それぞれの日・中編
王国軍の支配下に置かれたブリュールの街を、クラリスは目的も無く歩いていた。支配下に置かれた当初は住民たちも怯えた表情を見せていた。だが領主代行であるエルヴィラが住民たちに状況を丁寧に説明したため、それも数日の内に収まっていた。
何故なら王国の支配下に置かれたとは言っても、実際の所は何も変わっていなかった。虐殺や略奪の類は一切なく、街を守っていた騎士隊も解体されることなく街の治安維持に当たっていた。
『降伏するに際してこれだけは我々も譲れません』
アルフォンスに対してエルヴィラが要求してきたことは想像以上に少なかった。騎士隊の解体はせず、街の治安維持を続ける。双方の間で問題があった場合、話し合いによって解決する。住民に何らかの危害を加えた場合は抵抗を再開する。その全てをアルフォンスは呑んだのである。
王国軍の中にはこれを弱気と受け取る者も存在した。敵の騎士隊を解体しないなど、占領政策の観点から見ればあり得ないことである。だがあらゆる不満をアルフォンスは一喝して黙らせた。
『我が軍に課せられた使命は帝国軍に打撃を与えて講和を有利に進めることだ。支配を行うことではない。反感を買うような真似は絶対に避けろ。末端にも徹底しろ』
その結果、街で大きな問題は起こっていなかった――――はずだった。
「……あいつら」
目の前の光景を見てクラリスは大きくため息を吐いた。いくら徹底しようとも末端の兵には規律を破る者が出てくる。特に勝利した側は傲慢になりがちだ。
「あなたたち何をしているのかしら?」
街の女性を囲む王国騎士四人に、クラリスは丁寧な口調で言葉を掛けた。だがその四人はクラリスを見ると剣を抜いた。顔は赤みを帯びており、酒を飲んでいるのは明白だった。
「少し勝者の権利を楽しもうと思っただけだよ」
「あんたいつもうるさいんだよ。女のクセに偉そうにしやがって」
「前から気に入らなかったんだよ」
「どうせ団長に媚売って今の地位を手に入れたんだろう?」
罵りの言葉を黙って聞いていたクラリスだったが、騒ぎを聞きつけてやって来た帝国騎士が剣を抜いたのを見て顔を顰めた。ここで帝国と王国の問題に発展するのは好ましくない。北上の準備を整えた今、ここに敵を作るのは好ましくないのだ。全ての努力が水の泡になってしまうのだから。
「無能な騎士共め」
帝国騎士たちを手で制したクラリスは、剣に手を掛けると四人を見据えた。その目は殺意に満ちていた。彼らは自分だけでは無く敬愛する団長すら馬鹿にしたのだ。何よりも――――。
(女は貴様たちの玩具ではないっ!)
仲間に裏切られたあの日、クラリスは心に誓った。王国に巣食う闇を払うと。それは長年続いていた差別意識の撤廃である。だからこそ屈辱に満ちた一カ月を耐え抜いた。時には敵に媚ながら脱出の機会を待ち、そして王国に帰還したのである。
「貴様らに騎士を名乗る資格は無い」
この様な男たちに王国騎士を名乗る資格は無い。だからその言葉を彼らに向けてクラリスは放った。
「これから先の人生に絶望しろ。そして後悔しろ」
その言葉と同時にクラリスは魔法を発動して剣を抜いた。
――――聖騎士クラリス。彼女が得意とする魔法は光を駆使した幻惑魔法である。だから彼らは彼女に斬られるまで何が起きたのか全く気付かなかった。そして気付いた時には全てが終わっていた。地面に倒れて悲鳴を上げる四人。そんな彼らを彼女は無言で見下ろしていた。彼女は彼らを殺すことはせず、その両手首を斬り落としたのである。
「力でしか女を従えられないクズ共が。貴様たちはその姿で生きるがいい。もっとも、この世界はそれで生きて行けるほど甘い世界では無いがな」
冷たい目で四人を見下ろすクラリスはどこまでも冷酷だった。彼らは騎士としての人生を奪われ、そしてその先の人生までも奪われたのだ。両手を失った彼らは誰かに頼るしか生きる道は無いが、これまで騎士として身分の高い地位にいた彼らがそれに順応出来るとは思えなかった。最後は身ぐるみを剥がされて殺されるのが目に見えていた。
「また派手にやったな」
そんな重苦しい空気が漂う中、どこからかそんな言葉が聞こえてきた。クラリスはその声の主を見つけると姿勢を正して敬礼した。またその隣にいた者を見て、帝国騎士たちも剣を納めて敬礼した。
そこにいたのはアルフォンスとエルヴィラ。そしてアルバーノとフローラルだった。なぜ四人が一緒にいるのか疑問ではあったが、クラリスはとりあえず次の言葉を待つことにした。
「それでこいつらは?」
地面を転がりながら呻く四人を眺めながら尋ねたアルフォンス。その格好を見ればすぐに王国騎士だと分かるのに、あえてその質問をしてきた彼の意図を察してクラリスはこう答えた。
「王国騎士の格好をしておりますが、我が国の騎士ではありません。犯罪者の類でしょう」
「そうだよな。命令を無視する騎士などいないからな」
王国とは何の関係も無い犯罪者。四人の王国騎士を簡単に斬り捨てるアルフォンとクラリスの言葉に、エルヴィラは確認するように口を開いた。
「つまりその四人はこちらで処分して構わないと?」
「もちろんです。我が王国には一切関係がありませんので」
関係が無いことを強調するアルフォンスに、エルヴィラは内心大きなため息を吐きながら帝国騎士たちに連れて行くよう命じた。連行される際に何度もアルフォンスとクラリスの名を叫んでいたが、二人は日表情一つ変えることは無かった。そして頭を下げるとその場から立ち去って行った。
