戦場を巡った今だからこそ分かるのだ。目の前にいる母が本気であることが。だからすぐに理解出来たのだ。手を抜けば間違いなく殺されると。
「帝国騎士ディアーナ・ハウゼン・ザールラント。全力で行かせていただきます」
その言葉と同時にディアーナは剣を抜くと瞬時に魔法を発動させた。それは自分がもっとも得意とする絶対零度の魔法剣である。
「理解してくれて嬉しいです。来なさい。殺されたくなければ!」
その言葉と同時に、テレージアは瞬時に槍を振るって魔法を発動させた。それはエイミーとの手合わせの時に見せた風の刃である。触れるもの全てを切り裂くその刃を目で見ることは不可能である。風を目で見ることは不可能なのだから当然である。発動された直後に発生する僅かな空間の揺らぎを見逃せば、間違い無く致命的な傷を負うことになるのだ。
「私も少しは成長しました。それくらいは見えます」
最小限の動きで風の刃を避けるディアーナを見て喜びを隠せないテレージアは微笑みを浮かべていた。だが周りで観戦していた騎士たちにはそれが不気味に映った。あの攻撃は当たれば大怪我どころでは済まない攻撃である。
「当たったら死んじまうぞ」
「と、止めた方がいいんじゃないか?」
「誰が止めるのよ」
あまりに壮絶な光景を目の当たりにした騎士たちは誰ともなくそんな声を上げるが、誰一人として動く者はいなかった。敵と戦って死ぬのは本望だが、味方に殺されるのは全員がごめんだったのだ。
「これで……私の間合いだ」
ようやく剣の間合いに飛び込んだディアーナが剣を振り抜くが、その剣をテレージアは簡単に槍で防いだ。ディアーナの剣は簡単に防げるものではない。それは観戦していた騎士たちにも理解出来た。彼女の斬撃は速く、しかも魔法を付与した魔法剣である。触れる物すべてを凍らせる剣。だがテレージアの槍が凍ることは無い。なぜなら――――。
「おい。あれはまさか……」
「魔法剣……いや槍だが、でもあれは風じゃない」
槍に宿る魔法。それは風では無い。槍が輝いているのだからそれは一目瞭然であった。
「その槍…………母上まさか――――」
「私が得意とするのは風魔法だと思ったかしら? なら違うわ。私が得意とするのは光の攻撃魔法。そしてこの聖槍は全てを断罪する。この様に」
微笑みながら槍を振るった瞬間、ディアーナのブレストプレートが真っ二つに割れた。そして中に着ていた騎士服の一部もである。
「おいおい」
「こりゃあ……」
「失礼でしょう。男どもは後ろを向きなさいよね」
「本当ね。最低よ」
予想外の出来事に思わずディアーナを凝視していた男性騎士たちに、女性騎士たちはそんな言葉を浴びせた。さすがにそれ以上凝視することも出来ず、男性騎士たちはディアーナから視線を逸らすしかなかった。だが当のディアーナは自分の格好よりも何も出来なかったことに悔しさを滲ませていた。何せ攻撃そのものが見えなかったのだ。テレージアが手加減していなければ確実に死んでいただろう。
「少しはその格好を気にしたらどうなの?」
「……騎士としてこの場に立つ以上、恥じらいは捨てています」
ディアーナの言葉にテレージアは少々困った顔を浮かべた。この攻撃で戦意を奪うつもりだったのだが、どうやら逆効果だったようである。
(母として複雑だわ。え? ちょっと見えてるわよ)
立ち上がったディアーナは胸元がはだけているのも気にせず剣を鞘に納めた。その光景に首を傾げながらもテレージアは警戒を解かなかった。その目がまだ戦意を失っていなかったからである。
「…………〈水の大精霊『水竜王』よ〉」
「まさか……」
ディアーナの詠唱を聞いたテレージアは言葉を失った。娘が詠唱しようとしている魔法は大魔法である。しかも水魔法の中でも最高クラスの魔法である。
「〈汝の名前は『ティアマト』 初源の竜にして絶対なる竜の長よ〉」
周囲の気温が一気に下がったことを確認したテレージアは、その魔法が確実に発動することを実感した。そして魔法が発動すれば大惨事である。
「〈その初源の力を 我が身を喰らいて今ここに解き放て〉」
「止めなさい! その魔法は私だけじゃない。全てを巻き込むことになるわ」
どんな言葉を投げかけても止まらないディアーナを見て焦ったテレージアは手にした槍を突き出した。攻撃を当てて詠唱を止めようと考えたのである。だがそれこそがディアーナの真の狙いだった。
「〈全てを閉ざせ〉」
「くっ! しまった!」
大魔法の詠唱を破棄して防御魔法を発動させたディアーナ。その結果、テレージアが突き出した槍は分厚い氷の障壁によって跳ね返されたのである。怪我をさせないようにと魔法を付与しなかったことが完全に裏目に出たのである。
「これが私の戦い方ですっ!」
そう叫んだディアーナは素早く鞘から剣を抜き振り抜いた。もはやそこには正々堂々と戦うことに固執していた彼女はいない。大切な者を守るためには勝たなくてはならない。それをこの戦争で学んだのだ。
(本当…………成長したわね)
騙し討ちの様な手を平然と使ったディアーナに感心しながら、テレージアは迫って来る剣を目で追っていた。槍で防ぐのは間に合わない。だからこそ誰もが勝負は決まったと思っていた。ディアーナただ一人を除いて――――。
「「…………」」
その光景に誰もが呆然としていた。テレージアは躊躇いも無く槍を捨てると、後方に体を大きく反らして左足の鉄靴でディアーナの剣を蹴り上げた。そしてそのまま両手を地面につくと後方に回転して落ちてきた剣を手にしたのである。
「……降参します」
首筋に当たった剣の感触を確かめながら、ディアーナはスッキリとした表情でそう告げた。最後の瞬間、彼女は母が笑っていたのを見て確信した。負けると。
「まさかここまで追い詰められるとは思いませんでした」
「いえ完敗です。そもそもブレストプレートを斬られた時点で私の負けでした」
緊迫した勝負が終わり、二人は笑顔を浮かべながら手合わせの感想を口にする。だがそんな空気を一人のメイドがぶち壊した。
「ディアーナ様! 早く着替えて下さいませ!」
我慢の限界を超えたフリーデが大きな声を上げたのである。
「皇族ともあろう者が、やたらと素肌を人前で晒してはなりません! ただでさえここは男性が多い場所なのですよ!」
あまりの剣幕に何も言えないディアーナは、顔を引き攣らせながら頷くしかなかった。そんなやり取りを苦笑いしながら眺めていたテレージアだったが、フリーデの怒りは彼女にまで降りかかった。
「母であるテレージア様も悪いのです。娘の服を切り裂くとはどういうことですかっ! 騎士とはいえお二人とも女でしょう! 恥じらいを忘れてはなりません! そもそも最近のお二人は――――」
先程まで死闘に近い勝負を繰り広げていた皇族二人がメイドに怒られる光景。それは何とも不思議な光景であり、笑いを誘うものがあった。
「…………何があったの?」
目を覚ましたエイミーは、疲れきった表情で座り込むテレージアとディアーナを見てそんな疑問を投げかけた。二人は多くは語らず、ただ簡潔にこう答えたのだった。
「「フリーデ怖い」」
「ん? 西方の国で『饅頭怖い』という話があるけど、それみたいなもの?」
決戦前の日々は、こうして過ぎて行ったのであった。




