実力の一端
エリオスの提案によって訓練を見学する事になったエイミーを、べティーナは睨みつける様な表情で見つめていた。傭兵でしかない人間に、なぜ帝国騎士の訓練を見せなければならないのか全く理解出来なかったからである。
「……上手い」
そんなべティーナの心情には気付かないエイミーは、馬術訓練を行っている一人の女性騎士を見て小さく声を上げていた。
(見る目はあるようだな)
目の前で軍馬を操っていたのは帝国第二皇女その人であった。
その馬術の腕前は一級品であり、彼女は巧みに軍馬を操りながら標的である木の柱に置かれた兜を次々とランスで落としていた。
(彼女は騎乗突撃が得意なのね。それにしても……これだけいても使い物になりそうな騎士はそう多くないわね。ざっと見て十人ほどかしら?)
大陸の各地で起こる戦争。その戦場はまさに血を血で洗う狂気に満ちた場所である。だがらこそ目の前で訓練に励む帝国騎士たちを見て思うのだ。彼らはあまりにも行儀が良すぎると。
(戦場を知らない騎士ではこんなものか……まぁ平和な国では仕方がないか)
訓練を眺めていたエイミーが心の中でそんなことを考えたまさにその時だった。隣で様子を窺っていたべティーナが大きな声を上げたのである。
「さっきから見ていればその態度はなんだ! 言いたいことがあるならはっきりと言ったらどうだ!」
根が真面目なべティーナにとって、エイミーの態度は許容出来る範囲を超えていたのだ。
そんな怒鳴り声に、訓練していた女性騎士たちも一斉に動きを止めてしまった。
「言いたいことですか? 特にありませんが? そんな顔していましたか?」
激怒するべティーナとは対照的にエイミーは戸惑った表情を浮かべながらエリオスに尋ねた。
そんな彼女に対して彼は苦笑しながらはっきりと表情に出ていたと告げようとしたが、怒りの治まらないべティーナがそれを遮った。
「侮辱するのもいい加減にしろ! 大陸最強を誇る帝国騎士は国を守るため必死に訓練を行っているのだぞ! そもそも私は傭兵が気に食わない! 金で転ぶ傭兵がな!」
「今……何と?」
さっきまで苦笑いを浮かべていたエイミーはその言葉に気分を害して殺気を放ち尋ねていた。そこに少女らしい面影は一切無く、その豹変ぶりにはエリオスですら思わず身構えてしまう程であった。
「わ、私は…………」
先ほどまで纏っていた柔らかい雰囲気とは違い、殺意全開といったエイミーに対してべティーナは言葉を詰まらせた。まさか少女がここまでの殺気を放つなど思ってもいなかったからである。
「エリオス騎士団長殿は私の実力が知りたい様でしたね。本当は教えるつもりはありませんでしたが、特別に教えて差し上げます」
次の瞬間、エイミーは大地を蹴っていた。
「高尚な騎士様に教えてやる。これがお前が馬鹿にする傭兵の実力だ」
目にも止まらぬ速さで距離を詰めたエイミーは、その言葉と同時に右手を勢いよく振り抜いてべティーナの脇腹に突き刺したのである。
「げほっ!」
想像もしていなかった強烈な一撃を食らって身を折ったべティーナの顔面に、エイミーは容赦の無い膝蹴りを入れ追撃を行った。 そんな一瞬の出来事に様子を窺っていた女性騎士たちはもちろん、騎士団長であるエリオスでさえ反応出来なかった。
「大陸最強の騎士? 国を守る? 必死に訓練? これが必死だと? 笑わせるな」
倒れかけたべティーナの髪を掴みそれを阻止したエイミーは、その目で人を殺すつもりなのではないかという程の憎悪を向けながら言葉を続けた。
「泥水を啜り、腐った死肉を食い生き延びる。いつ襲われるか分からない戦場で怯えながら眠る。耳に残るのは叫び。目に焼き付くのは死者の顔。一度見たら決して忘れることなど出来はしない。そんな戦場を経験をしたことが無い貴様が傭兵を馬鹿にするな。傭兵にも矜持はあるさ」
僅か二撃でべティーナを追い込んだエイミーは最後にそれだけ告げると、髪を離して飛び上がるようなハイキックで彼女を後方に蹴り飛ばしたのだった。
「……な、なんてことを」
「ちょっと貴女!」
「いくら何でもやり過ぎよ!?」
倒れて動かなくなったべティーナの姿を見て、ようやく我に返った女性騎士たちがエイミーにそんな言葉と殺気を向けながら剣に手を掛けた。
「私は見ての通り気分が悪い。あいつの様になりたいのか?」
今にも飛びかかりそうな女性騎士たちだったが、エイミーのその言葉を聞いて殆どの者が一瞬怯んでしまった。その視線の先にはべティーナが倒れており、彼女はボロボロで見るも無残な姿になっていたからである。
「……誰か彼女を介抱しろ。君の相手は私が務める」