(大局のために仲間を簡単に斬り捨てることが出来るとは恐ろしい二人だな。もっとも女の方はそれだけではないようだが)
一部始終を目撃していたアルバーノは、クラリスの顔を思い出しながらそんなことを考えていた。あの殺意は異常だ。とても大局を見据えただけの行動とは思えない。
(あの女……危ういな)
妄執にも似た執念。それをクラリスから感じたアルバーノはそう思った。彼女は非常に強い。それは先程の戦闘を見れば一目瞭然だ。だがその様な想いに囚われた戦い方は味方すら危険に晒すこともある。
そして何よりそれは――――。
(あの女が降伏を選ぶことはまずない。あれは敵と刺し違えても死を選ぶ人間だ)
絶対に降伏などしないということだ。それは無用な死を生み悲劇を作り出す。出来れば戦場で出会いたくないタイプの人間であった。
(そう言えば昔…………そんな人間にあったことがあったな)
アルバーノは西方傭兵団に入る前、戦場でそんな人間と出会ったこと思い出した。
(幾多の戦場を巡ったが、二度とあいつには出会いたくないな。あれは少女の姿をした悪魔だ)
美しい長い金髪を靡かせた幼い少女。だがその少女が振った剣は恐ろしいものだった。まさに一騎当千という言葉が似合う獅子奮迅の戦いぶりで、多くの仲間が少女の刃に倒れた。あの時、敵の指揮官が功績を得ようと早まった行動を取らなければ負けていただろう。
(あの目……侵略者という存在を憎んだ目だった)
透き通った青い瞳だったがその目は冷たく、浮かんでいたのは殺意と憎悪の感情だった。侵略者を許さず、一歩も退くことなく戦い続けた少女。文字通り彼女はその命を懸けて戦った。最後に見た時、少女は多くの兵に囲まれて膝をついていた。腹部には矢が刺さっていたが、その状況でも剣はしっかりと握っていた。感心すると同時に心の底から恐怖を覚えたものだ。
(帝国は覚悟する必要があるな。あの女を殺すのは簡単ではない)
クラリスにその様な感想を抱いたアルバーノだが彼は知らない。あの日、少女が一人だけ助かった事実を。そして今やこの帝国の命運を握っていること。
「王国との約束……早まったかもしれませんね」
「決戦に際して我々は一切動かない。王国軍の背後を決して脅かさない。ですが住民を守るにはそれしかないでしょう」
北上を開始するアルフォンスは、エルヴィラにそう約束させた。それは帝国を裏切る行為にも等しいものであったが、この状況で領民を守るにはそれしかなかった。戦えば滅ぼされるのだから。
「帝国が勝てば解放される。そしてその時は私が責任を取ります。売国奴の汚名は私一人で十分でしょうから」
静かに微笑んで歩き出すエルヴィラの姿を、アルバーノは悔しげな表情で見送った。領主としては申し分ない人物である。だが帝国が勝てば彼女は罰せらるだろう。戦わずに降伏して王国に与した領主。処刑は免れないだろう。
「どうにかならないのですか? エルヴィラ様はこの状況で領民の命と財産を守ったのですよ?」
縋るような視線を送って来るフローラルだったが、こればかりはアルバーノでもどうにもならない。フィオーナの母親を助けたいとは思うが問題が大きすぎる。そして裏切り行為はどの国でも許されることは無いのだ。
「…………祈るしかありません。奇跡が起こることを」
何も出来ないことを歯痒く感じるアルバーノはそんな言葉を吐き出した。それが何の慰めにもならないことを分かっていながら。
その翌日、王国軍はブリュールの街を出発した。目指すは決戦の地バーデン平原である。
「王国とも手を取り合えれば、この街ももっと栄えるでしょうに」
王国軍を見送りながら小さな声で呟いたエルヴィラに、アルバーノは領主としての才能を感じていた。あらゆる未来を思考することは上に立つ者には必要不可欠だ。そしてそれが命を預かる者としての責任でもある。
「…………確かに栄えるでしょう。手を取り合えれば」
「その未来を見てみたいものですが私には無理でしょう。どちらが勝っても責任は問われる。帝国が勝てば皇帝から。王国が勝てば領民、もしくは王国側から。どちらにしろ私に残された時間はあと僅かです」
もはや未来が見えているエルヴィラだが、その表情はどこまでも穏やかだった。彼女の願いは領民の安全を守ること。そのために全ての責任を自分一人に一本化させて来たのだ。
「うちの団長が怒り狂う話です。最後まで内緒にして頂きたい」
「分かっていますよ。これからも娘を宜しくお願いします。娘は自由を手に入れ、今ではすっかり大人になった。これからも多くのことを成し遂げてくれるはずです」
丁寧に頭を下げるエルヴィラにアルバーノはしっかりと頷いた。それは彼女の最後の願いだ。無下にすることは出来ない。
「その願い承りました」
領民のために心を砕き最後は娘の安寧を願うエルヴィラに敬意を評して、アルバーノは静かに頭を下げた。それ以上の言葉はいらない。彼女の覚悟は本物なのだから。
(願わくば良い未来が待っていることを)
最後の王国騎士を見送ったエルヴィラは、屋敷に戻るために動き出した。あとは結果を待つだけの身であり、それがどのような結果であろうとも結末は変わらない。だがもしも許されるのであれば願うことは一つである。
「私は帝国貴族。願うならば皇帝陛下によって断罪されたいものですね。我が主によって」
そんな願いを呟きながらエルヴィラは歩みを進める。そしてその日を静かに待ち続けたのだった。




