喪失から得たもの
王国軍を各地で打ち破った帝国軍。勝負を決する戦いは目前だった。これで王国軍を追い払える。誰もがそう確信していた。それだけの士気も力も確かに存在したのだ。だが今、この本隊に蔓延しているのは明らかな動揺と不安であった。万規模の魔物の軍勢に一人で立ち向かったエイミー・ベンフォードは、確かに驚くべき戦果を上げた。何よりも彼女のお陰で、帝国は大事な戦力を失わずに済んだのである。
しかしその代償はあまりにも大きなものとなってしまった。知らせはすぐさま帝国各地に届けられ、多くの有力者たちの目に触れた。
「そんな…………」
ステラ侯爵領で北部蛮族への警戒と南部支援を行っていたエリノアは、報告を読んで思わず椅子に座り込んでしまった。
「決戦を控えたこの時期に……。どこまで帝国を苦しめるつもりだっ!」
宮殿にて各地の被害状況を纏めていたヘルムフリートは顔を歪めて呟いた。それは本心から出た言葉であり、理不尽な世界に対する怒りの声でもあった。
「行軍を速めます。最低限の騎士だけで結構です。私について来なさい」
本隊に合流すべく南下していたテレージアはその報告を受け取ると、すぐさまそう命じて僅か四人の護衛のみを引き連れ速度を上げた。それほどまでに、届けられた報告は深刻なものだったのである。
報告を受け取ってから一週間。ようやく本隊に合流したテレージアは挨拶もそこそこに自身の娘を探した。もしかしたら状況は好転しているかもしれない。そんな僅かな可能性を信じてである。
「状況は?」
テレージアはそんな言葉を発しながら天幕に飛び込んだ。そこには本隊を率いる主要なメンバーが集まっていたが、やはりエイミーの姿は無かった。そのためか天幕内に活気は存在しなかった。それだけで事態は何一つ好転していないことが分かってしまった。
「「…………」」
「エイミー団長はどこにいるの?」
こうしていても埒が明かない。それに至ったテレージアが言葉を発すると、本隊を臨時で率いるアレンが静かに口を開いた。話によればエイミーは娘と共に外に出ているという。それを聞いて彼女はすぐに天幕を出てその場所へと向かって行ったのだった。
剣を地面に突き刺して佇むエイミーは、穏やかに流れる風と降り注ぐ日差しを肌で感じてようやく笑顔を浮かべた。その姿をそばで眺めていたディアーナは、少しだけ強張っていた表情を崩した。
あの日、倒れたエイミーは意外なことにその日の内に目を覚ました。それを見て誰もがホッとした表情を浮かべたのだ。だが続いてエイミーが放った一言に誰もが絶句した。
『誰かいる?』
エイミーのそばにいた全員が、すぐにはその言葉を理解出来なかった。何度もそう言葉を発する彼女の言葉を聞いて、ようやく目が見えていないことに気付いたのである。
しかし彼女の異変はそれだけでは終わらなかった。何度声を掛けても彼女がその声に答えることは無かったのである。力を長時間行使した結果、彼女は視力と聴力を失っていたのである。
「……彼女が何をしたというの?」
笑顔を眺めていたディアーナの唇からそんな言葉が漏れた。命を懸けて戦い仲間を守った結果、エイミーは聴力と視力を失った。これはあまりにも残酷な結末だ。そう思わずにはいられなかったのである。
だが一方のエイミーは、全てが闇に包まれ静けさだけが漂うこの世界を冷静に分析していた。
(前から疑問に思っていたのよね)
女神アスタロト。それは世界を創造した母であるが、その女神の力の源は闇である。どこまでも漆黒に染める闇の力。それは全てを無に帰す絶対の力である。だが考えれば実に不思議な話だとエイミーは感じていた。自身の身に宿る力はどれも破壊と死に特化した力でしかない。どれも創造神とはかけ離れた力である。
(全ての頂点に君臨する魔法。それが闇魔法。誰も使えず、どんな手段を用いても対抗出来ない。この世界でそれを使えるのは継承者である私だけ。では継承者とは? そもそも――――)
詠唱を行って力を借りるなら何も身に宿っている必要はない。詠唱を行ってその都度、力を借りれば済む話である。また他にも疑問はある。なぜ記憶や感情が継承されるのか。継承者の記憶はこの世界の歴史そのもの。その知識は計り知れない価値がある。今や失われてしまった知識でさせ、自分だけが知っている。それは戦場においても大いに役立つが、一般的な生活でも十分に役立つ。幼いエイミーが生き残って来られたのは、その知識が存在したからである。
(エミリア・ロザンヌ。アリス・コールフィールドは彼女を創世の騎士と呼んだ。時代を創る継承者。もしかして女神アスタロトは………まさかね)
強大な力と膨大な知識。この世界においてそれと対等に渡り合えるのは精霊か悪霊のどちらかしか存在しない。途方も無い時を生きる精霊と死ぬことすらない悪霊。どちらも力と知識を有するが、それでも力を解放した継承者に勝つことは不可能である。最強の座に君臨する継承者は、制約させ存在しなければ絶対に負けることは無い。