それまで成り行きを見守っていたエリオスはエイミーの前に歩み出ると、彼女の瞳を見据えて言葉を発した。
「最初に言っておくが、私は君の実力を過小評価したりはしない。傭兵が騎士に劣るとは思わないからな。それと帝国騎士団長として謝罪しておこう。私の部下が不快な思いをさせた」
「…………謝罪はお受け致します」
エリオスの言葉が意外だったのか、エイミーは少しだけ目を見開くと雰囲気を僅かに和らげてそう答えたのだった。
「ありがとう。ではあとは剣で語るとしよう。帝国騎士団長エリオス=ベンフォード=ステラ。全力で行かせてもらう!!」
名乗りを上げて剣を抜いたエリオスに対して、エイミーは剣を抜かずに右手を正面に掲げて一言だけ言葉を発した。
【ヴィント】
そのたった一言で魔力を集束させたエイミーは、圧縮されたそれをエリオスに向けて迷うことなく放ったのだった。
「ちっ! 早い」
正面の空間が揺らいだのを見て咄嗟に体を捻ったエリオスの真横を通過した風の塊は、後方の地面へと轟音と共に着弾した。
「地面が……抉れた?」
「何……今のは?」
エイミーが何をしたのか理解出来ない女性騎士たちは次々に疑問の声を上げるが、何人かはそれを正しく理解していた。
そしてその中には帝国の第二皇女も含まれていたのである。
(簡易詠唱……凄いわ)
精霊から力を借りて行使する魔法は詠唱が必要不可欠なものであり、それを簡略化するには相当な訓練が必要とされている。
だがそんな彼女の常識をエイミーは簡単に飛び越えて行った。音もなく鞘から抜かれたエイミーの剣が、紅蓮の炎を纏っていたのである。
(魔法剣……しかも無詠唱で。嘘でしょう!?)
あり得ないものを目撃して開いた口が塞がらない第二皇女とは裏腹に、エイミーと対峙するエリオスは口の端を持ち上げて笑っていた。
(これが一等級傭兵か。素晴らしい)
簡易詠唱くらいは出来るだろうと予想していたが、無詠唱までとは予想していなかったエリオスは、良い意味で予想を裏切られて心の底から気分が高揚していた
(自分の力を思う存分発揮出来る。まさに最高だな)
帝国騎士団長であるエリオスと対等に渡り合える騎士は帝国中を探してもそう多くは無い。精々片手で収まる程度であり、しかもそんな騎士たちは広大な版図を誇る帝国各地に散って任務をこなしているのである。
つまり会う機会が殆ど無いのである。
(全力を出せる機会は滅多に無い。ならば――)
持てる力を全て使って戦おうと考えたエリオスだったが次の瞬間、なぜかエイミーが魔法剣を解除して剣を鞘に納めてしまったのである。
そんな光景にただ呆然とするエリオスに対して、彼女は静かに声を発した。
「止めましょう。私は殺し合いをするつもりはありませんので」
(臆したのか? いや違うな。互いに本気を出せばきっと……)
――どちらかが死ぬ――
それを漠然と感じ取ったエリオスは、剣を納めてエイミーを見据えた。
「私も殺し合いをするつもりはない。それにしても、君は簡易詠唱や無詠唱以外にも何か持っていそうだな」
「それはあなたも同じなのでは? エリオス団長殿?」
先ほどまでとは全く違う見る者を魅了する笑顔を向けるエイミーの言葉に、エリオスは大げさに肩を竦めてみせた。
確かに彼女の言葉通り、エリオスはとっておきの隠し術を持っていた。
――精霊召喚――
契約した精霊『獅子王』を現世に呼び寄せる強力な召喚魔法である。
(だが彼女に通用するかは疑問だな)
灼熱の炎を身に纏い、あらゆる敵をその炎で焼き尽くす獅子王だが、何となく目の前のエイミーには通用しない気がしていた。簡易詠唱や無詠唱を軽々と使いこなす彼女なら、精霊召喚魔法も行使出来るような感じがしたからである。
「まぁとにかくだ。君には騎士を暴行した容疑で牢に行ってもらう」
「……へ?」
二人の間に穏やか空気が流れ始めたのを見計らってエリオスが告げると、エイミーは間抜けな声を洩らしながら訳が分からないといった表情を浮かべた。
「確かにベティーナは喧嘩を売ったのかもしれないが先に手を出したのは君の方だろ?」
言われてみればその通りで、ベティーナはあくまでも口で喧嘩を売ったに過ぎない。
そしてその内容が例え暴言であったとしても、先に手を出したのがエイミーとあっては言い訳は通用しないのだ。
世の中は先に手を出した者に対して常に厳しいのだから。
「一日鉄格子の中で反省してくれ。誰か連れて行け」
「あははは。まぁ……仕方が無いか」
やり過ぎたという気持ちが多少はあったのか、エイミーは抵抗することもなく騎士たちに連行されて行ったのだった。