(…………まぁ考えても仕方がないか。それにしてもこの世界は寂し過ぎるわ)
何も見えない。何も聞こえない。正直言って普通の人間なら恐怖や不安を感じる世界である。だがエイミーにとっては、予想以上に安らげる場所であった。それは多くの惨劇を目にして、多くの嘆きを耳にしてきた結果だった。このまま終わってしまってもいい。そう考えてしまう時もあった。
(でも……このままでは終われない。やるべきことはまだある。それに約束をまだ果たしていない。母との約束。ディーとの誓い。信じてくれた者たちが待っている。終わるわけにはいかない)
地面に突き刺していた剣を抜いたエイミーは、左手でそれを目の前に掲げた。
「どの様な絶望の中でも私は歩き続けよう。そして漆黒の闇へと迷わず足を踏み出そう。私は継承者。時代を創る創世の騎士。聞け女神よ!」
女神の力は強大だ。だがそれだけでは足りない。今、必要なのは立ち向かう力だ。例え女神を敵にしても、自分が信じた道を進める力。自分の可能性。だから叫んだ。
「立ち塞がるのならば私は容赦しない。女神であろうとも私は斬り伏せて前へ進む。だから…………私の邪魔をするなっ!」
静かに佇んでいたエイミーを眺めながら会話をしていたテレージアとディアーナ。今後どうすればいいのかを真剣に語っていた時にそれは起こった。突如エイミーが地面から剣を抜いて言葉を紡いだのである。
「どの様な絶望の中でも私は歩き続けよう。そして漆黒の闇へと迷わず足を踏み出そう。私は継承者。時代を創る創世の騎士。聞け女神よ! 立ち塞がるのならば私は容赦しない。女神であろうとも私は斬り伏せて前へ進む。だから…………私の邪魔をするなっ!」
そうエイミーが叫んだ瞬間、彼女の体から漆黒の魔力が溢れだした。やがてその魔力は徐々に色を変え輝き始めたのである。そして輝きが最高潮に達した瞬間、魔力は弾け上空へと消えて行った。
「「…………」」
全く何が起きたのか分からないテレージアとディアーナはしばらくの間、ただ唖然としながら空を見上げていた。だが不意に聞こえてきた声で我に返ることとなった。
「女神も趣味が悪いわ」
そこには剣を眺めながら佇むエイミーがいた。彼女は剣を鞘に納めるとゆっくりと振り返った。そしてそのままディアーナを見据えると、目を合わせて告げたのだった。
「終わりにしましょう。この戦争を」
「帝国軍が再び動き出したか」
偵察に出ていた騎士の報告を聞いたアルフォンスは表面上はいつも通りであったが、内心では後悔していた。あの魔物騒ぎで帝国軍に何か起こったのは間違いない。問題なのはそれが何かであった。部隊が損害を受けた。重要な人物が負傷した。もしくは罠。様々な可能性があったが、結局その問題は特定出来なかった。
「もしかしたら絶好の機会を逃したのかもしれないな」
罠の可能性を捨て切れず、アルフォンスが追撃を命じることは無かった。帝国から見ればこれはまさに幸運なことであった。あのまま追撃を受けていれば、間違いなく帝国軍本隊は大打撃を受けていたのだから。
「今さら考えても仕方ないな」
頭を切り替えたアルフォンスは、机に置いた地図を眺めながら考え始めた。再度前進して来たということは、相手も決戦を望んでいることは間違いない。あとはその場所である。数で勝る帝国軍側は、それを生かして広大な場所で戦おうとするはずだ。
「……やはり決戦場所はここしかないか」
地図を睨みながら思案すること五分。アルフォンスはその場所を睨みつけるように見つめた。それは奇しくもエイミーが選んだ場所と一緒であった。数を揃えながらその有利な条件を自ら捨てるとは、アルフォンスも思っていなかった。
「クラリスと諸侯たちを呼べ。意見を聞きたい」
天幕の外に控えていた騎士に声を掛けたアルフォンスは、もう一度地図に視線を向けて考えた。勝利を得るためには考えることを止めてはならない。だが悩み過ぎても良くない。機会を逃すことはあってはならないのだから。
「ここにきて不安を感じるとは、私もまだまだだな」
王国軍にとって決戦に適した場所はそこしかない。だがあの騎士団長がそれを知らないはずはない。
「どんな策を使ってくる? 奴はどう我々と戦う?」
考えれば考えるほど不安は募るが、もはや退くことは叶わない。決戦によって雌雄を決する。それ以外に王国が生き残る術は無いのだ。
「大丈夫だ。負けることなどあり得ない。王国はここで消えたりはしない」
大陸動乱の十年を生き抜いて来た。それはこの時代で生きる者にとっては大きな自信になる。その自信を胸に、アルフォンスは最後の決断を下して命令を下した。そして翌日、王国軍は決戦に向けて最後の準備を始めたのだった。




